今朝方目を覚ました瞬間に味わった、異常な怠さによる体の重みに堪らず溜息が漏れた。暑い季節にも関わらず温暖差の激しい日々が続いた今日この頃。健康には留意していたつもりだったが、その一方で肝心要の体の方が全くついていけていなかった事に今更ながら気付き、今日は一日バトルに費やそうと思っていたのだが転じて意気阻喪、今後を考え早々と見切りをつけるとしわしわの布団の上へ再び寝転んだ。
今現在一人暮らし真っ最中のこの賃貸住宅は、ハイカラシティより少し離れた郊外に位置しており、周りに高い建物や所謂若い人達が遊びに行くような洒落た店やテーマパークは無いに等しく、比較的田舎寄りの静かな佇まいとなっている。
しかし、駅が歩いて行ける程の近い距離である事と、電車一本ですぐ都心部への移動が可能である為に立地的にも気に入っている。何棟も同じデザインの賃貸住宅が立ち並び、人が多く住んでいる団地の割には騒音も少なく、強いて言うのならば夏に攻撃的な蝉の声がミンミンと響き渡り、夕方は近くの公園で遊ぶ子供達がわいわいと騒ぐくらいのものだったので、特に気に留める程の騒音でもなく、寧ろそんな環境の中で過ごす毎日が自分の生活スタイルに馴染んでいるようにも感じ、それは決して悪い気がするものではなかった。
夏も後半に差し掛かったとはいえ、残暑の厳しい日々はまだまだ続いている。そんな中でもインクリング達がやめる、もしくは中止をするという事を知らずに熱中し続けるのは勿論ナワバリバトルだった。実はこの団地、バトルのステージにもなっていて、その為一定時間、一定期間内は定期的に辺り一面インクだらけになってしまう事を条件にとにかく家賃が死ぬほど安い。逆にこれっぽっちしか支払っていなのに住まわせて頂いて宜しいのか、と不安になって大家に申し立ててしまいそうになる程べら棒に安かった。寧ろ、インクリングにとってはこんなに間近で他のバトルを観戦できるとあればこぞって入居者が現れるのではないかとも考えたが、あまりに田舎らしい環境のせいかどうやら人を選ぶ賃貸住宅のようで、思った程に突然増えるような事態には陥っていない(勿論、自分以外のインクリングが住んでいる部屋もいくつか存在する)。
(あぁー…しまったな。連絡し忘れた)
今日は朝から彼と一緒にバトルに参加する約束をしていたのに、あまりの体調不良に断りの連絡さえするのを怠ってしまった事に気付いて落胆する。慌てて携帯電話の画面を見ると、彼から送られてきたと思われるメールが二通程届いていた。
「ええと、何々…。先に行ってる。遅れてもいいから、来い…」
いや、多分、無理。心の中でそう呟いて戻るボタンを押し、とりあえず先にもう一つのメールの内容を確認する。
「今からそっちに行く。出てこなくていいから、そこで待ってろ………はぁ?」
一通目のメールが届いたのは十分程前。そして、二通目はほんの数分前だった。どういう事だろう、と頭を悩ませている最中、外で突然鳴り響く銃声にびくりと体を震わせた。
「うわ、やっばい。窓、窓閉めないとっ」
今のスターターピストルの音こそ、所謂この団地でナワバリバトルが始まったという合図である。参加しているインクリング達が屋上の方できゃあきゃあわあわあと叫びを上げながら、べしゃべしゃとインクをぶち撒ける音がそこら中からあちらこちらに聞こえてきていた。
(よかったー…。昨日の夜、洗濯物込むの忘れなくて)
