初めは特に気にしていなかった。時々同じチームか、もしくは相手のチームにいるだけの、いつもイロメガネを掛けているちょっと変わったインクリングのガールだと思っていただけで。バトル中に交戦はすれど会話という会話をした覚えはまるで無い。それでもその存在だけは何故だか頭の中から離れなくて、いつしかまた彼女とバトルが出来るといいなと心の中で小さく願っていた。
 お互いブキに関してはオールラウンダーだったが、中でも彼女はパブロをお気に召しているようだった。少し油断していると、すぐ目の前まで接近されてはよくびちゃびちゃと筆を振り回し相手のダウンを奪っていく。強いなあ、と率直に思った。逆に仲間になればこれ程までに頼りがいのあるインクリングはなかなかいないのかも知れない。
 ある日、バトルでいつものように同じチームになった時のことだった。今回はスプラチャージャーを背負ってきていた為、自陣の高台にある壁際から先へと攻める仲間のサポートに徹していた。すると、一体いつの間に戻って来ていたのか、キョロキョロと周りを見回してようやく背後にパブロを抱き抱えるように持っていた彼女が立ち尽くして事に気付き、どうしたのと声を掛けながら振り向いてみても、その場にしゃがみ込んで俯いたまま何も喋ろうとしない。顔色をうかがうもいつも身につけているイロメガネが邪魔をして、彼女が今どんな表情をしているのかもよく分からなかった。

「あの…えと、大丈夫?」

 もしかして体の具合が悪いのかと思い、そっと声を掛けるも首を振るだけで何も言葉は返ってこない。そうこうしている間にも相手チームは味方を押し退けどんどん自陣へと攻めてきている。このままでは二人まとめてやられてしまうのも時間の問題だった。とりあえず後ろに下がらないといけない。そう思い、彼女の手を取り無理矢理にも引っ張りながら自陣へと戻る道を駆け抜ける。幸いにも腕は振り払われなかった。大人しく後ろをついて走ってきてくれた彼女はどこか悲しげに下を向いたままで、いつもの勢いは一体何処へ行ってしまったのだろうと急に不安になってしまった。

「泣いてるの?」
「……」
「何か、怖い事あった?」

 走りながらもいくつか質問を投げる。返答は相変わらずなかった。しばらくして、ようやく隠れられそうな死角を見つけて息を切らせながら二人で並んで腰を下ろした。必死に追いかけてきていたインクリングもこれ以上は無理だと気付いたのかどうにか諦めてくれたようだった。

「よかった…とりあえず、少し休もっか」

 小さく息を吐いてうるさかった心臓をどうにか落ち着かせる。仲間に加勢できないのは心苦しいところだったが、残念ながら今はバトルどころではなくなってしまった。膝を抱えたまま俯く彼女を見かねておそるおそる優しく声をかけてみる。

「…ねぇ。君、最近よくバトルの時会うよね。たまたまかな?」
「………」
「あの、別に、何かあるって訳じゃないんだけど…その、名前、教えてもらってもいい?」
「………イーヤ、」
「え?」
「そんなに知りたかったら、オメーから名乗りナァ」

 まさかそっぽを向かれながらそんな文句を言われるとは思ってもおらず、しかし言っている事に間違いはないとここはそう自分自身を納得させ、礼儀作法に則り自己紹介から始める事とする。

「そ、そっか。そうだよね。ええと…俺はその、皆にはパッチンって呼ばれてる。ブキは…ZAPとか、スプラチャージャーが好きかな。はい、じゃあ次は君の番ね」

 少し緊張したせいか、はちゃめちゃな自己紹介になってしまった気はするがそこはあまり気にしないでおく。反応は相変わらず乏しい、しかし何か言ったところで返事が返って来る訳ではないのはもう知っていた為、暇を持て余した自分は彼女の横顔をただただじっと見詰めていた。すると、前触れもなしに突然こちらを振り向いたものだから驚いて後ろにひっくり返ってしまい、呼吸を落ち着かせながら見上げてみると、そこにはパブロを地面に突き立てては威勢の良い仁王立ちでこちらを見下ろした彼女がいた。

「……フデオロシ。メイン、パブロ。コレ、返シとく」

 油断していた事もあり、本当にいきなり過ぎた為か正直話の半分ぐらいは聞き逃した。しかし、その直後に手渡された見覚えのあるイカパッチンを見て何を言われたのかは大体理解する事が出来たのだった。慌てて後頭部の髪の結び目を触ると、そこにあったものが確かに無くなっている。

「い、いつの間に…! ごめん、ありがとう」
「……大切なモンならちゃんとしっかり付けときナァ。ジャアーーーネッ」

 ぽいと投げられたそれをなんとか空中で掴むと、その間にも彼女はいつもの調子で肩にパブロを担いでは何処かへと走り去ってしまった。手の平に残ったイカパッチンは確かに手持ちのもので、その証拠に裏にはあだ名である名前がしっかりと彫られている。念の為に確認しておこうと思い、ピンが付いた裏側を見てみるとそこには記憶にない小さなメモが挟まっていた。

(なんだろう、これ………)

 何度も折り直したのか、皺だらけのメモは何十にも折り畳まれていて開いても開いても一向にその中身が見えない。ようやっと全ての折り目が解かれたそれには、意外にも綺麗な細い線で短く文字が書かれていただけだった。

「………あとでガチマッチ、付き合えヨ。フデオロシ……」

と、思っていたがよく見ると、左下にも小さく数字のような何かが書かれている。太陽の光に当てて、目を細めながらそれをなんとか読み取ってみた。

「これ……連絡先、かなぁ」

 ただただ数字だけが羅列しているだけの為、あまり自信はないが恐らくそういう事なのだろう。それにしても誘い方が少し不器用すぎるような気もしたが、彼女も自分と同じ気持ちだったのだと思うと心から嬉しかった。

(もしかして、照れてた…?)

 てっきり何か嫌な事があったのか、もしくは悲しい事でもあったのかと思っていた。しかし、今ならば分かる。あの不思議な態度は、実は恥ずかしさを押し殺した故の無言だったのだろう。いつもクールな雰囲気を漂わせている彼女にもガールらしい、そんな一面があったんだなぁと勝手に解釈をしては思わず口元が緩んでしまった。

「終わったら、連絡してみようかな」

 のんびりしていたせいもあって残り時間もあまりない。サボっていた分、今からでも出来る限りの仕事を熟すべきだ、そう思い、高揚した気分のまま地べたに横たわったチャージャーを手に取っては、持ち主へと再び戻ってきたイカパッチンをしっかりと着け直してくしゃくしゃのメモをポケットの中へと突っ込んだ。

(俺だけの秘密、かぁ)

 そう考えると何故だか頬が熱くなって、そんな自分に苦笑をしていたその時、不意に背後から飛んできたインクの飛沫に見事一瞬で昇天させられてしまったのだった。


(2016.01.17)


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