そういえば、と中古車の運転席でいつもの嗜好品を咥えている時、いつの間にか隣りが彼女の指定席になっている事に気付いた。普段から相手のガールが入れ替わり立ち替わりしていた自身にとっては実に珍しい現象だと思ったし、よく考えてみれば最近は彼女以外と体を重ねる事も少なくなった。所謂体の相性が良いという理由もあるかも知れないが、単純に一緒にいる時間が誰よりも長い状況も後押ししている。そして今日もまた、取引先の相手と商談をしている間も彼女は自分のすぐ傍にいて、重い溜息を吐きながら溢した愚痴を、面倒そうではあったもののなんだかんだうんうんと頷きながら聞いてくれている。
ブキ修理屋、というのは表面上だけの職業で、実際は仲介屋(なんでも屋ともいう)を営んでおり、受けた依頼内容を忠実にこなせる人を客へ紹介してその仲介料をふんだくる、という実に楽で楽しい仕事を生業としている。決して表立っては出来ないような依頼だが裏でこっそりお願いしたいと、陰に隠れてこそこそ店に姿を現す客も勿論いる。少なからずそういった需要があるからこそ成り立っている仕事なのだが、こっそりなだけに厄介なものを押し付けられる事も多く、自慢の顔の広さでどうにかしてくれそうな人に上手い事処理して頂くというのが毎度の事だった。
特に仕事上のパートナーでもあったヨリは、主に性欲処理の相手を紹介して欲しいと言い寄ってきた客への応対を全て引き受け、慣れてきた頃には彼自身を目的とした依頼も少しずつ増えていった。そして、彼が事実上その仕事を引退した後は、貴重な収入源として友人兼恋人でもあるマゴさんに時々仕事を手伝ってもらっているのだった(勿論、差支えのない程度に)。
「どんだけガッカリしてんの」
「そりゃさあ。ハズレもいいところだったから」
そして今日。以前程過激な仕事の仲介はしていないものの、今回依頼された仕事はなかなかに酷いもので、危険度の高い依頼内容に対して提示された報酬の低さに勿論素直に頷けるはずもなく。といえど、いらぬ騒動を起こしたくはないのでやんわりと辞退を申し入れては、一人になってどっと肩に圧し掛かる重い落胆に思わず溜息をついたのだった。
すると、車内で留守番をしていたいちかはそんな様子の自身に気を留める事無く、持っているスマートフォンの画面に視線を落としたまますっと目を細めたかと思えば、突然放り投げてきたそれを慌てて受け止めると、そこには今巷で人気の喫茶店が販売しているメニューページが映し出されていた。
「パフェ食べたい」
「俺はピザ食いてぇわ」
「ピザでもなんでもアンタの好きなもの食べていいから、行こ」
「何、奢ってくれんの?」
「それは……気分次第かな」
「はは、何だそれ」
営業も失敗に終わったところで今後の予定は特にない。所謂暇人というやつだ。普段ならばこのまま二人でホテルに直行して真昼間から致す事もある。勿論それはお互いに納得した上で。なのでこうして彼女からデートのお誘いをされるのは実は珍しい事で、少し動揺もしたがなんとかそれを押し込み、ちょうど腹も減っていたので二つ返事で了承した。
運転中は特に会話はない。時々、話題になるようなものを思い付くと一言二言話す事もあるけれど、古いオーディオに長年突っ込んだままのカセットテープから流れる馴染みの音楽へただひたすら耳を傾けている方が性に合っている。それは彼女も同じだったようで、会話がないという状況に対して特に何も思わない辺り、やはりいちかとは気が合うなと思う部分でもあった。
居心地がいい、それとも気が楽だと言うべきか。今まで散々一人の時間が心地良いと思い込んでいたのにこの様である。自分にとって悪い事ではないとは思う、しかし年端もいかない彼女がこんなダメな大人の為に大切な青春を費やしていいのかと聞かれればやはり答えはノーだった。そもそもの話、いちかは自身を成人だと偽ってそろりと近付いてきた節がある。まさか知らないうちに未成年に手を出していたと知った時には頭を抱えたし一度は距離を置こうと思ってはいたものの、色々あって結局はこの通り元の鞘に収まっていた。
好きか嫌いか、と聞かれれば好き。しかし大人として何処かで必ず線引きはしなければならない。相手の事を本気で考えるのであれば尚更だ。こう見えて一般常識は得ていると思っているし、大人として何がダメで何なら良いのかという判断くらいも付く。それでも彼女が求めてくる限りはそれなりに相手をしてしまっているのが現状で、自身のだらしなさに肩を落とすばかりである。このような中途半端な関係をだらだらと続けていいものかと思いつつも、我ながら重い腰はなかなか上がらないばかりで、それを知ってか知らぬか流れる窓からの風景を呑気に眺めている彼女の横顔はとても眩しかった。
「げ。混んでる」
「テイクアウトもしてるって。買ってこようか」
