他と比べると事に及んでいる回数は少ないように思う。それは求める程愛情がないとか、それに対して気持ちが伴っていないとかそういう不穏な理由があっての事ではなく、お互い相手が隣りにいるだけで満足してしまう節があるという理由があるせいなのかも知れない。とは言え、生きている上で必ず生じる生理現象を抑えられなくなる時がない訳ではなく、好きな相手と二人きりになって手を触れられたり耳元で声を囁かれたりなんてされてしまえば、それはもう止まる事を知らない、まるで猪の突進のような欲が腹の底から沸々と生まれ出てきてしまうのは事実だ(猪なんて見た事ないけど)。
 そして何故、冷静にそんなこっ恥ずかしい事をひとり考え込んでいるのかというと、今まさに自分の体は仰向けに倒されいて、古い天井を背景に目の前で荒い息を零す彼が目をぎらぎらと震わせながら馬乗りになり襲い掛かってきたものだから、それを呆然と眺めていたのちの次第である。


***


 事の発端はほんの三十分前に遡る。いつもの通り、昨日いつもの三人と一日中ナワバリバトルに励んだ後、その次の日の今朝方に少々違和感のある異変が起きている事に気付いた。たまたま昨日言い忘れていた事を、寝惚け眼になりながらも連絡をしておこうと相方に電話を掛けたところ、何度チャレンジしても繋がらないものだからさすがに少しばかり焦った。寝ている時に掛けても絶対に出ない事は知っていたが、昨夜は早めに切り上げて家に帰ったはずだった上、普段の生活リズムを一寸たりとも崩す様子のない彼に限って今の時間まで寝ているとは到底考えられず、更に履歴が残っているにも関わらず折り返し電話が掛かって来ない事実に不安にならない訳がなかった。
 少し心配性がすぎるだろうか、と一瞬迷いが生じたものの、何もしないでいて後悔してしまうよりは遥かにマシだと思い早足に彼のアパートへと向かい、ポケットからクラゲキーホルダーの付いた合鍵を取り出し、一応一声掛けてから鍵を開けて、がちゃがちゃとドアノブを捻ったその先には意外な人物が彼の傍に立っていて。

「あっ」
「ん?」
「おっ、ちょ、なっ…し、失礼しましたっ」

 とりあえず一番に我が目を疑った。もしかして疲れているのだろうかと思い(何故だか早くに目が覚めてしまったので、普段よりも睡眠時間が足りなかったような気がしない事もない)、彼らの視界から静かに消えるようにそっと踏み出した足を巻き戻すように後ろへ運び、再び部屋の外へと出た所で大きく深呼吸をしてから、もう一度チャレンジだと意気込んで玄関に踏み入るも残念ながらその景色に変化は見られなかった。

「もしかして、疲れてんのかなぁ…」
「おいこら、勝手に帰るな」
「うおおっ、あ、にょっ! えっと、その、ごめんなさい!」
「ちょうど帰ろうと思ってたんだ。悪いが、後は頼む」
「はい?」

 明らかに自分より年上の、髪を一つに結んだボーイッシュなお姉さんは助かったと言わんばかりにぱっぱと荷物を纏めたかと思うと、まるで突風のようにあれよあれよと言うまま部屋から出て行ってしまった。唖然として口を開けたまま玄関で突っ立っていると、リビングの方から自分を呼ぶ声がしてぼうっとしていた意識がようやく覚醒し、恐る恐るソファーベッドに横になっていた彼の側へと寄った。

「…その、なんというか……ごめん?」
「訳も分からんくせに謝るな」
「いや、でも、なんか邪魔しちゃったのかと思って…」
「邪魔ってなんだ。意味が分からん」
「だからぁ、つまり、その…仲良さそうだったし。もしかして、なんて…」