ベランダに出る窓はもう既に青やらオレンジやらのインクが疎らにこびり付いている。微かな隙間から見えたのはイロメガネを掛けてパブロを担いでいるガールと、その彼女に小脇で抱えられて青ざめている黒ZAPを片手に持ったボーイが共に団地の中を駆け抜けていくシーンの一瞬のみだった。あの二人に一体何があったんだろう、と謎が残るも、考えている内に頭がずきずきと痛みを増してきた上、額にそっと手の甲を当てた所どうやら少し熱もあるらしい。
(そうだ、えーっと…何だっけ、あの冷たいやつ冷蔵庫にあったな…。あー、でも怠い。動きたくない…)
なんとか立ち上がろうと試みるも、少し動くだけで揺れる視界に再びその場に崩れ落ちた。と、同時に何故か冷たいアレの正式名称を急に思い出して頭の中だけは妙にスッキリしたものの、だからと言って決して体調が良くなる訳でもなく、朝から何も食べていないせいもあるのか、少し手を伸ばせば届くペットボトルを取りに行く事さえ辛い。
「あぁもう、誰か冷却シート持ってきて…」
「ほらよ」
「ぎょええっ! 冷だい!」
突然何もないはずの場所から、ひんやりと冷え切った冷却シートが落ちてきては顔面にびったりと貼り付いた。急激な額のみの体温下降に何が起こったのか理解ができず、必死でそのシートを剥がした先には、呆れた眼差しで自分を見下ろしているメールの送り主が目の前に突っ立っていた。
「はれ? 何でいんの?」
「そっちに行くってメールを送ったはずなんだが」
「あぁー…そうだった、ごめん。返事もしてなかったな」
「……調子が悪いならもっと早く言えよ。無理してバトルしても仕方ないだろ」
「ううん、まぁ…そうなんだけど…」
長い長い溜息を吐きながら、冷蔵庫に入った麦茶をコップに注いでは何も言わずにそれを手渡してくれた。ありがとうと礼を言ってすぐさま口を付ける。うまい。滅茶苦茶美味しい。こんなにも美味い飲み物が我が家の冷蔵庫に潜んでいたのかと思うくらい、毎日飲んでいるはずのただの麦茶が信じられない程に美味しく感じた。
「はぁ、最高」
「そりゃあ良かった」
「ところで、何で部屋入れたんだ? もしかして鍵閉まってなかった? てか、うわ! おま、インク被り過ぎ!」
久しぶりの喉の潤いに感動したのも束の間、今更ながら彼の体がオレンジ色のインクに塗れていた事にようやく気付いて、慌ててタンスからタオルを引っ張り出して手渡した。
「あ、ほら。顔にもついてるぞ。ぶふふ、だっさ」
「心配して家まで来てやってるヤツに対する態度か、それ」
「わはは、ごめんごめん。それで、何がどうしてどうなったんだっけ?」
「……鍵の件は合鍵を持ってたから勝手に開けた。で、インクまみれなのは今おっぱじまったバトルに巻き込まれて、途中のパブロに襲撃を受けたからこのザマ。以上」
「ははあ、なるほどなぁ」
多分それ、さっき見たパブロですね、なんてぽろりと零した所で彼の厳つい表情に眉間の深い皺が刻まれるだけだと直感し、寸でのところでなんとか吐き出さぬように思い留まった。そんな自分を余所に、彼はオレンジ色の模様がついてしまった上着のジップアップカモを脱ぎ、それを寝室兼リビングを出てすぐの洗面所にある洗濯機へ乱雑に放り込むと、見えない場所からにゅっと手だけを出し、まるで招いているようにぱたぱたと指先を上下するという雑すぎるジェスチャーを披露され、淀んだ頭でその意味を必死に考えてみた。
(来いって事か?)
