プロ志望3人組 @八幡英幸


小学校4年生でオール意岐部ボーイズに入団。
そのまま中学部に入った。


当時は小柄でパワーがないため足が生かせなかった。


「体の大きい奴がうらやましかった。」と話すほど。

165センチ61キロだった。


高校は上宮太子高校に入学。


大阪で常時ベスト8に進出(前年秋に4強入り)したハードな練習


練習中にチームメイトと激突。

左ひざの靭帯を損傷した。

退部し野球から離れようと思った。




病院に通うとスカウトの佐東(のちのチームメイトの佐東の父)に「良い眼をしている」と誘われた。



迷わず入部し、自己紹介で「プロになりたい」と胸を張って話した。



膝の損傷が癒え、即レギュラーを奪うがすぐに右手首を骨折。


涙にくれる日が続いたが森満監督に「お前は外さない」と話され、予選の3回戦から復帰。

打率333、2三塁打と気を吐くが準々決勝で敗れた。


秋の新チームでは投手に。

春になると140キロに迫るストレートにチェンジアップなど緩急を使った投球で優勝に貢献。




春季近畿大会で優勝。



順調のはずだった。



しかし、右ひじの内側側副靭帯損傷によって夏のベンチ入りが絶望となった。



「外してください」
涙すら出ない悔しさに夜も眠れなくなった。



チームが初戦敗退し、主将に名乗りを上げた。




主将となると近畿大会で準優勝へ。

「俺がやる」と言わんばかりに8試合に登板。

68イニングで61奪三振。四死球も14と少ない。


「この大会でも負けてしまっているんです。負けないくらい練習したろとしか思わなかった。自分にウソなんてつけなかったです。実際すごく練習しましたし。」


毎日100段の階段を50本タイムつきで登った。


全員が倒れこむほど走り込みをした。


「メンタルだけは誰にも負けない」それがチームの信条だった。


すると春の全国大会で5試合で3試合で逆転勝利。


決勝では自らのエラーの後、ヘッドスライディングで出塁すると、その後2塁打で一気に本塁へ生還。


「あんな走塁見たことない。あの当たりで帰ってくるとは・・・」敵将もうなる好走塁で勝利をもぎ取った。



優勝後号泣する八幡に話しかけた佐山も思わずもらい泣き。


「ずっと背負ってくれてたんだなと思いました。やっと支えれたかな。」

目を赤くして佐山が話していた。


「チームで一番、苦労して泣いて苦しんで耐えて、努力した。そんなキャプテンにどうしても優勝旗を手にさせてあげたい」と森満監督が大会前に話した通りに。


閉会式後に話すと「本当にね、あの場で涙を流せる男になったのかなと思いますね・・・」
思わずこぼれた涙に教え子たちへの想いがこもっていた。




その勢いで夏も優勝。


大学でも八幡は怪我に泣いた。


2度の肘のはく離骨折に足首の炎症。



しかしそんな時でも捨てきれない夢があった。


「プロ野球選手になる。」



小学生時に書いた作文に

「プロ野球選手になる」と書いていたことを本人は覚えていた。


「覚えています(笑) 今も気持ちは変わらないままです(笑)」


独立リーグを目指すにあたって2つの出来事があった。




それは"ある人物"との対面であった。



八幡は石川県珠洲市という"能登人"である。


現千葉ロッテマリーンズの角中勝也外野手も石川県七尾市出身の"能登人"である


その角中に「諦める年齢じゃない。俺もそんなすごい選手じゃなかったから。諦めんとやること。絶対やれるげん(できるから)やったろう」

と言われ、プロを目指すことに。



しかし怪我でなかなか思い通りに体が動かず、リハビリが続いた。



諦めかけていたがある出来事が起きる。




はとこにあたる4兄弟の6歳で長男の優真(ゆうしん)君との電話であった。


毎日母親の従妹にテレビ電話し、4兄弟と話した。


ある日優真君が八幡に話しかけた

「優真な、野球はじめるげん兄ちゃんキャッチボールして!」

素直にうれしかったが、次の一言が大きく心を動かす

「兄ちゃんみたいにプロ野球選手になる!やから兄ちゃんも優真がなったらコーチになって!」



「本当にうれしかった。プロ野球選手がなぜ140試合戦えるのかわかりました。」




色々なものを背負ってこれからも歩き続ける。

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