SSおきば

※:性的描写あり

21.12.13

ヨリ×マゴ
なんでもない日の話
 週に一度あるかないか、気が向いた時に一人で立ち寄る居酒屋があると聞いたのはつい先日の事。若い頃からナワバリバトルに微塵も興味が無かった幼馴染はその頃からふらりと立ち寄った店で一夜を明かしたり、酷い時はそのまま家にも帰らず路上で横になっていた事もあると聞いた時は心底呆れた。そして二人で暮らし始めた今、思えば夕飯はいらないと連絡があったその日はいつも、過去から続く密かな楽しみに浸っていたのだとそこでようやく気付いたのだった。
 そして、今日。余程気に入った店を見つけたのか、たまには飲みに行こうと誘われ、到着したのは何処か懐かしさと親近感の湧く古い佇まいで、小さな暖簾をくぐり、がたつく引き戸を開けるとそこは既に陽気に言葉を交わす酔いどれ達の溜まり場となっていた。奥の座敷は既に満室のようで、入り口近くのカウンターに二人並んで腰を下ろすと、すぐに店主らしき若いボーイが気付き、注文を取りにきたのでとりあえず生ビールを二本を頼むと、すぐさま美味しそうな厚揚げ煮とだし巻き卵が出てきて思わず感嘆の声を上げた。

「うわあ、美味しそう」
「ま、普通だな」
「お前ねぇ……って、あれ?」

 仄かなだしの香りと優しく膨らんだ鮮やかな黄色を口に含みながら、こんなに素晴らしいものを作った料理人は一体誰なのだろうとこっそり厨房を覗くと、そこには意外にも見慣れた人物が普段とは違う黒いエプロン姿で包丁を握っていた。

「うっそ、アレ絶対そうだよね」
「そうだけど」
「何だ、知ってたなら言ってよ」

 どうやら幼馴染はこの不思議な状況を既に知っていたらしく、どうして黙っていたのか、というか彼がいるのを知った上でこの店に訪れるなんて余程気に入っているのだろうかとか、様々な疑問が浮かんだけれど一人頭を悩ませている間にも並々に酒を注がれたジョッキが目の前に置かれ、まあとりあえずという事でかちんと気持ちのいい音と共に杯を交わした。

「……俺もよ、初めて入った時は驚いたんだけど」
「もしかしてバイト?」
「いや、店主のダチらしいぜ。たまにこうして手伝ってるんだと」

 がやがやと賑わいを見せる店内で流し込む酒はまた格別というもので、一気にジョッキの半分を空にしてはぷはあと気持ち良くアルコールを混じらせた息を吐く。隣りからも同じような声が聞こえてこっそりその表情を覗くと、口元に白い髭を携えながら満面の笑みを浮かべている上、彼の前で友人でもあるあのボーイの話をしても変にヘソを曲げない辺り大層ご機嫌は麗しいようで。

(まあ、それもそうか。今日調子良かったみたいだし)

 突然幼馴染の携帯から連絡があったのは、そろそろ店の準備をしようと重い腰を上げた昼過ぎの頃。もしかして、とメッセージの受信を示す通知バーのアイコンをタップすると、思っていた通り夕飯はいらない旨の文章が表示されたので、それであれば自分は適当にカップ麺で済ませるかなどと考えている最中に再びメッセージが送られてきた。目を通すと意外にもそれは外食のお誘いで、今夜は店を開けるなという指示も含まれていてそれはつまり、儲かったからこういう日くらい仕事を休んで一杯やろう、という彼なりの優しさの一つである。

「お、きたきた」

 こちらの存在に気付いたのか、ちょうど切りの良いところで仕事を終えた本日の料理人がこちらへと歩み寄ってくるのが見えた。普段被っているサファリハットはさすがに不在らしく、それどころかしばらく見ない間にヘアスタイルを変えたようで、自身と同じく垂れた前髪や一つに纏められていた後ろ髪の姿はなくなっていて随分とすっきりした印象である。所謂、ボウズスタイルというもので、元より顔がいい彼には率直に申し上げてその髪型が非常に似合っていた。

「やだもう、びっくりした。イメチェン?」
「……まあ。そんな事より、あんたらが二人でここへ来る方が珍しいだろ」
「なんだよ。売上増やしてやってんだ、そこは感謝しろよな」
「お前さ、いい加減もう少し素直になれない?」