「……いいよ、私行ってくる。アンタは車でゆっくりしてて」
「あ、ちょっと。いちか!」
行っちまった。そうひとりでごちる間にも十人程並んでいる店の前に並び、店員に手渡されたメニュー表を眺めながら舌なめずりしている彼女にやれやれと溜息を落とす。
暇は大敵だ、というよりは時間を無駄にしているような気がしてあまり好まない。こうして怠けている間にいい仕事が同業者に奪われているのではとか、お気に入りのお姉ちゃんがいる昼キャバに今行けば空いているかもとか、一本電話を寄越せば誘いに乗ってくれる友人と一発ヤれるなぁとか思ったりもする。けれど、いちかがテイクアウト用の飯を買ってくるまでの時間をこうして怠惰に待っている時間は嫌いではなかった。余程楽しみにしていたのか人の列に並んでいる彼女の横顔は意外にも楽し気で、自分の順番が回ってくるのを今か今かと待ち侘びているその表情は年相応の可愛さに溢れていると思った。
兄弟はいない。けれども、年の差があるせいかいちかを妹のように見てしまう節はある。散々体を重ねている癖に何を言うかと自分でも思うが、その気持ちに偽りはない。だからこそ危なっかしい彼女から目を離せないしこれからも見守っていたいと思う自身が不思議でおかしかった。
「……デ、ダビデってば!」
「あ、おかえり」
「ぼけっとしてないで早くこれ、取って」
「何これ」
「ピザなかったから、ブリトーにした」
「ブリ……ま、いっか。サンキュ」
全開にしていた運転席の窓から飛び出した顔の眉間に皺が寄り始めてようやくいちかが帰ってきた事に気付き、慌てて押し付けられたビニール袋を受け取ると、再び笑みを浮かべた彼女はぐるりと反対側へと回り助手席へと乗り込んだ。中に入っていたブリトーは出来立てなのか、トルティーヤの中に詰め込まれた熱々の鶏肉とそれに塗したスパイスが車内に広がり鼻を擽った。先程までそうでもなかったのにこうして実際に美味そうなものを目の前にすると、食欲が掻き立てられて堪らず腹の音がなってしまうもので。
「ぷっ。なっさけない音」
「うるさいな〜。高貴な音って言ってくれよ」
「ばっかみたい。先に食べちゃお」
クスクスと声を上げながら透明なカップに大きなソフトクリームと、その上に乗るきらきらと宝石のように輝くフルーツを小さなスプーンで掬っては口に頬張ったいちかは、その美味しさを噛み締めるように小さく唸り、誰よりも長い顔の両脇に垂れる長い髪をゆらゆらと震わせる。子供らしくていいんじゃない、そう呟きそうになって慌てて口を紡いでは、手元のビニール袋を漁ると、その中には明らかに食べ物ではないある物、所謂包装された小包が紛れ込んでいた。
「何だこれ」
危うくブリトーのソースで汚れるところだった。今のうちに避難させておこうと袋から取り出し、とりあえず膝の上に置く。綺麗なピンク色の包装紙に黄色いリボンが巻かれた立派な贈り物で、ちらりと横目に彼女の顔色を窺った。
「開けてみたらいいじゃん」
「いや、あの……これって、その」
「いいから、ほら早くっ」
今日って記念日か何かだったっけ、というか、いちかに物を奪われる事はあったが贈られるのは初めてだなぁとか、余計な事を考えながら隣りに急かされつつ包装を解いていくと、中はこれまたこじんまりとした手のひらサイズのベージュ色の箱。メーカーの印字やイラストなどは特になく、蓋のところにはシールで張りつけられた小さなリボンが添えられていた。
「……では、お言葉に甘えまして」
照れ臭そうに顔を逸らすいちかを他所に、少しばかり胸を躍らせながら箱を開けると中には若い子からのプレゼントらしい金色の小さなスタッドピアスだった。そっと手に取り掴んだ指先には三角が二つ、上下逆さに重ねられた星のような形をしている。
窓に差す日の光に当てる度にきらりと反射する二つの星、そして頬を赤らめて静かに頷く彼女に思わずどきりと胸の奥が唸り、飛び出しそうになった変な声を慌てて腹の底まで飲み込んだ。それもそのはずで、今の今まで妹分だと思っていた彼女から滲み出るものがやけに色気づいており、まるで何かを待っているかのように見上げたその蕩けた表情は確かに大人のガールそのものだったのだ。
これはまた、イケない気持ちになってしまう。そう思い、目の前の現実から目を逸らすように、そして自身に帯びている確かな熱に気付かない振りをしてにこりと微笑んで見せた。
「これ……六芒星か。さすがだなぁ、シャレてると思う」
「あ、えと……でもそれ、安物で。だけど、なんとなくダビデに似合うと思って、そ、それだけだから」
「……いちかが俺の為にいっぱい悩んで選んでくれたって事でしょ? へへ、すげー嬉しい。サンキュ」
「たっ、ただの気まぐれだっての! 仕事中は付けないようにしてるの知ってるし、別に普段だって無理しなくていいから」
「あぁ、そうね。確かに耳には付けてないけど……ほれ」