からからだった水分も摂取し、投げつけられた冷却シートを再び額に貼りつけたおかげで少しだけ身が軽くなってきたところ。彼に無言でちょっと来いとの指令が(恐らく)下された為、勢いでなんとかその場に立ち上がると、それを見た彼がかっと瞳を開き物凄い勢いで此方に戻ってきたかと思えば、そのまま縫い付けられるように布団に体を抑え込められた。自分の意志と反した行動を強いられ頭の中が混乱する。何の抵抗も出来ぬままに沈んでしまうと何故だか一発頭を小突かれ、痛いと嘆く間もなく、今度は無理矢理にフクを剥ぎ取られては再び背を向けられていた。
「え、何これ? どういう事!? 寒い!」
「これ、汗でべたべただろ。一緒に洗濯するから寄越せ、って意味だったんだが」
「ちゃんと口で言ってくれよ! 全然分からないぞ!」
「…馬鹿、無駄に騒ぐな。またふらつくぞ。体拭いてやるから、そこで大人しく待ってろ」
「あ、はい…すいません……」
言われてみれば確かに汗で体がべた付いている。丁度昨日の夜に取り込んでいたTシャツを洗濯かごから掘り起こしていると、洗面所の方からがたがたと洗濯機の働いている音が聞こえてきた。少々心配していたものの、これ以上動きを見せるとまた怒られてしまいそうだったので、仕方なく床に置いていたリモコンを押してテレビの電源を入れてみる。しかし、適当にチャンネルを回しても暇潰しになりそうな程の面白そうな番組は何一つ放送していなかった。
***
(うーん…これはなんとも)
異様なまでの威圧感に胡坐を掻いて座った体が固まる。特に会話を交わすでもなく、ぬるめに温めたタオルを持って黙々と後ろから体を拭かれるのは、いくらボーイ同士と言えど何とも言えない気恥ずかしさが残る。
ましてや、それ以上に照れ臭い感情が生まれる理由としては、いつもは厚着をしている彼がインナーだけの状態で過ごしているというあまりに新鮮すぎる状況と、それがまた妙に色っぽい雰囲気を醸し出しているという事で本人は無自覚なのか全く気にしている様子も無かったが、此方にとっては由々しき問題でもあり気にすれば気にする程顔が熱く熱を籠もらせていく。
「あー…もうやだ…」
「そんなに嫌ならさっさと寝てさっさと治すんだな」
「…うん、そうだな。まぁ、そりゃそうなんですけど」
そういう事を言っている訳ではないです、と心の中で一人ぼやきつつ、どうやらこちらの邪な感情に気付いていない鈍感な彼は、背中を拭き終わったのか今度は向かい側にしゃがんで腕から足にかけて清拭を続けた。目の前に広がるボーイらしい引き締まった腹筋、とはいえ普段日に当たらない彼の体は意外にも白い上に締まっており、無駄なぜい肉らしいぜい肉はパッと見た感じだと殆ど見当たらない。
(羨ましー)
比べる気にもならなかったが、怪しまれないようさり気なく自然に自分の脇腹をそっと掴んでみる。するとどうだろう、切なくもぶにゅりという感覚と共に柔らかさを掴めてしまったのだった、しかもそれなりに。随分と長い間懐かれてしまっているらしいいらないお肉の蓄積具合に思わず溜息が出る。するとこっそり見ていたのか、眉尻を下げた彼が呆れたようにぼそりとごもっともな一言を呟いたのだった。
「…そんなに気になるなら、食って寝てばかりいないで運動したらどうだ」
「ナ、ナワバリバトルはしてんもん……」
「それは俺だってしてる。それ以外に、だ」
「えー…絶対嫌だ…」
隠れて自分の身体検査をしていたつもりがばっちりバレていた上、適度な運動を勧められてしまって憂鬱な気分が更にがた落ちになっていると、終わったぞ、と一言零され、素直に礼を言って着替えのTシャツに腕を通した。すると突然その隙をついてか、何故か背後から少々気にしている脇腹を掴んでは離し掴んでは離しを繰り返され、咄嗟にその手をはたき落とすように突っぱねてやった。
「痛い痛い! ほんとやめろ、やめろな!」
「……………程よい、柔らかさだな」
「いや、別にそれ全然嬉しくないから…って、おい、こら…オマエ、何して…」
諦めが悪いというか、こういう時の彼は何故だか妙にしつこくなる。叩いたはずの手はあっという間に復活し、また同じ場所を優しく撫でたと思えば、強くも優しい手つきで覆い被さって体をうつ伏せにするように押し倒してくる。胡座のままに半ば無理矢理倒されたせいで変に捻った足が痛い。しかし、それさえも器用に崩す彼の手腕に感服している間に視界は枕オンリーになっていて、被さるように背中から包み込む彼の柔らかい体温が堪らなく心地よく、無意識のうちに胸の奥の心臓をばくばくと暴れさせていた。
