亀の歩み


 
 
「マルコ隊長って顎が丈夫ですよね」
「あ?」
「顎というか、歯?」
「なんだよい、急に」
「普通、丸齧りできませんもん。パイナップルって」
「あぁ……」

 医療班のナースであるナマエの言葉を受け、マルコは左手に持っていた齧りかけのパイナップルに視線を落とした。
 右手には羽ペン、デスクの上にカルテの山。先日おこなった健康診断の結果を取りまとめているところであり、つまりは仕事中である。1番隊隊長でありながら船医の肩書きも持つマルコの仕事は尽きない。白ひげ海賊団の医療班は年がら年中大忙しなのだ。
 彼は少しでも仕事のストレスを緩和するために好物を求めて厨房にいき、大量のパイナップルを入手。こうして仕事のかたわらで丸齧りしていた。このパイナップルは、4番隊隊長でありながら料理長の肩書きを持ち、マルコと同じく年がら年中大忙しなサッチからの同情と慈悲によるものだった。
 おかげで医務室はフルーティな甘い香りで満ちている。彼はカルテや書類が広げられたデスクに右半身だけを寄せ、パイナップルを持つ左手は大きく開いた左膝の上に乗せていた。
 これは紙類に果汁が飛ぶのを嫌がってのことだが、そもそも「汁が飛び散りやすい丸齧りをしない」という選択に至らない豪快さが海賊らしいところであり、「丸齧りをする」という選択肢が出る異常さがマルコらしいところである。
 彼の隣のデスクで業務補佐をしているナマエは、そのお馴染みの光景を見て、本日ついに素直な感想が漏れたのだった。

「お前も食うか?」
「ねだったわけじゃないんです」
「違うのかい」
「いや本当に、……ただ、すごいなって」
「……食うか?」
「違いますってば」

 マルコは首を傾げつつ、りんごのような気軽さでパイナップルをもう一口齧る。
 パイナップルの皮に唇が触れ、歯が突き立てられ、そのまま皮ごと齧り取られ、咀嚼され、喉仏が上下して彼の体の中へと下っていく。……肉やパンの類と同じスピード感で何なくこなされるソレを見て、ナマエはやはり「うーん」と思う。
 ここまでジッと観察されると、マルコは「やっぱり食いたいんじゃねーの?」と思うのだが、違う。
 彼女は不思議なのである。
 当たり前だ。

「痛くないんですか?パイナップルの皮って硬いし、棘もありますよね?」
「あるなァ」
「口の中、怪我しないのかな、と」
「するよい」
「え!?」
「普通に怪我してる。皮は硬ェし、棘も多少は刺さるし」
「えっ…えっ?マルコ隊長、痛いんですか?」
「痛いっつーか……マァでも口ン中も喉も、治しながら食ってるな」
「え…ええ……?」

 マルコはさらりと答え、ナマエは困惑の声を漏らして目をぱちぱちさせた。

「け、怪我するなら切ったらいいじゃないですか」
「切るのめんどくせェ」
「めん、」
「それに、切ったら食うとこちょっと減るだろい」
「へ、……」

 あまりにも「それが何か?」という顔で回答され、ナマエは思わず唇をキュッと結んで黙り込んでしまう。

 マルコ隊長、パイナップルを丸齧りして普通に口腔内や喉をズタボロにしているけど、咀嚼や嚥下と並行して、悪魔の実の能力で自己治癒をしているらしい。
 そうまでして丸齧りをやめないのは、パイナップルを切るのが面倒だし、少しでも果肉をたくさん食べたいかららしい。
 パイナップルが好物なのは知っていたが。
 これは。

「……なに笑ってんだよい」
「っふ、フフ……だ、だって……あはは。隊長、」
「なんだよい」
「ふふふ…、ど、どうしてもパイナップル食べたい人じゃないですか……」
「……」
「かわいい……あはは、ふ、」

 ナマエはころころ笑って目尻を涙できらめかせた。
 笑ったらいけないと分かっているけれど。さすがに笑いすぎては失礼だと分かっているけれど。やっていることが“小骨を取るのが面倒だから、骨までよく噛んで魚を食べている子供”とほぼ同じレベルである。マルコのこのギャップは彼女のツボに入ってしまった。
 彼女は自分のデスクに両肘をついて手のひらで顔を覆う。物理的に視界を遮って笑いを抑えようとするのだが、その華奢な肩はなおもぷるぷると震えている。

