「んー…あったかい」
季節は秋。半袖で過ごすには身が痺れるようになってきたこの頃、早々に押入れから引っ張り出してきたコタツ布団に身を包み、二つ折りにした座布団を枕代わりにしては頭まで被さる。そのまま体勢を変える為にごろりと体を転がすと、何か小さなものと下半身が正面衝突してしまった。
「いだっ」
「あら、ごみんなさい」
コタツの中から聞こえた小さな悲鳴にそっと布団を捲って中の様子を伺うと、いつの間に潜んでいたのか、だぼだぼのFCジャージー(こちら、自身の一張羅のパジャマとなります。)を着込んだ看板娘が小さく丸くなって中でうとうとと眠りこけていた。ちょうど伸ばした足がたまたま、どうやら彼女の体にぶつかってしまったらしい。
「そんな狭いところで苦しくないのかい」
「んふふ、あったかくて幸せ…」
「そのまま冬眠だけはしないでおくれよ」
やれやれと息を吐いて、ひとりがやがやと声を上げていたテレビからお昼の時報が流れた。毎度の事ながら、朝は惰眠を貪り昼までだらだらと居間で過ごすのが日課となっている為に凄まじく腹が減る。
下手をすれば夜も大したものを摂取しない日もあったが、さすがに食べ盛りの子供をそんなぞんざいに扱う訳にもいかないので、最近は店を開いている間であってもきちんと飯の時間を取るようにしている(とはいえ、その為に閉める訳にもいかないので、二人で番台に座りながら炒めものがこんもり乗った大皿を抱えてもぐもぐしている。自分一人でもぐもぐしていると客から批難轟々の嵐が降り掛かるが、彼女の存在のおかげか、最近は夜に来るともぐもぐしている看板娘が見られると謎の好評を博して不思議と客足が伸びる。)
「問題です。今日のお昼はなんでしょう! …バラバラバラバラ、バンッ!」
「ヤキソバー!」
「はい、正解」
「昨日一緒にスーパーまで買いに行ったもんね〜」
「ね〜そうだよね、バレバレだね〜」
なんて、アホな掛け合いで笑い合える程には彼女に心を許して貰えるようになった自分も、不慣れだった小さな子供と二人きりの生活にようやく体が慣れ始めていったのだった。
***
「マゴにい」
「…ん、どした」
その日の夕方。居間で売上の計算と家計簿の記入をしていたところ、いつもの通りデッキブラシを肩に担ぎながら風呂場の掃除をしていた看板娘が、いつの間にやら襖の細い隙間からひょっこりと不安げな表情を掲げながらこちらを覗いていた。
「お客さん、来ちゃった」
「まだ、店開けてないよね?」
「よく分かんない。でも、どうしてもって」
「……ふうん。どれ、ちょっと様子みてくるか」
寝惚け眼で髪を下ろしたままだったのを落ちていたよれよれのゴムで適当に縛り上げ、座りっぱなしでがちがちに固まった体を伸ばして解し、ロウの切れた建付けの悪い襖を無理矢理にがたがたと開ける。するとそこには想像さえしていなかった人物が店の入口で蹲っており、目の前に立っていた看板娘は居間を出た自分の後ろをてこてこと慌てながら追い掛け、番台の前まで出てきて足を止めたところで勢い余った彼女は背中にぼすりと顔を埋めた。
「お前…」
「へ、へへっ…おひさしぶりでっす…」
「…どーも。悪いけど、まだ風呂は沸いてないよ」
「ンなのどうでもいい…。少し、匿えよっ…」
「……仕方ないな。リン。悪いけど、救急箱を持ってきてくれるかい」
「はーい」
店の中へ崩れるように倒れ込んでいた、自分と同い年くらいのボーイの体はよく見ると至る所に細かな傷跡が残り、足には生臭く感じる程の大量の血がこびり付いていた。急いで休みの札を掛けて扉の鍵を閉めてから、点々と広がる血痕を余所に裸足で三和土へ踏み入れ、肩を担いでずりずりと引き摺りながらその体を奥の居間へと連れて行った。すると既にコタツ机は部屋の端の方へ寄せられ、一枚しかない薄っぺらい敷布団が部屋のど真ん中に敷かれていた。
「布巾、濡らしてくる」
「あぁ、ありがとう。助かるよ」
