基本的に自ら前線へ出向く事は殆ど無い。手に馴染むバケットスロッシャーで自陣をある程度塗り潰し立体駐車場の屋上から中央の広場をそっと見下ろすと、対峙する両チームのインクリングがお気に入りのブキを担いで辺り一面の床、壁、更にはお互いを我先にと自身の色へ塗り替えるべく騒ぎ立てている。しかし、彼らのようにバトルを純粋に楽しんでいる若者がいる一方、ある程度年齢を重ねた自身とその幼馴染にはそんな余裕などとうになかった。何故ならば現在営んでいる銭湯が閑散期であったが為に非常に懐が寂しい状態が続いていて、このままでは本格的に経営を維持するどころか生活するのもままならなくなってしまうと危惧した故に二人で出稼ぎにとハイカラスクエアへ訪れていた次第である。それ故に一つでも多く勝利を収め、少しでも多く収入を得なければならず、大げさに言ってみればウデマエ云々よりも命に関わる大切なものを手に入れる為に必死になっていた。不幸中の幸いか、運良く今の時間帯のルールは最近になってよく練習を重ねていたガチアサリで、今も地道に集めていた小さなアサリが数個アヒルの子のようにしっかりと自身の後を付いてきている。

(裏取りもいないし、上手く押し込めてる今がチャンスかな)

 しっかりとガチアサリを抱えながら遠くでホクサイを振り回している幼馴染を見てクスリと口角を上げ、細い川のように敵陣まで伸びたインクの海をスイスイと泳ぎながら激戦地へと静かに到達する。誰にも気付かれていない事を確認しつつ、中心より右脇から壁伝いにそっと敵陣へと登り、頭が出るか出ないかのギリギリのラインで下り坂の先、ちょうど角になっている部分にバルーンのようなゴールがどっしりと鎮座するその周辺では、相手のチームがバリアを壊されまいと必死に守りを固めていて、それを少々強引にでも切り抜けてガチアサリを今にも投げ付けようとしている幼馴染とサポートする仲間たちの緊迫した声が飛び交い切迫した状況が広がっていた。

「……っと、ラッキー。一つ落ちてる」

 ゴールの方へ集中してくれたおかげか、誰に気付かれる事もなく敵陣の広い踊り場へと身を乗り出し、その角に偶然落ちていたアサリを拾っては自身が連れていた九つと合体したそれがついに光り輝くガチアサリと変化する。途端、もう一つの危険物質として相手に察せられるも時既に遅し。登山するかのようにスイスイと坂を登り、ゴール上の高台、誰に邪魔される事もなくそこから地面へ叩きつけるように大きなバルーンへとその先端を捩じ込んだのだった。

「マゴ、ナイス!」

 未だ下でガチアサリを胸に抱え込みそれを死守している幼馴染は、思わぬ方向からバリアを破壊され相手チームの視線がゴールへと向いたその隙を狙い、続けてネットの中へと抱きしめていたそれを投げ込んだ。その勢いに乗ってか、仲間のインクリングも攻撃を受けながらも続々と限界ギリギリまでアサリを拾っては投げそしてリスポーンへと返されていった。

「くっそ、そろそろ……おっと! わっ、ぶねぇ! やべえな、一旦戻……」
「……よ、ヨリ! そこ、危ない!」
「はぇ?」

 高台から飛び降りゴール下でなんとかただ一人生き残っていた幼馴染と合流したその直後。多数に無勢、まだ倒された仲間が戦場へと戻らないうちは体制を立て直すが吉、一度相手と距離を置くべきだと思い彼へと声をかけようとした時、普段は聞くはずもない何かが軋む微かな音を確かに耳にした。

「う、っそ……でぇええっ!」

 見上げた先に浮かぶ、アサリの詰まったネットがみしみしと唸りを上げている。いち早く危険を察した者は全員その場から距離を取ったものの、真下で必死にホクサイを振りかざしていた幼馴染はすぐ気付く事が出来ず、ぐらりと大きな影に身体を包まれてようやくはっとした表情を浮かべていた。最早一刻も猶予もない、そう考えた時には既に自身の身体は咄嗟に地を蹴り彼を突き飛ばすように踏み出していて、次第に伏せた二人のいる地面へゆっくりと倒れてくる大きなゴールに思わずぎゅっと目を瞑る。そして、伸し掛かられた重みで伸びる幼馴染の情けない声を聞きながら暗い視界の中でごつんとどこか鈍い痛みを伴い、はっきりとしていたはずの意識は次第に闇の中へと沈んでいったのだった。


