常に視界に映っていたのは人ではなく見渡す限りの風景だけだった。広場をうろつくインクリングに対して気を留めたり、不意に掛けられた声に応えるでもなく、ただただ自身よりも上に立つ強い者だけを睨み付けるよう見上げては足元にも及ばない存在を蹴落としながら一人高みを目指していた、そう数ヶ月前までははっきりとそう言って退けていられたはずだった。
 即席で集めて作ったチームも今となっては自身を理解して共に戦ってくれる大事な仲間となり、そんな彼らとの信頼とその上での連携こそがチームバトルにおいて最大の強さである、と奇しくも教えてくれたのは他でもないブルーチーム一のアホ、ゴーグルである。
 そんな彼と友人以上の関係になったのは至極最近の事で、しかし自身の中で彼が特別な存在であると自覚をするまで出会ってからそう時間は掛からなかった。同性でウデマエも低く、ましてやどう考えても恋愛対象としてみる事など出来ない、それ以前に恋人という存在さえ不要だと考えていた今までの自分と比べ、あまりに異端すぎる感情をこうも簡単に受け入れる事が出来たという現状に一番驚いているのは勿論自分自身である。

「…チッ」

 そんな経緯もあってか、それからというものの自身の中で新たに生まれてしまったある感情に戸惑いを隠せないでいた。
 ハイカラスクエアのロビー入口側にある喫茶店、店内がよく見える大きな窓を横切ってその更に奥に佇む出入り禁止の鉄筋で出来た扉。その真下にある三段ほどのコンクリートの階段に腰を下ろしながら、視線の先で相も変わらず複数のボーイやガールに囲まれている中でも際立って目立つ彼へそっと見遣る。
 ブルーチームのゴーグルは一見ただのアホそうな子供に見えるも、実際に接してみればすぐに分かる程の人々を引き寄せる魅力が確かにある。それは自分も例外ではなく、あのS4さえも彼にバトルの本当の楽しさを知らされて、今では良き友人であり良きライバルと認めている節があり、ウデマエなど最早関係なく互いにぶつかり合っている様子は見ているだけでも滾る熱さを感じた。
 それ故に自身が抱く厄介な感情が胸の奥をちくちくと突き刺すように軋み、しかしそれを認めたくないが為にただ一人、距離を置いては冷静さを取り戻そうと腕を組み視界を黒く潰したのだった。

(こんなくだらねぇ嫉妬程、見苦しいもんはねぇ)

 考えれば考える程に過ぎてゆく時間が酷く無駄に感じて、それならばいっその事一人でガチマッチにでも潜り、彼に関する事柄を頭の中から全て取っ払い集中してバトルに励んだ方が、余程有意義な時間の使い方だと心底思う。善は急げと言わんばかりに早速重い腰を上げ、こちらの存在に気付かれないようロビーへと一人そっと足を運んだ。

「…これが終わったら、そろそろコイツのメンテも行かねぇとな」

 肩に担いだ相棒であるダイナモローラーテスラに刻まれた無数の細かい傷、そして手のひらに未だ残る硬い肉刺の跡。気にした事など今までなかったものの、ふと広げればその姿を現す密かな勲章に思わず苦笑を零した。
 ダイナモローラ―はある程度自身のランクを上げた上でようやく握る事の許される上級者向けのブキであり、今まで使用してきたものとは違うその重量さのギャップに扱いにくいと感じてしまうせいか、その手に馴染むまで鍛錬を重ねる前に手放してしまう者も少なくはない。しかし、それ故に変な意地もあってか、自分ならば絶対に使いこなす事が出来ると自負し、文字通りハイカラシティで少しは名の知れた存在になった程には一振りで大量に飛び散るインクの飛沫とスペシャルウェポンのトルネードで相手を網羅してきたつもりだった。あとはS4と呼ばれる凄腕の猛者達を追い抜くだけ、そう思っていたのに、自分にとって色々な意味で勝てそうにない存在が今になって現れるとは考えてもみなかった。

「…結局、視界から消してもこのザマかよ」

 バトルに参加する前に必要な手続きを済ませるロビー内受付カウンターの前にいくつか並ぶ長椅子に腰を掛け、腕を組みながら名前を呼ばれるのを待っている最中に少し考えごとをしても結局行きつく先はゴーグルの事で、我ながら他に考える事はないのかと思わず苦笑を漏らしてしまう。
 すると、次に始めるガチマッチのメンバーにようやく組み込まれたのか、案内板であるモニターに自身の名前と他の参加者達が記されたリストが公開され、ようやくお呼ばれしてもらえたらしいと溜息を吐きながらその場に立ち上がり、すぐ横に立て掛けておいたダイナモローラ―テスラを持ち上げたその直後。