 決してばかにしているわけではないのだ。
 ただ、純粋に可愛らしく思えてしまって仕方ない。
 隊長として戦場に出ているときのマルコは多少血の気が多くて、イキイキと空から敵を蹂躙する凶悪な無邪気さがある。しかし、船医をしているときの彼は至って冷静で知的で、理想的な大人の男性なのだ。
 そんなマルコは多くのナースたちの憧れであり、密かに恋心を寄せている娘も少なくない。
 何を隠そう、ナマエとてその一人である。
 パイナップルが好きなんてちょっと可愛いなと思ったことはあったけど、まさかこんなズボラな裏話があるなんて。しかもそれをこんなテンションで明かされるなんて。
 あ、だめよ。マルコ隊長、すっかり黙り込んじゃった。いい加減、黙らないと……。と、ナマエが息を整えて顔をあげたタイミングで。

「……あっ。もう、ふふ」
「シャクシャク」
「だめ、ずるいです、今のわざとでしょう。わざといま齧ったでしょう、ふふ、もう……、やだもう、かわいい……」
「シャクシャク」
「……ふ、あはは…今も、口の中、治してるんですか…?」
「治してる」
「んふふ、……き、切ってきますから、残りのパイナップル貸してください」
「やだよい、皮のそばンとこが美味いんだ」
「やだもう、駄々こねないで……うふふ、よしてよ、お腹痛いですったら、あはは」
「フ。ナマエがこんなに笑うとこ初めて見たよい」
「マルコ隊長のせいですよう……」

 ナマエは笑いすぎで頬を赤くしていた。目を伏せ息も絶え絶えになりながらわずかに顔を背けて、残りのパイナップルを寄越せとマルコへよろよろと手を差し出す。
 彼女が笑っている隙に、葉部分を残してまるっとパイナップルをひとつ食べ終えた彼は、彼女の手に要望通り、新しいパイナップルを置いてやった。
 彼女は、手のひらに乗ったずっしりとした果実の重みに驚いてマルコの顔をパッと見る。先の会話からまさか本当に寄越してくると思っていなかったので。

「そこの棚にカット用のナイフがある。ほかのナースはいつも勝手に切って食ってるよい」
「え、」
「お前くらいだ、人のパイナップルを盗み食いしねェのは。どうせだから今日はお前も食えよい」

 マルコはくつくつ笑いながらカルテに向き直って仕事を再開する。ナマエはキョトン…とその横顔を見てから、「そ、そうなのか…」と手元のパイナップルを見る。

「パイナップル、嫌いか?」
「あ、いえ、そういうんじゃ……では、お言葉に甘えて、ひとついただきます」
「おう」

 マルコは顔を上げないまま、ひらひらと手を振った。
 彼女がマルコの業務補佐につくときはいつも一人なので、他のナースたちがどうしているか知る機会がなかった。棚にナイフがあることも今日初めて知った。ナイフがあった棚にはちゃんと皿とフォークの用意があった。
 ……じゃあもしかしたら、隊長が荒技でパイナップルを丸齧りしている事も実はみんな知っている話なのかも。
 物凄くレアな裏話だと思ったのに。
 ほんの少し、独占欲というか、優越感を感じていたのに。
 ナマエは内心しょんぼりしつつ、お裾分けしてもらったパイナップルをカットし、皿に盛って戻ってくる。

「はい、どうぞ」
「は?」
「はい?」
「……いやナマエが食っていいよい」
「丸ひとつは多いから……食べやすくなりましたし、一緒にどうぞ…?」

 ナマエはマルコのデスクの端に置いたカットパインの皿を指先で少し押してもう一度すすめる。
 マルコは皿と添えられたフォークを見下ろし、ゆっくりと一度瞬きをしてから。デスクの端に置いていた手拭き用の濡れ布巾で左手を拭き、ようやくフォークを取って皿に手をつけた。彼女もフォークだけを手に自席に戻る。
 マルコはなるべく皮近くを残してカットされたパインを咀嚼し、嚥下し、「うん、」と頷いた。

「食いやすい」
「あ、当たり前でしょう……」
「美味いよい」
「それは良かったです」
「いつも丸齧りするおれにわざわざ切ってきたもんを勧めてくれたのはナマエが初めてだ」
「えっ、」
「くく、お前やさしいんだな。ありがとよい」

 マルコが笑いを噛み殺しながら礼を言うと、ちょうど一口頬張ったところだったナマエは「あ…」と顔を赤くした。
 マルコのパイナップル丸齧りは船の中では有名で、もはや誰もわざわざ彼にパイナップルを切って出してやろうという発想がないのである。

