杞憂


 
「おれ、実は貴族の出身なんだ」
「えっ!」

 ナマエは持っていたシュークリームが入った紙袋をぺしゃ!と床に落とし、目と口をまんまるにして分かりやすく驚いた。背筋なんか異音を聞きつけたプレーリードッグのようにピンと伸びてしまっている。
 サボは彼女のこの予想外な反応を見て、心臓の裏側にドッと汗をかいた。

 サボは自分の出自について、どうでもいいこととまでは思っていないものの、そこまで彼の評価を変える内容だとも思っていなかった。これまで堅実に積み上げてきたものがあるし、仲間はもちろん、恋人であるナマエとの絆は固く本物だ。
 記憶が戻ってようやく落ち着いてきたいま、身の上話といってはなんだが自身の仔細を話さないのもおかしいか…と考えて打ち明けてみた、のだが。

 ……これは言わない方が良いことだったか。
 確かにサボの実家は、絵に描いたように腐敗しきった貴族だ。既得権益の甘い蜜をすするエゴイスティックな選民思想の持ち主たちである。彼らは人を人と思わず、己ばかりが可愛く、金で買えぬものなどないと本気で思っていてそれを隠しもしない。年端もいかぬサボでも、これは一度滅んだ方がよろしいと分かるほど醜悪な泥濘の家であった。
 実家に対するサボの所感は記憶を取り戻した後も変わらず、「二度とあの家には戻るまい」と改めて誓ったし、「あの家と縁を切ってよかった」と齢5歳程度にして決断した自分を褒めてさえいる。
 それくらいには酷い家で、革命軍が憎む貴族像そのままである。
 
 大火災のあの夜、サボは己に流れる貴族の血を最も深く恥じた。通りすがった初対面のドラゴンにその恥と嫌悪を吐露し、悔し涙を見せた。記憶を取り戻して自分が何者か分かったときは、並々ならぬ懊悩があった。
 だが後悔と苦悩へ真摯に向き合い続けた結果、サボは自分らしくあればよいと思い至った。この生まれは変えようのない事実だが、どのような血が流れていようとそれがすべてを決めるわけじゃない。悪童と呼ばれて兄弟と共に野山を駆け、広い海に出て世界を見た。これからもおれはおれの信じる道を往くだけだ。
 心からそう思っていて、そこにはひと粒の嘘も迷いもないけれど……それはあくまでサボの話だ。

 果たして彼女は、サボが唾棄すべき貴族の嫡男と知って、どう思っただろう。

「(——あ、……)」

 サボはもう彼女の目を見られなかった。初めてこわいと感じる。血管に冷水を流された心地がして、鳩尾の真ん中が炙られてドス黒く焦げていく心地がする。
 深夜1時のバルティゴ、休憩室。二人きりの部屋の空気は、サボの周りばかりがじっとりと冷えて濁っていくようだった。



 さて。貴族の嫡男と打ち明けられたナマエは何を思っていたかというと。
 「え!そんな事はみんなとっくに知ってるけど……あ、それわざわざ言うの?」、である。
 軽蔑の意味は少しもない。
 サボが普通の男の子でないことなど見れば分かる。見れば、分かるのだ。
 見れば分かることをわざわざ本人から説明されたので、彼女は「あ、あ!ちゃんとこの話を回収するのか!」と新鮮に驚いたまでである。

 具体的に何を見て何が分かるかと申せば。
 たとえば食事。
 そりゃあ、普段の食事は育ち盛りの男子らしくサボはガツガツ食べる。彼は一口がとにかく大きくて、濃いめの味付けの肉や炭水化物ばかりを好んで、バカみたいな量をバカみたいなハイペースで食べる。そして散々食べたあと、腹をさすりながら「んー、もう少し食べたい……」とまで言う。基本、酒も瓶に直接口をつけて飲む。本人曰く、いちいち注ぐのが面倒くさいらしい。
 ちなみに激務の軍人らしく、サボはキリリと辛い酒と高タールの濃ゆいタバコが好きだ。なんとも男臭い嗜好である。
 しかしそんな彼はテーブルマナーに精通していた。礼儀を弁えるべきシーンではナイフとフォークを使いこなし、美しい姿勢と最低限の物音で見事に料理を食べ進めるのだ。
 普段のサボの食事風景を知る者ほど二度見する。苦労して所作を取り繕っている風はなく、むしろしっくりと板に付いていてこれが当然といった上品さだからだ。

