少女は刃を握る

――10年前。
この町の外れにある山には"人喰い鬼"が出るとの噂があった。その山に入って一生帰ってこなかったという者もいるらしく、恐れをなした町の者たちが不用意に山に近付くことはなくなった。
そのため、当然木々の手入れもされることなく生い茂ったまま放置され、どこか不気味な雰囲気を醸し出している。

そんな誰も寄り付くことがなくなった場所に入っていく者が二人――若い母親と子供のようだ。

「ごめんね、もう少しだから……」

母親の方は酷くやつれており、少し山を登っただけでも苦しそうに息をしている。子供は女の子のようだが、髪はボサボサで痩せこけており、格好もみずぼらしくお世辞にも綺麗とは言えなかった。
しばらく山を登っていた二人だったが、突如足を止めた母親が子供と手を離し振り返る。

「ここにいてね」

子供を抱きしめ、最後に「不甲斐ないお母さんでごめんね」と言うと、名残惜しそうに子供から離れた。
背を向け、その後は一瞥もくれず逃げるように来た道を駆け下りていく。

「……」

子供の方はというと、泣き叫んだり追いかけたりする気力ももうないのか、去っていく母親の後ろ姿を呆然と見つめていた。幼いながらに捨てられたんだと理解したようで、諦めたようにその場に座り込む。

「寒い……」

寒さに耐えるように身を縮こませるが、それも大して意味はない。人の気配がないこの場所に誰かが来ることもないだろう。
このまま衰弱して死ぬのか、それとも噂にあった人喰い鬼に食われて死ぬのか――そんな考えが頭をよぎって途方に暮れていた時、茂みが揺れてそこから何者かが現れた。

「ほお……子供じゃないか」

不気味な声と人間とはかけ離れた容姿に、少女は瞬時に人喰い鬼だと判断する。
まさか、本当に存在したとは。初めて見た人喰い鬼の姿に、彼女は悲鳴をあげて後ずさると逃げようとした。だが、ガタガタと震えが止まらず身体に上手く力が入らない。

「いや……来ないで……!」
「今日はツイてるなあ。あの鬼狩りもいないようだし」

そう言って鬼が少女に手を伸ばした時、突然鬼の動きが止まった。
口から血を吐き出し、苦しそうに呻き声をあげると同時に鬼の頸がその場に転げ落ちる。

「えっ……」

一瞬の出来事に何が起きたのか理解できず、少女は消えていく鬼の身体を虚けたように眺めていた。

「お前、一人か?」

その時、いきなり聞こえた第三者の声に、少女は弾かれたように顔を上げる。そこにはいつの間にか見知らぬ老人が立っており、真っ直ぐこちらを見下ろしていた。手に持った刀から彼が倒してくれたのだろうと推定する。

「だ、誰……」

震える声でそう訊けば、老人は少女と目線を合わせるように屈み、着ていた羽織を脱いで彼女に被せた。

「儂は十六沢宗十郎。お前は?」
「……蒼志」

十六沢と名乗った男性は、こんな所に一人でいる少女を見て捨て子だろうと察したようだ。少し考える素振りを見せた後、彼女を安心させるように微笑み、そっと右手を差し伸べた。

「蒼志、一緒に来るか?」

戸惑いながらも、目の前に差し出された手を思わず取ってしまったあの瞬間から、彼女が鬼殺の剣士となる運命は決まっていたのかもしれない。


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「最終選別?」

日も暮れ、空が橙色に染まってきた頃。
本日の夕食であるおにぎりを握っていた手をはたと止め、少女――十六沢蒼志は目の前に座る老人が言った言葉を繰り返した。

「それって、もしかして鬼殺隊の?」
「ああ、そうだ」

鬼殺隊――およそ数百名からなる政府からは正式に認められていない組織。だが、古より存在していて人々を守るために今日も鬼を狩る。
鬼とは、人を殺して喰らう者。身体能力が高く、傷などもたちどころに治る。斬り落とされた肉も繋がり、手足を新たに生やすことも可能。体の形を変えたり異能を持つ鬼も存在する。

鬼殺の剣士を育てる『育手』は山程存在し、それぞれの場所それぞれのやり方で剣士を育てている。この老人――十六沢宗十郎もその内の一人だ。

「でも、どうして急にそんな話……」

不思議そうにする蒼志に、老人は懐から手紙を取り出すと、中を開いて内容を確認した。

「お前も大分強くなったし、そろそろその時期だそうだ。行かせてもいいだろうと思ってな」

鬼殺隊に入隊するためには、藤襲山で行われる最終選別で生き残らなければならない。
受けていいと許しが出るまで行くなと言われていた蒼志は、この時を待ちわびていたかのように食い気味に尋ねた。

