恋愛相談所


 
 ここ最近のモビー・ディック号では、エースの恋愛相談所が流行っている。

 事の発端は、エースが酒の席で仲間の恋バナを聞いてやったことである。
 彼は寄港した街の娘に一目惚れをした。働き者で親切で聡明で、貧しいながらも明るく日々を楽しんで生きる彼女が、彼にはベルにもシンデレラにも白雪姫にも見えた。怖がらせないように細心の注意を払いながら少ない滞在期間を尽くして彼女の元へ通った。
 手渡した花に顔を寄せて素朴に笑うりんごの頬が忘れられない。
 しかし、無情にも船は明日島を発つ。この偉大なる航路で離れ離れになるということは、それはすなわち今生の別れを意味する。
 自分と彼女では境遇が違いすぎる。想いを告げたところで彼女を困らせるだけだ。おれは海賊で、彼女は善良な市民で……。と胸の内側にシンシンと雪を積もらせてさみしく語る彼に、エースは手にしていた樽ジョッキをダン!と勢いよく甲板に置き、ぐっと身を乗り出して声を上げた。

「なにメソメソ泣き言いってんだ!」
「エ、エース」
「身分がなんだ、環境がなんだ。お前はその子のそんなもんに惚れたのか?」
「違う……!」
「そうだろう!」

 エースは誰よりも真剣な顔つきで、親指で自らの胸のど真ん中を指す。


「男はハートで勝負だろう!」


 エースの激励を受けて彼は彼女に想いを告げた。結果だけを言えばフラれたが、彼の心は晴れ晴れしていた。後日、礼とともに酒をエースにご馳走してやった。

 そんな一連の話が密かに・じわじわと船内で広まり、いまでは酒や料理、タバコなんかを駄賃として持ち寄ってエースの元へひっそり現れるクルーが後を絶たない。来訪者の内訳は、背中を押してもらいたい者、願掛け気分で訪れる者、ちょっとネタチックに若者のピュアな持論を浴びたい者と様々だ。
 しかしエースはその情の厚さとまばゆいまでの真っ直ぐな心で誰の話も面倒くさがらず真剣にウンウンと聞き、彼なりに大真面目に励ましてやるのである。
 マァ結論「男はハートで勝負だ!」しか言わないのだが。その単純さがややこしくこじれた大人の恋路にはちょうどよかったりする。
 ちなみに当のエースは「最近みんな恋してんだなァ」としか思っていない。偉そうに講釈を垂れている気はさらさらなく、ただ話を聞いて思ったことを思ったまま言っているだけである。

 今宵も甲板の宴会の片隅で、本人の意図せぬまま開催されている恋愛相談所には、ひとりまたひとりと相談者の姿が。駄賃として持ち寄られた品々がエースを囲み、彼は自分の脚で取りに行かなくても酒や料理が運ばれてくる有様である。遠目に見れば供物を捧げられたちょっとした玉座にすら見える。

「話、聞いてくれてありがとな」
「おう。がんばれよ」
「ン」

 またひとり、エースに勇気をもらって去っていく。
 その巨大な背中にひらひら手を振って見送っていると、階段の陰からタイミングを窺うようにじっと覗いていた人物がととと…と駆け寄ってくる。
 酒瓶をお腹の前で後生大事に抱えており、エースの目の前にくるとおずおずと座った。太ももをきゅっと寄せて女の子座りをしたその子は、医療班のナースであった。丈の短いナース服から覗く白い脚がもっちりと柔らかいであろうことは視覚情報だけで分かる。
 エースは「え、なんだろう」と驚きながらも内心ドキドキし、背後に寝転ぶコタツをクッション代わりにしてだらけていた姿勢を正す。

「あ、あの、」
「珍しいな。どうした?」
「ええと…わたしも、お話聞いてほしくて……」
「……おれでよければ?」
「よしなに」

 彼女は細かい汗を飛ばしてコツン……と酒瓶を甲板に置いてエースの方へ差し出した。供物がまたひとつ増える。

 わたしも、ということはどうやらこの子も「恋」をしているらしい。さぞ甘酸っぱいことだろう。苺の香りがする恋路に違いない。
 ……つまり、エースの好きな子には、好きな人がいる、ということだ。理解して、エースは口の中で「マジかよ」とつぶやく。
 だが聞くと言ってしまった手前、聞くしかあるまい。ここで急に機嫌を損ねて何の非もない彼女を冷たくあしらうのはあまりにも幼稚に思えた。

 どうぞ、と肩をすくめて手のひらを差し出し勧めてやれば、緊張でちまこくなっている彼女は目線をチラチラ寄越しながら話し始める。
 うなじの辺りがシン…と冷たくなっていく。エースはそれを酒を煽って誤魔化した。




「……という具合なんです。とても素敵な方で……わたしの気持ちはとうにあの方だけ、と決めているのですが…、その、情けない話、最後の勇気が出なくて……」
「へえ……」
「だから…今夜はエースさんに勇気をいただきたいの……」
「勇気ね……」
「いつも皆さまに仰ってるでしょう?」
「アンタはおれに背中を押してもらいてェわけだ」
「——……はい」

