最初の壁は何とやら

 私のクラスには、ヤンキーがいる。

 目立つ金髪につり上がった目尻。唇の隙間から見え隠れする鋭い歯。ネクタイは緩く首元に締まり、制服を最早当たり前のように着崩すその姿は入学初日に生徒指導の先生が怒り狂って呼び出すほどだったけれど、どうやら染めたのではなく地毛らしい。
 髪色は兎も角制服については改善がまぁまぁ見られ、その後先生方とは友好的な関係のよう。どうやら式に出席していた家族からの言葉や幼い頃の写真を見せて納得してもらったらしい。
「そこまでするんなら黒にすればいいのに」と思ったけれど、どうやら染髪禁止という校則は金髪の地毛を黒に染めることもアウトなのだとか。これだから地方の高校は。
 そんなヤンキーの名前は雷市陣吾くん。自分とは一生関わることのない人種────の、筈だった。

「なぁ」

 夏休み明けの実力テストが終わると席替えが行われた。
 出席番号順だった以前の席は前から2列目。くじ引きで行われた席替えにより、先生の視界から大きく外れる窓側から2列目の最後列へと移動することとなった。その際、一生関わることのない人種だと思っていた雷市くんが隣の席になった。
 クラスの誰もが狙っていたであろう窓側最後尾の席に彼は喜びを隠さず、「めちゃめちゃ良い席になった」彼の前の席であり仲の良さげなイケイケ系男子と話している。それをなんとなしに眺めていると、パチリと視線が克ち合った。
 しまった。見すぎてしまったかな、と内心ドキドキしながらも「よろしく」とだけ言うと彼は邪険な顔はせず、ただ何処か歯切れ悪く「お、オウ」とだけ言った。こんなオタクが話しかけてしまってなんだか申し訳ない。

 それから1週間後、休憩時間に持参したライトノベルを読んでいると、彼の方から声をかけられた。
「なぁ」なんて誰に話かけてるのかもわからなかったしまさか自分にだなんて思ってもいなかったから、名前を呼ばれて「ぅえ!?」なんて変な声を出してしまう。

「あー………名字サン、悪ぃけど次の時間教科書見せてくれん?」
「えっ、あ、他のクラスの人とかに借りるとか」
「………持ってねーって」
「そうか……うん。それなら、いいよ」
「マジで?サンキュー」
「うん、私のでよければ」

 ほっとしたように胸を撫で下ろす仕草でも厳つさが和らぐことが全くない。
 早々と机の横に掛けられていた荷物をどかしてくっつけると、その中央の縦線へおずおずと教科書を開いて置く。
 大丈夫かな。私、難癖つけられていじめられたりしないかな。そう心配しつつも、通常通りの授業が始まった。
 どれだけ物理的距離が近づこうと無言で、彼の存在など知ったことかと黒板へ目を向ける。最後尾は先生と距離があり目をつけられにくいけれど、視力が良くない私は黒板の文字があまりよく見えなかったりする。きゅっと目を瞑って瞬きを数回繰り返しては文字を確認してノートに書いてを繰り返す。説明タイムに移ったことを察すると肩の力を抜いて一息ついた。

「ん」
「、ぁ」

 どうやら肘がぶつかってしまったらしい。「ごめんね」と小声で言えば「オウ」と無愛想にも返事をした。
 机をくっつけて勉強するなんて小学生以来だ。先生の話を聞きつつチラリと横目で彼を見れば、バッチリと視線が合う。と、彼は教科書の端っこを指で叩いた。何だろうと視線を向ければ、過去の私が描いたであろう落書きがある。ワァ。ハム太郎さんじゃないですか。
 やっちゃったのだ!と思っていれば、彼は何を思ったのか机の中からプリントを取り出した。そして裏面に何かを書いたかと思えば、スッと机の上に置かれる。見ろ、という意味なんだろうかとおずおずとそれを開く。

「んっ……んんっ」

 そこには、彼が真似て描いたのであろう猫のような、なんとも言えない顔のキャラクターがいた。
 吹き出そうとするのを抑えて必死に喉を鳴らす。そして、その隣に教科書に書いてあるものと同じように落書きをしてまた彼に返した。次は何をする気なのかと思いながら反応を横目に見れば、目を輝かせて私の落書きを見ている。
 その顔に驚き、毒気を抜かれてふっと顔の筋肉が緩むのを感じた。