 もじもじしながら勢いで言ってしまった自分に少しばかり後悔した。目を見開いてはあっけらかんとした様子でこちらを見遣る彼は、ようやく意図を掴んだのかその直後にくつくつと我慢するように微笑みを漏らしている。それが不思議で堪らなくて勘付く事の出来ない自分にほとほと呆れた。すると、これ以上何も出てこない事を察したのか、彼はぼそりと事の真相を零したのだった。

「…安心しろ。姉貴だ」
「あ、あね、アネキ?」
「俺の姉さんだよ。オマエの思ってるようなヤツじゃない」
「ほっ……ほほお、ほぉっ〜…!」

 危ない。思わず、きれいな人だなぁなんてあからさまな地雷を踏んでしまう所だった。しかし、一瞬見ただけでも自然とそんな感想が浮かび上がる程にとても美人なお姉さんだったのだ。言われてみれば、少し目がきつめなところや、ざっくばらんでさばさばとした男勝りでありそう(本人を目の前には絶対に言えないけれど)なところは彼に似ているような気もする。否、彼がお姉さんに似た可能性も少なからず有り得なくもないが。
 それはともあれ、突撃早々そんな肩透かしを食らったおかげで全く気付かなかったが、彼の状態は一目見ただけでもなかなかに酷いものだった。赤黒さが滲んだ包帯が身体中ひっきりなしに巻かれ、何処を見ても少々痛々しく出来れば長い間直視していたくはない。とは言え、それを放っておける程無神経な訳でもなく、そんな不安な感情が顔に出ていたのか、大丈夫だ、心配ないと彼から逆に声を掛けられてしまった。

「そうは言ってもなぁ…」
「オマエが看病してくれるんだろう? なら、大丈夫だ」
「いや、でも、ほら。やっぱり家族だから…オマエの事、一番よく分かってるだろうしさ。俺はやっぱり、あのままお姉さんに看てもらってた方が断然良かったと思うけど」
「…なんだ、嫉妬か?」
「う、うるさいな。そんな訳ないだろ」

 呆れた口調でそう零されてしまって思わず嘘をついたものの、本当の事を言ってしまえば、彼が仰る通り胸の奥ではもやついたものが湧いていて、怪我をした訳でもないのにずきずきとした痛みがただの呼吸さえも苦しくさせていた。
 理由なんて勿論分かっている。こんな嫉妬の仕方なんて子供でもなかなかしないのではないだろうか、と思う度に顔が熱くなるのを抑えられず、それでも気持ちはいつだって素直に芽生えてしまうのだからこれまた性質が悪い。

(なんでもかんでも一番になりたいなんて、我儘が過ぎるよな)

 彼が横になっている足元のちょっとしたソファーベッドの隙間に腰を下ろし小さく溜息を吐いては、不思議そうに無言でこちらの様子を伺っている視線がなんとなく気まずかった。
 すると、いつの間にか上体を起こしていた彼に後ろから肩を叩かれ、ゆっくりと振り向くと香ばしい良い匂いが鼻を掠めてゆく。

「おっ、美味そう」

 爪楊枝に刺されほかほかと湯気を漂わせながら目の前に登場したそれを、何の疑いを持たずにがぶりとかぶりつく。瞬間、じゅわりと口の中に広がった甘じょっぱいソースの海とその中で泳ぎ回る鰹節、そして軽くて柔らかいふわふわの生地に思わず感嘆の声が漏れていた。そして、最後には弾力のある身の厚いタコが食している者に至福の時を与えてくれる。そんな様子を見兼ねた彼が、小さく溜息を吐きながらプラスチックのパックをずいずいと押し付けてきたのだった。

「そんなに美味いならオマエが食え」
「えっ! えー…でもこれ、きっとお姉さんが…」
「俺はもう十分だ。あとは処分して構わん」
「そう言われましても…」
「…だったら、条件を付けてやる。それでいいか」
「は、はぁ。じゃあ、よく分かんないけどそれでいいです」