「…あの。もしかして、同じチーム?」
「あぁ?」
「えっと、その、ボク弱いので…足手まといになったら、ごめんなさい。でも、えと、頑張るので。よろしくお願いしますっ」

 どうやら今回チームを組まされるらしい、恐らくゴーグルと同じくらいの年のボーイがもじもじと照れ臭そうに頬を染めながら目の前で右手を差し伸べているのを眺め、やれやれと仕方なしにこちらも手を握り返してはその一回り小さい手のひらに指を絡めた。どうやらまだバトルを始めて間もないようで、そんな彼が自分と同じ戦場に立つ事になったのは、恐らくタッグを組んでいるパートナーのウデマエがS+である故のマッチングになってしまったようで。

(子守りを押し付ける気か、アイツは…)

 ハイカラスクエア内でもある程度知名度はあるらしく、ライダーさんが同じチームなら安心です、などと抜かしてくる彼のパートナーらしきボーイの言葉にせっかくの気分転換の為に参加したガチマッチが面倒な事になる予感がして自然と肩を落としては溜息を吐く。こんな事なら素直に家に帰って寝ていれば良かった、と早速後悔をしていたところ、どこからか聞き慣れた声を耳にして、そっと後ろを振り向いた瞬間、心臓が飛び出そうな程に強い衝撃が突然腰元へと訪れたのだった。

「おーい、ライダー!」
「う、おぉっ!? バカ、この…ッ、痛ってぇだろが! さっさとどけ!」

 今回は珍しくズボンを下げられる事なく(毎度下げてこられても困る)、蝉のように両腕を回して抱き付くと、そのままがっしりと足までに掛けて拘束してくる上にしがみ付くものだから面倒な事この上ない。
 なんとか首だけを回して後ろの様子を窺うも、絶対に離すつもりはないとでも言いたいのか、背中にぐりぐりと顔を埋めては解放してもらえる様子はどうやら微塵もないようだった。

「おい」
「んー」
「オレは今からガチマッチすんだよ。邪魔すんな」
「ダメ」
「おら、どっか行け。シッシ」
「いーやーだっ」
「…はぁ。ったく、お前ってヤツはほんとに…」

 顔を上げないままにそう静かに呟く彼の様子に反論する気力もなく、そのまま受付のカウンターまでずるずるとゴーグルの体を引き摺りながら致し方なくガチマッチ不参加の申し出を行った。開始直前だった為、ウデマエゲージが負けた時と同様に下がってしまうと忠告をされるも、面倒事が避けられるのであれば安いもんだと即刻了承し、先程出会ったばかりのボーイには悪いとは思ったものの、用事が出来たからまた今度な、と一言だけ告げ、床に転がったダイナモローラーテスラを再び肩に担いではロビーの外へと出たのだった。
 そのままゴーグルが腰に巻き付いた状態でハイカラスクエアの広場まで歩き、周囲の視線(同情の念が込められているようにも感じる)をも気にせずとりあえず人目のつかない場所まで移動しようと路地裏の細い入口へ踏み入れたその時、背後でぼそりと呟かれた彼らしくない弱々しい声を耳にして思わずその足を止めた。

「…ごめんな、ライダー」
「何の事だよ」
「だからー、さっきの」
「…別にお前の為に棄権した訳じゃねぇよ。単に乗り気じゃなくなった、それだけだ」
「はぁー…オレ今そういうのいらない…」
「そう簡単に人の優しさを踏みにじるのはやめろッ」

 そっと見渡せば細い路地には人っ子一人おらず、脇道にはくすむ青色のペールが幾つか並び、無造作に重ねられた段ボールや一斗缶、汚れたビールケースが転がっており光も入りにくいその空気はどんよりと重く暗い。しかし、それでも一人になりたい時や静かなところで過ごしたい時には不思議と居心地の良い場所でもある。
 汚れて元の色が何だったのかさえもう分からない瓦礫の平らな面に腰を下ろし、その右隣に何を言わずとも肩を並べて座ったゴーグルの表情は稀に見ない程に影を落としている。といえど、そういえば数十分前の自分も見様によっては同じ状態だった事に気付いてすぐさま吐き出しそうになった言葉を飲み込んだ。

「…で、オレに何か用かよ。緊急だったんだろ、その様子だと」
「まぁ…キンキュウ? かなぁ」
「何だよそれ、どうでもいい事だったらはっ倒すぞ」

 頭上に纏められた青色の二本の髪をゆらゆらと左右に揺らしながら、まるで自分でも分かっていないかのように疑問符を浮かべるゴーグルを見てこれは解放してもらえそうにないとすぐさま察し、何故だか腹が空いたからと持参の梅干しを食べ始めた彼(一本どうかと勧められたが丁重にお断りさせて頂いた)の腕を掴み、それでも食べるのをやめようとしない貪欲さに肩を落としてはその奥、さらに闇の中へと足を運んだのだった。


