SSおきば
※:性的描写あり16.02.15
ヨリ×マゴ
間に合わなかったけど間に合った話
「…来ないなぁ」
「誰待ってるの、マゴにい」
「ん〜…秘密」
「どうせヨリちんでしょ?」
「えーなんでそう思うの?」
「だって今日はバレンタインだもん」
「で、何でヨリ?」
「あたし、今日は焼きイカちゃんとお買い物行くから大丈夫だよ?」
「だ、大丈夫って…あのねぇ」
***
「……来ない」
番台のカウンターの上に置かれた小さな置き時計を眺めて、もうすぐ短い針が十二時を回ろうとしているのを確認して諦めの溜息が自然と漏れた。数時間前に泊まりになるから今日は帰らないと看板娘から連絡をもらって、一人店番をしながらいつもならふらりと現れる彼の姿が今日に限ってはなく、手元で照れを隠すように棚の中に仕舞い込んでいた小さな箱を見下ろしては自分の女々しさにうんざりした。
元々このようなイベント事に縁などなかったが、渡す対象が現れた途端妙にあげなければならないという義務感というか、もらって喜ぶ彼の顔が見たい、だなんて恋する乙女のような若い気持ちがこの歳になって生まれてきてしまったものだから実に頭が痛い。あまり凝るのも恥ずかしいので、簡単に甘いものをあまり食さない彼でも好んで口に出来るようにチョコではなく紅茶のクッキーを焼いた。今日のおやつと称して看板娘に味見をしてもらったところ、味は悪くはないが子供の舌にはやはり甘みが足りなかったらしく、評価は残念ながら低かったものの、どうやら気を遣わせてしまったのかなんだかんだでテレビを見ながら二人でもそもそと完食してしまった。
「……早くこないと、俺が食っちまうぞ…」
お菓子作りは未経験だった訳ではない。バレンタインもホワイトデーも何か作ってプレゼントをするのは、決まって不器用だったシノブではなくある程度形にはする事のできる自分の役目だった。その分、彼女は力仕事の方が得意だったので掃除や洗濯、買い物や片付けに関してはよく力を入れていて(完璧に熟せるとは一言も言っていない)、料理以外はいつだってやる気満々に取り組んでいた事をよく覚えている。
そっとそれなりに包装された小さな箱を取り出して、番台のカウンターの上にそれを置くと見れば見るほどに必死になって生地を混ぜて型を抜いていた昨日の自分を思い出しては恥ずかしさで顔が熱くなる。若いカップルじゃあるまいし、そもそも彼がこんなイベント自体興味があるかどうかもわからない、しかも毎日一緒にいる訳でもなければ店に来るかも定かではないのに、こんなに気合を入れてしまった自分に最早目も当てられない。
「あ…過ぎちゃった」
再び時計を見ると、気付かないうちに日付が変わってから五分程経過していた。それが逆にどくどくと音をたてていた心臓を安心させて、しかし伴って染みる寂しさで落ちていた気分がどっぷりと見えない底の中へと溶けていく。そんな日に限って客足も途絶えており、気分転換に誰かと話をする事も出来ないまま、その場から動く気にもなれず箱を抱えながら腕を重ねカウンターに突っ伏する。ちょうど腹も空いてきた頃だ、夜食に丁度いい。そう思い、そっと顔を上げ、シンプルな茶の包装紙を解こうとしたその時。目の前の玄関の戸が慌てるようにがらがらと軋む音を立てて開いた。
「へ……?」
びくりと震えた体に自身が驚き、声が出ないまま目の前に現れた人物がずんずんと迫ってくるのを見ている事しか出来なかった。
「ま、間に合っ…てねぇー! クッソー!」
「な、なになに…なんなの?」
ダン、と両手の平をカウンターに叩き付けると見開いた薄茶色の瞳がすぐそこまで近付いて、せっかく落ち着きを見せていた心臓が再びばくばくと震えを立ててはうるさくて堪らなかった。
「それ、寄越せよ」
「えっ…な、何を」
「だぁから、その箱! 自分で食おうとしてたろ、今」
「そ、そりゃ…あの、貰ったやつ! 俺が、貰ったやつ、だから…」
「下手くそな嘘ついてんじゃねぇよ、バカ」
俺に渡すつもりだったんだろ。そう、確証なんて無いくせに自信満々に告げられたその言葉がじんわりと冷えた心を温かさで包んでいくような気がして、徐々に熱くなりゆく顔を伏せながらそっと、まるで学校の体育館裏で好きなボーイにチョコレートを渡すガールのように両手で持ち包装が解けかけたそれを手渡した。
「あ、の…」
「何だよ」
「ごめんな。こんな、おっさんから貰っても、嬉しくないよな」
「…は?」
「その、分かってたんだけど、どうしても止まらなくて。俺、なんというか変な所不器用だから。えと…これで少しでも気持ち、伝わればいいなって思って、それで」
「お前、何言ってんだ?」
「だから! えと…お前にばっかり、色々気遣わせてる気がして。あの、その、あぁもう…恥ずかしいな。だから、何が言いたいかってえと」
ぽかん、と口を開け、箱を持ったまま呆然としている彼に見下され、余計に言いたい事が素直に出てこなくなってしまう。傍から見ればこんなにも単純で、簡単な気持ちの伝え方なんて他にないというのに。照ればかりが前に出て真っ白になった頭ではそれさえも言葉にできない自分自身が嫌になってしまう。そんな様子を見兼ねたのか、彼は小さく苦笑しながら本当ならば此方から伝えたかったそれを至極自然にそれはもうぽろりと、溢れたものをひと粒落とすように零したのだった。
「…愛してる」
「……え?」
「他の誰にも負けないくらい、俺はお前を愛してるって、言った」
「はっ…?」
一瞬、耳を疑った。普段では絶対にこっ恥ずかしくてお互い言わないような、甘くてどろどろのその、所謂愛の言葉がどう考えても似つかない場所、空気、声、顔で、ごくりと唾を飲みながら力いっぱいにぶつけてきたのだから。
「だから、お前も俺の事そう思ってるって知ってる。そうに決まってる。てか、そうじゃないとやだ」
「……わ、わがままだなぁ」
「だって、間違ってないだろ? お前の事なんかお見通しだっつーの。アホマゴ」
「うっわ、腹立つ。そんな事言ってるとそれ、あげないぞ」
「もう貰ったんだから俺のモンですー。返しませーん。全部食べまーす」
「あぁもう、居候のくせに生意気言うな!」
当たり前のように人の気持ちを断定する彼に少々苛立つも、言葉の通り、本当にそのままなものだから文句の付け所が一つもない。言われてみて再度自覚をしたその気持ちが妙にむず痒くて思わず一人笑ってしまった。それにつられるようににっかりと微笑む彼のきらきらとしたその表情を見上げ、散々悩んでいた、今考えてみれば酷くくだらないその悩みがいつの間にやら全て消えてなくなっていたのに気付き、我ながら単純な脳みそに呆れてはぽりぽりと頭を掻いた。
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