風呂場から持ってきたのであろう、木の桶に真っ白の布巾を入れて彼女は忙しなく台所へと走っていった。未だ息遣いの荒い彼を、傷に響かないようにゆっくりと布団へ寝かせ、血の止まらない左足首の辺りになけなしのガーゼをこれでもかという程に当てた。
「全く…」
「なんだよ」
「今更顔を出したと思ったら、こんな大怪我してきやがって…」
「…うるせぇな。ンなの、人の勝手だろうが」
「どんな悪さしてるのか知らないけど、こっちまでとばっちりを食うのは勘弁だ」
真っ白な領域にじんわりと赤が滲み広がってゆく。その間に看板娘が持ってきてくれた濡れ布巾で粗方体に付着した多量の血痕を拭き取ると、傷口に水分が染みる度に上がる悲鳴に対し無視を決め込み、見た目程深くない傷にいつ買ったのか分からない軟膏を適当に塗りたくってはその上から大まかに包帯を巻いた。自分にしては至極丁寧な応急処置だ。普段、軽い怪我なら放っておけば勝手に治るという精神でいるというのに、しかも他人にここまでしてやるとは善人の鏡だろう。存分に褒めてくれてもいい。だというのに、不満げな顔でこちらを睨みつけてくる彼はどうやらそんな善良的な心に対して文句があるらしい。相変わらず、罰当たりなヤツだと思う。
「あぁ、終わった終わった。やる事やってやったんだからさっさと出てけ。いいな」
「ったく、白状なヤツだな…。治るまで置いとけよ」
「はぁ? 少し匿うだけだって約束だろう。大体、お前はなぁ…」
「ねぇねぇ、マゴにい」
「はいはい、何でしょう」
「このひと、マゴにいの友達?」
「…へ?」
看板娘の突然の介入に思わず変な所から変な声が出てしまった。一瞬で理解できなかったのは彼も同じだったらしく、目を細めてはこちらを見据え口をぱくぱくさせながら、どういう事だよと無音で訴えてきた。
「んー…友達、友達ねぇ…」
「どう考えても有り得ね…」
「違うの?」
「え」
「友達じゃ、ないの…?」
はい、そうです違います。そう正直にそう答えようとした時、湯呑を三つ乗せたお盆を抱えたまま看板娘は俯いてはしゅんとしょげた。何故そこまで彼女が悲しむ必要があるのだろうか。頭の上に疑問符が複数浮かぶ中、そんな彼女を見た彼が何故だか急に慌て出して、冷や汗をかきながら何か上手い言葉を振り絞ろうと必死になっているのがまた面白い。今度は一体どうしてしまったというのか。
「えっ、あ、いや、その、ええと…友達、友達! 俺、このオッサンの友達! なっ!」
「は?」
「なっ!」
「は、はい。そうです! 友達です!」
何故今となっては友達ではない彼を友達だと主張する事を、友達じゃない彼に強要されなければならないのか。あまりの緊迫感に圧倒されてついつられるように頷いてしまったけれど、どうやらおかげで看板娘の寂しそうな表情は次第に消えてゆき、照れ臭そうに熱々の湯呑を渡してくれたのだった。
「あ、どうも」
「んふふ…マゴにいもどうぞ」
「あぁ、ありがと」
恐る恐る湯呑を受け取り啜るように緑茶を飲んでいると、彼女はふと布団の上に胡坐を掻いて座っていた彼の隣りに正座をし、きらきらした瞳で顔を見上げては静かに問いかけた。
「…ねぇねぇ、おにいさん」
「何だ? …っと、あっちぃ!」
「あたしとマゴにいはお友達です。つまり、マゴにいのお友達のおにいさんはあたしともお友達って事だよね!」
「は?」
「ねっ!」
「え?」
「ねー!」
「あぁ、はい! うん…。いいよもう、それで…」
「やったー!」
参ったと言わんばかりに溜息を吐く彼に、嬉しそうにイカの姿でぴょんぴょんと跳ねる彼女は至極満面の笑みを浮かべていた。店は開ける前に締めてしまったので、既に沸かしておいた風呂へ先に入っているように促すと、看板娘はご機嫌の宜しい様子で軽い足取りのまま浮き立つ気持ちで居間を出ていった。
「……どういうつもりだ、お前」
「どうって…子供を悲しませるのは俺のポリシーに反するの。それくらい分かれよ」
「あぁそう…そうですかい」
「お前、今呆れたな? 呆れただろ。昔っからお前はそうだよな、俺のやる事為す事全部に肩落としてよ。ケンカにもなりゃしねぇ」
