「ロイさん、こっちです」
「お、いたいた」
大会の参加者ならば自由に使用する事が出来るキッチンは一般の家庭にあるキッチンと比べると遥かに広く機能的にも大変充実している。 野菜や肉、調味料など料理の材料となるものは注文書を発行すれば余程のことがない限りはマスターを通じてすぐに入荷する事が出来る(なお、入荷ルートは不明)。 ただし、内装そのものは仕様として全て大人向けの作りとなっている為、子供が利用するには踏み台が必須である。 ガス代の前に置いた踏み台に乗り、鍋の様子を見ていたリュカは同じく鍋を眺めているロイを改めてまじまじと見渡した。
「…ん? 俺の顔になんかついてる?」
「あ、いや、そうじゃなくて、その…ネスさんと、仲良しなんだなって思って」
「あぁ、あいつね。前々回くらいの大会で一緒だったんだけどさ、ちびっ子達の遊び相手によくされてたから必然的に」
「いいなぁ、僕も一緒に遊びたかったな」
「なあに、これからいくらでも時間はあるさ。あ、だけど試合の事も忘れるなよ。俺達は大乱闘しにここへ来てるんだから」
「あはは、それもそうですね。盲点でした」
ぐつぐつと鍋が沸騰する音と仄かな優しい塩の香りが二人の周りにふわふわと漂っていく。 ロイは側に置いてあった簡易椅子を引っ張ってリュカの隣りに座った。先程とは反対に、おたまでおかゆをかき混ぜるリュカを横で静かに眺めている。
「…リュカはしっかりしてるなぁ」
「そんな事ないですよ。次は参加できないかも知れないって、前回の大会の時にマスターから言われて僕、すごくショックで、 でも最後くらい笑顔でお別れしなきゃって強がってました。恥ずかしい話なんですけど、家に帰った後これでもかってくらい泣いてしまって、 お父さんや友達にもすごく心配かけちゃって」
「あぁ…そうか。そうだよな、俺も、一緒だ」
頬に含羞の色を浮かべながら困ったように笑うリュカの心情は、同じ寂しさを味わったロイ自身も酷く理解する事の出来る感情だった。
「あの時のようにまた、ネスさんや他のみんなと一緒に毎日遊んだり乱闘したりご飯食べたりお昼寝したり、 ええと、あとはその…楽しい事たくさんできるのが本当に嬉しくて。新しい友達も増えるかなって考えただけで、すごくわくわくして昨日は全然眠れませんでした」
「ははは、そうだな。いっぱいやる事できちまったじゃないか。こりゃあ忙しい毎日になるぞ」
「その時はロイさんも是非手伝ってくださいね」
「あ、言ったな!」
二人がそんな居心地のいい陽だまりのようなオーラを漂わせながら会話を交わしているとと、廊下の方からどたばたと足音が次第に近付いている事に気付いた。 二人がなんだなんだと顔を見合わせていると、勢い良く扉を開けて駆け込んで来たのはリンクだった。
「どうしたんだよ、そんなに慌てて」
「ふ、ふた、二人とも、はぁっはぁつ、早く、ネス、なんとかしてっ」
「ネスが何だって?」
「あば、暴れてる、すごく! 何かわかんねーけど、お前ら二人がどうちゃらこうちゃらって泣きながら、あぁもう、ほら来た! 追っかけて来た! こわい、助けて!」
ガスの火を止めてこっそりと二人で廊下の奥を見やると何やら小さい影が何かを引きずり回しながらキッチンへと猛ダッシュして来ているのが分かった。 地面を揺るがすような走りは周りに砂埃を巻き上げ、廊下の窓が恐怖するかのようにがたざたと震えている。
「おい、リンク。そこにいると轢かれるぞ」
「あわわわわわ」
「ネスさん、もしかして元気になっちゃったのかな」
「いや、それはないんじゃないか。さすがに」
ついに彼が侵入を果たしたその時、強い突風が辺りに舞う。 テーブルクロスが波を打つようにざわめきゆらゆらと羽ばたく姿はまるでかの有名なヴィーナスの流れる金髪のようでとても美しい(というのはさすがに語弊である)。 まるで馬車馬のように扉を突き破る勢いで飛び込んできたネスの顔は真っ赤に熟れている。 無謀にも体一つで暴走を止めようとしたのか、ネスの体にはマルスの両腕が巻き付いており、しかし意識は遠いどこかに飛んでいってしまっているようだった。
