ケンカの原因なんていつもくだらないものばかりで、後悔先に立たずなどと昔の人は上手い言葉を考えたものだと感心する。昨日はバトルで連敗していたせいか、お互い少々機嫌も悪く、普段と比べると確かに些細な事で頭にカチンと来たり、どうでもいい事でさえ大人げなく言い争いになるような状態になってしまっていたのかも知れない(最後のバトルには勝って喜んでたはずなんだけど)。謝るにも一体何に対して謝ればいいのかさえ分からず、原因となった要素も判明しないまま勃発した、久しぶりの大ゲンカにより炎上したチビガールの怒りは未だ鎮火する様子も無く、別れた後も解決の術が見つからないまま夜が明け見事に朝日を迎えてしまった。とはいえ、大抵の事は一晩寝てしまえばそのような突発的な怒りは収まるもので、今回もそれと同じように嫌でも流れゆく時間が勝手にどうにかしてくれるものだと思い込んでいた。
「…ナギが来てない、って?」
珍しく約束の時間通りに広場へ辿り着き、しかしロビー前で合流できたのはチビボーイだけだった。彼も相方と似てあまり感情を表に出さないボーイであるけれどあまりに珍しい例のない現象に戸惑いを隠せない様子だった。何がおかしいかと言うと、チビガールはまず遅刻をしない。遅刻どころか、早い時間に広場へ来てはお店で暇を潰し、次にやってくるチビボーイと一緒に遅刻組である自分と相方である彼がのろのろと待ち合わせ場所へ来るのをのんびり待っているのがいつものスタンスである。
「連絡来た?」
「…ううん、ない。こっちから電話掛けたけど、携帯、電源切れてるみたい」
しょんぼりと俯きながらそう呟くチビボーイは明らかに不安そうな表情を隠せないでいて、それが尚更今の奇異な状況に拍車をかけているせいか胸の奥が妙に疼いて不思議な痛みを感じた。とはいえ、単なる寝坊かも知れない。とりあえず様子を見に行こうと思い、彼女の家へ行ってくると一言残しチビボーイへ背を向けると、不意にフクの端を掴まれて踏み出した足が空中で止まった。
「待って」
「どうした?」
「…お願い。ぼくも、連れてって」
「ユウ」
「ダメ、かな」
「…行き違いになったら大変だろ。オマエはここで待っててくれ、頼むよ。後で必ず連絡するから」
「………うん、分かった」
担いでいたローラーを壁に立て掛けては少々寂しそうにベンチへ座り込んだチビボーイの宥めるように頭を撫で、ありがとうと声を掛けてから再び町外れの方へ向かって駆け出した。念の為、走りながら相方の携帯電話へメールを送っておく。
(心当たりがない訳じゃ、ないんだけどさ)
勿論、チビガールが姿を見せないのは昨日のケンカが原因である事に間違いはない。余程自分と会いたくなかったのだろうか。そう思うと少し寂しく感じる事も無きにしもあらず、且つもしかしたら何か事故に巻き込まれたのかも知れないと、悪い方向へ考えれば考える程不安に陥っていった。
***
「来たぞ」
ほれ、と言わんばかりに携帯電話の画面を押し付けると、あからさまに不機嫌そうな顔でチビガールはじっと見詰めた。つい先程相方から届いたメールの内容は想像していた通りのもので、今まさに彼女の家へ向かっている、もし見掛けたら教えて欲しいとの旨の連絡だった。しかし彼が探している人物は自分の目の前にこうして踏ん反り返っている訳で、すぐさま返事をする事はいつでも出来てしまうのだがどうやらそれは本人の意思に反してしまうようだった。
「あんまりアイツを困らせるなよ。チャージャー背負ってるくせに、自分の事となると全然周りが見えなくなるバカだからな」
「…そんなの、わたしが一番分かってるよ」
軋むソファーの上で膝を抱きかかえるように縮こまって座るチビガールは、眉尻を下げながら静かにそう呟いた。
彼女が自分の住むボロアパートに駆け込んで来たのは昨日の夜遅くだった。その日は相方からチビガールと二人で先にナワバリバトルへ行くと事前に連絡を受けていた為、無理に合流する必要もないと思い気楽に一人でぶらぶらとナワバリバトルに入り浸っていた。時々チビボーイのいるチームが相手になったものだから、散々な程に自慢のヒーローローラーレプリカで叩き潰されそうになって心労は絶えなかったのだが(何食わぬ顔で躊躇なくローラーを振り回してくるので非常に厄介な相手ではあるが、それはそれで燃える)。そんなこんなで一日中こちらに神経を集中していたのもあり、その日彼とチビガールとの間に一体何があったかなど知るはずもなく、突如夜中になって愚図りながら部屋に乗り込んできた彼女には心底驚いた。事情を聞こうにも一向に口を開く事なく、しかし問い質せばそれはそれで逆鱗に触れてしまいそうな気もして、昨夜は諦めて既に船を漕いでいた彼女と二人で軋むソファーに沈んだ。