***


 一体どこへ連れていかれるのだろう。
心の中で密かに期待と不安を膨らませながらライダーと共に歩いた道の先には、意外にも見慣れたいつもの石畳で出来た小道へと抜けて、オレが知ってる中でも最短ルートの近道だ、と言いながら見上げたその先には彼が普段暮らしている少し古めのアパートが目の前に佇んでいた。まさか今日彼の部屋へ遊びに行けるとは微塵も思っておらず、我慢出来ずに先を走り出し振り向いた視界の中で行くなら行けと顎を上げて指示するものだから、心を躍らせ颯爽と我先にアパートまでの坂道を一気に走っては登り抜いてしまった。
 既に何度も通った部屋へと繋ぐ階段の道のり、階が高くなるにつれ広がる美しい景色と雲一つない青空、若いインクリングがこぞって集うハイカラスクエアの広場とは打って変わり、澄んだ空気と静かで落ち着いた集合住宅街の雰囲気に笑みを零す。いつの間にやら覚えてしまったライダーの住む部屋番号、そして鉄で出来た玄関ドアを団子キーホルダーの付いた鍵で解錠をした直後、瞬く間に部屋の中へと飛び込めば背後からいつもの怒声を浴びて思わずけらけらと笑った。

「その辺にでも座ってろ。何か飲みたいのあるか」
「昆布茶ある?」
「ンな渋いもんはねぇ。麦茶で我慢しろ」
「はーい」

 一人暮らしにはちょうどいい小さなテーブルとその脇、壁際にくっ付くように置かれたシンプルなベッド、家具以外に置かれている物は非常に少なく、日常生活に置いて必要最低限かもしくはそれよりも物足りないようにも感じて、しかしそれがライダーらしいと言われれば不思議としっくりくるような気もした。
 脚高のパイプベッドに腰掛け、ぷらぷらと両足を揺らしながら大人しく待っていると、濡れたままの透明なコップに入れられた麦茶が脇からにゅっと差し出され、ふにゅりと頬に押し付けながら、ん、と一言零した彼にありがとうと返しては、ちょうど喉が渇いていたせいもあってか一気にそれを飲み干してしまった。そして、ぴっとりと隙間なく隣りに座ったライダーは、ちらりと視線だけを横に流して一口だけ含んだ麦茶のコップをテーブルへゆっくりと滑らせる。

「…で。結局、緊急の用事ってなんだよ」
「え?」
「さっきの話の続き」
「んー…じゃあクイズ! 当ててみてよ、ライダー」
「はァ!?」

 想像していなかった返答だったのか、声を荒げて驚く彼にしてやったりと心の中でにししと笑みを零す。しかしそうは言っても特にからかうつもりで言った訳ではなく、単に自分から言い出す事が今更照れ臭くなってしまっただけで、まさかこうして二人きりの時間が出来るとは思っていなかったものだから、余計に気恥ずかしくなってしまったのだ。
 それもそのはず、キンキュウの用事があると言いつつも、先程数十分前のハイカラスクエアロビー内、バトルが始まる時間まで待機をしていたライダーが見知らぬボーイと親し気に話しているのを見かけた際、胸の奥がずきずきと痛んではその苛立ちと焦燥感で思わず彼らの間に割って入ってしまったというだけが事実であり、別段他に用事があったという訳ではなかったのだから。

(ワガママ言ってる事くらい、分かってるけど)

 理解はしつつもなんだかんだ優しい彼に甘えてしまいたい。ましてや、こうして静かな空間で二人の時間を過ごせるとなれば自然とそんな気持ちが生まれるのは至極当然の事だったが、聡そうに見えて意外にも自分の事に対しては鈍感であるライダーは、面白い事に大抵このような場合に本心を当ててくる人物ではない。だからこそ安心して、今までの法則からすれば自ら伝えにくい事も謎解きとして遊び感覚で聞き出せるのである。
 しかし、そんなこんなでわくわくと心躍らせていた最中、苛立ちながらも諦めた様子で零したライダーの答えは意外にも想像をしていなかった形としてすぐさま零されたのだった。

