通り魔的犯行


 
「えなに、どした?」
「……ん」
「ん?ん?……あ、いー匂い」
「だろ」
「……えマジでなに?」

 なんの説明もなく手の匂いを嗅がされたサッチは素直に感想を述べた上で真意を問うた。しかし、それに対してエースは神妙な顔でウムと一度深く頷いたきり、続きの説明を寄越さなかった。
 もう一度「なんなんだよ」とつついてみるも、エースは再び素敵なお花の香りがする自身の両手をジ…と見つめて黙してしまう。

「え〜なに…ぶっ壊れたのか?お前…こわ……」

 この謎を解明する気も失せたサッチは、エースをチラチラしつこく振り返りながら去っていった。
 いまのエースの頭の中は「どうしよう」一色である。このお花の香り付きのおててをできる限り清潔に保たねばいけないと思い、新品のゴム手袋をはめた施術直前の外科医のようにどこにも触れないでいる。ドアノブひとつまともに触れないため、腹が空いているのに食堂にたどり着くことすら難儀している有様だ。

「ど。どうすりゃいい……」

 途方に暮れて呟いてみる。
 目の下に小さな皺を寄せて下唇をやや突き出した顔は、道端に置き去りにされた子供のようだ。

 ただ良い匂いがするだけならこうはならない。
 なぜエースがこうなってしまったかと言えば、心臓がドキドキしているからだった。


 何があったか。
 答えはシンプル。『ハンドクリーム出しすぎちゃったからもらって』をされたのである。
 事前でも事後でも説明があれば「あ、そう」とエースも納得できたが、これは通り魔的におこなわれた。
 船内を歩いていたエースは、通りがかったナースのナマエに「ちょうどいいところに」と突然両手を包むように握られ、そればかりか手全体をマッサージするように満遍なくフニフニやられたのだ。

「助かりました。ありがとね」

 彼女はにこ!とかわゆく笑い、もとの進行方向に向かってスッキリ去っていった。ナマエの華奢な後ろ姿をぽかんと眺め……それが曲がり角を過ぎて見えなくなるまで眺め続け。
 エースは無人の廊下でようやく自分の両手を見下ろした。

「なんか花の匂いする……」

 と一言。
 彼女の残り香と思っていたそれは薄れて消えることなく香っていた。発生源はどうやらいま見つめている手だった。
 武骨な手から、エースが絶賛片想い中のナマエちゃんと同じお花の香りがする……。

「………えっ、あ!?……ハア!!??」

 なんか、好きな子に突然手ェ握られた!!
 エースはぶわっと全身に汗をかいて首まで真っ赤にし、ナマエが立ち去った廊下と自分の手を慌ただしく交互に見た。
 なんとか状況を把握しようとするも、何の意図があって何をされたのか、彼には到底掴みきれなかった。
 エースはハンドクリームに限らず美容コスメ文化に凄まじく疎い。綺麗な女からは綺麗な匂いがする、そういうもんなんだと思っている。化粧もシャンプーもやたらと種類の多いなんちゃらクリームも、女の領分には首を突っ込まない方がよいと思い、当然のように興味を示してこなかった。マァどうせ分からないし。
 これまでエースは、なんか大変そうだなー…とご縁があった女の子たちのお風呂上がりのスキンケアや朝の準備をぼんやり眺めていただけだった。

 一度でも両手を擦り合わせてみれば見違えるようにしっとりと滑らかになった手触りにも気付けたであろうが、彼はいま「憧れのアイドルに両手を握ってもらった!この手は一生洗いません!」状態なので、下手に手を動かせない。
 なにやら良い香りがすること。ナマエの手の柔らかいこと。少しだけ肌を掠めていった桜色の爪の感触が素晴らしかったこと。これ以外は何も分からなくなってしまい、短期記憶もろくに機能しなくなってしまった。

 だからサッチにしれっと悪態をつかれても、出会うクルーたちに気味悪がられても、エースはぶっ壊れたままであった。
 途方に暮れながらもドキドキと胸の内を桃色にむず痒くし、突然“たからもの”になってしまった両手の扱いに困っているのだった。




「どうしたらいい」
「知らねェよ……普通にしてればいいだろ」
「もう今までどうやって手使ってたか思い出せねェんだよ……」
「嘘こけバカ。さっさと食っちまえって」
「……便所はどうすんだ?この手でチンチンは支えられねェぞ……」
「支えりゃいいんだよ、そんできちんと洗え」
「おれはどうしたらいいんだデュース」
「おお、もう記憶がなくなってやがる。勘弁してくれ本当に」
「参ったぜ……」

 食堂にて、デュースは会話を諦めて昼食の野菜スープを頬張った。向かいに座るエースも、運良く彼に保護してもらえたおかげで念願の昼食にありついていた。
 エースは人差し指と親指の最低限の面積でフォークを持ち、チマチマと大盛りパスタを食べていた。左手は手首だけをテーブルにつけて、その先は中途半端に浮かせている。
 どこまでもマイペースで豪快な船長に旗揚げ当初から付き合ってきたデュースのカウンセリング能力は凄まじく、30秒で匙を投げたサッチとはわけが違う。
 事情は聞き出せたものの、しかしさすがのデュースもぶっ壊れまではどうしようもなかった。