 まだ温かいそれを渋々受け取り、しかし朝飯を食べずに家を飛び出して来た為に腹はしっかり空いていたのか、タイミング良く情けない空気の抜けるような音が部屋の中に鳴り響いた。耳が熱くなるも食欲には勝てず、ただただ無言のままたこ焼きを頬張っていると、呆れたような溜息がすぐ側に落ち、むっと目を細めながら横目で見ると、野次を入れるように横腹へと指をさしてきた。

「いでっ。何だよ、やめろよ」
「…ほんとに良く食うな、オマエは」
「食べてくれーっていう飯の声が聞こえてくるんだよ、俺には」
「んな馬鹿な事ばっかり言ってると、またぶくぶく太るぞ」
「……そういうのは言わなくていいのっ」

 先程の小さな嫉妬でご機嫌の悪さに火を付けられたのか、ちょっとしたいつものからかいがなんだか癪に障る。一個くらい食べさせてあげてもいいかな、だなんて芽生えた遊び心でたこ焼きを分けてあげようかと思ったけれどすっかりその気も失せてしまった。
 彼の調子も見たところそこまで悪くないようで、見事にたこ焼きも完食してしまったせいか、緊張も解れたところで少し眠気を催してきた。さすがにソファベッドで一緒に寝る訳にもいかず、床に布団でも敷かせてもらおうかと立ち上がったその時。

「……へ?」

 突然腕を引っ張られ、ソファーベッドへと逆戻りした体はぎしりと沈み、いつの間にやら体勢が逆転していた事実に頭が追い付かず、されるがままに体中が包帯だらけの彼に伸し掛かられては動けなくなっていた。古い天井の中に彼の変わらない表情が映り、自分の顔の真横にはしっかりと柱のように腕が聳え立っている。

「あ、ん、うおぇ?」
「喋るならちゃんと喋れ」
「……あの、これは、一体」
「条件その一、ヤらせろ」
「……はぁー!? 何だよそれ! 大体、オマエ怪我して、」
「了承はしたはずだ。無理ならさっき食ったモンを今すぐ出せ」
「うわあ…なんかこの人、すごいえげつない事言ってる…」

 ぶつかる視線の先にある彼の瞳が冗談ではなく本気で言っているのだと訴えているのが分かった。怪我人の癖にどこからそんな体力が湧き出てくるのか不思議でならない。その上、自分からしたいだなんて言いだす事さえ珍しいというのに、一体彼の中の何がこうさせているのだろう。半ば窮地に陥られているこの状況でそんな呑気な事を考えていたその時、きゅう、っと可愛らしい抜けた音が上から落ちた。

「…何、今の」
「………いただきます」
「えっ…」

 腹が減っては戦は出来ぬ。そんな昔の言葉を頭の中で思い出しながら、ゆっくりと迫ってくるほんのりと漂う鉄の臭いと、埋もれた首元に感じるぴりりとした小さな痛みに早々と諦める他はなかった。


***


 彼が嫉妬をしていた。寄りにも寄って家族である姉に。考えるだけで、腹の底から沸々と熱い感情が噴き出てきそうになっているのが分かった。我ながら単純な思考を持っていると思う、主に彼に関しての事だけは。
 今朝、朦朧とした意識の中で目が覚めた直後に視界に入ったのは、紛う事なきたこ焼きのパックが入ったビニール袋を提げている実の姉だった。ガタガタだった体は一晩も経てば割と動くもので、熱いうちに入れておけと渡されたそれを無理矢理に詰め込まれたおかげで空いていた腹はあっという間に満たされていった。
 本当は今日も二人でバトルに出かけるはずだったのに、と即座に頭に浮かんだのはガチホワイトを着た彼の姿だった。そういえば、昨夜に起きた事を何の連絡もいれていない。もしかしたら心配しているだろうか。そう思い、携帯電話に手を掛けたその時、嵐のように部屋へ駆けこんで来たのはその人そのものだった。

(死ぬ程嬉しかったんだが、普通に)

