memo

▼2023/10/26:没ネタ


「青海にて」43話の没ネタです。ネーム変換箇所なし。
盛り込む余地がなかったので供養。

***

 路地裏に入り込む。
 二、三回、適当に角を曲がった先にいた男性をエースはノータイムで蹴り倒した。思わず喉の奥からヒィッと悲鳴が転がり出る。
 蹴り倒した。海軍でもなんでもない、通りすがりの一般男性を。しかも、鼻血を出して地面に倒れ込んだ男性からシャツを剥ぎ取って、エースはサッと袖を通した。

「な……! なに、なにしてんのエース!」

 突然の出来事に唖然とする私をよそに、彼は気絶した男性の身体を物陰に隠れるよう移動させる。
 目の前でテキパキと悪事が働かれている。私の声もどこ吹く風、男性のお腹の上に帽子を放って目の前にしゃがみ込み、「悪い、服借りるぜ!」と肩をバンバンと二度叩いた。事後報告だし。
 立ち上がったエースは、帽子を被っていたせいでへたれた前髪にざくっと指を差し込んで後頭部へ向かってがしがしと髪をほぐした。今度は私を壁に追い詰める。顔のすぐ横に肘から先をダンと置かれ、反対の腕で腰を引き寄せられる。頬に垂れた一房の髪から少し汗の香りが香った。
 この後起こることなんてキスしかない。私でも分かる。しかし、タイミングと状況が分からない。ドキドキしている場合ではない。人命を、いや、う、待って近い近い近い! 心臓が一度に五つくらい増えたようにたちまち身体中に熱い血が巡る。

「え、エース…!? な、なに……!」
「しー、しー……いい子だから静かに」
「ま、待って、その人血が……あ、あし、足音、だ、誰かくる、」

 その誰かは当然海兵たちであるが、エースは「しー」としか答えず、そのままゆっくりと唇を合わせた。あむあむ唇を喰まれ、混乱で硬くなった口元が少しずつ解かされる。ぬる、と熱い舌が入り込んでまた身体が緊張するが、繰り返されれば力が抜ける。シャツにしがみつくようにして堪えたけれど、ねだっているように思われたかもしれない。腰に回った腕に力が入り、足の間にエースの足が割り込む。壁と髪がザリ、と擦れる音がした。
 情熱的なキスだった。

 あ、嫌だ、足音がこっちくる、もうすぐそこ……。

「お前たち! ここでな……に、を……」
「……海軍はこういうのも取り締まんのかよ」

 私たちの人目も憚らないその行為に駆けつけた海兵たちは勢いを無くす。エースは数ミリだけ顔を離して海兵たちをひと睨みした。
 お楽しみを邪魔された不機嫌な男を演じるそのセリフで、シャツを強奪し、帽子を投げ捨てた理由がようやく分かった。私が演じるべき役も。
 「きょ、凶悪な海賊がいま島に……」と職務をまっとうして状況説明を始めた海兵を無視し、私はエースの首に腕を回してキスを続行した。さも、早くどっか行ってよ、と言いたげに。

「〜っ、君たちも早く避難するように! 行くぞ!」
「は、はい!!」

 足音がばたばたと遠ざかる。それを聞き届け、エースは覆い被さるように丸めていた背中を伸ばし。

「女優だねェ」

 と、片眉を上げて笑った。
 私は拳でドンと彼の胸板を叩いて深くため息をついた。

「それならそうと言ってよ!」
「言ったってやるこたァ変わんねーよ」
「ほんとにびっくりしたんだから!」
「ま、上手く撒けたし、早くずらかろうぜ」
「もう! ちゃんとシャツ返して謝んなさい!」
「へえへえ」

 エースは帽子をヒョイと拾い上げ、脱いだシャツを気絶する男性の身体に「ごめんなー」と雑に掛けた。海賊旗を模した背中の刺青が露わになる。
 巻き込んでしまった男性に申し訳なさを感じつつも、私たちは路地裏をあとにした。

***

(海賊らしい理不尽な蛮行を目撃したかった)



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