 たとえば服装。
 サボの服の系統は昔から変わらない。シルクハットにクラバット、シンプルなロングコート、低めだがヒールのあるブーツ。青系統でシックにまとめられたそれらは、マァ貴族とまではいかずとも、ある程度の家柄が窺えるコーディネートであった。シャツのボタンをいくつも開けてしまう癖と、いかついゴーグルと鉄パイプを差し引いても。
 服は成長につれてサイズが合わなくなるので新調するのだが、彼が革命軍御用達の仕立て屋に希望するのは、いつも同じようなデザインだった。
 これは記憶を失ったことからくるこだわりかも知れない。着の身着のまま拾われたサボにとって、服は数少ないアイデンティティのようなものだから。周りはそう思ってサボの好きにさせていた。
 戦闘訓練が増えてから付け始めるようになった革手袋は、より一層サボをノーブルな雰囲気にした。絵画から抜け出してきた紳士のような貫禄に、ふとした時にハッと目を奪われるのである。

 このほかに、乗馬・社交ダンス・ピアノ・バイオリン・フェンシング、果ては古い詩を誦んじられるほどの教養……つまり、サボはこのような“金のかかる嗜み”ばかりが流麗にできた。日頃のやんちゃなガキ大将からはとても想像できないくらいに。
 それは将来金を産むためのスパルタ英才教育の産物で、記憶を失ってなお良くも悪くもサボの体に染み付いていたのだ。
 時折見せる雅びやかな一面が「ああ、たぶんこいつ、良いとこの生まれだったんだろうな」とみなに思わせた。


 あとはものすごく単純に、世界会議参加国であるゴア王国の王女が結婚した折、アウトルック家の婿君・ステリーの身元調査をして、彼の出自は呆気なく判明した。
 調べによると、ステリーはアウトルック家の養子で、実の一人息子の名はサボ。幼い頃から病弱で生涯のほとんどをベッドの上で過ごし、両親と名医の懸命な治療も虚しく10歳でこの世を去った……ことになっていた。経歴書に記されたストーリーは不自然なほど人として真っ当で美しく、家の繁栄を第一義にするアウトルック家の体裁を整えるためだけの作り話と一目で分かる出来栄えだった。
 サボが腐敗した貴族の姿に抗って家出をしていたことはおろか、天竜人の怒りを買って殺されたこともキレイサッパリ抹消されていた。王族や貴族にとって、罪は“贖う”ものではなく“消す”ものなのだ。彼の怒りも抵抗も決意も船出も、まるで無かったことにされていたのである。
 しかし革命軍の諜報力をナメてはいけない。国家ぐるみでおこなわれる秘密裏の武器貿易すら暴く手腕がここにはあるのだ。いち貴族がいくら金で情報を操作していようと、事実自体を揉み消していようと、そんなことには何の意味もない。

「はーん……」

 身元調査の任務についていた戦士は、時系列順にまとめあげた報告書の端をパラパラと指で弾いて、サボがドラゴンに担ぎ込まれてきた日を思い出していた。苦労したんだろうなー、と。そして、どちらの親ともあまりに顔が似ていないので「アイツ、親に何の遺伝子もらったんだ?」と首をかしげて、おしまい。
 彼は新しいタバコに火をつけ、本来の捜査対象であるステリーの内容に戻って先代王の不審死について調査を再開した。

 最終的な報告書を読んだ者たちもみな「ふーん」「へえ」「そうなんだー」と思い。……マしかし、それだけである。
 みなサボの出自などどうでもよかった。
 なぜなら、サボはサボだから。サボが思っているように、革命軍の仲間たちも彼らしくあればよいと当たり前に思っていた。彼が信じた通り、積み上げたものは揺るがず、絆は固かった。それだけの簡単な話。
 サボが自らカミングアウトしているわけでもないし、本当にどうでもよかったから、話題にも上らず噂にもならなかった。軍のほとんどはサボが貴族出身と知っていたけれど、彼との付き合い方は一切変わらなかった。

 恋人のナマエも例に漏れず、サボの出自について「ふーん」で済ませた一人だったので、サボの今さらすぎるカミングアウトに逆に大いに驚いてしまったのだった。



「ッ、隠してたわけじゃないんだ…その、言い忘れてた、というか。ええと、」
「う、うん。記憶が戻ったときは色々大変だったしね、私も特に聞かなかったし……」
「本当に、隠してたとかでは……」
「大丈夫だよサボ、分かってるよ」
「……」