 本人の目の前では口に出してなど絶対に言えないけれど。

「…っん、うぅうっ…」

 じりじりと体がそこの方から熱くなっていく。怪我による炎症で発熱しているせいもあるかも知れないが、今だけは絶対に違うところから湧いてきているのは勿論知っている。目の前でうつ伏せになっている恋人はこちらの要求に渋々了承したものの、脇から覗いて見えた、いつの間にか蕩けるような甘い表情が浮き彫りになって思わずつられて口角を上げた。
 枕に顔を埋めている彼の背中を覆うように両腕で包み、片方の手をするりと下半身へと滑り込ませ、ぐりぐりと亀頭を親指の腹で押し潰すように押し込む度に体は小刻みに震え上がる。小さく声が漏れるにつれて自分のものまでむくむくと熱と共に膨れ上がっていくのを感じた。

「……何だ、呆けてた割にはノリノリだな…」
「っ、るさい、な、もっ! 昼間っから、盛ってんのはそっ、ち…! う、あぁあっ」

 もう片方の空いた手で閉まった後孔にゆっくりと人差し指を挿し込んでいく。少しずつ奥へと詰めるにつれて、雰囲気をぶち壊すような呻き声が下から聞こえてきたものだから思わずため息が漏れた。
 彼のイイところは前々から熟知している。ある程度解れた頃に一本、また一本と指を増やしながら、奥に潜む弱点を撫でるようにびちゃびちゃと撥ねる音と共に突き上げると、普段では絶対に有り得ない程の高い嬌声が微かに耳へと入った。

「そ、こ、だめ、だってっ…! あっ、んぅ!」

 腰を捻じらせて抵抗しようとする体をしっかりと抑え付けてはずぽずぽと滑るような音を出しながら指を抜き差しする。勿論その間も前を弄るのは忘れない。逃げられないよう彼の背と自分の腹を密着する程に体を寄せれば汗ばんだぬくもりがじんわりと広がっていった。

「…ここ、か?」
「っ……ん、ば、ばかっ…そこ嫌、だ…って、何!? 何か今垂れた!」
「悪い、背中に血付いた」
「うわっ! んもおおおおっ、早く拭いて!」
「めんどくさいから後でな」

 額に巻いた赤黒い包帯からぽたりと一滴、赤い血が落ちて撥ねた。
 我ながら耐性がないとはこの事である。表情にはあまり出さずとも心の中では余裕など一欠けらもなく、今もまた彼の中へ自身を挿れたくて仕方がないのか焦る体がびりびりと疼いてくる。腕の痛みを無視して床に転がっているローションを捕まえては蓋を投げ捨て人差し指の頭で乱暴に掬い上げる。ひんやりとしたそれを前触れもなく彼の後孔へ突っ込むと、これまた酷い、うぎゃあという呻き声が真下から飛びだしてきた。

「ばっかやろ…! オマエ、ほんとに大丈、夫…」
「条件その二、ゴムはない」
「は…? え…っ、あ…う、あぁあっ!」

 もう、止まる事は出来ない。まだ狭い穴の中にゆっくりと自分の大きくなったそれを押し入れては戻り、痛みを感じないよう腰を前後し慎重に繰り返していく。ぐちゅぐちゅと音を立てローションと共に擦れ合う度、彼が握り締めている枕に皺が深く刻まれていった。

「あっ、うあぁあっ…無理、むりむり…」
「っ、ぅ…俺も、これ以上、待てない」
「ひぁ…ちょ、待っ……ひ、あぁ…や、ぁあんっ!」

 心のどこかに物足りない何かがあるのは知っていた。彼の贅肉の乗った揉み下し甲斐のある尻を見下ろしながらこのまま果ててしまうのも悪くはないが、今日ばかりは気分的に良い訳でもない。

(顔が、見たい)