「あっ、の、ちょ、俺、一応病人……」
「……オマエだって、ムラムラしてたくせに」
「…ばれてました?」
「当たり前だ。あんなに顔真っ赤にしてぼーっとしてりゃ、誰だって分かる」
(夏風邪のせいかも知れないじゃないか、それ…)
それにしても、やっぱり隠し事は苦手だ、と再認識させられたその瞬間。肩を掴まれ身が反転し目の前には珍しく余裕のない彼の表情が広がって、息も少し荒くなっているように見えた。頬も仄かに火照っている。しかし、人の事は言えたものではなく、とろりとした瞳に映る自分の情けない程の女々しい顔が信じられないくらいに真っ赤に染まっていた。
「俺は、悪くないからな」
「じゃあ、誰が悪いんだよ」
「必要以上に誘ってくる、オマエ」
「そんな不埒な事をした覚えはありません」
「……嫌か?」
「………べ、別に…嫌ではない、けど」
目線を逸らしてぼそりと素直に呟けば、ゆっくりと降りてきた好きな匂いが首元に埋もれた。ごくりと息を呑む。頭の中は激しく暴れる鼓動の反響でいっぱいだった。小さなリップ音が静かな部屋の中で飛んでその恥ずかしさに目を瞑る。次第に頬や額、瞼にまで吸い付くような雨が降り、最後の貪るような噛み付いた口付けが普段の冷静な彼の本性を表しているかのようで酷く興奮した。
「んっ…う、も、やだっ……!」
「……っ、じゃあ、ここ」
「はっ、ん…あぁっ! や、やめ、そこだけは…っ! やめろ、ばか…!」
さらりと流れるようにキスをしながら触れられたのは左の脇に残る薄く広がった痣だった。今となっては特に気にもならない痣だったが人に触れられるのだけはどうも苦手で、他の肌と比べて妙に敏感になっているのかすごくむず痒い。少し撫でられるだけで体の奥がどくんと唸り、そこからじわじわと熱さが増して体全体へと広がってゆく。最近味を占めたのか、調子に乗るとここばかり執拗に弄り倒してくるものだから少々気に食わない。
「いっつも、嫌だ、って、言ってんだ、ろっ」
「その割には気持ちよさそうに見えるけどな」
文句を言えど止まらない手を辛抱堪らず掴み上げると、もう片方の手が今度は下腹部の方へ向かっていて叫びを上げられないままにかっと見開く。布越しに掴まれた後、耳元に近付いて落ちた低い声が妙に脳内をがんがんと響かせて全くその内容は耳へと入っては来なかった。
「ここ、大きくなってる」
(んな声で、耳元で喋るな…!)
勢いで胸を突き破って飛び出てしまうのではないかというくらいに心臓に悪い。同じボーイとして認めたくない上に悔しくもあり、彼のハスキーボイスは時より実に色っぽく艶やかでもあった。これを狙ってやっているというならば、自分が彼の思う壺に見事ハマっているような気がしてこれがまた非常に腹立たしくもある。
「え、と…その、マジ、ちょっと、タンマッ…!」
「タンマはなし。ボーイだろうが、覚悟決めろ」
身も心も恥ずかしさで限界だった。これから起こるであろう出来事を想像するだけで、額だけでなく顔が酷く熱みを増してくる。気付かない間に視界もふにゃふにゃと蕩け始め次第にその範囲も段々と狭くなる一方で。
(やばい…もう、どうなってもいいやって気分だこれ…)
きれいにしてもらったはずの体に再び冷たい汗が伝ってはフクに染みてその姿を消していく。
「……どうした?」
何かに気付いた彼が急にぴたりと動きを止めた。目の前にいるはずなのに声がとても遠く聞き取りにくい。揺さぶられているのが分かっているのに、何も答える事も頷く事も出来ない。
「おい、しっかりしろ!」
ゆっくりと瞼が落ちていく中、急に慌てる様子で体を抱きかかえた彼の顔が次第に黒く塗れていく。意識が遠い。まるでインクの中をゆらゆらと潜って泳いでいるような感覚の気持ちよさに勝ち目はなく、必死にしがみ付いていたはずの何かがぽろりと手から抜け落ちていった。
***
「そういえば、病人だったっけな」
「初めっからそう言ってるだろうが」
本日のご近所ナワバリバトルも終了、いつもの団地の静けさが取り戻され、つれて日も落ち辺りが暗くなってきた頃。