「リュ、リュカー! よか、よかった、ロイもっ、うええっ…やばい吐く」
「お、おち、おお落ち着いてください! 何があったんですか、一体」
横たわる王子の屍を余所にリュカは俯いたまま動かないネスの背中を優しく擦る。 ロイはとりあえずガスを止めて、魂が抜けかけているリンクに水を注いだコップを手渡してあげた。
「め、目覚めたら、誰もいなくて、もしかして、夢だったんじゃないかって、また、ひとりぼっちなのかと、思って、寂しくて、てか誰も来ねえし」
「あぁ、不安にさせちゃったんですね。大丈夫です、僕たちおかゆ作ってただけなんで」
「ナイスタイミングじゃないか。美味そうだぞ、食うか」
「そりゃ食べますよおおお、くっそおお」
鼻水を垂らしながらパジャマの格好でダイニングテーブルの椅子を引いて飛び乗った。 どせいさん型の鍋敷きの上にあつあつの鍋を置いてロイはタオルを掛けその蓋を開けると閉じ込められていた湯気がネスの視界を白く染めた。 感嘆の声が溢れる。塩の香りがふわふわと漂い胃が空っぽだったネスの瞳がきらきらと夜空の星のように輝きに満ちた。
「いっ、いただきます!」
「はい、どうぞ」
本当に病人なのだろうかと周囲の人間に思わせるくらいの食欲旺盛っぷりを見せつけているネスから少し離れた床で、 うめき声を上げながら意識を覚醒させたマルスはようやく上体を起こす事に成功し、その様子に心配になったロイがその隣りに胡坐を掻いて座った。
「おい、大丈夫か」
「ああ、うん…なんとか」
「お前も意外とタフだよなぁ」
「これぐらいの事でへばってたら王子なんて務まらないよ」
「ははは、そりゃそうだ」
壁に背を預け、へなへなと腰を落として首を鳴らすマルスにロイは力なく笑う。 騒がしさのやまない部屋の中で視線を合わさないまま、マルスは静かに力ない声で言った。
「…ロイは、いいな」
「何だよ、突然」
「彼と一緒にいる時間は僕の方が長いはずなのに、君は僕よりも彼に思われているじゃないか」
天井を見上げ、喉を流れて落ちる汗が外から射す光を反射してきらりと輝いた。
「ごめん、僕、ちょっと卑屈すぎた」
「いや、その。あのさぁ…怒らないで欲しいんだけど、お前…本当馬鹿だな」
「ちょ! ちょっと、そこまで言わなくてもいいだろう!」
「怒らないでくれって言ったじゃんか!」
「それは君の勝手な解釈だ。で、僕のどこがどうして馬鹿だって?」
先程までに元気の無さは一体何だったのか、食ってかかるように詰め寄るマルスにロイは両手で制止しつつ慌ててその問いに答えた。
「だから! その…ったく、お前、勘違いも甚だしいんだよ。変なところ鈍感っていうか」
「もっと分かりやすく説明してくれないか」
「…マルス大好き…」
「うわ…冗談でも勘弁してくれ、寒気がする」
「アホ!俺じゃねえよ!あいつが、さっき部屋で寝てる時、寝ぼけてそう言ってたの」
傍にいてよ、うざいけど。ロイがそう、似ていない声真似をしながら続けると、信じられないとでも言うようにマルスは首を横に振った。
「ほ、本当に…?」
「こんなんで嘘ついてどうすんだ」
「それにしても、うざいは余計じゃないか…」
「あいつ、普段から素直じゃないだろ。仕方ないさ」
苦笑するロイにマルスは嬉しさが半分、しかし残りの半分はやはり悔しさが占めていて大きな溜息が漏れた。 マルスはいつも夜ネスが夢の中へ旅立ったのを確認してから必ず寝るようにしていたのに、そんな寝言を聞いた事は一度たりともなかった。
「いやよいやよも好きのうちって、よく言うだろ?」
「まぁ…」
「でも、俺だって別に譲った訳じゃないんだからな」
「は?」