「本当に行っていいの!?」
「だからと言って自惚れるなよ。お前より強い奴なんぞいくらでもおる!」

そんな彼女を一喝し、宗十郎は居間の奥にある部屋へと向かう。少しして戻ってきた彼の手には、見覚えのある刀が二振り握られていた。
「それって……」ハッとする蒼志にコクリと頷き、宗十郎は刀を差し出す。

「アイツが使ってた刀だ」

蒼志は刀を受け取り、辛そうに眉を寄せると小さく誰かの名前を呟いた。

「前にも言ったが、鬼は太陽の光か特別な刀――日輪刀で頸を斬り落とさない限り殺せない。覚えておけ」
「うん、分かってる」

今まで何度も聞いてきた言葉に返事をすると、深く息をして気持ちを引き締める。そうして決意を改め、宗十郎を真っ直ぐ見つめて大きく頷いた。

「ありがとう爺ちゃん。最終選別、頑張るよ」
「必ず生きて戻れ、お前なら大丈夫だ」

「強くなるんだ、蒼志」少女を拾ってきた時のことを思い出し、宗十郎は目を伏せて噛み締めるように呟く。それから改めて蒼志の姿を見ると、立派に育ったものだと感慨深くなった。
本音を言うと、鬼殺の剣士になんてならずに普通の女の子として育ってほしかったが――彼女が決めたことだ、口出しは無用だろう。

「飯が冷める。早く食べるぞ」
「はーい」

最終選別が行われるのは一週間後。
藤襲山にて、蒼志と同様に鬼殺隊を目指す剣士たちが各地から集うことになる。
蒼志は再び刀を眺めると、ある青年の姿を思い浮かべた。

(兄ちゃん、見ててね)

鬼殺の剣士になると決めたあの日から、辛く厳しい鍛錬にも挫けず耐えてきたのだ。そこで必ず生き残らなければならない。

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それから一週間後、最終選別当日。
選別が始まるのは、日が暮れてから――鬼が活動し始める頃からだ。迷うかもしれないと余裕を持って出発した蒼志だったが、どうやら無事に藤襲山まで辿り着いたようで中へと足を踏み入れる。

「藤の花、すごい……」

道中、そこには時期でもないというのに藤の花が咲き乱れていた。本物なのか確かめるように花に触れると、藤の花特有の香りが鼻腔をくすぐる。
辺り一帯が紫色で埋め尽くされた幻想的な光景に、蒼志はまるで異世界にでも迷い込んだような奇妙な感覚に陥った。

「わっ、結構いるな」

石段を上って開けた場所に出ると、蒼志と然程歳も変わらない少年少女が既に何人か集まっていた。その手や腰に下げられた刀から彼等も参加者だろうと考えられる。
今の時点で、ざっと数えて20人程か。誰一人として喋ってはおらず、ピリピリと張り詰めた空気に思わず息を飲む。

(生き残れるかな……)

つい弱気になった思考を払うように頭を振った。自分で自分に大丈夫だと言い聞かせ、自らを奮い立たせる。

しばらくして、時間的に最後の一人であろう少年が階段を上がってきた。頭に狐の面を付けた風変わりな格好に、蒼志はつい好奇の目で見てしまう。
彼女の予想通り参加者が全員揃ったようで、前方にいる着物を着た二人の幼い童子が口を開いた。

「皆さま、今宵は鬼殺隊最終選別にお集まりくださってありがとうございます」

いよいよ始まるのかと、その場にいる者たちは一斉に案内役の彼等に注目する。
二人は顔立ちや背丈もそっくりで、違うところと言えば髪の色くらいだろうか。淡々とした口調で童子たちは説明を続けた。

「この藤襲山には鬼殺の剣士様方が生け捕りにした鬼が閉じ込められており、外に出ることはできません」
「山の麓から中腹にかけて、鬼共の嫌う藤の花が一年中狂い咲いているからでございます」

ここには鬼殺隊の剣士が捕らえた鬼が閉じ込められているが、藤襲山自体が鬼の嫌う藤の花で囲われているため、外へ害が及ぶことはないということだ。鬼にとってはまさに"牢獄"といった所だろう。

「しかし、ここから先には藤の花は咲いておりませんから鬼共がおります」
「この中で七日間生き抜く。それが、最終選別の合格条件でございます」

「では、行ってらっしゃいませ」説明は早々に終わり、二人が深々とお辞儀をしたのを皮切りに最終選別は始まった。
七日間生き抜く――言葉だけで聞くと単純で簡単にも思える条件だが、それがどれだけ難しいことなのかは実際に体験しないと分からない。

「……よし!」

覚悟を決めた蒼志は、一斉に駆け出した彼等の後を追うように山の中へ足を進めたのだった。
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