「す、すみません、余計な真似をしたかしら……」
「なんだよい、礼を言ってんだろ」
「向こうに切り落とした皮がありますけど、食べますか?」
「いやいい。それよかまた切ってくれ」
「……他のナースも言えばきっと切ってくれますよ」
「言えばな」
「……」
「で、また切ってくれるか?」
「いいですけど……」
「そりゃ助かる。でも切ってもらったのに一人で食うのは気まずい。ナマエも一緒に食うこと」
「……はい」
「嫌なら強要はしねェよい」
「そ、そんなことないです!」

 ナマエの返事を聞いて、マルコはチラと彼女に目線を寄越して「そうか」と嬉しそうに笑った。
 それは胸の辺りでキュンと音が鳴るほど素敵な笑顔だった。
 ナマエはこれに慌てて俯いて目を逸らし、でもちいちゃな声で必死に「はい…やじゃないです…」と繰り返す。
 この特別な約束をなしにしてほしくなかったから。

「手」
「へ?」
「止まってるぞ」
「あっ…、す。すみません、仕事に戻、」
「ちがうちがう」
「っ、」
「こっちだよい」
「ぁ、う、」

 マルコの大きな手がフォークに握る彼女の手をさらりと捕まえた。
 重ねた手のまま、フォークを握る彼女の手を操って、ひとつふたつみっつ…とマルコはカットパインを刺していく。フォークの先が上を向き、最後に刺したパインが彼女の唇に触れる距離にくる。
 ドギマギと目を泳がせて混乱する彼女に、マルコは冷静に「くち」と一言言うだけで口を開けさせた。
 だが、控えめに薄く開いただけではマルコの手は微動だにしない。縋るように顔を窺ったが彼は表情ひとつ変えず、仕方ないので彼女はパインが一口でじゅうぶんに入るくらいに口を開ける。

「ン。よろしい」

 マルコはそう言ってあっさり手を離した。
 そのまま彼女の手を操ってフォークで食べさせてくれるわけではなかった。
 ナマエは開けた口をそのまま閉じるのもマヌケで居た堪れないので、大人しくフォークを口に含んでパインをひとつ食べて黙る。あと2つ刺さっているのでフォークは持ったままだ。
 からかわれてるのかしら。……

「からかっちゃいねェよい」
「っ、…ま、マルコ隊長、心が読めるんですか……?」
「これだけ分かりやすく顔に書いてありゃァ誰でも読める」
「……」
「お前、おれが3個食べる間にちいせェカケラを1個食べて『一緒に食べた』って言い張る気だったろ」
「な、そ…そんなつもりは……」
「あったろ。分かるよい」

 喉の奥でクツクツ笑われ。ナマエは2つ目のパインを食べてまた黙る。図星だからだ。
 彼女がひとつ食べたから、マルコもひとつ食べる。
 マルコは口の中のパインを左頬に寄せてもぐもぐやりながら、カルテを手繰って紙面に目を落とし、「あー、」と話し始めた。

「いつの間にか、おれは好き好んでパイナップルを丸のままで食べているとみんなに思われててな」
「……えっ、違うんですか?」
「違ェ」
「でもさっき、切りましょうかと聞いたらやめろって言ったじゃないですか」
「ありゃ冗談だよい。珍しくナマエが大笑いしてたからノッただけだ」
「分かりにくいです……」
「フ。まァとにかく。そう思われているだけで、別におれだってパイナップルは切ってもらった方が食べやすい」
「……サッチ隊長にお伝えしておきますね」
「よせよい。何十年越しのカミングアウトだ。今さら言うわけないだろ、こんなこと」
「……でも、本当は食べにくいんでしょう?これからは切ってもらったらいいじゃないですか」
「お前に笑われるのとアイツに笑われるのじゃワケが違う。一生イジれるネタをわざわざ提供する気はねェよい」
「……。そういうものですか……」
「別に今さら訂正するほどのことでもないかと思って、今日まで指摘もしてこなかった。マ、元はといえば丸齧りを始めたおれの怠惰さとせっかちさが原因だしな」
「……」

 ナマエはここまで聞いて。
 マルコを見つめていた視線をゆっくりと斜め上にずらし、またゆっくりと斜め下に落とす。
 フォークに刺さった最後のパイナップルを口に含み、咀嚼して。

