デリバリー
スマホの通知音が鳴る。彼氏であるエースからだった。
『バイト切り上げた。今からそっち行っていい?』
お疲れさま、いいよ、と返せばすぐにサムズアップのスタンプが送られてくる。
エースのバイトとは、フードデリバリーの仕事だ。エースはスポーツ万能な身体能力を活かし、大学生活の隙間時間に自転車で1時間に何件も配達をこなして荒稼ぎをしている。彼のメインのバイトは焼肉屋だけれど、好きなタイミングでゲーム感覚で稼げるフードデリバリーの仕事はエースに合っているらしい。
エースが来るなら少し部屋の片付けでもしようかと腰を上げる。ワンルームの狭い部屋だから、体の大きなエースがくると途端に窮屈になるのだ。机の上やベッド、スペースは空けておくに越したことはない。
程なくして再びスマホが鳴る。今度は着信、しかし今度もエースからだった。ラグにコロコロを掛けながら電話を取る。
「もしもし」
「ナマエー」
「バイトお疲れ」
「おう。聞いてくれ。もー腹減ってヤバい」
「あはは、そりゃヤバいね」
「すげーイイ匂いすんのに届けるだけで食えねーのはマジでつれェ……このバイト好きだけど、そこだけはしんどい」
「エースには特に苦行だね、かわいそ〜」
「お前思ってねェだろ、それ」
笑いを含んだ声の背景にかすかに風を切る音がする。たまにガタンと段差を乗り越える時の衝撃音なんかも聞こえる。自転車を漕ぎながら電話をしているのだろう。お巡りさんに見つかったら怒られるだろうに。
「今日も配達の途中から段々腹減ってきてよ……なんとか飲み物とプロテインバーで誤魔化してたんだが、ついに最後の客んとこで、お待たせしましたーっつって商品渡したらちょうど腹が鳴っちまってさ」
「っあはは!何してんの!」
「これがまたすげーデカい音で……そしたら、客のお姉さんに死ぬほど爆笑された」
「それはするでしょ。私がお客さんでもする」
「うん、おれも客ならすると思う。んでそのお姉さんが、そんなに腹減ってるなら一個食べますか〜?って届けた商品の箱開けてナゲットひとつくれたんだよ」
「え、それもらっていいの?」
「え、い…いんじゃねェの?くれるっつーんだし……えダメ?普通に食っちまったけど」
「わー、ポートガス君、報告処分ですね」
「はっ、言わなきゃバレねーよ」
クスクスと笑っているが、内心ちょっと面白くない。
そんな簡単に見知らぬお姉さんに餌付けされてんじゃないわよ。
そりゃ玄関開けてエースみたいな高身長のお兄さんがいて、ピカピカの笑顔と一緒にお待たせしました!と商品を届けてくれて、その上腹の虫を盛大に響かせるというマヌケだけどなんだか可愛らしい場面に遭遇したら……ご飯をあげたくなる気持ちも分からないではないが。
なにやらエースはお客さんやお店から受ける配達員評価が高いらしい。先日、見て見てと配達員用アプリの個人画面で満足度のパーセンテージを自慢された。これが高いと配達のリクエストもたくさんくるし、チップをもらえることもあるのだとか。よく分からないが「頑張ってるんだねえ」と褒めたら、得意げにしていた顔が可愛らしかったので覚えている。
……そういえば、何回か同じ人に配達があたったとか言っていたっけ。隙間時間といえど、エースに隙間ができる時間帯にもパターンがある。たまたまでもある程度エースがバイトに入りやすい時間を狙えば……いや、そんなことできないか。同じエリアに何人ほかの配達員がいると思ってるんだ……。
「おーい?ナマエ?」
「…っあ、なに?」
「どうした、なんか忙しいのか?」
「え、いや?ちょっと掃除してるくらい」
「ふーん……あと5分くらいで着く」
「うん、了解。カギ開けとくね」
「バカ、物騒だからちゃんと締めとけ」
「5分で着くんでしょ?」
「3分で行く。でもカギは掛けとけ。女の一人暮らしだろ、用心しろよ」
「過保護〜……ふふ、わかったよ」
「ったく……」
自分は簡単に餌付けされるくせに、と心の内で舌を出してみるが、私の機嫌はコロリと良くなっていた。
バイト終わりだし喉乾いてるかな。冷たい飲み物を出してあげよう。すぐに食べられるものは何かあったかしら。それから、ええと、何があったらエースは喜ぶかな……。
「着いた。電話切るぜ」
「はーい」
うちのアパートにオートロックなどという洒落た防犯システムはない。エントランスをくぐって、階段をのぼって。エースがこの部屋にたどり着くまであと少し。
インターホンが鳴る。用心しろという彼氏の言いつけを守り、念の為ドアスコープを覗くと大好きな黒髪の彼がいた。
軽やかな気持ちでドアを開けると。
「お届けものでーす」
イイ匂いのするビニール袋を軽く持ち上げたエースがにっと笑った。
驚く私の頭をわしわし撫でてエースはいつものように家に上がる。
「玄関先でもらったナゲットがすげー美味かったんだよ」
「ナゲット……」
「だからナマエと食おうと思ってさ、配達終わってソッコー店戻って同じもん注文してきた」
「私と?」
「?おう。……あ?腹減ってないか?まあ一口食ってみろよ、美味いから!」
さっさと手を洗ったエースが早速箱を開け、ナゲットをひとつ摘んで私の口許に持っていく。まだ温かいナゲットがふに、と唇をつつく。なおも食べるそぶりのない私に「……ソースがなきゃ嫌とか、そういうオチか?」とエースがムム…と片眉を上げた。
別にそんなんじゃない。
美味しいものを食べたとき、エースは私の顔を思い浮かべてくれるんだなあと、ちょっと感動しただけ。
「…ん、美味しい」
「だろ!」
「えへへ、ありがとうね、エース」
「いいぜ。餌付けのしがいがあるってもんだ」
「え、餌付け?」
「餌付け」
「しっ…失礼な!」
「そうか?おれはナマエに餌付けされたいけど」
「し、しないよ、私は餌付けなんかしないもん」
「昔から男は胃袋を掴めって言うだろ。掴んどいてくれよ。な?」
エースはナゲットを一口で食べ、意味ありげな眼差しで私を見つめながら咀嚼する。
私はナゲットを飲み込み、きゅ…と唇を小さくしてその瞳を見つめ返す。
「…………お…お夕飯……食べてく?」
エースはピカピカの笑顔で「うん」と答えた。
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