 率直にそう思い、挿れたまま左肩を掴んでは回すように引っ張り上げて仰向けになるよう無理矢理に体制を変えると、想像もしていなかった擦れる強い刺激に耐えられず互いに変な声が上がった。体が震える。ぞくぞくする程の熱さがただでさえ遠くなりつつ意識に靄をかけてゆく。
 胸元に膝がつくくらいに両足を押し上げ、目と鼻の先には焦点が少しばかりぶれている瞳とふんわりと赤く染まった頬、そして柔らかく美味そうな唇が乗り、思わず貪るようにその御馳走へと噛み付いた。

「ふっ、ん、うぅうっ…あ、や、らぁ」

 呼吸を乱したまま口付けを交わしながら、再び下半身を前後に動かしていく。どれだけ食い尽くしても食い尽くしても、減った腹はいつまでも満たされないままで、ようやく距離が開いた口元からだらりと血の混じったどちらのものかも分からない唾液が零れるように首へと垂れた。彼の目元には微かに雫が浮かんで意識も朦朧としているようで、それが急に罪悪感を生み出し指先でそっとその一粒を掬っては優しく頭を撫で、今にも解き放たれようとしている熱を感じてはぼそりと静かに呟いた。

「出すぞ…いいな」
「っ…、は、ぁっ………だ…もっと、こっち…っ」
「あぁ? …そうだな、分かった」

 ゆっくりと震えた腕を首に回し、コマ送りのように少しずつ少しずつ彼の艷やかな甘い表情との距離が縮んでいく。行為とは裏腹に優しさに満ちた仄かに温かみのある深い口付けを交わしたその時、底から湧き出す熱いものが双方で果てては尽きた。


***


「…ところで」
「何だ」
「結局、その大層な怪我は一体どこでしてきたんだ」

 結局のところ、なんだかんだだらしのない欲望に素直に従って数時間が経過した夕方の頃。そういえば、ここへ来てから一つも問い質していなかった重要な件に関して今更になって思い出した。シャワーを浴びた体をバスタオルで拭きながらぽろりと零すと、彼は不思議そうな顔で小さく息を吐いてはその問いの返答を面倒くさそうに話したのだった。

「なんだ、そんなに気になるのか」
「当たり前だろうが。きっちり説明してもらうぞ」
「…まぁ、その。ただの事故だ、事故」
「事故ぉ? ケンカじゃないのか、それ」
「いや、普通にスクーターに轢かれただけ」
「はぁ!?」

 落ちていたTシャツを着直して、救急箱から新しい包帯を取り出した瞬間、あまりにも想像していた原因と異なったものが彼の口からぼろぼろと零れ落ちてきたものだから、古いアパートが爆破して飛散してしまうのではなかろうかというくらいに変な声を上げざるを得なかった。二輪車に轢かれたにしては不自然な怪我だと思う。顔や体、腕までも殴られたような痣が残り、どう考えても喧嘩をして受けたような怪我だというのにスクーターに轢かれたとはどういう事なのか。
 謎が残る説明に対し思い悩むように一人考え込んでいると、一体何が面白かったのかくつくつと静かに笑いながら彼はそれを解明する説明を楽しげに告げてくれた。

「嘘じゃないぞ。まぁ、どちらかというとぶつかった、だが」
「でも、それにしたって」
「…昨日、オマエと別れた後、裏の細い路地の十字路でお互いばったり会っちまってな。ぎりぎり向こうが早く気付いてブレーキをかけたまでは良かったんだが、乗ってた当の本人がその勢いで身だけこっちに飛び出してきやがったもんだから、そっちの方が大変だった」
「と、飛び…え?」
「で、俺を覆い被さるように落ちてきたオッサンと俺はもみくしゃになりながらごろごろと地面を転がって、そのまま工事現場の側に積み重なった鉄の棒の山に仲良く突っ込んだって訳だ」
「つ、突っ込んだ、って……」
「一応知り合いだったし、普段から世話になってる人だったからな。別に慰謝料取ろうとかは思わんが、強いて言えば、向こうだけ無傷だってのは正直なところ腹が立った」