「……そのお話、私に聞かせてしまって良かったんですか……?」
「……。言いふらす気か?」
「し、しませんよ。そんなこと」

 マルコは「だよな。」と柔らかく笑う。しかしすぐその後に「いやしかし!」とパシンと小気味よく膝を叩く。

「口外したのは確かに迂闊だったよい」
「…?」
「そんじゃあ、何か策が必要だ」

 言うとマルコは迷いなく立ち上がり、使用頻度の低い棚を開け、彼くらい背が高くないと届かない上段をゴソゴソとあさった。
 彼女はその大きくて広い白衣の背中をパチパチ見つめ、コトンと目の前に置かれた缶箱に首を傾げる。缶の表面にはエンボス加工がなされており、可愛らしい草花モチーフの柄が入っていた。ところどころに入った金の色付けが全体に品を出していて、洒落たデザインの化粧缶である。

「これは……」
「賄賂」
「へ?」
「口止め料?ともいう」
「は、はい?」
「おれが安心するための交渉材料だ」
「えと、マルコ隊長?」
「口に合うか分からんが…だめならまた何か考える」

 マルコの大きな手がカポ、と缶の蓋を外した。
 中身はクッキーだった。シンプルな絞り型、チェッカー、シガレット、フロランタン、スノーボール、ステンドグラス……。どれも小ぶりで可愛らしく、目移りするほど多様で楽しく、ふわりと香った豊かなバターの香りは乙女心を浮き足立たせる。
 彼は「ゎ…」と綻んだ彼女の顔を見逃さなかった。

「よかった、好きそうだな」
「え、あ…なんです、これ」
「賄賂で口止め料で交渉材料」
「ち。ちがくて。いや、そうなんでしょうけど、えと、準備が。……準備が良すぎる感じが…するのですが……?」

 ナマエのこの指摘に、マルコは「んー」とあご髭を撫でて楽しげに唸る。チェスの次の一手を考えている時と同じ顔で、上空から野うさぎを見つめる猛禽類の余裕だ。生かすも殺すも自分次第で、選択権を有する側だけが持つそれである。
 だから彼女は質問をしている側のはずなのに、なんだか叱られた女学生のように落ち着かない。

「……今日はやめとくか」
「へ?」
「急がば回れというしな。回ることにする」
「なに……?なんの話ですか?」
「こっちの話だよい」
「???」
「マァ、深く考えずに食え。おれはこっちをもらう」

 マルコはクッキー缶をナマエに与え、自分はパイナップルの皿を手前に寄せてデスクに向き直る。
 訳のわからない彼女はもらったクッキー缶とマルコの横顔に視線をウロウロと往復させるが。

「止まってる」

 と、マルコに言われ。
 ハッとした彼女はデスクに放ったらかしにしていたカルテに手を伸ばしかけるも、考え直して、考え直して……。
 最もシンプルな丸いバタークッキーをつまみ、「あ、合ってる……?」という顔で彼の顔を上目遣いで見つつ、サク…とかじった。

「よろしい」

 マルコははらりと笑って気分良く仕事を再開した。
 正解だったらしい。
 賢い彼女はホ、と胸を撫で下ろして残りを食べる。一枚食べ終わり、バターの余韻に誘惑された彼女はマルコの横顔をチラッと見てから、もう一枚にそろりと手を伸ばす。彼の目線は紙の上から動かず、仕事を進めるペンの速さも変わらない。たまにカットパインを食べる以外は表情すらも無のままだ。ナマエの挙動に一切関心を見せないその態度が彼女を自由にしてくれた。
 ナマエはクッキーをつまみながら仕事を進めた。



 ……つまみ食いと仕事に勤しむ彼女の気配を隣に感じ、マルコは胸のうちでグッと拳を握った。
 これは懐かない子猫がじゃれてくれた時の幸福感であり、吹けば飛びそうな小鳥がすぐそばに羽を下ろしてくれた時の喜びである。

 だってマルコは小さいものにあまり懐かれない。
 より正しく言えば、か弱いものに懐かれない。
 彼の周りをうろつくのはむさ苦しい野郎どもと、それを蹴散らすことなど朝飯前の強気な女豹ばかりである。マルコという男は、白ひげの墨を胸のど真ん中に入れ、シャツの前を開けっぱなしにしてそれを四六時中見せびらかしている男なのだから、納得の治安の悪さだ。類は友を呼ぶというか何というか。然るべき図なのである。

 なお、小さい・か弱いものでもガキンチョなら別だ。なぜなら子どもはでっかい人間をアスレチックや山と認識しているから。果敢に体をよじ登ってくるガキンチョどもをマルコは基本的にアリやリスと同じようなものと捉えているので、肩まで登られたら無言でペイッと剥がして地面に捨てるを繰り返す。足にしがみつかれても無視してズンズン歩く。極限まで放置して、片手間に追い払うのみ。
 これがムチムチのスケベなお姉さんなら対応も状況も180度変わるのだが、相手は二次性徴前のちまこい生命体。マルコは眉ひとつ動かす理由がない。元来、身内と戦場でしか笑わない男だ。
 これだけ無害で無関心で自動運転のアスレチックであれば、つまり、子どもには大人気になる。
 おかげでマルコはいずれ住み着くことになる白ひげの故郷では、村のガキンチョに絡まれて絡まれて仕方ない存在になるのだ。

