Good boy
任務を終えたサボがバルティゴに帰ってきたのは夜更けだった。
24時を過ぎたラウンジに彼は現れ、「ただいまー…」とヘトヘトに疲れた声で一言。腕にあった黒いコートをソファの背もたれにバサッとかける。コートからは外の冷たい匂いがした。
「おかえり、サボ」
「ナマエも遅くまでお疲れ」
「今夜は寝れないよー」
「そうか」
ラウンジにはナマエしかいなかった。今夜、不寝番での通信待機は彼女の係だからだ。バルティゴ基地内の他の部屋ではまだたくさんの仲間たちが起きていて、何かしらの仕事をしていることだろうが。
革命軍内では常に複数の作戦が展開されている。サボの恋人であるナマエもまた、彼とは別の作戦の主要メンバーとして忙しく動いていた。
サボは襟ぐりに突っ込んだ指を左右に揺すってクラバットを緩めつつ、テーブルの上に目を落とす。テーブルには作戦の資料が広げられていた。一帯の海図や島の地図はもちろん、貿易船の巡航記録から過去半年まで遡ってまとめ上げられた電伝虫の通信先の一覧、どこかの建物の見取り図、島の土の成分表と分布図、周辺海域の宗教文化、家畜の数、島の平均年齢、特産物、潮汐による海岸線の変化。……
「うーん……結構手こずってるな」
「そうなんだよー……ここだろうなって場所は分かってるんだけど、敵の動きが全然わからない。突入のタイミングが図れなくて参ってる。黒電伝虫でも何も拾えなくて……」
「潜入部隊は?」
「出してる。通信待ち」
ナマエは手にしていた紙の束をパサッとテーブルに置いてため息をつく。うとうとと船を漕いで沈黙している電伝虫たちにチラと視線を向けた。
揃えられた資料がここまで多岐に渡っているということは、作戦が難航しているということだ。敵の牙城を突き崩す糸口がなかなか見つからず、とにかく資料をかき集めている状況。少しでも状況を可視化してわかりやすく整理するために、テーブルの中央には簡易的な島のミニチュアが作られているほどである。
サボが任務に出たときはこうではなかった。というか、彼女が参加するこの作戦は始まったばかりで、潜入先の島にようやく部隊が到着したくらいだったはずだ。しかし、ほんの数日離れた間にここまでの資料が取り揃えられている。
ここに革命軍のおそろしさが現れている。
世界各地に秘密裏に広がる強固なネットワーク、そこから得られる驚異の情報収集力。革命軍が本気を出せば、大抵のものは丸裸にできる。膨大な情報から必要な情報を見つけ出し、点と点を繋いで線を浮かび上がらせる。敵の核を確実かつ強烈に叩くので、革命軍は世界政府に比べて戦闘員は圧倒的に少ないのにその強さは折り紙つきだ。
そんな組織の参謀総長を務めるサボは、疲れで僅かにしびれる脳みそで資料に目を走らせる。自分の任務が終わったばかりだというのに、だ。
しかし、打倒世界政府の大義へ繋がるのであれば、どんな作戦も役割も、すべてが自分に関わりのあることだと本気で思っているのでサボはいつもこうである。
実は、この考えは革命軍ではメジャーな方だ。
有志の集まりとはそういうことである。
海軍や役人、一般労働者のような勤務時間という概念がここにはない。世界をひっくり返すためにやるべきことは途方もないので、常に時間が足らず、誰もが忙しそうに頭や体を使っている。時間の使い方や仕事量のコントロールは各人に任されているので、詰め込もうと思えばいくらでも仕事を詰め込むことができる。革命軍で飲み物を片手に和やかに談笑している人間とは、激務を終えた者か、激務の合間の者か、これから激務に入る者かのいずれかだ。
そうなると、オーバーワークで医務室がパンクしそうなものだが、革命軍には自分の頭で考えて動ける人間しかいない。そのため、誰もが限界を感じる前に適宜休憩をとり、いつでも最高のパフォーマンスを発揮できるように自分自身のメンテナンスを欠かさない。支援する側が倒れていては話にならないということを心得ている。