 どうやら、彼はヤンキーではないらしい。

 教科書を見せた日以降、文化祭や体育祭などのイベントは勿論、毎日の休み時間までほんの少しでも雷市くんと言葉を交わすようになった。
「課題やった?」「今日って集会やっけ」「自販機に新しいジュース出とった」「学校近くにある精肉店のチキンカツが美味い」とか。

「地毛なんだね」
「あ?オウ」
「私、雷市くんの小さい頃の写真見たことあるよ」
「はぁ!?なんで、」
「え、なんかグループラインで回ってきたから…?」
「クッソが!サッカー部の連中だろ絶対……!」
「お目目大きくて可愛かったよ」
「〜〜〜っ!」

 どうやら口が悪いのは癖らしく、少しなら弄っても怒られたりはしない。友人とは呼べないとは思うけれど、割とクラスの男子の中では話す方で、ふふふと一緒になって笑う。

「………名字のも見せろよ」
「え、やだよ」
「なら、連絡先くらいっ!」
「学校でスマホ出したらダメだもん」
「ダァ!!」
「何語?」

 ケラケラと笑っていたが、その日の夜に雷市くんから友達申請が来たためそれを拒否するのもなんだからと許可だけはしておいた。

 学校でも顔を合わせて、夜にメッセージでやり取りもして。第一印象とはかけ離れた等身大の「雷市陣吾」の姿にゆっくりではありながらも確実に距離を縮めていた。毎日嫌なことがないわけではないし、ぶっちゃけ早く家に帰りたいとはいつだって考えている。けれど、それでも彼と話す時間というものは心地よく、いつだって笑っていられる。

「明日、席替えするぞ」

 そんな毎日に終止符が打たれるのは唐突のことだった。
 席替え。運命の岐路。
 二度瞬きをして隣を見ると、彼は心底嫌そうな顔をしていた。

「そこの席、誰かに取られるの嫌でしょ」
「あったりまえだろ」

 私は冬も近くなってきたから暖房がよく当たる席に移動したいところではあるが、やはり窓際というのは捨て難いらしい。

「雷市くんともこれでさよならバイバイだね」
「あ?んなことはねーだろ」
「え」
「2年になるまでは同じクラスだろーが」
「ん、まぁ、そうだけども」

 それは確かにそうだけど。
 でも、私は自分で言うのもアレだけど学校どころかクラス内ではそこまで目立つ方ではない。運動部の活発な、それこそなんでもないように男子と話す所謂一軍女子でもないし、とりわけ可愛いわけでもなく、それこそ特技は絵を描くこと。放課後は美術室で部内の友達とオタク話に花を咲かせるような、典型的な喪女だ。

 席が離れたら、きっと話すこともなくなるんじゃないかなぁ。

 そう思ったけれど、言葉を濁して飲み込んだ。
 そして案の定、その通りになるのだった。



 一眼見た時から、気になる女だと思っていた。

 黒髪を後ろで一つに結んだ化粧っ気のない顔。糊が効いてパリッとしたセーラーブラウスと同じ色の膝下で揺れるスカートの裾。そこから伸びる足は黒タイツを纏っており、学年カラーの緑色のスリッパを履いていた。
 うちの学校は校則にうるさいと初日に十分学んでいたけれど、夢見がちな高校生活でここまで校則に順守した女がいるものなのか、とも思った。
 女といえば連れ立って動くような、一種の集合体とでも呼べるほど周囲の人間との関わりを強くするけれど、彼女の周囲にいる人間は極端に限られており、そこに当たり前のように自分は入っていなかった。
 だからこそなのか何なのか、彼女に声をかけることを躊躇っていた節はある。

 だから、席替えで隣になった時は本当に嬉しかった。
 横を見れば彼女がいる、と思いチラリと視線を向ければ視線が合って「よろしく」とだけ言われる。
 突然のことに少し上擦った声で返事をすると、前の席になった同じサッカー部の友達からニヤニヤとした視線を送られた。ウッザ。

「次英語やったっけ」
「いや、コミュ英」
「ゲッ持ってきてねぇ………」
「ロッカーは?置き勉しとらんと?」
「しとらん」

 あちゃあ。と言うが、すぐに思い立ったように名字さんに見せて貰えばいいと言われる。ハッとしたけれど、それは最終手段にしてダッシュで他のクラスの男子へ協力を仰いだ。が、無力だった。
 授業開始ギリギリになって、隣の名字さんへ向き合って「なぁ」と声をかける。だが、彼女は何か本を読んでいてこちらに見向きもしない。スゥと息を吸って意を決したように名前を呼んだ。