 閑話休題。話を戻すと、マルコはゴロツキとガキンチョには好かれるが、可憐な乙女にはとんとご縁がない。彼に医者という肩書きがなければ、ナマエと接点を持つのは難しかっただろう。
 なにせつまみ食いすらしない娘だ。毎日コツコツと真面目に仕事をし、宴では船内の隅っこの席で仲のいいナースとジュースみたいな酒を飲み、酔って眠くなったら早々に部屋に引き上げてしまう。夜更かしより早起きが得意で、島に下ろせば驚くほど丁寧な暮らしをするはずだ。酔った勢いでしけこむなんて間違っても起こり得ない清らかな心の女なのである。
 オヤジの分厚い人望に惹かれたという一点のみで最強の海賊船に居着いているそんな女。
 ……そんな女に惚れてしまった四十ウン年脇目もふらず海賊街道まっしぐらでここまで生きてきた男・マルコは、彼女へのアプローチに大層悩んでいた。
 鏡を見ては「……いや、普通に怖すぎるか…………」と己の相貌に毎回同じ感想を抱いてため息をつく日々。敵を14人まとめて蹴散らしては「道理でモテないわけだ……」と納得し、葉巻片手に辛い酒を飲んでは「うーん、どう考えても住む世界が違う……」と絶望していた。
 サッチのようにヘラヘラ絡みにいけるタチでもない。昔はヨイヨイ言いながら様々なことに首を突っ込む無邪気さもあったが、いまは組織内でそこそこの権力と地位を持つ男。医療班ではナマエの上司でもあるため、良かれと思ってしたアプローチが部下への圧力と恫喝になってしまう可能性も否めない。つまり、かなりの慎重さが求められる。
 パワハラとセクハラにならないラインを死ぬ気で見極めて、業務補佐の名目で彼女を指名するけれど、いつも仕事中の雑談は二言三言。真面目な仕事ぶりで、黙々と丁寧に進めてくれるおかげで、仕事はさっさと終わってしまう。
 それは確かにありがたいことだし立派なことだが、マルコとしては途轍もなくつまらない事態だった。
 せっかく二人きりになれるのに。
 棚にはナマエ用のコーヒーのシュガーもミルクも置いているのに。
 どれもこれも、ほかのナースに見つかって食べられては困るので、マルコしか手の届かない棚の一番上の段にわざわざ隠しているのに。
 最近立ち寄った島で「アイツ好きかな」と思って衝動的に購入したクッキー缶。これを人差し指でコツコツ叩いて天井のシミを無気力に見つめた時間だって短くなかった。買ったはいいが、こんなモンをいつどうやって渡せばよいのか。マルコにはまるで分からなかったのだ。

 しかしこの度。
 ついに。ようやく。晴れて!
 マルコはナマエの餌付けに成功した。今この瞬間も、無防備にクッキーをシャクシャクかじる音が微かに聞こえる。
 それのなんと嬉しいことか。
 しかしマルコは、緩みそうになる口もとを気合いで固定して無表情を装い、視線を紙の上から動かさない。そのかわりに全身全霊の見聞色の覇気で気配を探っている。
 逃げられたら嫌だから。警戒されたらずいぶんに凹むから。
 イゾウが見たら大笑いする必死さであり、ジョズが見たらジンと胸を打つほどの健気さである。
 しかも成功したのは餌付けだけじゃない。パインのカット希望を、マルコはナマエにねだってみた。パインのカットだけでなく、一緒に食べてもらうことまで。
 一人で食べるのが気まずいなんて純度120%の大嘘だ。
 でも、こうでもしないと彼女は手をつけないだろうし、このチャンスをみすみす逃す手はなかった。今がチャンスとクッキー缶も押し付けた。強引だったけど、なんかしらんが上手くいった。



 今日は彼女がたくさん笑ってくれたからようやく一歩前進。
 今後、マルコは最低でもひとつはパイナップルを医務室に常備するようになる。
 切って、といつでも彼女へおねだりできるように。

 マルコがナマエを口説いて陸でデートができるようになるまで、ひいては彼女が抱くマルコへの恋心に気づくまで、まだまだ時間がかかりそうである。

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