マァ、体力面でも精神面でもそもそものポテンシャルがバケモノ級の人間ばかりだから無事なだけで、革命軍は立派なワーカーホリック集団である。その筆頭がドラゴンとサボだ。
そんなサボは、無意識に下唇をいじりながら真剣な顔で大量の資料を無言で速読。
大体の状況を把握し、今は待ちの状態であることを確認し。
「少し寝る」
と言って、ソファに寝転がった。
ゴーグル付きのシルクハットをアイマスク代わりに顔にかぶせ、革手袋やブーツはそのまま。脚は長すぎてソファからほとんどがはみ出していた。
ナマエは寝づらそうな姿勢だなと思ったが、サボはものの数十秒で寝入った。
バルティゴ・ラウンジ、深夜2時。
「わ、」
コチン…と軽くて可愛らしい音を立てて青いマグカップがぶつかった。結果、給湯スペースのテーブル上に、2つのマグカップが寄り添うように並ぶ。
ナマエが自分のマグカップに淹れたてのコーヒーを注いでいたときのことである。
青いマグカップの取っ手には、これの持ち主であるサボの指が引っかかったままだ。いつの間に起きてきたのか、寝癖まみれのサボは「おれも……」と寝起きの声で辛うじて呟く。眠気に抗って、ものすごく怠惰にコーヒーをねだっている。その仕草は、持ってきた空のごはん皿をそっと床に置いて主人を見上げるわんこに似ていた。
彼の目はほとんど閉じていて、ナマエが淹れるコーヒーの香りに釣られてなんとか仮眠から起きてきたらしい。
ナマエが掛けてやったブランケットは、半分床にずり落ちてソファに引っかかっていた。
ちなみにこのマグカップは、ナマエが初めての任務で訪れた島でサボへのお土産として買ってきた品だ。マグカップ自体が丈夫なうえ、気に入ったものをずっと使う彼の性質が手伝って今もこうして愛用されている。ラウンジの戸棚に常備して、いつもこれでナマエにコーヒーをねだっている。
「状況は?」
「変わりなし。潜入部隊からも入電はないよ」
「そうか……こりゃもうしばらく掛かりそうだな……」
「だね。偵察部隊からはいくつか連絡きたから、そっちのテーブルに書き留めてある」
「了解」
ナマエはサボのマグカップにもコーヒーを注いでやる。
サボは早速マグカップに口をつけた。が、熱かったせいでちびっとしか飲めなかった。それでも飲みたいらしく、ちびちびふうふうカップを傾けながら、彼女が指差したテーブルへ向かう。
サボは鼻からゆっくり息を吸って肺に空気を満たす。脳みそに酸素を回しながらイスに腰掛けて、先ほど彼女が言っていた通信記録を手繰り寄せた。
「——……」
サボはそれを数行読むと、コト…とマグカップを傍らに置いた。腕を伸ばして資料の山からなにやらガサゴソ探して見比べ始める。
なにか気づいたことでもあったかしらとナマエは自分のコーヒーに砂糖とミルクを加えてから、同じテーブルにやってきた。集中している様子なので声はかけずに静かに見守る。
彼はおもむろに立ち上がると、テーブル中央に置かれた島の簡易模型で地形を見たり、ほかの資料を探して目を落としたりする。たまに彼の指が空中をスッと撫でるように動き、数字を書く仕草をした。無意識に下唇をむにむにいじる彼の目は真剣で静かだ。しかし眼球はわずかだが常に忙しなく揺れていて、彼の脳内でなにかを高速処理していることだけはわかる。
「……偵察部隊の位置に変わりは?」
「ないよ。1班がこっちで、2班はこのあたり」
「このあたりに待機させてる戦士はいないか?」
「どうだろう……現地判断で入れてるかも」
「わかった」
数分間の思考のあと、サボは偵察部隊へ電伝虫を繋いだ。
要件だけの簡潔な質問を二、三して通話が切れる。すぐにほかの部隊へ掛けて短い質問をする。これを数回繰り返し、サボは横向きにした人差し指を唇の下に当てて再び簡易模型をじっと見て沈黙する。