「…嫌なら嫌って、素直にそう言え」
「えっ…」
「普段アホ面のお前も、あんな風に嫉妬の一つもするんだな」

 小さく溜息を吐きながらくつくつと笑うライダーを横目に照れ臭さが募り、じんわりと頬に熱が帯びていく感覚とは裏腹にどこか嬉しそうにそう話す彼の表情がとても格好良く、次第に高鳴ってゆく胸の鼓動にごくりと息を呑む。
 まさかこんなにもまるっきり見透かされてしまっていたとは微塵も思っておらず、それでも横から見上げた先に映る滅多に見られない静かな笑みと半ば呆れたように下がる眉尻、声に出さずとも伝わってくる優しいぬくもりに見とれては何一つ返す余裕など存在しなかった。
 そっと肩を押されそのまま布団へ沈んでいく体と暗転する視界、その中に一瞬で埋もれる影と遠くなってゆく天井、吸い込まれるようにゆっくりと近付いてゆくライダーの顔と、間近でぶつかる青と黄緑に意識を奪われて気付かない間に重なる唇の感覚に空気が淀んでいく。

「んっ…」
「っ…ま、俺も人の事、言えねぇしな」
「それ、どういう…」

 決して人を馬鹿にするようなものではなく、まるで自分自身を嘲笑うかのように、しかしどこか満ち足りたものを表情に浮かべるライダーと、二人を包む和やかな雰囲気にあれだけ奮った心臓が落ち着きを取り戻していた。
 人の事は言えない、彼は確かに今目の前でそう言った。自分の中で生まれていた気持ちを、抱くにはあまりに勝手すぎる嫉妬心をお互いに抱いていたという事になる。いつどこでそんな状態になってしまったのか見当もつかない上に、自分以外の誰かが何をしようが勝手でもあり興味がないとされていたあのライダーが、自分に対してまさかそんな独占欲を持っているとは甚だ思ってもみなかった。
彼には悪いと理解しつつもそれを知った瞬間に再び込みあげる喜びを止める事は出来ず、にんまりと笑顔を浮かべた途端、ぺちんと額を中指で弾かれじんわりと痛みを帯びた。

「いてー! あははっ」
「あははじゃねぇ、馬鹿にしてんのかっ」
「違うよ。ただ、その…へへへ、ライダーもそんな風に思ってくれたんだって考えたら、すごい嬉しくなっちゃって」

 そっと離れていった唇、褐色の頬がじんわりと色づく中、ゆっくりと満たされていく感覚にぽろりと零した言葉は目を細めさせ、枕に沈んだ頭の後ろに回された右腕とそのまま身を寄せ互いが密着し、腰を掴まれ引き寄せられた体からライダーの胸の奥もどくどくと鼓動が早まってる事が伝わって、つられて頭の中で反響する程に息が苦しくなってゆく。

「…あんまりお前もオレ以外のところ行くんじゃねぇ」
「あっ、んう…も、くすぐったいよ、ライダー…あっ」

 耳元で呟いた熱にぶるりと体が震え、こそばゆさに体を捩じるとマウンテンノリタマゴの襟をぐいっと引き伸ばされ、そのまま首元に寄ったライダーの顔、そしてちくりと小さな痛みを帯びた鎖骨の部分をそっと見下ろすと、そこには新たに小さな鬱血痕が作られていた。

「ずるい、こんなの」
「ただのトモダチじゃねぇんだから、オレのモンだって印くらい付けたって別にいいだろ」
「なんだよ、もう…じゃーオレも!」
「バッ…! この、ズボン下げんな!」

 しっかりと赤く染まった痕を見れば見る程、自分も彼に残してあげたいという欲がふつふつと募り、なんとかして形勢逆転を図ろうとライダーの両肩を押し退けようと、ばたばたとベッドの上で暴れては不意を突こうといつもの通りズボンのウエストを掴んで下ろそうと試みるも失敗してしまう(最近慣れてきたのか、数回に一度阻まれている)。
 不貞腐れながらもしぶしぶ諦め、ごろりとベッドの上で寝返りを打っていると随分と情けない腹の音が部屋の中でぎゅるると小さく響いていた。

「動いたらお腹すいた! お団子食べたいなぁ」
「…冷蔵庫、入ってる」
「えっ!? さっすがライダー、今食べるー!」
「俺の分もちゃんと残しとけよ…って、もうねぇし!」

 颯爽と飛び降りて向かったキッチンの先、一人暮らし用の小さな冷蔵庫の中から取り出した、ラップに包んである団子を早速ぱくりと一口食べる。
食べ物以外で満たされた腹の底、そして餡子とはまた別の優しい甘さが体全体へと広がっていく感覚に自然と笑みが浮かんで、その隣で溜息を吐きつつもどこかすっきりとした表情のライダーの口の中に、最後に残ったよもぎ色の団子を一つ突っ込んだのだった。


(2018.3.25)


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