SSおきば
※:性的描写あり17.01.31
ヨリ×マゴ
自前のフライパンの話
とうの昔に記憶の奥底へ埋もれていたせいか、顔を見たところでそれが誰なのかはしばらく思い出す事は出来なかった。
不意を突かれたと気付いた時にはもう既に意識が遠のいていて、次に目を覚ますと後ろ手に縛られた両腕と壁から繋がった鎖が首に巻かれた拘束具にしっかりと取り付けられ、そう簡単には逃げ出せない状況に陥っている事をすぐに理解しては思わずげんなりと肩を落とした。
「生きて帰れると思ってんじゃねえぞ」
今までに自分を恨んでいる存在とは幾度となく暴力沙汰になった記憶はあれど、顔を見た上で声も聞いたというのに一体誰なのか全く思い出せない。理由としてはおそらく、目の前でにやにやと笑みを浮かべながらこちらを見下ろしている彼が、自身の中でも大した重要な人物ではないと認識しているからだという事は間違いなかった。時々、こういった逆恨みにも程があるような、お門違いな恨み方をしてくる輩もいるものだから質が悪い。
「…俺に何か用か? 笑顔が素敵なオニイサン」
「っ…あんだよ、テメー。俺の事、覚えてねぇのか」
「必死に思い出そうとはしたんだがよぉ、どうしてもこう…ピンとこねぇんだわ。悪ぃな」
嘘は言っていない。しかし、少々煽りの含まれた嘲笑を零してしまったせいか彼の癇に障ってしまったらしく、片手で両頬を挟むように顎を掴み上げられ、目の前に屈み睨みを利かせた紫色の視線とばっちりぶつかっては、小さく唸りを上げた後にすぐさま腹を蹴り上げられた。
「がっ…! げほっ、げほ…い、ってぇな、もう」
「脳が腐ったテメーが思い出すまで俺が直々に遊んでやるぜ。感謝しろよ! おらッ」
じゃりじゃりと繋がれた鎖の音が響いた廃工場の中、転がった体は砂で塗れ口から中へと入ったのか咳も止まらない。しかし、今までの経験から言ってしまうと、とにかくこういった殴れば気が済むタイプはひたすらに痛みから耐えればそのうち飽きてすぐにどこかへ去ってしまう事が多い、故に特に抵抗をせず好き放題させておけばそのうち解放される、という事はしっかりと理解している。足掻けば足掻く程に相手は喜びいつまでも滅多打ちにしようという気持ちに陥る為、現状何もしない、というのが最善策ではある。
(…っ、あー…でも、コイツほんと容赦ない。下手したら死ぬかも)
こちらが横たわったまま身動きできないにも関わらず、顔は蹴るわ腹は踏みつけるわ髪を掴み上げては殴り倒すわ、さすがにこれを長時間続けられるとしんどい他ない。耐えるだけなら慣れているはずだったが意識も次第に朦朧とし始めている事に気付いた。呼吸をする度に全身の痛みが響いて、声を上げる事すら億劫になってくる。
「なんだよ、もう終わりか? もっと俺を楽しませてみ、ろ…? い、でぇ!」
これは意識を保っていられるのも時間の問題かも知れない。そう思ったその時、さぞ楽しそうに声を上げながら笑っていた彼の体がふと気付けばゆっくりと黒い影に包まれていた。二人、何が起きていたのかも分からず呆然としていると、突如鈍い金属音ががこんと響き、その誰かの何かに後ろから頭を殴られた目の前のボーイはあまりの痛みでその場に蹲ってしまった。そしてその背後からぬるりと姿を現れたのは、見間違えるはずもない、つい先日まで共に同じ時間を過ごしていた幼馴染の姿だった。
「ま、マゴ…?」
ただし、めちゃくちゃご機嫌を損ねている方の。綽名を呼ばれたにも関わらず反応は全くなく、頭に被っていたいつものエゾッコメッシュの鍔の陰から覗いていた、澱んだ灰色の瞳の視線が刺すように彼の体を貫き、まるでそこに張り付けられているかのように降りかかる威圧感で動けなくなってしまった体に向かって再びその痛ましい音が鳴り響いたのだった。
「いっだい!」
無言で手に持ったフライパンを男の背中めがけて何度も何度も振り下ろす幼馴染(うわぁ、かわいそう)の行動は収まる事を知らず、ようやく落ち着いたかと思えば、胸倉を掴み上げショルダーバッグに突き刺し、そこに入れられていたお玉を取り出しては彼の額にばちんと引っ叩いては力強く嫌な音を立てていた。
「〜っ! ちくしょ…調子に乗りやがって! ただじゃおかねぇぞ!」
「お、おい! てめ、この…狙いは俺だろうが! ソイツに手、出す、な…ってアレ?」
ふるふると首を振り今にも立ち上がっては反撃を繰り出そうと幼馴染に手を上げようとした直後。ぱりんと何かが割れる音と共にボーイの顔に何か怪しい液体が降りかかり、途端その猛威はすぐさまよろよろと地面へ沈没しては最終的に規則正しい寝息が聞こえ始めていた。一体何が起きたのか分からずに顔を見上げれば、ひとつ小さく溜息を吐いていた幼馴染が変わらぬ姿勢で立ち尽くしていた。
「おやすみなさーい」
「えっ。なになに、どういう事…」
「…チカさんに、睡眠薬の入ったポイズンボール作ってもらったの。起きたとしてもしばらく動けないと思うよ」
昨日振りとはいえ、久々のようにも感じる幼馴染の声を聞いて胸がじんわりと温まるも、話している事はだいぶ物騒な内容であるせいかそのギャップが余計に怖さを引き立たせている。えげつない事をするなとは思ったものの、助けてもらった立場からすればそれを声に出す事は出来ず、ゆっくりと目の前まで歩み寄っては屈んだ彼は、持っていた果物ナイフで縛られていた両腕と、そして気持ち良さそうに寝ているボーイが着ているフクのポケットから難なく奪った小さな鍵で首に巻かれた拘束具を解錠してくれた。
「あ、あんがと…」
「お礼なんて、しなくていい」
「じゃあ何すりゃいいんだ?」
「…謝って」
「は?」
「どれだけ、心配したと思ってるの。買い物行ってくるって言ったまま、行方知らずになっちゃうし。もう、自分だけの体じゃないんだからね! この、ばか…っ…あほ、たれっ…ぐす」
あれだけ冷ややかな態度を貫き自身を助けてくれた幼馴染にどれだけ不安な気持ちにさせていたのか、という事が今、身に染みて分かったような気がした。なにか感情的に高ぶると涙を浮かべるのは昔からの彼の癖というか、体質に近いものだった。誰かが悲しんでいる時、嬉しくて感動した時、どうにも出来なくて苦しさだけが身を締めている時、そして今も、無事に事が済み自身を救う事が出来た安心感と押し込めていた恐怖感が相まってぽろぽろと大きな雫を零している様子に思わず腕を掴みその細い体を引き寄せたのだった。
「…悪かった。ほんとに、ありがとな。マゴ」
「う、うぅうっ〜…! 罰として、一週間毎日風呂掃除してもらうからぁ!」
「へいへい、分かりましたよ…。てかそれ、いつもの事だろが…」
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