その日は機嫌が良かった。 勝手にずかずかと入り込んで仕事を妨げるような馬鹿もいない、二日に一回は舞い降りる面倒なアクシデントも起こらず、 溜めに溜めていた報告書の山は滞りなく処理が終わり、同僚にもらった飴の袋に書いてあった占いも見事大吉を引き当てていて、 今日中に終わらせてしまおうと思っていたものは定時前に全て片付いたものだから、表情には出ずとも内心は浮き足立っていたのだと思う。 ここしばらく忙しい時期が続き禄に家にも帰っていなかったので、明日は一日休みという事もあり一度疲労した体を休ませる為真っ直ぐ帰宅する事にした。 途中でふらりと寄ったハンバーガーショップでコーラとハンバーガーのセットを夕飯用に買い、明日の飯は何にするか、と考えながら スーパーの陳列棚を眺めながら一歩一歩横にずれていく、と。ぽすりと肩と肩がぶつかった。
「おっと、sorry」
「すまな……何だ、君か」
意外な場所で出会う事もあるものだ。必要なものをさっさとカゴに入れ、さっさとその場を立ち去ろうとすると後ろから腕を掴まれ引っ張られる。 仕方がなく振り向くと呆れ顔のソニックがやれやれと溜息を吐いていた。溜息を吐きたいのはこっちだ。せっかくいい気分で一日が終わろうとした途端にこれだ。 ただ顔を見ているだけで苛々が募る。
「何か用か」
「せっかくなんだから話くらいしようぜ」
「そんな暇はない。僕は明日の朝食を考えるのに忙しいんだ」
「考えたところでどうせ毎朝パンとコーヒーの癖に」
ソニックは普段から僕の部屋によく入り浸っている。とはいえ、住んでいる訳ではなく、冒険の途中であるのか突然不法侵入をし一夜を明けたかと思えば 知らぬ間にまたいなくなっているというパターンが多く、以上のように人の家をまるで休憩所のように使われている事に関してはもう怒りを通り越して呆れ返っている上、 早々に注意するのも諦めている。一昨日も彼は家にいた。大好物のチリドッグを手にソファーに深く座り込みながら、帰宅した僕をおかえり、などと足を組んで 満足げに出迎えるものだからその度に疲れがどっと重みを増すのも仕方がない。為すがまま、為されるがままに腕を引っ張られながら、インスタントのコーヒーと シュガー、粉末ミルクをカゴに放り込められ、僕はそのすぐ脇にある四枚切りの食パンとブルーベリージャムのビンを手に取った。 すると突然、それらが全て入っていたカゴを取り上げられ、制止しようと声をあげれば、俺のおごりな、と思いもよらぬ言葉を投げかけられ拍子が抜けた。
「…なんだ、今夜も泊まる気か」
「ま、そんなとこ」
「たまには自分の家に帰れ」
二人でレジを通り、支払いを済ませた商品を持参したエコバックに詰めながらぶつくさと言葉を投げつける。
「察してくれよ。一人の夜は寂しいだろう」
「それがいつも一人で世界中駆け回ってる奴の台詞か」
「俺にもこういう日があるって事さ。いいだろ、たまには」
「何がたまには、だ。事あるごとにちょくちょく来てる癖に」
小さく息を吐いたソニックはとぼけるように天井を見上げ、僕は重みを増したエコバックを彼に押し付け店の外へ出た。 外に停めていたバイクに跨がり、ハンドルを回すと聞き慣れた空気を焦がすようなエンジン音が辺りに響く。 後ろから付いてきたソニックに有無を言わさず、乗れ、と後部座席を指差した。少なからず不満そうな表情を醸し出していたが、 諦めたのかしばらくして大人しく後部座席に座った。
「荷物は?」
「君が持っていろ」
「持ちながらでもいいから走っちゃだめ?」
「ふざけるな、すぐ夢中になって放り投げるくせに。今日は大人しく後ろに乗ってろ」
「へいへい、分かりました」
ぶつぶつ文句を零しながら、背中に額を押し付けるソニックに苦笑する。 しかし、バイクを走らせてみれば割かれるようにすれ違い流れ行く気持ちのいい風に自然と笑みが溢れてゆくのだった。