若いのにやたら気を遣う彼女に内心苦笑しつつ、もぐもぐと頬張ったブリトーをごくりと飲み込み、キンキンに冷えたサイダーを流し込んではきれいさっぱり何もなくなった口を開け、べろんとピンク色のインクに染まった舌、その中心に光るあるものを伸ばして指をさした。
「ほほはらふはんほふへはへう」
「……でも見えないじゃん」
「まぁ、俺としては……その方がいいな」
「何それ」
「誰かに自慢したい気持ちもあるけど、どちらかというと独り占めしたいから……なーんて、」
「いい年して恥ずかしい事言ってんな、バーカ!」
別に冗談で言ったわけじゃないんだけど。性懲りもなくそう続けると、咄嗟に顔面目掛けて飛んできた使い捨てのプラスチックスプーンが見事に額へ当たり、本格的に拗ねてしまったらしいいちかにやれやれと肩を落としながらこっそりと苦笑を零したのだった。
***
「そうか、誕生日だったか。俺」
「今更気付いたの? ほんと、信じらんない」
見慣れた天井を眺めながら柔らかなベッドシーツに身を沈ませて溢した言葉に、その隣りでバスローブに着替えながら呆れ顔で返すいちかの溜息は重い。実際に思い出したのは貰ったばかりのプレゼントを本人の目の前で身に付け、そのまま一夜を過ごし柔らかいベッドに沈んだまま朝を迎えた時の事だった。嫡男であったにも関わらず両親に反抗して黙って生家を飛び出した自分の生まれた日など特に気にしていなかったし、興味もそれ程なかった。時々そういえば、と今回のように思い出す事もあったがまた一つ年を取ってしまったと理解してそれで終わり。祝わなければ祝われもせず、また一年、さらにもう一年と過ぎ去るだけの日だと思っていたし、そういうものだと認識もしていた。
「あっ……ははぁ、なるほど」
「寝る前のアレの意味、今分かったでしょ」
「うん」
はあ、とあからさまにがっかりだと言わんばかりに溜息を吐くいちかの表情は、背中を向けられていて見えなかったものの容易く想像する事は出来た。結局昨日はほぼほぼフリーに近い一日だった為、二人で昼を食べた後ブティックへ行き流行りのフクを購入して、ドライブがてら爆音でお気に入りの音楽を流しながら海沿いの道路を一時間程走り、日が暮れてきたところで馴染みのラブホテルへと入った。勿論合意に基づいた上でしっかりする事もし、綺麗に身体を清めた後二人でベッドに入り瞼を閉じかけたところである言葉を彼女に掛けられたのだった。
「おめでとう、なんて久々すぎて」
「アンタそれでもモテ男でしょ? 誕生日くらい誰かに祝ってもらいなよ」
「いやあ……それがねぇ。そういうイベント事のある日に限って誰も寄ってこないのよ」
「うわ〜、カワイソーなヤツ」
「それ言っちゃう!? も〜そう思うならちゃんと慰めてよ、いちかぁ」
あまりの突き放され方に思わず、彼女よりも一回りは大きい体である事を忘れてその細い腰に抱き付いた。これはとびきりのパンチが繰り出されるか、と少々警戒するも一向に鈍い痛みは訪れず。それどころか不思議な温もりを感じてそっと見上げると、そこにはしかめっ面のまま頭を撫でてくれている彼女の姿があった。
「……えっと、その」
「っ……じ、自分で言った事くらい、責任、持ってよね」
「あっ……りがとう、ございます?」
なんだか特殊なプレイをしているみたいだ、なんて死んでも口にする事など出来ず、流されるように甘んじてそのままベッドの縁に腰を下ろした彼女の膝上へと頭を乗せた。硬すぎず柔らかすぎず、健康的な褐色の肌は何処かの誰かを想像させて、しかしアイツなんかよりも若くてかわいいガールちゃんの優しいいい匂いがして、そしてどことなく落ち着く肌触りに瞼がゆっくりと落ちていく。
「まだ時間、あるよね」
「こういう時くらいしっかり寝とけば。延長払えばいいだけじゃん」
「あのねぇ、おカネっちゅーうのは大切に使わないと……」
そこまで言い掛けてふと咄嗟に考え直し言葉を濁すと、不思議そうな表情を浮かべながらも、されるがままに受け入れてくれる彼女に甘えて静かな暗闇へと意識を沈める事とした。
(せっかくの誕生日プレゼント、たっぷり堪能しないと損だよな)
そして、何も見えない世界の中で大きな溜息と照れ臭そうな声で小さく零された、ばか、という一言が聞こえて危うく吹き出しそうになる中、今も昔もこれから先も無縁だと思っていた穏やかな時間を無意識に過ごしていた事にようやく気付いて思わず己の鈍さに肩を竦めた。しかし、今この瞬間だけは自身を包む優しいぬくもりに包まれたままでも許されるような気がして、再び細く小さな手で頭を撫でる彼女の声を子守歌と共に深く長い夢を見る事にする。
(この恋に気づいて/2020.08.22)
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