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 雨が降っていた。
 その日は、朝からずっと、雨が降っていた。
 4月だというのに随分と寒い。震えた足を隠しながら春の装束に身を包むべきか、それとも潔く冬服で出歩くか。ファッションというものに気を配る際、季節と気温のどちらを重要視するかはなかなか難しい問題のように思う。
 昔から、それほどにはおしゃれに気を使うたちではなかった。だが、彼の隣を歩く日くらい、それなりに気の利いた格好はしていたかった。
 結局、少し暖かめの素材ではあるものの、区分としては春服に属する出で立ちで家を出た。体感的にはやや肌寒い。朝の10時でこの気温だ。きっと夜頃にはもっと寒くなっている。ほんの少し後悔をする。だが、家に引き返す時間もない。この服に決めるまでにも相当悩んだのだ。すでに、待ち合わせにはぎりぎりの時間。少しだけ早歩きになる。彼はどうせもう指定の場所で待っているのだ。部活では練習の始まるちょうどの時間に車で乗り付けるのが普通なくせに、デートのときはどんなときも、集合時間の30分前にはそこにいる。おかしな人、と思ったけれど、そこには彼なりの流儀があるらしい。男心は複雑怪奇だ。
 約束の時間の5分前。彼はやはりそこにいた。紺色の傘を差し、袖を少しだけ濡らして、ぼんやりと空を眺めている。
 ――美しい人。
 何度見ても息を飲む。
 そこには、おそろしいほど美しい人がいた。
 今から、あの人の隣を歩くのだ。自然と背筋が伸びる。

「跡部くん」

 横から声をかけると、彼はわずかに首をもたげ、フッとほほえんだ。

「なまえ」

 そっと彼の手が伸び私の頬を撫でる。髪を伝って流れた雨粒を掬い、

「冷えているな」

 そのまま抱き寄せた。彼の体温がわずかに湿った衣服越しに伝わってくる。

「今日のデートは中止だ」
「えっ………」
「始まる前からこんなに冷やしてどうする。お前が風邪を引いたら元も子もないだろうが」

 厳しい言葉の中に優しさを覗かせながら、彼は私の手を引き歩き出す。

「そこの角に車を停めてある。今日は俺の家に来い。どうしても外に出たいというなら、まずはシャワーを浴びてからだ」

 有無を言わせぬ強い口調に思わず目を伏せる。せっかく、かわいらしい格好を選んできたのに。口がとんがる。女の子の苦労も知らないくせに。がんばったのに。
 そんな気持ちは簡単に見透かされているのだろうか。私にしか見せない柔らかい表情で、彼は私の頭を撫でる。

「その可愛い格好は、今日の気温だと室内向きだろう。室内庭園にちょうど今きれいな花が咲いている。今日のお前の服によく合うだろう。そこでふたりで紅茶でも飲もう」

 そう言って彼は軽く巻いていた赤い薄手のストールを私の首にかける。

「外に出かけるだけがデートじゃない。その室内庭園だって、テニス部のやつらはまだ入ったこともないんだぜ?」

 彼がにやりと笑う。私はもう全面降伏だ。黙ってついていくしかない。
 予定していたデートコースは確かに晴れの日向けであった。もともと彼は、雨が降ったらこうするつもりだったのだろうか。そのあたりはよくわからない。
 雨はまだ降り止まない。しとしと、しとしと、降っている。待ち合わせ場所の駅前の広場にはハルジオンの花壇があった。水滴を乗せた花弁は確かに美しく、この寒い気温の中で、確かに春を主張していた。

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