***
こざっぱりしたマンションの一室のど真ん中に小さなテーブルと、傍に二人がけのベージュのソファーが頓挫している。 仕事が仕事の為、元々家にいる日の方が少なく、普段から生活するにおいて必要最低限の物以外置かないようにしていた。 しかしここ数ヶ月の間に少しずつではあるが自分でも驚く程に物が増えていた。 例えば、テレビ台の上には可愛らしい針鼠の人形がくっついたメモクリップが置かれている。 そしてソファーのすぐ後ろの壁にはコルクボードが飾られ、数枚のメモと写真が星形の画鋲で貼り付けられている。 他にも増えたものはあるが、驚くなかれ、その全ては部屋の主が留守の間に侵入したどっかの誰かさんが勝手に設置したものだったのだが、 怒るのも面倒だったので特に気にしない事としていた(突っ込んだところでまた面倒事が増えるのも知っていたので、敢えて)。 シャワールームから聞こえてくるお気楽な鼻歌をBGMに、買ってきたハンバーガーと大分前に購入して口すら開けていなかったポテトチップスと ミックスナッツを引っ張りだした。滅多に使わないDVDレコーダーにソニックが持参した映画のディスクをセットして再生ボタンを押す。 そうしている間にキッチンからバチンと跳ねる音がして、インスタントコーヒーを入れたマグカップに沸いたばかりのお湯を注いだ。
「はぁ、さっぱりした」
「シャワーだけでよかったのか」
「…頼まれたって湯船には絶対入らないぞ」
「分かってる、冗談だ」
くるくるとかき混ぜたコーヒーに、苦笑しながら呟くソニックの表情がゆらゆらと映る。 手渡したそのカップはソニック専用の青いマグカップで、これは彼ではなく僕がたまたまよく行く雑貨屋で見かけて購入したものだった。特に意味はない。 この部屋には自分用のマグカップしか常備していなかったから、ただそれだけの理由だった。 と、本人には説明したものの、未だ信じてもらえないままで時たま話の種にされているが。
「君の飯はないが、摘むものならある」
「yeah.十分さ」
ほかほかになった体をゆっくりとソファーに沈め、早速テーブルの上のナッツをひとつ摘んで口に放った。 習うように隣りへ座り、少し冷めてしまったハンバーガーを豪快にかぶり付くと口の中にジューシー感と甘辛いソースがじんわりと滲んで広がっていく。
(美味い)
正面に視線を見やると、流していた映画がいつの間にか山場を迎えているようだった。 意外にも真剣に見ていたソニックは抱えたコーヒーカップに力を入れながら視線がテレビに釘付けになっている。 そんなに面白いのか、と考えながら既に残り少ないナッツを一つ手に取った。
「…これは、前に見たな」
「なんだ、今頃気付いたのか?」
「何度も見るほど好きなのか、この映画」
「まぁ、そんなとこ」
画面の中では小学生ほどの男の子が赤いロボットの背に乗って仮面の男と対峙している。前にもこの部屋で見たアニメの映画だった。 そういえばその時も、そのロボットが少しオメガに似ていると感じていたような気がする。 持ち込んだ割には欠伸が止まらない様子のソニックは、大きく腕を伸ばすと背もたれにぱたりと倒れこみ天井を見上げて呟いた。
「…なぁ、ちょっと、横になってもいいか」
「僕はもう寝るぞ」
「そう言わず! そう言わず! もう少しまだここにいて!」
「それが人に物を頼む態度か」
そう言いつつも、渋々了承して膝の上にクッションを乗せてパンパンと叩いた。ソニックは明らかに不機嫌そうな顔をしている。
「何でクッション」
「負担が少なくなるからだ」
「まぁ、いいか。俺、このまま寝ちゃうかも」
「僕にこの体勢で朝までいろと言うのか、君は!」
真横にぱたりと倒れこみ、クッションの上に頭を乗せて目を閉じたソニックはもう何も答えてはくれなかった。 エンドロールが流れてちかちかと発光する画面と落ち着いた女性の歌が子守唄のようにも聞こえ、次第に体が重くなっていくのを感じた。 しかし、その強い眠気を押し返せるほどの力は今の疲れた体にはなく、 子供のように小さく体を丸めながら眠るソニックの頭を優しく一撫でするとゆっくりと瞼が落ちて意識は真っ暗闇へと落ちた。
***
射すような眩しい光がカーテンの隙間から薄暗い室内を照らした。 その光と、びりびりと砂嵐の画面と揺れる耳触りの音で意識がゆっくりと浮上してゆくのを感じた。 未だ狭いままの視界には辛うじて目の前のテーブルの上に散らばった菓子の袋と飲みかけのコップ、 ついさっきまで流し見た映画のDVDのパッケージが開いたままで置かれているのが見えた。 ソファーに座ったままに夜を明かしてしまった体は節々が痛み、両腕を伸ばすも怠さはそう簡単に拭えそうにもない。