 ソファーベッドに腰を掛けた彼の背後に回り、古くなった包帯を外して手渡された塗り薬を付けながら、淡々と語られる事実に耳を傾けると怠い体が余計重みを増していく気がした。不運体質というか、有り得ないというか、自分がテーブルで一人カップ麺を啜っている間にそんな事が起きていたとは思いもよらず。本人にしてみれば既に笑い話で済んでいるようだったが、こちらとしてはなかなかそんな軽い気持ちでやり過ごす事は出来そうにない。

「はぁ…全く、オマエはほんとに…」
「あ?」
「この、アホタレ!」
「ぐっ!? この、オマエ何しやが…」

 勢いで背中を引っ叩いた手の平がびりびりと痺れている。新しく包帯を巻いたとは言え、怪我をしている部分だったので怒られるのは承知の上だった。それでも、一発叩いておかなければ気は済まず、それ程に怒りを感じ、並存するように悔しさと寂しさ、そして相反した安心感がぐちゃぐちゃに混ざり合い押し付ける矛先さえ見失ってしまっていた。

「こっちの気持ちも知らない癖にへらへらしやがって…!」

 きつい目つきを掲げながら振り向いた彼の目の前で、情けなくも今更恐怖で一杯になった胸が悲鳴を上げ、みるみるうちに膨れだした涙がぽろぽろと頬を伝っては床へ落ちていく。恥ずかしさで今沸騰している感情を抑えつける余裕さえもなかった。

「今すぐ謝れ! このおたんちん!」
「……………すまん」
「よし、許す!」

 手の甲で無理矢理に目を擦りながらそう叫ぶと、あっけらかんとした彼の呆けた顔が目に映り、それがまた笑いを誘ってつい(勿論数秒は我慢する事が出来たけれどやはり耐え切れず)、ぷっと空気を漏らしては込み上げるそれに声を上げてしまった。

「……怒ったり泣いたり笑ったり、忙しいヤツだな」
「あーごめんごめん、なんか今の顔面白くてつい」
「…で、実際のところ本当に今ので許して頂けるんでしょうか。随分とご立腹のようだが」

 きちんと謝って頂いたところで多少わだかまりが溶けていったというものの、やはりそれだけでは納得できない部分もある。怪我をする事が多い彼には、今後の事も踏まえて反省してもらわなければ心配が募りすぎて此方がストレスで死んでしまいそうだった。ただでさえとばっちりを受けやすい性質を持っているのに、そればかりは勘弁願いたい。
 ううむと顎に拳を当てながら考えていると、我ながらなかなかにいいアイディアがふと頭の中に浮かんでしまった。堪らずにやにやとした顔が無意識にも浮き彫りになる。

「よし…じゃあ、その怪我が治ったらメシを奢ってもらう事にする!」
「何でそうなる」
「そんなの当たり前だろ! 心配させた罪とバトル行けなかった罪となんか知んないけどゴムなしでされた罪と勝手に怪我して面倒見させられた罪だ! 大罪だ! 覚悟しとけ!」
「……外食は高くつくから作る。何食いたいか考えとけ」
「え、ほんと!? それじゃあ、えぇと…ハンバーグとミートソースパスタと焼きそばとカレーとラーメンと天ぷらと鶏の唐揚げと杏仁豆腐と……」
「おい、一食でどんだけ食う気だ」

 深い溜息を吐きながら再びソファーベッドに横になる彼を他所に、自分はというと恋人の美味しいお手製ご飯を食べられるその日を夢見ながら思いを馳せては、高らかに狭い部屋の中で勝利の雄叫びを上げたのだった。
 その後日、調子に乗ってテーブルいっぱいの料理を平らげたおかげで見事腹を下し、逆に面倒を見られる側に陥ってしまう悪夢を味わう羽目になる事を知らずに。


(2016.07.08)


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