電話口でサボが投げかけた質問は、どれも作戦に繋がりがあるとは思えない内容だった。質問同士だけを見ても、何の関係が?と首を傾げたくなるものばかりで、ナマエは実際に首を傾げてサボが見ていた資料を追いかけて確認している。
しかし、サボは確実に何かが分かったようで、突入指示を下すに足る情報が揃ったと見える。
サボは今度は白電伝虫で偵察部隊のリーダーへ連絡を繋いだ。
「突入の時刻は夜明けの半刻前。東の入江を爆破後、正面門から切り崩せ。北北西の山あいを抜ける騎馬がいたらそいつが大将だ。絶対に逃すな」
武運を祈る。最後にそう添えて、サボは通話を終了した。
なにがどうなってその答えが導き出されたのか、ナマエにはまったく分からないままだったが、当のサボはぐー…っと思いきり伸びをして、ひと仕事終えましたという空気を全身から出している。仮眠明けからほぐし損ねた体をバキバキ鳴らし終えると「さて」という顔でナマエへ向き直る。
だが、彼が今しがた出した指示内容から逆算して資料を解読している彼女は、一生懸命に小難しい顔をしていた。
サボは数日ぶりの恋人を抱きしめてキスをしたかったが、数秒考えて。
自分の格好を見て。
「シャワー浴びてくる」
と、幾分かぬるくなったコーヒーを一気に飲み干した。
愛しい恋人はムム…と小難しい顔で資料に向き合ったまま「いってらっしゃーい……」と生返事を返すだけだった。
その一生懸命な姿がかわゆくて、サボはフと吐息だけで笑い、ソファの背にかけっぱなしだったコートを手にラウンジを出た。
15分後。
サボは柔らかい肌触りのシャツとズボン姿でラウンジに戻ってきた。足元は素足で、サンダルを突っ掛けている。これから寝るんだなと一目でわかるリラックスした格好だった。
しかし髪はまだ湿っていて、首にかけたタオルで道すがら簡単に拭いてきただけである。ゴミ山と山賊小屋で根付かなかった習慣は、革命軍でももちろん根付かなかった。寝癖のつきやすい髪質でいつも苦労しているはずなのに、サボはいまだに適当にタオルドライをしたあとは自然乾燥派なのだ。
「!サボ」
「おう。……まだ見てたのか?解説要るか?」
「いい、大体分かった。現場の戦士から説明を求める通信がたくさんきて大変だったよ」
「あはは、そりゃよかった」
「もう……あ、聞きそびれてたけど、サボの方の任務も無事終わったの?」
「まあな。こっちの作戦も成功すれば、武器と食糧の補給ができる西の航路が使えるようになるから——……」
ナマエは寝支度まで整えたのに再び仕事の話をし始めてしまったサボをつかまえ、ソファに座らせた。そのままソファの背後に回って、彼の肩を緩く引いて背中をつけさせる。サボはその流れのまま首を背もたれに預けて「?」とナマエを見上げた。晒された首に喉仏がゴツゴツと張り出した。
無防備に上を向いたので、いつもは前髪で僅かに隠されている彼の顔の左側があらわになる。なあに?とまん丸な両目をきちんとまん丸に見開いて、黒い瞳は彼女をじっと見つめていた。キスでもしてもらえるのかな、とちょっとした期待が乗っかっている。
しかし、首からするりとタオルを引き抜かれると、彼女の意図を理解したサボは「ああ、」と小さく微笑んで頭をもたげた。それから、少し俯いて大人しく目を閉じる。
ナマエは金色の子犬みたいな彼の髪をやさしく拭きはじめた。
「お疲れさま、サボ」
「へへ、ありがとう」
疲れた時に一番話したい相手が目が覚めた時にすぐそばにいたら都合がいい。サボはそれだけの理由で彼女の元へ真っ直ぐやって来た。清潔な着替えもあたたかい食事もふかふかのベッドも、あれば嬉しいけどなくてもいい。
彼は自分を最も元気づける方法を知っている。
疲れた心と体に効くのは愛しい人だ。
だから髪を乾かし終わったら、サボはナマエにキスをする。
彼もまた大事な大事な恋人の疲れた心と体を労いたいから。
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