「…で、どっちが悪いんだ」
「………」
「またダンマリか」
「……たし」
「あぁ?」
「わたしの、せいなの」
重なる両腕に顔を伏せながらぼそりと呟いたチビガールの声は、萎むように小さくなっては消えていく。いつもならば、絶対におにいちゃんのせいだとか、絶対わたしは悪くないもんだとか、どんな理由があるにせよ初めは必ず突っぱねる態度を取るというのに、今回に限っては驚く程に素直で潔い。
「どういう事だ」
「ニーチャンには分かんないよ」
「そりゃあ言わないと分からないだろ」
「だから…そういう、意味じゃなくって」
「じゃあどういう意味だ」
「……言ったら、怒るもん」
「内容次第だな」
「じゃあ、もういい! ばかばか!」
「分かった、俺が悪かった。怒らないからそのポイズンボールを早く置け」
想像していたよりもずっと、信じられないくらいのレベルでしょげている。そしてとんでもなく拗ねている。両手持ちしたポイズンボールを掲げたチビガールを必死に説得して数分、ようやく肩で息をしていた彼女が落ち着きを見せると、再びしょんぼりと息を漏らしては脇に置いていたリュックサックを背負って目の前に立ち上がっていた。
「おい、何処へ行く」
「…帰る」
「今日も約束してたんじゃなかったか。ユウのヤツ、今頃きっと一人で待ってるぞ」
「……そう、だけど」
「…アイツの何が気に食わなかった。正直に言ってみろ」
立ったまま動かない彼女は俯いて少し考え込んだ後、諦めたように再びソファーへ体を沈めては溜息を吐き、そっぽを向きながらぼそりと呟くように話を始めた。
「……昨日、一緒にナワバリバトルしてた時、わたし、おにいちゃんにひどい事言っちゃったの」
「どんな」
「おにいちゃんなんて嫌い、って」
「そりゃなかなかひどいな」
「でしょ?」
「あぁ。でも、オマエがそんな事言うくらいだ。理由があるんだろ」
「…その時、同じチームにわたしと同じくらいのガールちゃんがいてね。なんとなく嬉しくて、どっちがたくさん塗れるか勝負しようって二人でこっそり話したの。なんだか燃えてきてさ、すっごい張り切っていっぱい塗って、勝負にもバトルにも勝って、すごく嬉しかったんだっ」
意気揚揚と話す彼女の嬉しそうな表情に嘘偽りなどひとつもなく、しかし、それは話が進むにつれてゆっくりと萎むように消えてしまった。
「…きっと、おにいちゃん、褒めてくれるって思ってた。でも、ロビーに出てもさり気なく話しかけても、全然何も言ってくれなくて。その時は、こんなのただの我儘だし仕方ないかって思ったの。でも、おにいちゃん…バトルの後、あの子にだけ、よく頑張ったなって…頭、撫でてて…わたし、悲しくてっ」
長く伸びだらりと垂れた二本の髪の陰の中にぽたぽたと小さな雫が落ちるのが見えた。ふるふると震える小さな体は胸の奥で痛む傷に必死に耐えているようにも見えて、思わずそんな彼女の頭を無意識に優しく撫でていた。
「…我儘なんかじゃない。オマエは、何も間違ってない」
「でも、わたし…こんなんじゃ、また、」
「大丈夫だ。絶対に」
「…え?」
「そんな無駄な心配してる暇あったら、アイツに本当の気持ち、全部ぶつけてみろ。きっと、何か誤解があるはずだ」
「そ、それって…」
「ナ、ナギッ! いるかー!」
見上げて、ふわりと涙が散らばったその時。玄関の方から物凄い音を立てて不法侵入する相方のわあわあと騒ぐ声が嫌でも聞こえてはサファリハットの鍔に隠れてそっと静かに笑った。
***
「はぁ…はぁ…ナ、ナギ…良かった、いた……」
「お、おにいちゃん…」
しゃべるのが苦しいほど息が弾ませながら部屋の中に入ってきた彼の顔は驚く程に青ざめていた。膝に両手をつき、ゆっくりと呼吸を整える様子に思わず目を疑う。どうして自分の為にこんな風になるまで必死に探してくれたのだろう。どうして、彼の方が泣きそうな表情で此方を見詰めているのだろう。浮かぶ疑問は延々と消える事なく、頭の中で何度も生まれては無限に増えてゆく。