 そんなつっけんどんな態度は今も昔も変わらないけれど、勿論変わった事も少なからずある。祖父の営む銭湯の常連だった彼、マサキくんは、幼馴染であるヨリと久しぶりに再会する以前から自分にとって知る顔だった。その頃はまだ店を継いで間もなく、つまりそれは祖父と今生の別れをしたばかりだった事もあり、精神的にもかなり参っていたので正直記憶としては朧気である部分も多い。それに、元々誰かの死に対しては酷く敏感で、本当ならば店も継がずにそのまま畳んでしまいたい気持ちもあった。けれど、長い間通ってくれていたお客さん達に背中を押され、紆余曲折を経てなんとか今まで続けさせてもらっているのが現状で、勿論マサキくんもそんな優しい人達のうちの一人でもあった。
 きっかけは、知らない誰かから流された些細な噂だった。ヨリが生きている。確証はなかったけれど、それでも散々探して見つけられなかった家族にもしかしたらまた会えるかも知れない。そう思えるだけで目頭が熱くなった。これからも店を続けていればいつかきっと、ふらりと姿を現して昔のように馬鹿みたいな話をしたり、あわよくばこうして飯を囲んでまた二人で一杯飲める日を夢見ていたのだ。

「……なんか、涙出そう」
「あ? なんだよ。泣く程美味いのか、その玉子焼き。もいっこ頼むか?」
「うっさい、ちょっと黙ってて」

 再会して早二年、濃密にも思えたその期間は一人だった日々よりも酷く長かったように思え、しかし隣りで頬を赤らめ楽し気に酒を嗜む彼の姿を見ていると不思議と重く感じていたものがすっと消えていったような気がした。
 がやがやと賑わいを絶やさない店内にある一席で、常連客でもある友人が運んできてくれた、ジョッキに並々入れられた酒を一気にぐいっと飲み干す。喉を通る爽快さと胸の奥底から生まれるじんわりとした柔らかな熱は、いつしか夢の中のような気持ちの良い気分へ誘っていった。それでもはっきりした意識のまま、既に半分貪られているたこわさを箸で摘まんで口の中へと放り込んでゆく。

「……あのさあ」

 ツンと口に広がる仄かな辛みがいい具合に酔いを覚ましてくれる。衝動的に零した声も舌足らずにならずに済んだ。

「その……ありがとう、ヨリ」
「奢りじゃねえぞ、小遣い少ねえんだから」
「いや別にそれは分かってるけど、そうじゃなくて」

 言い淀んでいる間に羞恥心が沸々と生まれて尚更口が窄む。言いたい事を言いたい時にはっきり伝えられないのは昔からの悪い癖だなと、そう思うのは子供の頃から、それこそヨリと出会う前から自分の気持ちを伝えるのが苦手だった。居場所はあった、優しく接してくれる大人たちもいる、しかし本音を言い合えるような友達はいなかった。だから、吐き出したい気持ちは自身の奥底に沈ませるか、自室のベッドで布団に包まった時、声を上げずに泣いて晴らす以外手段を知らず、今思えばその時から諦めやすい癖がついていたのかも知れない。一晩寝てしまえばなかった事になる。幻に縋りたい気持ちからそう信じ込むようになって、一体何年の月日が経っただろう。知らぬ間に年を重ね、今ではこうして全てを打ち明けてもいいと思える大切な人がすぐ手の届く場所にいてくれる。

「……また、二人で来よっか」
「おー。その為にゃあ、頑張ってカネ貯めねえとな」
「それじゃ、たまにはガチでも行く? 最近運動不足だったし」
「ならあいつら巻き込んで四人タッグでいいだろ。普段サービスしてやってんだし、こういう時くらい協力してもらわねえとよ」
「まーた調子の良い事言って。FFされても知らないぞ」
「エフエ……なんだって?」

 長い事、独りだった。それは彼も変わらない。それでも、誰よりも傷だらけになりながら他の誰かの為に生きていた幼馴染と、これからは二人で支え合える。蝕まれる前に手を差し出す事が出来る。

「よし! そうと決まれば今日はしこたま食って飲んで体力付けとかないとな! マサキくん、これもう一杯くれる?」
「あ、ずるッ! おい俺も!」

 店中に散らばる笑顔、心の底から湧く明るい声、こんなにも煌めいた夜がまたいつか訪れるのを祈りながら、今は心地よい空間に身を任せ耳に響くほどに交わした乾杯と共に並々注がれた酒を流し込んだのだった。


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