SSおきば

※:性的描写あり

20.03.13

ヨリ×マゴ
逃げられない振りをする話
今日のヨリマゴのお題は【来年も、再来年も一緒にいる】です。
https://odaibako.net/gacha/102


 握った手はもう汗ばんでいない。いつからかあれだけ熱の籠もった感覚も滅多になくなって、前へと向けた視線に気付いて振り向いた、目を細めて微笑む彼の表情にほんのりと頬を赤く染めてしまう自身に小さく溜息を吐く。
 一人でいる事が少なくなった今、数年前の自分には考えられない程の明るさと温もりがこの古い銭湯の中には存在していて、時より顔を出してくれる看板娘や常連客との交流、共に暮らしてから早二年が経とうとしている幼馴染との日々は過去に受けた無数の傷跡を上塗りしてくれているように感じた。しかしそれは全てを忘れ去るという意味ではなく、罪の重さで押し潰されそうだった情けない自分へ伸ばされた手、その手を掴みようやく立ち上がれたところで本当の重さを知った末、前へと進む事が出来るようになっただけのポンコツが息を切らしながら必死に一歩一歩を踏み出している、ただそれだけの事で今でも許されたとは心底思っていない。
 いつだったか、ある店の客にお前は疫病神だと罵られた事があった。それは今でもその通りだと思っている。顔さえ記憶に残っていない父と母、独りぼっちの他人に寄り添ってくれた幼馴染、そして祖父。自分に関わった全ての人が不幸になって、祖父が亡くなった直後は優しい言葉を掛けてくれた人もいたものの、街に流れていた噂を聞いて暴言を吐いてくる人も勿論いた。

「優しいマゴにいが大好き」

 そんな幼い声を聞いた日の夜に見た夢の中で、まだ養護施設に暮らしていた時の幼馴染の姿を見た。生まれつきだという褐色の肌には体中に細かい傷が刻まれていて、思わず駆け寄り大丈夫かと声を掛けると慌てた様子で首を振った。すると、次第に着ていたタンクトップとズボンを脱ぎ捨て、大きく切り裂くように刻まれた背中の傷、どうしてと問い質す前にするりと落とした下着から足を抜く。直後、慣れた様子で四つん這いになったまま振り向いた彼が、掠れた声で言い放つ言葉に堪らず息を詰まらせた。

「アンタは俺を、いくらで買うの」

 目覚めは最悪だった。吐き気が収まらず朝から便所に籠もり嗚咽と共に大量の胃液をしこたま捨てては流した。元々空っぽだった腹の中を無理矢理絞り出したせいか、意識も朦朧として何をする気にもなれず、散々喧しかっただろうに疲れが溜まっていたのか隣りでぐっすりと寝ている幼馴染の気の抜けた寝顔を見ては胸を撫で下ろす。
 こういった悪夢を見るのは初めてではない。寧ろ最近では減ってきた方で、昔は気分が最悪な状態でこのまま死んでしまおうかと何度も手首に刃物を当てた事もある。それでも未だにこうしてしぶとく生き長らえているのは、他でもない行方不明だった幼馴染の存在があったからだった。もう一人の幼馴染、シノブとお別れの式にさえ顔を出さなかった彼とは二度と会わなくていいと思っていて、それでも心の中では生きていて欲しい、きっとどこかで元気にやっている、そう信じてやまない気持ちは確かにあった。

(今思えば、俺はきっと、初めから間違っていたんだ)

 あの二人はいつだって間違えなかった。彼らに導かれた自分もきっと正しい事をしている、何も間違えないままに進める、そう信じていたのに結果として大切な人達を不幸に陥れる存在に成り果てたのは他でもない自身への呪いとさえも思えた。だからこそ、受ける苦しみは然るべきもので、死ぬ事も許されずいつか重さに耐えきれずに潰えた時が最期である、はずだったのに。

「もう二度と、離すつもりはねぇから」

 どんなに罪を重ねても全てを赦し、消えそうな体を抱き留めてくれる幼馴染のぬくもりと輝きが眩しくて堪らなかった。いつ何時でも想ってくれる彼と並ぶには自分があまりにも不釣り合いで、こんな幸せを感じる資格など無いと戒めたくて仕方がない。必死に歯を食いしばり、何も身に着けないまま触れた体から一歩離れては、歪む視界の中で零れる雫もお構いなしに揺れる声で飲み込みきれない痛みを吐き出した。

「ごめん、なさい」

 出会わなければ良かった。出会いさえしなければ、幼馴染は、ヨリはもっと幸せな人生を送れていた。そう思う度に自分という名の呪いが憎かった。涙が止まらないままにしゃくりを上げ、いつまでも改められない甘さに力いっぱいに唇を咬んでは生臭さが滲んでゆく。
 幼馴染は嘘が苦手だった。それは子供の頃から変わっておらず、隠し事も出来ない不器用なところが確かにあった。そんな彼が姿を眩ませるまでして体を売っていた理由は未だに聞かされた事がなく、けれども問い質そうとも思っていない。彼が切り出すつもりがないのはきっと、受け止める覚悟が相手にまだないと幼馴染が理解しているからなのだろうとひとり自己完結をして納得している。情けない事に反論する術はない。本当の事を知るにはまだ、負った傷は治らずましてやこれから負う傷を受ける心も未だに癒せないでいる。

「泣くなよ。お前は何も悪くねぇんだから」
「…っ、う、ごめん…」
「謝んなって…ったく、昼間の元気はどこ行ったんだ」

 いっその事、お前はもういらないと捨てて欲しかった。何もかも忘れて彼を受け入れてくれる優しいガールと出会って結ばれて欲しいとも思った。本心だとも言える、けれども自分の為に自らを投げ売ってまでして今の時間を手に入れた幼馴染にそんな言葉をぶつけられるはずもなく、今夜もまたこうして、固く力の籠もった逞しい両腕の中へ静かに顔を伏せている。

「…なぁ、マゴ」
「何…?」
「来年も再来年も、ずっとこうして、一緒にいたい」

 いいよな。耳元でそう問われて勿論だと小さく頷くと胸の奥のじくじくとした痛みが次第に増し、相反するように整う呼吸が静かな部屋に響いた。

(永遠でなくていい、今だけでいいから、縋っていたい)

 彼の匂い、細められた吊目、にこりと笑みを浮かべる度に見える幼げな童顔、どこを見ても締まった体つきの彼の愛撫に埋もれながら、いつか訪れるであろう孤独から目を逸らすかのように、溶けるような深い口付けにただただ身を任せたのだった。



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