「…行ったか」
膝の上にあったはずのクッションが、もう姿の無い彼の代わりに頓挫するかのように隣りに横たわっていた。 そっと触れても、温かみはもうない。随分早い時間に出てしまったようだった。 この部屋で一夜を過ごした翌日は、必ずと言っていい程にソニックは僕が目を覚ます前に家を出ている。 特にメッセージを残す訳でもなく、つまみ代を支払っていく訳でもなく、映画のDVDを勝手に持ってきた癖にちゃんと持ち帰る訳でもなく、 只々忽然と姿を消しては、忘れた頃にまた僕の前に姿を現す。神出鬼没なクソ野郎とはよく言ったものだ。見返りを求めているつもりはなかったが、 部屋を荒らしていく上何の礼も言わずにいなくなるのは腹立たしいなと思いつつも、その怒りが常駐している間は絶対に顔を出さないと来た。最早声も出ない。
「たまには掃除くらいしていけ、くそったれ」
今日は休みだ。部屋の片付けなど急ぐ必要はない。 固く縮まった体をどうにかこうにか解そうと、しかし何故だか今はまだ何もしたくない気分で、ゆっくりと横たわるように真横へぱたりと体を倒した。 ちょうど頭の位置に置かれていたクッションがふわりと沈む。 頭とのマッチ具合が気に入らなくて器用にソファーと頭の間から引き抜くと、その瞬間にふと記憶に残る微かな香りが鼻を掠めた。
(……最悪だ)
確かに、ソニックの匂いがする。 仰向けになったまま掴んだクッションを持ち上げ、投げ捨てようとして思い留まり胸に抱く。
(だから、嫌なのに)
それでも胸の内の充実感は嘘ではない事を知っていた。 一人でいる事に寂しさを感じたり、二人でいる部屋で無防備にも先に寝てしまう事が出来るようになったのは、果たしていつからだっただろう。 自分でもいつの間にか自覚はしていた、ただ認めたくないだけだった。彼がいないと何も出来なくなる弱い自分になり下がって行くのが身に沁みるようで、只々怖かった。この心地良さがいつか必ず、別れという形で途切れてしまうのを知りながらも、浸り続けてしまうのは何故なのだろうか。
「ただいまー」
「は!?」
「え? いや、だから、ただいまーって」
そんな、今になって考えても仕方のないような事を相変わらず無意識に考えながら、クッションを胸に抱きしめてぼーっと窓の外を見下ろしていれば、 背後から突然間抜けな声がぽろりと落ちてくる。危うく心臓が止まりそうだった。
「なっ、何でいるんだ! 帰ったんじゃなかったのか! 何なんだ君は! ふざけるのもいい加減にしろ!」
「俺一言も帰るなんて言ってないよね!?」
「いつも勝手に帰るだろ!」
「そりゃ部屋の主が仕事なら俺だって大人しく帰るけど、だってお前今日休みって言ったじゃん!」
いや、まぁそうなんだけれども。 ソニックの一言に、そういえばとふと思い出した。言われてみればいつも彼がここに訪れた日の次の日はいつも仕事が入っていた。 特に気にもしなかったがまさかそんな気遣いをされているとは思いもせず。 そんな僕の様子を察知したのか、ソニックは小さく溜息を吐きながら手に持っていたビニール袋から何かを取り出しこちらに投げた。 両手で受け取ると、それはまだ温かみの残る出来立てのチリドッグだった。
「…ほら、食えよ。朝飯」
「あ…ありがとう」
「悪かったな、何か変な気遣わせちまったみたいで」
「……別に、君に気遣った覚えはないが」
「クッション抱きしめながら寂しそーな顔してたくせによく言うよ」
「寂しいなんて、誰が言った?」
「言ったさ。お前のその表情が、そう言ってたの」
相変わらず美味しそうにチリドッグを頬張るソニックの横顔は様になっていて、一番悟られたくなかった人物に心情を悟られた僕は、 ソファーにふんぞり返りながらヤケクソのようにそれを頬張った。ぴりりと舌に刺激が伝う。
「…辛い」
「それでも一番辛くないやつにしてもらったんだけど」
「辛いもんは辛い」
「ったく…買ってきてやったんだから、それくらい我慢し…あ、え?」
