学び


 
「おれのこと、男として見れねェ?」

 告げてきた彼の顔の赤いこと、苦しそうなこと。

「エースくん?」
「歳の差なんて、つまんねー理由だろ」
「お、おお…。ちょっと待ってね、落ちつこうね」
「落ちついてる」
「ついてないよ、少しお話しようね」
「いやだ……」
「エースくん」
「……」

 モビーの廊下。天井に等間隔に吊るされたランタンが船揺れで微かにキイキイ鳴る。船内は真昼でも薄暗かった。
 じりじりと距離を詰めたエースは、ナマエの肩口にぽす……と静かに額を押しつけてついには黙してしまった。
 185センチはこの船では小柄な方ではあるが、彼女にとってはじゅうぶん大きかった。ゆえに頭ひとつでもグ、と寄りかけられれば重たくて下手に動けなくなってしまう。彼女はただのナースなのだ。

「エースくん」
「……」
「お話できそう?」
「……」
「うーん……」

 首を動かせない彼女は、がっしりとした肩と、うなじで跳ねる黒の癖毛を目でなぞり、困ったわね…とひとつ思う。
 その気配は感じ取れているだろうに、なおもエースは言葉を発さず岩のように動かない。

「まずは顔をあげて。お話しましょう」
「……」
「エースくん。えと、肩がね、ちょっと痛いの」
「……」
「いい子ね」

 痛いと言われてようやく頭を退けるが、顔は見せてくれなかった。ツンとそっぽを向いて、今度は側頭部を彼女の丸い頭にのそっとくっつける。
 話したくないけど、離れたくもないらしい。

「どうして話したくないの?」
「……」
「話してくれないと何も分からない」
「……」
「エースくん」
「……」
「あ…。もう……」

 エースは沈黙を貫いたまま、だらんと垂らしていた腕を彼女の体に回した。しかし、抱きしめるでもなく、腰のあたりに緩く組んだ手を置いただけだ。それでも拘束するには事足りる。
 拗ねてるわね…と彼女が腕の中で静かに悩んでいると。

「……ちったァ焦れよ……」

 不貞腐れた声が落ちた。
 そっと彼の名を呼べば、ようやく目が合う。
 彼は声の通り、ものすごく不服そうな顔をしていて、ものすごく切ない顔をしていた。

 冒頭の言葉で分かるように、エースはナマエに男として意識してもらいたいのだ。そのために色々とアピールをしてきた。
 毎日彼女に会いに行って話しかけた。食事をともにし、酒の席にも誘った。上陸時には予定を合わせて一緒に過ごして、と。
 エースは恋心をひっそりと胸に秘めることなどできない性格で、どれも笑ってしまうほど分かりやすい好意の現れだった。
 ナマエだってエースを袖にすることはなかったし、彼の話にいつもほろほろと笑っていた。誘いを断ることもなく、エースが望めば時間が許す限り一緒に過ごしてくれた。
 しかし。

「そうね…年上、かしら。頼り甲斐がある人がすき。こうね、寄りかかって甘えさせてほしいの」

 とある晩酌のひとコマ。酒でしっとりと酔った彼女は、男の好みについてそう答えた。
 その時のエースのショックといったら、もう。
 これまでの彼女の反応から脈があると思っていただけに、恋愛を匂わすこのあからさまな質問にたじろぐことなく、明らかに自分に該当しない回答をされて背筋がスー…と冷めたのだ。
 彼女から色良い返事やリアクションをもらえたらその先のことも今宵…と考えていたエースは、その後どうやって彼女と別れて部屋で独り寝をしたのか覚えていない。
 だが「としうえ」と形作った彼女の唇の動きは鮮やかに思い出すことができて……目が覚めたあともエースの頭はずっしりと重かった。

「エースくん、おはよう」
「お、はよう」
「?元気ないね。お酒残ってるの?」
「いや……」

 翌朝、食堂で会った彼女に“いつものように”笑顔で挨拶をされ、体調まで心配され、エースの心はツキンと痛んだ。
 確かに自分は彼女より年下で、頼り甲斐という点をとってもオヤジやほかの隊長たちには劣るだろう。寄りかかって甘えたいならエースは日がな一日胸を貸したって構わないけど……。

「あとで医務室においで。二日酔いに効く薬、出してあげる」

 彼女に“いつものように”やさしく微笑まれ。
 あ。と思った。
 眼中にないってこういうことか。この人にとって自分はただの人懐こい年下に過ぎないのか、と。
 恋愛対象にもなれない。自分がこれまでしてきた精いっぱいのアプローチは、爪の先ほども届いていなかった。彼女がくれた優しさの正体は、子ども扱いの一環だったのか。……

 冷たい濁流が体の中に流れ込んでくるようだった。悔しくて、苦しくて、切なくて、でもエースはこれで簡単にへこたれるようなヤワな男でもなかった。
 ならばと彼はこれまでよりも一層わかりやすく好意を示すようにし、異性として意識してもらおうと頑張った。
 しかし、彼女の笑顔や言動は驚くほどこれまでと“同じ”だった。頑張った分だけ、エースのショックは大きかった。