 そう言いながら、ナマエはうっかり落としてしまったシュークリームの紙袋をいそいそと拾った。サボはおろおろ狼狽え、宙をさまよう指先は緊張で冷えていた。
 ナマエはナマエで、そんな彼の様子を見てしまっては「そんなのみんな知ってるよーん」と呑気に言うのも場違いな気がして、どう切り出そうかしら!と焦ってしまった。
 この焦りを別の意味で受け取って……サボは中途半端にかざしていた手を握り込んでそっと下ろした。唇は真一文字。意を決して、でも努めて冷静に口を開く。

「……いまの話で、ナマエの気持ちに変わるところがあるなら、おれはそれを責めたりしない。絶対に」
「……ん?」
「急にこんな話聞かされて驚いたよな。ごめん」
「サボ?」
「ほんとに、すぐに話さなくてごめん。ナマエにはおれの出自もすべて聞いた上で、おれを受け入れるかどうかを決める権利があるのに」
「ええと」
「すぐに答えを出さなくても良い……あ、いや率直になにか思っ…たなら、……その気持ちは、本音なのかも。無理に義理立てる必要はねェから……」
「答えって……」

 彼はシリアスに話し続け、最後は斜め下に視線を落として沈黙した。一言話すごとに彼の心が悲しみに萎れていくのが手に取るようにわかる。
 恋人のそんな姿に、ナマエは胸が引き絞られて苦しいほど愛しくなる。

 拒絶されるのが怖いくせに、耳を傾けようとしてくれる。彼女の意見を尊重してくれる。
 怖いなら嫌だと泣いたっていいのに。嫌なものは先延ばしにしたっていいのに。まるでうずくまって立ち止まるという選択を知らないみたい。目の前がそびえたつ壁でも、茨の道でも、道すらない暗闇でも、きっと彼は果敢に真っ直ぐ踏み出すのだろう。

 ばかなひと。
 だからみんな君のことが好きなんだよ。
 だから君が誰であろうと、みんな君の手を離さないんだよ。
 なんでそれが分かんないかなぁ。

「サボ」
「…………」

 彼女はサボの袖口をチョイと引っ張って、そばにあったイスへ誘導してやった。サボは、長い話になるのかな…と不安げに彼女の顔をチラと見たが、すぐに視線を床に落として素直に座った。
 彼が座ったおかげで、見上げる位置にあった金糸の頭はナマエの胸の前あたりにくる。紙袋をテーブルに置いてから、抱きしめやすくなったサボの頭を、彼女は大きなたまごを温めるようにやさしく抱き寄せた。

「サボ、話してくれて、ありがとね」

 寝かしつけるような声で、ナマエはサボの髪をシャクシャク指で梳いてやりながら話す。サボは彼女の胸に頭を預けたまま、黙って聞いていた。

「知ってたよ。おうちのこと」
「……え、」
「んとね、わりとみんな、知ってる」
「…………えっ?」
「知った上で、いまの“相変わらず”な感じです」
「……え、え?いつから……」
「ゴア王国の王女が結婚した頃……」
「……。ええ……?」

 サボはまん丸の目で困惑しながら彼女の胸から顔を上げた。ぽかんと薄く口を開けて、「な、なに……?」と呆然と呟く。

「私もみんなもとっくに知ってたからさ。サボが自分から話してくるって思ってなくて…それでびっくりしちゃった。驚かせてごめんね」
「そ、そうなのか……?みんな、とっくに……?」
「みんな、とっくに」
「…、そうなのか……」

 サボは大きな目を瞬かせる。彼女から少し視線を外してまた沈黙に入ってしまったが、きっと発覚したであろう時期とみなの態度や振る舞いを照らし合わせて記憶をたどっているところである。少しずつ肩の力をが抜けて下がってきているので、「あ…本当にみんな変わってねェや…」と気づき始めたのだろう。
 ナマエは変な方向に跳ねてしまった彼の前髪を直してやりつつ、サボの力がほにゃっと抜けるのをのんびりと待った。
 そうしてサボがほにゃっとしたところで。

「ねえ」
「!お、おう」
「答えを出せと言うなら、私、もう決まってるし、やってるよ」
「……」
「サボ、これからも末永くよろしくね」

 ちゅ、とおでこにキスをしてナマエはニコッと笑う。
 彼女はサボの目尻にうっすら滲んだ涙を袖でポンポンと拭いて「一緒にシュークリーム食べよ」と、このシリアスな一幕が始まる前と同じ声で言うのだった。


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