その時、ゆっくりと視界が滲み始めていた事に、僕はしばらくの間気付かなかった。冷たい何かが頬を流れてぽたぽたと膝の上に落ちている。 言葉にならない程の驚きにソニックの脳はついていけていないようだったが、それは僕も同じだった。
(何故、僕は泣いているんだろう)
悲しいだとか、悔しいだとか、恐ろしいだとか。涙を流す程の感情が僕の中の今どこに生まれているのか。 自分の事だというのにまるではっきりとせず、いつまでも溢れ出るそれを無理矢理に腕で拭った。
「ど、どうしたんだよ。そんなに辛かったか、それ。別に無理して食わなくたっていいから」
「別に、無理なんてしてない」
「だってお前、それ…ちょ、ちょっと待ってろ! 今、水持って…」
慌ててソニックが立ち上がり、キッチンへ向かおうと背を向けたその時。 僕の体が彼と繋がっているかのように同じ動きをして、ふいにその腕を掴んだ。うっ、と小さく唸る声が溢れ、互いに動きが止まる。 心臓がうるさくて胸と耳が痛い。振り返らないまま凍りつくソニックが言葉にならない声を零した。微かに、手が震える。
「あ…の……シャ、シャドウさん…?」
声が裏返るソニックを余所に、腕から伝わる仄かな温もりがゆっくりと僕の心を落ち着かせていった。 あんなにも混濁していた冷たい気持ちが不思議なくらい優しく解かれて、それが彼のおかげなのかと思うと何かと悔しく感じた。 目頭が再び熱くなる。今の精一杯の力でぽつぽつと言葉を振り絞った。
「行くな」
「えと、」
「ここにいろ」
「ハイ…」
がさついた声で引き止めると、ソニックは諦めて再びソファーへと沈んだ。 視線は正面を向いたままで、素知らぬ顔で残ったチリドッグを口にしつつ、心配しているのか、ちらちらとこちらの様子を伺っているのが分かる。
「…その、ええと」
「悪かった。もう、平気だと思う」
そうは言いつつも、僕は掴んだ腕を離す事は出来なかった。 離した所で彼がいなくなる訳でもないのに、たったひとつの繋がりを失う事が何故だか不安で胸がはち切れそうだった。 しかし、そっと見上げるとソニックは優しくほくそ笑んでいて、想像していなかったその表情に僕は目を見開いた。
「…バカだなぁ、お前」
「うるさい…」
「俺と一緒にいる時くらい、嘘つくなよな」
「……」
「ほんっと素直じゃないんだからさぁ、俺のハニーちゃんは」
「…ハニーは君だろう」
「えぇ? 青より黒の方が白のドレスは映えると思うけど」
「そういう問題か!」
「はは、元気になった元気になった」
腕を握っていた手を離すと、今度はしっかりと手の平で握り返された。 その瞬間、ようやく正気を取り戻したかのようにもやついた頭がすっきりと覚醒して、急に手を握っている今が照れ臭くなってくる。
「…おい! もう、いいから離…」
「あぁーだめだめ。今度は俺が寂しくなってきた。手離したら寂しくて死ぬ。ああー俺ついに死ぬー!」
「うるっさい、朝から近所迷惑だ! そもそも、別に、僕は寂しいとかじゃなくて」
「はいはい、分かったからもう一眠りするぞー。さっさとそれ食べないと、俺が食っちまうからな」
「……冗談」
あれだけ力強く握っていた手を簡単に手放すと、ソニックはいけしゃあしゃあと部屋の奥にあるベッドに寝転んだ。 口の中が今頃になって辛みでひりひりと痛み始める。しかし、啖呵を切ってしまった以上、僕に逃げ道はない。 残り少なくなったチリドッグを一気に口へ放って飲み込むと、ふつふつと無性に苛立ちが生まれてきたので床に落ちていたクッションを拾い、 渾身の力を込めて思いきり投げつけてやった。
「ははは! いってえなバカ!」
「黙れ。君は床にでも寝てろ!」
「ケチ! 一夜を共にした仲じゃんよ!」
「変な言い方をするな、このドアホ!」
じゃれつくようにベットに飛び込んで取っ組み合う。 罵りながらも妙にそれが楽しくて、布団と一緒に揉みくちゃになりながら二人して包まると無性におかしくなって声を上げて笑った。
少しずつ日は天へと上り部屋に射す光は次第に強くなっていく。 本当は洗濯物を干してしまいたかったが、今日だけは仕方なく諦めてこのまま夢の中へ落ちてしまう事にした。
(2015.04.22)
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