「そんな不毛で面倒くさい事をするくらいなら、その分寝てた方がまだマシだ」
そっぽを向きながら溜息を吐いてそうぼやく彼は本当に、昔と変わらない。若い頃から金目のものに弱く、バトルには一切興味を持たないまま周りの制止をも聞かず、裏稼業に手を染めては儲けばかりを得ていたらしい彼に今更何を思う訳でもなく、しかしこんな彼でも一応自分の幼馴染で子供の頃から一緒に遊び回っていた仲だったのだ。そう簡単に、見捨てる事など出来ない。それが他人から見て、ただの甘さなのかそれとも世話焼きなのかは分からないけれど、知らんぷりをして放っておく訳にはいかない、そういう性分なのだから今更どうこう言われても直しようがなかった。
「…それ、早く脱げ」
「え、何。カネがないなら体で払えって?」
「お前なぁ…人が親切にその血だらけのボロボロTシャツ、洗濯してやるって言ってるのにその態度か。んな事言ってると燃やすぞ、バカ」
「いってぇ! ふざけん…あっ、えと。スイマセンスイマセン、是非是非お願いしまっす」
恩を仇で返す天才と言っても過言ではない彼にわざと傷のある足首を肘で小突くと、ぶつくさ文句を言いながらも慌てて脱ぎ捨て、その床に落ちたロッケンベルグTブラックを拾っては洗濯機の中へ放り込んだ。
(血、か…)
手に付いた赤、微かに鼻を掠る生ぐさい臭いが沸々と嫌な記憶を自然と蘇らせていく。胸の奥から息苦しさを感じ始めて、ふるふると首を振って頭に浮かんだ白黒の景色を消し去ると、深く澄んだ空気を体内に取り込んでは洗濯機のスイッチを入れた。後ろを振り向くと襖を挟んだ先には、寝そべりながら暇そうに携帯電話をいじっている彼が見えてこっそりとその陰で苦笑した。
***
「なるほどねぇ…住み込みのバイトちゃんかぁ」
「そうだよ。ちゃんと仕事だって出来るんだから」
「ははぁ…。お前もホント、色々と見境が無くなってきたな」
「余計なお世話だ、バカタレ」
どうだとでも言うように、鼻息を荒くしながら目の前に仁王立ちする彼女は何故だかどこか誇らしげだった。呼吸さえも苦しい程に痛んだ怪我は薬が効いてきたのか、少しずつ落ち着きを見せ始め、さすがに動かす事は出来ないが声を上げる程の痛みはいつの間にかなくなっていた。居間のど真ん中に堂々と寝転んでいるせいで、隅の方に追いやられたままのちゃぶ台でちまちまとラーメンを食べている幼馴染は怪訝そうにこちらを見詰めて悪態をついてくるも、何故だか自分に懐いてしまった彼女から擁護をされてしまう程度には仲良くなったつもりだ。
「お友達にそんな事言っちゃだめだよ、マゴにい」
「いいのいいの。ちょっと優しくするとすぐ調子に乗ってつけあがるんだから」
「そんな事ナイヨ〜俺イイ人ダヨ〜」
「気持ち悪い声で嘘をつくな」
ずるずると麺を啜りながら冷静に突っ込みを入れられ、ついくつくつと苦笑を零しながら腹の底で笑った。
(何だろうな、この既視感)
不思議と懐かしかった。昔も同じような光景を見た事があったような気がして、しかし瞳を閉じて脳裏に記憶を巡らせるも思い当たる節は全くない。有り得ない感覚がふよふよと浮いていてまるで夢の中の世界のようにも思える。
(ふむ…気のせいかな)
「おにいさん」
「……どわあっ!」
ゆっくりと瞼を上げると、いつの間にか目の前に彼女の顔がアップで映り込んで思わず仰け反って上半身が布団に勢い良く落ちた。安物の布団のせいか、割かし背中を打って心なしか少し痛い。
「大丈夫?」
「はい…大丈夫です……。そこ! 笑ってんな!」
「ぐっ、ふふ、いや、別に、笑ってないし」
軋む体に鞭を打ちながらなんとか体勢を持ち直すと、再びイカの姿になった彼女が胡坐を掻いた太ももの上に乗ってはそのまま横になっていた。ぎょっと見開いて驚いた幼馴染が慌てて引き留めようと立ち上がった瞬間、膝をちゃぶ台の裏に強打したらしく、一人悶え始めたのでとりあえずは無視を決め込み彼女の話を聞く事にする。
「どうした、幼女」
「んーなんか、おにいさんのにおい、すごく落ち着くの」
「へー、そりゃ嬉しいこったな」