「こうしてまたチャンスが生まれたんだ。諦めるつもりはないって事」
「は……はぁ!? ロイ、君まさか」
「まさかもまさか、本気の本気。今に見てろ。いつか必ず俺があいつの一番になってやるよ」
にやりと口角を上げて地を蹴るようにその場に立ち上がると、ロイはお粥を食べているネスの傍へと駆け寄っていった。 その背中を呆然と見送るしかできないマルスは、間を置いて沸々と体の奥が熱くなっていくのを感じてようやく事態を把握する事が出来たのだった。
「ぐっ…僕に喧嘩を売った事、後悔させてやるぞ!」
「全く、騒がしいやつらだなぁ」
「リンクにだけは言われたくない!」
「何で!?」
***
「失礼します」
「…リュカか」
ちょっとした事件が起きた日の夜、選手の皆が開いてくれた簡単な歓迎会を終えたリュカはアイクの部屋へこっそりと遊びに来ていた。 同室のマルスは今夜この部屋には戻らないと聞いていたので、リュカは思い切ってネスの看病を全てマルスにお願いする事にし、 未だろくに話が出来ていなかったアイクに会いに行こうと決めていた。
「隣り、いいですか」
「構わない」
ベッドに腰掛けていたアイクの隣りによじ登り、ぴたりと体を寄せて懐かしい匂いと体温を感じてリュカはそっと目を閉じた。
「……あの、お久し、ぶりです」
「…あぁ」
「遅くなって、ごめんなさい」
「仕方ないだろう、こればかりは」
「はい。でも、ほんとは、もっと早くあなたに会いたかった」
真っ白なシーツを無意識に掴み深い皺を作る。下を向いたまま視線を動かさないリュカのその手を優しく、アイクは包み込むように上から握り締めた。
「珍しく、我儘だな」
「…我儘な僕は嫌いですか?」
「いや…その方がいい。子供は素直が一番だ」
「それじゃ、もうひとつだけ、我儘言ってもいいですか?」
声を震わせてようやくゆっくりと見上げたリュカの瞳には僅かに雫が浮かんでいた。アイクの体が強張る。 掴んでいた手に力が増して、暴れる心臓の速い鼓動ががんがんと響いてうるさかった。 表情には出ないものの、頭の中は真っ白に塗れていてまるでこの部屋の中の時間だけが止まっているようにも感じた。
「今夜だけ、ずっと、一緒にいてください。お願いします」
我儘と言いつつも、遠慮しがちにそう零したリュカに、アイクは衝動的に腕を掴んでその小さな体を胸の中に収めた。 うわ、と呻き声が中から聞こえる。苦しくならない程度に腕に力を入れて抱き締めたアイクはリュカの柔らかい金髪に顔を埋めながら大きく息を吐いた。
「…会いたいと思っていたのは、お前だけじゃない」
「あの、アイクさ…」
「この日が来るのを、どれだけ、俺が待ち侘びていたと思う」
お互いに顔が熱くなっていくのが分かった。 アイクの優しい手つきも匂いも温かさも掛けてくれる言葉さえも、何もかもが嬉しくてリュカはその身を全て託してそっと目を閉じる。
「離せと言っても、もう離さん」
「あはは、アイクさんの方がよっぽど我儘です」
「…何とでも言え。夜も遅い、俺はもう寝る」
呆れたようにぼやいたアイクは、部屋の中央に垂れ下がるプルスイッチに腕を伸ばして二度引いた。 一瞬で日が落ちたかのように、常夜灯だけで淡く照らされた薄暗い部屋の中で二人はそのまま倒れ込むようにベッドへ横たわる。
「もっとお話ししたかったな」
「あんまり夜更かしすると、あいつみたいに阿呆な風邪引くぞ。それに…」
もう、急ぐ必要は何もない。これからは毎日一緒だ。 そう耳元で呟くと、リュカの額に触れる程度の口付けを落としてアイクは静かに瞼を閉じていく。 しかし、じんわりとあたたかみを感じるその額から顔全体に熱さが募っていったリュカには一向に眠気が襲ってこないままだった。
(2015.06.22)
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