「遅えよ、何チンタラ走ってんだ」
「くっそ…元はと言えば、オマエが嘘ついたからっ…はぁ…あぁもう、このアホ!」
「アホで結構、馬鹿野郎」
「ああ言えばこう言うし!」
普段は温厚な彼が珍しくぎろりとニーチャンを睨むと、その瞬間何かを思い出したかのようにぱっといつもの優しい表情へと戻った。すると、突然腕を捕まれたかと思えば、吸い込まれるようにそのあたたかい胸の中へと体が包まれていたのだった。
「お、にいちゃ、くるしいっ」
「すっごい心配したんだからな! これくらいさせろ!」
「何なんだよ、もう! ケンカ中のクセに意味わかんない!」
「え? あぁ、それもそうだったな」
「い、いや…別に。いいけど」
はっとして回していた腕を離した彼は頬を赤らめながら頭を掻いて笑った。そして、促され二人の間に挟まれるようにソファーへ座ると突然、ごめん、と手を合わせ頭を下げられたので、あまりにも予想していなかった事態につい目を見開いてしまった。
「な、何で」
「あの…その、俺きっと、ナギが怒るような事したんだよな? 昨日の夜、冷静に考えても全然分からなくて、でもバトルが終わってからずっと寂しそうな顔してたから、絶対何かあったんだって今更気付いて、だから、ええと…」
「オマエ、そろそろ落ち着いたらどうだ」
「まぁまぁ…だからその、つまりだな…」
「大体伝わったから、おにいちゃんはもう黙ってて」
「はい、ごめんなさいもう黙ります」
顔にも声にも出さなかったけれど、胸の奥の冷えた心の中は彼の言葉を聞くにつれてゆっくりと温まっていくと同時に酷く後悔もしていた。
自分だけを見てくれないとばかり思い込んでいた彼は知らないところでちゃんと見ていてくれていて、そうとは知らずに自分はというと早とちりをしてしまった挙句に自分勝手に罵倒して、大好きなはずなのにその正反対の言葉をヤケになってぶつけてしまっていた。きっととても辛い思いをしたに違いない。それなのに、彼はこうして頭を下げて必死に謝ってくれている。
(わたし、サイテーだ)
いつの間にか土下座までし始めていた彼の頭上に浮いた両手をそっと掴む。その行動を不思議に思った彼がぱっと顔を上げ、浮かべた不安げな表情に対して今度は自分が彼を真似るように頭を下げたのだった。
「おにいちゃん、ごめんね」
「え、あ、へ…?」
「嫌いだなんて言って」
「あぁ、いや、別に…」
「知らない間にわたし、甘えんぼになってた。本当はおにいちゃんが隣りにいてくれるだけで十分だったのに」
唖然としている彼を前に、胸の奥でぐちゃぐちゃに押し込んでいた気持ちを吐き出すように全てぶち撒けた。負け続きでどうしても勝ちたくて必死に塗っていた事、彼の笑顔が見たくて何よりも一番になりたかった事、きっと褒めてくれると身勝手に期待した癖に自分の思い通りにならなかったからと言って八つ当たりをした事、それを後々になって後悔して自己嫌悪の末にスネてしまった事。一日の間でぐるぐると巡った感情を必死に言葉で表現しては一つ一つ彼へとぶつけた。泣きそうになったけれど、その弱さだけは見せたくなくて無理矢理に引っ込めた。しかしそれもすぐ、努力の甲斐なく決壊する羽目になる。
「…そっか。ごめんな、全然気付いてやれなくて」
優しい瞳で見据える彼がそっと頭を撫でながらそう小さく呟いた。手の平の仄かな体温がじんわりと体を包んでいくような気がして、触れられた部分がびりびりと痺れて我慢していたものがぽろぽろと外へと溢れ出てゆく。
「言い訳になっちゃうけど、俺の話も聞いてくれるか?」
「…うんっ、聞く…」
「バトルが終わって、ロビーに出た時…あの子、泣いてたんだ。バトルには勝ったのに」
「え?」
「すごく、悔しかったって。塗った量とか倒したインクリングの数とか、そんなんじゃなくて。バトルを心から楽しんでいるナギが眩しくて、羨ましかったんだって」
数々の意外な言葉が飛び出して初めは彼が何を言っているのか分からなかった。でも、話を聞いているうちに、少しずつあの時に何が起きていたのか混乱している頭でも次第に理解する事ができたのだった。
チームが一緒だった彼女はいつも一人でナワバリバトルに参加していた。友達も仲間もおらず、朝から晩までこの都会で生きる為に必死にバトルに臨んでいてバトルそのものを楽しむ余裕などなかった。とにかく勝ってカネを稼いでイカしたランクまで昇格し、強いギアの付いたフクやクツを買ってガチマッチでも勝つ事だけを考えウデマエを上げる。それだけだった。