***


 情けなくも事の次第を知ったのは互いに病院で意識を取り戻した後だった。ガチアサリのバトル中に上手く設置がされていなかったらしいゴールがぐらりと骨組みごと倒れてきた際、自身を守るように飛び込んできた幼馴染に押された勢いで地面に後頭部をぶつけ意識を失った事、そして被さっていた彼の左足が巻き込まれ怪我をした事を、病院の院長であるクラゲに説明された時は嫌な汗がぶわりと一瞬で背に流れて文字通り顔面蒼白になった。その幼馴染は今何処にいるのかと問い詰めれば隣の病室にいると聞かされた直後、今いる部屋を飛び出してすぐの引き戸を力いっぱいに開け放つと、そこには意外にも店の看板娘である小さなガール、リンと楽しげに話してはベッドに腰掛け、お気楽にもぼりぼりと煎餅を貪る彼が確かにそこにいた。

「あ、ヨリ。目が覚めたんだ、良かった」
「良くねぇよ! お前、怪我は……」
「平気平気、松葉杖すれば歩けるし」
「よくそれで平気だなんて抜かせたな、このドアホ!」

 けらけらと笑う幼馴染の額をぺしんと叩いては、持っていた食べかけの煎餅を取り上げ彼の悲鳴を他所に自身の口の中へと放り込む。すると、何故だか看板娘の方が頬を膨らませ絶妙な力加減で脇腹へと拳を入れてきたので必死に退けていると、いつしか下を向いたままその手をふるふると震わせていた事に気付いた。

「よ、幼女……?」
「……って」
「はい?」
「マゴにいにちゃんと謝ってよ、ヨリちんのバーカ!」

 吐き捨てるように声を荒げ、見上げた表情にぷっくりと涙を浮かべて今度はしっかりと腹に拳を突き出し(死ぬほど痛かった)、そのままくるりと背を向け病室を飛び出していった看板娘の背をただただ呆然と見送る事しか出来なかった。

「何だよ、アレ……」
「……あの子をアレ呼ばわりするんじゃないよ。俺達の事を心配して、一番に病院まで駆け付けてくれたんだから」

 小さく溜息を吐きながら睨みを利かせてそう零す幼馴染の灰色の視線がぐさりと刺さり、すっかり置いてけぼりにしてしまった彼女の気持ちを改めて考えさせられる。そもそもバトル中にアクシデントが起きたのは今回が初めてではない。二年以上前といえど、彼女がいなかった場で幼馴染である彼、マゴがある事情によりパニック障害を起こして過呼吸状態となり、そのまま意識を失った事もあった。その際、数日間目を覚まさなかった彼の傍にずっと寄り添っていたのは、他でもない看板娘だったのだ。

「……わりぃ」
「もういいよ。どうやらお前もピンピンしてるみたいだし、安心した」
「あ、のなぁ……それは俺だって同……」

 今回ばかりは周りの状況を全く見ていなかった自分に落ち度がある。それに家族でもあり恋人でもある彼やまだ幼く小さな看板娘に何かあったとなると心臓が何個あっても足りない。故にどうしても自身の事となると後回しにしてしまう事が最早癖にもなっていた。もっと自分を大事にしろ、たまには自分の為に時間を使え、見返りを求めているつもりならそれは間違っている、そんな言葉を投げかけられた事は数知れず、それでも心底に根付いた、終生彼の側で未来を生きるという決意は変わるはずもない。そして、それを目の前の幼馴染は熟知した上で許容しているものだと思っていた。

「いっ、ちょ、待……うおおッ」

 突然強い力で掴まれた左腕、あまりの前触れのなさに抵抗する間もなく彼が腰掛けるベッドへと引き寄せられ、腰が抜けたかのようにそのまま薄い胸の中へと体は落ちていた。

「ま、マゴ……?」

 普段であれば怒りを買い散々文句を言われ、今日から一週間毎日風呂掃除をしろとご命令を受けるところ、ぱっと離れた右手は背へ回り、顔を首元へ押し付けるように頭の後ろをもう片方に掴まれている。しばらくして、こちらの呼吸を考慮しない抱き締め方にもごもごと訴えるとようやく事態を把握したのか、慌てて力を緩めたのでそっと顔を上げるとそこには意外にも小さく涙を浮かべている彼がいた。

「おい、どうした! どっか痛むのか?」

 やはり見た目よりも酷い怪我だったのだろうか、幼馴染の左足に巻かれた痛々しい包帯を見下ろしてはそう思わずにはいられない。ずんと胸の奥に感じる重みに堪らず肩を落とし目を細めていると、目の前の幼馴染はふるふると首を横に振り、それから少し照れ臭そうに淡く頬を染めてはそっと独り言のようにぼそりと一つ、小さく声を零したのだった。

「……ヨリが」
「お、俺?」
「ヨリが、無事で本当に、良かったなって……。いつも通りのお前を見たら、なんかすごく安心して、その。つまり……」
「心配、してくれてたのか」
「あっ……当たり前だろ、このバトル音痴! あ、いたたっ」