 話を聞いたはいいが、エースの機嫌は案の定どん底であった。
 彼女は頬を桜色に染めて、ゆってくれるかしら…、と期待を込めて・しかしどこか不安げに意味もなく指をさすっている。唇を口の中にしまい、健気にもエースのあの“いつもの文句”を待っている。
 そんな彼女の向こうに見知らぬ男の影を見てしまっては、エースはどうやっても聞き分けのいい男にはなれなかった。

「い」
「……い?」
「言いたくねェ」
「え、」
「“ハートで勝負”だろ。勝負したら、お前勝つだろうが」
「え…、え?」
「勝たれちゃ困るんだよこっちは……」
「エースさん?」
「こっちの話だから気にすんな……」
「エースさん?」
「……」
「…わたしには、ゆってくださらないの……?」
「……」

 エースは極限まで顔を顰めて、たっぷり5秒黙ってからコク…と頷いた。
 彼女はもらえると思っていたひまわりの種を取り上げられたハムスターのようにキョトン…とゆっくり瞬きをする。彼女もまたたっぷり5秒呆けてから、ム…!?と事態を呑み込む。

「ゆってくださらないんですか?」
「言わん」
「こ。困ります、予定変更は苦手なんです」
「期待してるとこ悪いけど諦めてくれ」
「言ってもらえるていでたくさん練習しちゃったもの」
「はは、練習って……とにかくごめんだね、おれァ言わん」

 困って慌てた彼女は四つ這いで近づいてエースのズボンの裾をくいくい引っ張った。エースは心を閉ざすがごとく、上半身を捻ってコタツの腹に顔をうずめる。その仕草はだいぶ子供っぽい。
 彼女から香るえもいわれぬ良い香りも、柔らかそうな二の腕も、エースには毒だった。
 こんな時でさえ、やはり可愛い女だと思うのだ。

「エースさん、困るんですか?」
「あ?」
「勝たれちゃ困るって」
「……困るよ」

 ついには瞼も下ろしてしまう。エースの嘆息がコタツの毛足をほんの僅かに揺らした。
 そんな彼の姿に彼女も裾を引く手を下ろし、代わりに先ほどより近い場所で再び座り込む。俯いてなにやらコチコチ考え込んでいる。
 エースはそれを薄く開いた目で眺め……好いた女になんつー顔させてんだか…と反省して体を起こす。
 カリカリと後頭部を掻いて望み通り背を押してやる覚悟をする。

「あー……、きっと大丈夫だ。ガツンと行ってこい。ハートでしょンム、…!?」

 言おうとした途端、ちまこい両手で口を塞がれた。

「ゆ。ゆわないで」
「ンンン?」
「ゆわなくていいです…」

 目を白黒させたエースはとりあえず細腕をどかそうと手をかけた。が、より強く口を塞がれてしまう。どかそうと思えばすぐにどかせる非力さだが、黙っていろという彼女の退っ引きならない圧に服従して大人しく引き下がる。
 彼女は真っ赤っかな顔でしばらくフウフウ息をし、俯いていた顔をゆっくり上げてエースの顔を見た。その頃には耳たぶまで真っ赤だった。

「エースさん」
「…ぷは、……なんだよ」
「無理を言いました。ごめんなさい」
「……別に無理なんて…」
「あなたに言葉をかけてもらえるつもりでいたけれど…奇天烈なこの世界で予想通りに事が運ぶ方が珍しいのは当然でした。でも、それでいちいちへこたれていては、オヤジ様の名も泣くというもの。……わたし、頼りません」
「お…おお……?」
「勝負いたします」
「…?なにと?」
「ハートで」
「は?」
「あなたと」
「え?」

 胸の前でキュッ…と手を握り、彼女はエースだけを見て言う。


「エースさん、わたし、ずっと貴方をお慕いしておりました」


 彼女が最初から最後まで大緊張の中にいた理由はひとえに目の前に好いた男がいたからだ。
 彼女なりにシナリオを練って脳内で告白の練習をしてきたのに、それを張本人に台無しにされるとは夢にも思っていなかったが……コタツに埋もれて絶望する彼の姿を見れば、ここが勝負どころと分かった。

「あなたも勝負なすって。……きっと、勝てるわ」

 エースは目をまんまるにして固まっている。脳みそは彼女の言葉を咀嚼するのに必死だった。
 そして体の芯の辺りから高揚感と多幸感が染み出してくるのを感じて。


「おれもずっと…お前のことが好きだったんだ」


 真っ赤っかな顔で言うことができた。


 周囲で「ハートで勝負だエース!!」「いけえーー!!」「エースおれたちがついてるぞ!!」「さっさとキメろエーースッ!!」とずっと野次を飛ばしていたクルーたちは、一斉に酒を開けて大騒ぎの一夜を繰り広げるのであった。


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