しかし、昨日のバトルでは違った。実は自分に声を掛けられた彼女は想像もしていなかった事態に動揺していて、一緒に頑張ろう、そう軽い気持ちで言っただけの言葉が、彼女の心を少なからず動かしていたのかも知れない。自分はいつもの通りに楽しくナワバリバトルをしていただけだったけれど、彼女にとってそれは、どれだけ経験を積んでおカネを貯めてランクやウデマエを上げても、絶対に手に入れる事の出来ない時間だったのだ。
「…確かに、ナギと同じくらいの年だった割に俺から見てもあの子はとても上手かった。でも、ウデマエ以上にナワバリバトルの楽しみ方を知ってるナギに、あの子は敵わなかった。だから俺は我慢できなくなってよく頑張ったねって褒めてあげたんだ。そうしたらあの子、泣きながら笑ってた。負けたのに、褒められたのは初めてだって」
「おにいちゃん…」
「バトルが始まる前から少し気にもなっててさ。全然、笑ってなかったんだ。まるで相手を倒す事しか考えていないような、そんな顔してた。ナギはいつもわくわくしながら落ち着きのないくらいそわそわしてるのにさ。だからついナギの事、全然考えてやれてなかったんだ。本当に、ごめんな」
「……やめて、もう謝らないで」
「ナギ…」
「わたし、そんな心配される程コドモじゃないし」
「は、はぁ……」
今の今まで抱えていた悩みなど、とっくの昔に何処かへ吹っ飛んでしまっていた。あんな事で悩んでいた自分がバカみたいだと思ってしまう程に。彼の優しさが他の誰かを救っていた事がとても嬉しく感じてそれを独り占めしようとしていた自分が情けなくて悔しいけれど、不思議と昨日よりもずっとずっと、彼の事が好きになっている自分が確かにここにいた。
「…やっぱり、おにいちゃんはおにいちゃんだよね!」
「だな」
「えっ、あ、おい。二人共、それどういう意味だよ」
「へへーんだ、秘密ですー。ねー、ニーチャン」
「そうそう、秘密秘密」
「ず、ずるいぞオマエら! ユウに言いつけてやる!」
気付いた時にはもう涙は止まっていた。けらけらと笑いながら頭をぐしぐしと荒々しく撫でてくる二人に、思わずポイズンボールを投げ付けてやると割と普通に怒られたのでとりあえずその場で反省だけはしておいた。
その後、おにいちゃんから連絡を受けたチビボーイが数十分後に慌ててアパートへと駆け込んできて、細い瞳から小さな雫を浮かべながら胸の中へと飛び込んできたので、一言謝ってはぎゅっと抱き締め返してあげる。おねえちゃんのばか、なんて珍しく怒っていたけれど、何故かそれがとても嬉しくて堪らなかった。
次の日、ニーチャンの狭いアパートのソファーでみんなで一夜を過ごした後、いつものように広場へ向かうと例の彼女がロビーの入口の前に立っていた。誰かからか事情を聞いていたのか必死に頭を下げては謝られてしまい、そんなものはもう、とっくの前から必要がなくなったので、慌てて首を振りながら彼女の腕をそっと掴んで小さく呟いた。
「お願い、謝らないで。わたしね、昨日はとても楽しかったの。それに、すごく嬉しかった」
「え?」
「また、一緒にナワバリ行こう。だってわたし達、もうオトモダチでしょ?」
そっと首を横に振りながら頭を上げさせて、にっこりと笑顔を掲げながらそう告げると、彼女はぱっと明るさを取り戻しながら嬉しそうに頷き、紙に包まれた何かを押し付けてはすぐさまカーボンローラーを背負いながら走ってはロビーの中へと姿を消してしまった。
予想もしていなかったその行動を不思議に思いながらも、その包み紙を開くと中には小さくメッセージが書かれていて、そっと目を通した直後に思わずくすくすと小さく笑ってしまったのだった。
「……あぁもう! シトン、待ってよー!」
羅列された文字の脇に描かれたイカパッチンの絵にそっと指先で触れ、四つ折りにしたそれをポケットの中に突っ込むと、馴染んだもみじシューターを握り締めながら、ベンチでうとうとと眠りこけているチビボーイの腕を取り、寝ぼけ眼のままの彼を引きずりながら軽い足取りで彼女の背中を追った。
(2016.06.07)
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