SSおきば

※:性的描写あり

20.05.29

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交錯する話
 自分でも分からない、と返事をしてしまったのはさすがに失礼だったのかも知れない。例えそれが本当の事であったとしても、相手は互いに承諾し交際を始めたばかりの恋人であるのだから。内心でそう思いつつも嫌な顔一つせずに言葉を受け止めてくれる彼の優しすぎる優しさは、時より自身の胸の奥を軋ませるのでそっと瞼を落として気付かない振りをする。
 キバナは時々、不要な心配をする。恐らく不安なのだと思う。ネズという人間は本当に自分の事が好きで今のような関係を作ってくれているのだろうか、と。彼がそう思ってしまうのも無理はない。元々口数も少なく友好関係も出来る限り狭めてきた自身は、秘めた思いを言葉にして誰かに伝える機会など殆どなかった。せいぜい、強いて言うならば妹のマリィへの愛情だけである。それ以外は伝える相手もいなければ勿論伝えたいものも存在しなかったので、単にそれだけの話ではある。

「…おれ、おまえのそういうところは好きなんだと思います」
「そういう、というのは」
「キバナは優しいですよ。誰にでも出来る事じゃない」

 自分のような人間は特に。尻すぼみのように呟いたその言葉に嘘はないし卑屈になっている訳でもない。キバナという男は本当に文字通り誰に対しても優しく、他人思いで周りに気遣いが出来るという節が確かにあるのだ。ライバルであるダンデや親交の深いジムリーダーたち、そしてその周りにいる人々や名前さえ知らない街の人々に対して、全て。そしていつだって助けを求めれば力になってくれる、そんな頼り甲斐のあるキバナの事を嫌う者など知っている限りではほとんどいない。

(…そう、だからこそ分からないよな)

 ガラルという国の中でも中心的存在であり長い歴史の中で今も生き続けている街を守り、そしてトップジムリーダーとしての強さをも持つ彼とはまるで正反対ともいえる自身の力不足をひしひしと感じる。小さな田舎町一つでさえ繁栄させるどころか、危うくその姿を失ってしまうかも知れないというところまで追い詰められてしまった過去から来る、胸の奥をじくじくと侵食し蝕む感情は今もなおそこに居座っていた。

「だけど、人を見る目がないよね。欠点を述べるならばそれだけだ」

 こんなダメなおれを好きになってしまった可哀そうなキバナ。そう思うならば断わるべきだった告白をすんなりと受けた自身の方が、見るに忍びない程に情けなくて溜息を吐きたくなる。
 今日はいつも以上に前を向けなさそうだ、そう思い、大人しく家に帰ろうとソファーに沈む重い腰を上げ、部屋の隅に置かれたポールハンガーから黒のジャケットを手に取ろうとした時、背後からその手に重ねられた一回り大きな褐色から伝わるぬくもりにびくりと体を震わせた。

「もう、帰るのか」
「すみません。今日は少し、気分が優れないんです」
「オレのせい、だよな」
「別に、そういう訳じゃ」
「……なぁ、ネズ」

 引き寄せられた体は自然とキバナの腕の中へと落ち、胸元に宛がった耳から入ってきた、いつもより強く早い鼓動音につられてごくりと息を呑む。耳元に落ちる熱の籠もった声、でもどこか不安げに揺れるその主の表情もまた、輝くブルーを細めては次第に俯き薄く影を落としている。

「もしかしたら気付いていないかも知れないけど、おまえはおまえが思っているよりもずっとあたたかい」
「…気のせいですよ。ほら、この手だってそう」
「じゃあ、これは?」

 腕の中で振り返るとそっと大きな手で頭を抑え、彼の胸に宛がわれた耳から入り込んできたのは、まるで動悸のような激しさで唸る鼓動音。見上げれば真っ赤に頬を染めたキバナが視線を逸らし俯き加減で固唾を呑んでいた。

(なんだよ、その顔)

 バトル中に対峙している時の荒々しく獰猛なトップジムリーダーとは思えない程の力の抜けた表情と、背に回したもう片方の腕の小さな震えに気付いてつい笑みが零れてしまう。笑うなよ、照れ臭そうにそう文句を垂れるものだから堪らず腹を抱えた。

「そのなりでその反応かよ。まるでケツの青いガキみたいだ」
「し、仕方ないだろ。…好きなんだ、本当に」
「ふふっ。前から思ってたけど、やっぱり変なヤツだよね。おまえ」

 おれなんかの何処を、と口に出しそうになって慌てて噤む。彼の気持ちに嘘はない事くらい顔を見ればいくらでも分かった。それでもなかなか素直に受け止めきれないのは、自分自身に対してのコンプレックスが多すぎるからというのも知っている。いつだって情けなく酷い事をしていると思う。こんなにも純粋な気持ちをいつも蔑ろにしているのだと戒めれば戒める程に嫌気が差していた。

(それでも切り捨てられないのはきっと、そういう事なんだろう)

 溺れてしまえ。そう、心の声が聞こえてくるようだった。キバナの腕はとても逞しく力強い。そして優しく温かかった。醜いもの全てを曝け出しそうになる程に心地が良く、出来る事ならずっとこのぬくもりに浸っていたいと思ってしまう。

「永遠なんて、有り得ないのに」
「ネズ?」
「……すみません。まだ時間もあるので、やっぱりもう少しだけいいですか」
「! 勿論いいよ。なんなら泊まっていってもいいんだが」
「今夜はマリィにカレーを作ってやる約束をしているので。もう暫くしたら今日は帰りますよ」
「そっか。じゃあ今度でいいからオレさまにも作ってくれよ。ネズの作った飯、食ってみたい」
「別に、構いませんが……。材料はおまえ持ちですからね」

 くすりと零すように微笑むと長い脚が一歩後ろに下がり、手を出してと言われるがままに白く薄い手のひらを差し出した。すると、パーカーのポケットから何かを取り出し、かちゃりと金属が擦れる音と共にその手の上へと置かれたのは、小さなヌメラのキーホルダーが付いた見覚えのある鍵だった。

「これって」
「ここの鍵。ネズが持ってて」
「……プレイボーイ」
「何か言ったかよ」
「いいえ、何でもありません」

 突然押し付けられた金属の冷たさに再び心音が響き始めうるさくて仕方がない。それは自身だけでなく目の前の男のものも当然のように混じり合っていて、テンポの違うイレギュラーな重低音が交錯する感覚に気が遠くなりそうになった。



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