「キスだって簡単にできる近さだ」
 
 今この瞬間だって彼女は動じていない。ここまでしてもダメなのかよ、とエースの胸は切なく痛む。
 吐息もかかる距離で聞くエースの掠れた低い声はセクシーだったし、凛々しい眉を下げて見つめる瞳は一途で熱っぽい。
 でも、ダメだった。

「エースくん。キスの前に、お話しよう」
「やだ」
「どうして」
「ハ、ひでェこと聞くよ……」

 話をすればきっと年齢を理由に断られるのだろう。そんな風に見てなかったと、無垢な驚き顔で言われるのだ。しかしこれ以上の我慢もつらい。こうして駄々をこねているが……嘘だと言われるだろうが、エースは彼女をいたずらに困らせたいわけではない。
 ただ自分の気持ちを正面から受け取ってほしいだけ。
 その上なら玉砕したっていい。ただただ、年下というだけで議論の余地なく躱されるのは嫌だった。

「力ずくでも奪えないものはどうしたらいい」
「エースくん。話が見えません」
「キスしていいか」
「困ります。告白もされてないのに」
「おれはナマエが好きだ。ずっと。年下だろうが年上だろうが関係ねェ。おれはアンタがずっとずっと好きだった」
「す…、えっ、」
「告白したぞ。いいか」
「エ。エースく、待っ…」
「…………」

 唇が触れる寸前で、ナマエはエースに思いきり抱きつくことでキスを回避した。ぎゅうぎゅう引っ付けば、確かにエースがキスできる場所などほぼなかった。
 「そうまでしてされたくないか」とも思ったが、「やっとテンパった」とも思えた。ほんの少しだけだが胸がすく。自棄っぱちだったので普段よりずっとガキくさい思考回路であった。

「お、お話しましょうって言ってるのに!」
「したくねーんだって」
「どうしてよ!」
「……おれが年下だから」
「エースくん年下なの!?」
「は?」
「いまいくつ!?」
「じゅ…19」
「……たしかに…年下ね…」
「……はっ!?待て、オイ、知らなかったのか!?」
「知らないわよ!歳のことなんて話したことなかったじゃない!」

 ナマエはエースに必死に引っ付いたまま、ムキャ!と勢いに任せて怒った。
 じゃあ、今までおれが散々悩んでいた“埋まらない歳の差問題”は一体なんだったんだ……とエースの脳裏に広大な宇宙が広がりかけたところで、ハッと別の問題点が蘇る。

「お、おれのことなんてちっとも眼中にねェって態度だったじゃねェか!」
「なんのこと!?ご飯デートいっぱいしましたけど!?」
「あ!?デートって思ってくれてたのか!?」
「当たり前でしょう!島に降りるときはたくさんオシャレしました!!」
「……ッ!け、けど、ついさっきまで全然平気な素振りしてただろッ?くっついてもキスしようとしても……」
「先にこうして話し合いがしたかっただけ!」

 彼女はそう言い切って、ふうふう肩を上下させる。ぴったりと合わさったふたつの心臓はお互いの体の中でドクドク脈打っていた。
 突然訪れた沈黙のなか、お互いの脈拍ばかりを聞き合って……二人はどちらからともなく、そっと体を離した。
 お互いの顔が見えるように、というか顔が見えるくらいしか体を離さず、ほとんど抱き合った体勢のまま彼女は口を開いた。

「好きなの…?私のこと……」
「……おう」
「……ずっと?」
「……ずっと。ここに来て、背中に墨入れた頃には、もう」
「ずいぶん前じゃない……」

 無事にエースの思い違いは爆速で解消したものの、フラれるか否かの勝負はここからだ。
 真っ直ぐに気持ちを受け取ってもらえたなら玉砕してもいいとさえ思ったが、叶うことなら玉砕したくない。しかし、エースはたった今とんでもなくガキっぽい一面を露呈してしまった。不貞腐れ丸出しで話し合いにも応じず、小柄な彼女にじっと引っ付いて、挙句キスまで迫った。
 これのどこが頼り甲斐のある男か。寄りかかって甘えさせてくれる男か。完全なる藪蛇で年下であることもバレたし……。
 
 戦況は絶望的。
 果たしてこんなエースに逆転劇は起こるのか。

「私も、好きよ。エースくんのこと。ずっと、かっこいい人だと思ってたの……」
「え゛っ!?」

 起こった。

「年下には見えなくて…年上か、せいぜい同い年なのだとばかり……」
「お…」
「積極的に声をかけてくれて、とても嬉しかった。引っ張ってくれる人なんだと思いました」
「おお……」
「いつかエースくんの胸で甘えて眠りたいと、そう思っていてね」
「おおお………」
「あなたと男女の仲になりたいんです……叶うかしら…」
「おおおお…………」

 起死回生、どんでん返しの逆転サヨナラホームランである。
 こうして前半の苦悩すべてをギャグの伏線にして、エースは見事大勝利をおさめた。


 力ずくでも奪えないものは、話し合えばいいらしい。
 まばゆい朝日の中、くちゃくちゃのシーツの波間ですやすや眠る彼女のまっしろな柔肌をぼけっと眺め、エースは新たな学びを得たのだった。


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