 勢い付けて立ち上がったせいでぎしりと唸りを上げた古いベッド、靡く真っ白なカーテンに包まれたその中で咄嗟に受け止めた細い身体はじんわりと熱を帯びている。足の痛みでがくりと落ちて両肩を掴んでなんとか体勢を整えると、慌ててごめんと呟いた彼を目の前にして無意識にもその薄い桃色へと唇を重ねていた。

「ん、うっ」

 二人以外誰もいない静かな病室、部屋の外の廊下も人気はなく誰かが訪れる様子もない。どこか懐かしい匂いのする風が掠るように流れ、たった数秒、短いはずの互いを繋ぐ時間は終わりを知らないかのように途轍もなく長いように感じる。幼い頃から触れ慣れたぬくもり、でもどこかあの時とは違った熱と乱れた息遣い、そっと後ろに下がって距離を置くとそれを阻むように再び腕を掴まれていた。

「……せ、責任、取ってよ、ね」
「何のだよ」
「何の、って……ば、バカ! そういう意味じゃ、」
「はは、わーってるって。怪我人に無理強いする程俺も落ちちゃいねえし、それに……」
 顔を真っ赤にさせ頬を膨らませる幼馴染にぽかぽかと胸元を叩かれながら、相変わらず照れ屋の彼に思わずほくそ笑みそっと耳元へと顔を寄せ、反撃の一言をぼそりと落としてやった。

「……後のお楽しみ、って事にしといてやるよ」
「っ、お前も怪我人のくせによく言う」

 自身の頭と腕、そして足首にきつく巻かれた彼の包帯を互いに見つめながら堪らずけらけらと声を上げて笑い合っていると、しばらく姿を消したままだった看板娘が再び病室へと勢い良く飛び込んできたかと思えば、抱えていたビニール袋の中からペットボトルを一つ取り出し、これでも飲みやがれと言わんばかりにその鈍器を振り回す彼女から患部の後頭部を守ってはただただ平謝りを繰り返したのだった。


***


「ごめんなさいでした」
「仕方がない、許す」
「さすが幼女! 分かっていらっしゃる」

 いつもの軽い調子で仲直りを果たした幼馴染と看板娘を横目にくすりと小さく笑みを零し、三日振りの開店準備に勤しみながら一人思ったのは、不幸中の幸いか二人共に軽い怪我で済んだおかげか、それから間もなく数日で退院が決まり財布事情の観点から見ても非常に助かったという事である。せっかくガチバトルで必死に稼いだカネが治療費で全て溶けてしまっては元も子もなく、なんとかそれだけは回避する事が出来たのでそっと胸を撫で下ろした次第だった。そんな訳で少しばかり残った手持ちで快気祝いでもしようと、看板娘を夕飯に誘い三人でコタツ机を囲んでは大きな鍋をつついている。白い湯気がふわふわと上昇する中、向かいに座ってはふはふと息を吐きながら大きな大根を頬張る看板娘と、そして向かって右斜めで口いっぱいに卵を突っ込み満足げに貪る幼馴染の幸せそうな蕩けた表情を見ただけで腹が膨れた気がした。

「ほら、お前も早く食えよ。今以上に体重減ったらお仕置きだからな」
「何だよ、それ…。さっき台所でちくわ二個食ったからいいだろ」
「あっ、ないと思ったらマゴにいの仕業か! それじゃ、はんぺんいただきぃ」

 早くも鍋の中身が残り数少なくなりつつあり、まだまだ子供である彼女の成長に繋がるのならば、はんぺんの一つや二つ存分に食べさせてやりたい所存である。しかし、どうも普段から二人と比べて食の細さが気になるのか、幼馴染が自分の取り皿からまだ手のつけていないこんにゃく、昆布、ごぼう巻を、そして看板娘からは少し欠けた大根とじゃがいも、糸こんにゃくを箸で運んでは目の前の取り皿へと山のようにどかどか積み上げていった。

「ちょ、ちょっとちょっと! さすがに多いよ」
「これくらい食べなきゃ強くなれないよ。ね、ヨリちん」
「そうそう。我が家の長として体力はつけてもらわねぇと」

 煮出しの優しくも香り高く柔らかな匂いに包まれながら、してやったりとまるで本当の親子のようににんまりとした綻びにつられて笑みを零す。そして仕方なく、ここは覚悟を決めねばと箸で半分に切り分けた大根をぱくりと口の中へと放ったその直後だった。

「……大事に取っといたお楽しみ、堪能する為にもしっかりな」
「! こ、ッの……TPOを考えろ、アホンダラ!」

 ゆっくりとすぐ側へ入り込んできた幼馴染が熱の籠もった声、しかも耳元でそっとそんな事を呟くものだから、危うく飲み込みかけた大根を吐き出しそうになる。コタツの中で絡められた足を蹴り倒すも全く反省の色などなさそうに卑しい表情を浮かべる彼に、不思議とこれ以上文句を言う気にもならないどころか、いつまでも火照りが消えず高鳴るばかりの鼓動に思わず溜息を吐いたのだった。


(2020.3.15)


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