「敵襲ーーッ!!!」

 突如甲板から聞こえた剣呑な声にデュースはパッと顔を上げた。その時にはもうすでにエースは躊躇いなくテーブルを踏み越え、甲板へ続く扉へ駆け出していた。
 こういう時のエースの動きは素早い。なにせ守るべきもののためにいつでも戦闘の第一線に躍り出る男だ。白ひげ海賊団に入ってからは顕著で、非戦闘員たちに危害が及ばぬように、エースは戦闘の兆しがあると何物も差し置いて弾かれたように動き出す。
 先ほどまでのポンコツぶりはどこへやら、彼はほかの仲間とともにあっという間に敵を蹴散らして帰ってきた。

「ったく、メシの途中だってのに。躾のなってねェ連中だ」

 そう文句を言いながらごく自然にフォークを取って食事を再開したエースにデュースは思わず笑った。

「?なんだよ」
「手、もういいのか?」
「…………あっ!!」
「ワハハハ」
「あーっ……クソ、普通にぶん殴ってきちまった……」
「これで気兼ねなく用が足せるな」
「チクショウ……、……駄目だ、焦げ臭ェ」

 一か八か、手の甲に鼻を寄せてみたエースはガックリと項垂れた。お花の匂いも敢えなく霧散してしまった様子。
 エースは左手を前髪に差し込み、こめかみあたりを手のひらで支えながら憮然とした顔で残りのパスタを平らげた。
 すでに昼食を食べ終えていたデュースは、イスの背もたれに肘を引っ掛けて水をちびちび飲みながら、船長で相棒で友人のショボくれた姿を同情的に眺める。

「……お、珍しいな」
「あ?」
「腕ンとこ、ケガしてる」
「腕ェ?別に痛くねェけど」
「二の腕の…ほらそこ、エースからはよく見えねェ場所だが少し赤く腫れてる」
「そうか?」
「あとで医務室行っとけよ」
「……?おう」

 訝しげに首を傾げるエースに、デュースは「医者の言うこと聞くと、良いことあるぜ」とにっこり笑った。


***


「エース隊長、さっきは戦闘お疲れさまでした」
「お、おお……」

 医者の言うことを聞いたら良いことがあった。
 午後の医務室当番はナマエだった。
 エースは彼女の前に置かれた患者用の丸イスにドギマギ座り、デュースに指摘された内容を伝えて腕を差し出した。

「……?痛みます?」
「いや……」
「そう…ケガは、特になさそうですよ」
「えっ?」
「腫れてるって若先生がおっしゃったの?」
「あ、あァ……いや、ケガがねェならいいんだ。悪い、邪魔したな」

 自然系のおれが、大して手こずらなかった相手にケガなんておかしいと思った!
 デュースめ、嘘つきやがって!という気持ちと、巡り合わせていただき本当にありがとうございます!という気持ちを1対9で抱えて、エースはそそくさと席を立とうとした。

「あ。待って」
「?」
「せっかく来たんだから…少し待っててね」
「??」

 彼女は脇に置いていた私物のポーチをあさる。
 エースは「???」と目をぱちくりさせながらも、呼び止められたので大人しく再び着席した。
 ナマエはチューブから自分がいつも使うよりも気持ち多めにハンドクリームを出して、エースの左手を取った。
 たちまちエースの体にビビビ!と緊張が走ったが、根性で動揺を隠蔽。

「炎の力ってやっぱり乾燥するのかしら。あかぎれになったら大変よ」

 彼女はエースの手を片方ずつ丁寧にフニフニしながら、丸っこい声でやさしく話してくれた。
 柔らかくて小さな手がエースの手の甲から指の間、手のひらまで満遍なく滑っていく。手を撫でられているだけなのに、エースの心臓は痛いほどだった。痛いほどなのに、ずっと続いてほしいとも思う。
 ふと鼻腔に届いた香りでエースはようやく気づいた。

「……ハンドクリームだったのか」
「うん?」
「昼飯の前にもしてくれただろ。その、廊下で」
「ああ。出しすぎちゃったの、お裾分けしましたね」
「……良い匂いだな」
「あら、エース隊長も気に入りました?」
「え、」
「これ素敵な香りよね。またしてあげる。いつでもゆってね」

 ハイおしまい、と最後に両手をキュッと握ってナマエの手が離れていく。しかし、追いかけるようにエースの手が彼女の手を捕まえた。

「エース隊長……?」
「…………」

 たったいま、エースの両手はまたもや“たからもの”になってしまった。またドアノブも躊躇いがちに触るしかないため、きっと医務室から出るのも苦労するだろう。
 でも本当に大事にしたいのはこの子である。この娘に振り向いてもらうためには、エースはぶっ壊れてなどいられない。
 どうアプローチしようかと今まで手をこまねいてきたが、デュースがくれた絶好のチャンスである。友のアシストを無駄にしてなるものか。

 キョトンとしている彼女の目をじっと見つめ、エースは口を開く。


「明日も、頼んでいいか」


 ギュッと力の籠った熱い手と一途な眼差しをまともに食らえば、このお願いの求めるものがただの保湿でないことなど明白であった。


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