とっくの昔に効果が切れていた冷却シートを嘲笑うかのように急上昇した高熱により、あっという間に意識を飛ばしてから数時間経過していた。ただでさえ夏風邪で体力の落ちていた中での熱の上昇はなかなか体に堪えたらしく、次に目が覚めるまでの長い間も帰らずに看病をしてくれていた彼には感謝せざるを得ない(おかゆまで作ってくれていた)。ぐっすり眠ったおかげか体の怠さも大分抜け、今自分に出来る事と言えば落ちに落ちた体力を取り戻すよう療養する努力をするのみである。
「まぁ、その調子なら近々バトルも出来るようになるだろう」
「お陰様で。色々助かったよ、ありがとう」
「良かったな、俺のおかげで死なずに済んで」
「そ、そこまで深刻だったっけ…?」
干し損ねた彼のジップアップカモと私物のガチホワイトをハンガーにかけ、風呂場の天井近くにある突っ張り棒にかけながら苦笑していると、首元にひんやりしたものがピタリとくっついてきて、反射的にびゃあ、と頓狂な声を上げてしまった。
「何すんだよ!」
「アイス、買ってある。食べるか?」
「あ、食べる! 食べます!」
これが冷凍の焼豚チャーハンであったら絶対に許すまじと怒りを露わにするところだったが、アイスとなれば話は別である。懐かしの四角い形をしたバニラアイスバーを受け取りリビングに戻ると、銀色の包み紙を剥がしては躊躇なくかぶりついた。
「んまいっ」
キンキンの冷たさと程良い甘さがじんわりと口の中に広がり思わず感嘆の声を漏らす。今日一日ほとんど食べ物という食べ物を摂取してこなかったせいもあるのか、いつもより何百倍もただのバニラアイスバーが美味しく感じた。一方、彼はというと木のスプーンでちょびちょびと掬いながらカップの氷いちご練乳を食している。
「……随分、かわいいの食べてるな」
「いや、美味いだろ」
「まぁ…美味いけど」
音を立てて氷を崩しながら食べている彼がしばらくした後、正確には半分程の氷いちご練乳を食した頃、被ったサファリハットで表情が分からないくらいに下を向きながらポロリと言葉を零した。
「………さっきは、悪かった」
「へ? 何が?」
「調子が悪いのに、無理強いして」
これ以上崩し切れない氷いちご練乳をこれでもかと言う程サクサクと木のスプーンで刺し続けながら彼はそう零したのを見て思わず小さく溜息を吐く。本人も気にしてないような事に対して頭を下げられても正直なところ困ってしまうし、それどころか今回の件に限っては割とお互い様である部分もある。
(だって、したくなかったって言ったら嘘になるしなぁ…)
実際のところ、自身もかなりムラムラしていた訳で風邪を移してしまう可能性があるにも関わらず、このまま流されても構わないと心の底から思っていたのだが、残念ながら体力がその思いに付いてこれず、結果的に夏風邪が悪化した、というだけでつまり、自業自得なのである。
「…無理強いじゃ、ない。言ったろ? 俺、嫌じゃないって」
「そりゃ、まぁ」
「……その、だから! ほら、そんな湿っぽくなるなよ。もう少し俺が元気になったらさ、うん…いつでも…いつでも? 出来るんだし。そのうち、絶対に、その…し、しような。次こそな! あははは…」
軽い気持ちで言ったつもりだった。その気持ちに嘘がある訳ではなく、彼の喜ぶ顔が見られると思って少し照れ臭くも自然と言葉は流れ出ていた。しかし、彼にしてみればどうやらそれは予想だにしない事であったらしく、ぽかんと口を小さく開けたまま、サファリハットに隠れた細い瞳が此方をじっと見据えていた。
「オマエって…なんというか、その」
「い、嫌か!? 嫌なら、無理にとは!」
「んな事ぁ一言も言ってない!」
「だな! ですな!」
「…ちょっと、本当に、男前にも程がある…。ほんと、馬鹿野郎だな…」
「えっ、あ、は? えと、なんというか…ありがとうございます…?」
バニラアイスバーの残りの一口に噛み付いて、棒だけになったそれをゴミ箱に捨てる。同じく氷を掻き込んで空っぽになったプラスチックの容器を投げた彼の頬がほんのり赤く染まっていてつい、かわいい、だなんて思ってしまったけれど、本人に言ってしまったその時は今度こそ殴られそうな気がして、一人静かに心の中でほくそ笑んでおく事にした。
(2016.02.27)
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