「初めて会ったのに、なんだか不思議」
「そうさなぁ、もしかして俺の子供か?」
「そんな訳ないだろ。彼女なんて、結局ひとっつも作らなかった癖に…あー痛ぇ、くそお」
暫く会っていないというのにそういう事に関して変に勘が良い。とは言え、別段気にしていた訳でもなかったし、無理して作りたいとも今までもこれからも思ってはいなかった。そもそも仕事が仕事だ。守らないといけないものなど出来ても邪魔であるだけで、仕事を始めた時から死ぬ時は一人と決めていた。そのはずだったのに。
(…未だに残ってるなんて、気持ち悪いにも程がある)
若い頃から奥底に潜み続けている、純粋且つ赤黒い気持ちが浮き沈みしているのを体で感じて嫌気が差した。もう捨てたはずなのに、気付けばまた当然のように生まれてはぷかぷかと海の上を漂っている。鼻で息を吹き出し、無理矢理に体を動かしながらその場によろよろと立ちあがると、ころころと膝の上から転がった彼女を受け止めた幼馴染が、抱っこをしたまま外へ出ようとする自分の目の前に立ち塞がっていた。
「おい、ヨリ」
「……ンだよ」
「そんな体で何処へ行く気だ」
「ちょっとソコまで」
「だめだ、今日は大人しく寝てろ」
「散々俺に出ていって欲しかったクセに、どういう風の吹き回しだ」
「…そうだけど。一応怪我人だし、俺だってそこまで鬼じゃないよ。お前こそ、急にどうしたんだ…何かちょっと、変だ、ぞ…」
片腕で彼女を抱き留め、空いたもう片方の手で自分の腕を掴んだその時。彼の手から突然、びりびりと電流のような痺れを感じて思わずその手を咄嗟に振り解いた。
「う、わ!」
その際に力が入りきらない足がぐらついて、踏み止まる事はおろか、そのまま布団の上へ二人を巻き込むようにばたんと倒れ込んでいた。
「いっ、たたた…」
「…この薄っぺらい布団、いい加減変えろよ。腰痛めるぞ」
「余計なお世話だ! というか、早くどけよ! 重い!」
そう言われて、ようやく気が付いた。今の状況がとんでもなく恐ろしい事態に陥っている事に。
背中から落ちた幼馴染の腹の上へと、押し倒したかのように跨った自分、その拍子に着こなしが乱れた彼のハラシロラグランから覗く腹と痩せた体つき、そして頭を打ったのか目元からほんの少し零れた涙と眉尻の下がった表情。体中から変な汗がたらりと噴き出たのが分かった。そして何故か、顔と喉がやたらにじりじりと熱く篭もり始めている事も。
(……………いやいやいやいやいや。落ち着け、俺!)
ごくり、と思わず息を呑んだ。無意識のままに、思わずフクの隙間から手を入れそうになった自分が怖い。少しでも自分の息子が以上の事柄に対し結構な反応を示してしまった現実に酷く後悔した。
「おーい、人の話聞いてるかー?」
「あぁ…うん。聞いてる…悪い……」
「いや、その…別にそんな落ち込まなくても…」
色々と誤解をしている様子の幼馴染がのん気に欠伸をしながらそう零した傍ら、暗い面持ちでのたのたと彼の体の上から降りると、転んだ時にすっ飛んでいた彼女がいつの間にか自分の真横に立っていて、ちょいちょいと指で突かれたかと思えば、にんまりとした怪しい笑顔で恐ろしい言葉をそっと耳打ちしたのだった。
「お、ま…何…」
「…おにいさんのそれ。すっぱ抜かれたくなかったら、マゴにいの言う事を素直に聞いてください…」
「なっ…ま、まさかお前…!」
「…ふっふっふ。あたしにバレてないと思ってたかー! わははは、ツメが甘かったな! ばかめー!」
「このっ…! 卑怯な幼女め、許さん! 待てコラァ!」
「お、おい! 二人して一体何を騒いでるんだ、全くもう…」
知らぬが仏、言わぬが花。居間から逃げ出していった、幼馴染よりもよっぽど察しの良い悪魔の幼女を、怪我をした体そっちのけで走って追い掛けると、視界に入らないどこかで彼女はさぞ楽しそうな高笑いを店内中にけらけらと響かせたのだった。
(2016.06.23)
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