「あー………名字サン」

 本を持ったままビクリとした彼女は目を丸くして俺の方を向いた。

「悪ぃけど次の時間教科書見せてくれん?」
「えっ、あ、他のクラスの人とかに借りるとか」

 ソッコーで断られた。それが少しだけ胸にクる。
 だが、それは既に聞いて回った挙句協力を仰げなかったのだと言えば、渋々ながらも了承を得た。
 よかった。断られた時は二重の意味でヒヤリとしたけれど、まあ結果が良ければいい。
 エナメルバックと通学鞄を後ろの壁に寄せて遠慮なしに机を近づけると、途端に彼女の香りが強くなって喉が鳴った。
 机の中央へ置かれた教科書はカラフルな蛍光ペンでラインが引かれており、隅の余白には至る所に落書きがある。堅物かと思えばそうでもないらしく、その緩く描かれた絵にふっと笑みを溢した。
 決して話しかけることはせず、それでも彼女を盗み見ることは止めない。目を細めて黒板を見る横顔は勿論、瞬きをする度にまつ毛が肌に影を落とすところまでこんな近くで見ることになるとは思っていなかった。

「ん」
「、ぁ」

 シャーペンをただ持っていた腕に彼女の肘が触れた。内心バックバクで何を言われるのかと視線を向ければ「ごめんね」と微かに聞き取れるくらいの小声で、脳がショートしてしまったように無心で返事をした。
 年上だって異性だって、引くことなく誰とでも話せる。だが、それがうまくいかない。
 仲良くなるところから始めたいのに、と思いながらまた彼女の方を見ると、バッチリと目があった。
 しまった。どうするべきか、と無意識に指を動かしたところは丁度絵が描かれている場所で。覗き込んで目を丸くする彼女の顔は「見られてしまった」と語っていた。
 ああ、そうだ。
 机の中に突っ込んでいた何とも知らないプリントの裏に、それを真似るように絵を描いて渡すと、それを手にした彼女は忍び笑いをしていた。何とか誤魔化せたかと思っていたらそのプリントは彼女直筆の絵が描かれて返ってきたものだから、うお、マジかとまじまじと見つめる。


「見せてくれてサンキュ」
「いや、別に」
「ほらよ」

 授業が終わると昼休みとなった。その際、自販機にて購入したりんごゼリーの入った紙パックの飲料を渡すと、「えっいいのに」と返された。

「いいんだよ。貰っとけ」
「ええ………?ありがとう」

 なるべく自然体にと意識していたが、別の席で弁当を食べていた彼女が片手で持てる紙パックのそれを両手で大切そうに飲んでいる顔が見えて、もうなんかダメになった。

 最初の壁は何とやらで、次の日の朝隣の席に居た彼女に挨拶をするとそれが返ってくる。その次の日も、次の日も。それからは毎日一回でもいいから話しかけ、自然と話すようになっていた。だが、それも彼女の隣の席だからできたこと。正反対の場所になってからは毎日顔を合わせることもなくなり、メッセージのやり取りもお互い部活や用事があるからと間が開くことも多い。そんな毎日を何とかしなければと思っていた時だった。

「雷市くんじゃん」
「、名字………」

 なんか、久しぶりだねぇ。なんて呑気に笑う彼女の顔を見ればそれだけで胸がいっぱいになるものだから不思議だ。
 その日は珍しく雪が積もり、バスが走らないから学校に行けないと欠席の生徒も多かった。今夜もひどくなるとニュースでやっていたからか、部活動は全て無し。生徒も教職員も早めに帰るようにとのことで、玄関口は生徒で溢れかえっていた。
 スクールバスの停留地は数箇所あり、玄関前広場と校門前の武道場横、そして学校から少し歩いた場所に二箇所ある。

「名字は何処のバス?」
「溝川。雷市くんは中央橋でしょ?」
「オウ」

 何となくの流れで、溝川行きのバスが出る校門前までの道をゆっくりとした歩幅で歩く。冬の風の冷たさが容赦なく襲い、曇天の空からはまた雨でも降ってきそうだった。だが、それでも何でもない会話をすると全てがどうでも良くなってくる。

「じゃ、私こっちだから。バイバイだよ〜」
「名字」

「また明日」ではなく「バイバイ」とさよならを告げるのは何故なんだろう。終わりたくないと思っているのは自分だけなんだろうか。

「?どうしたの」

 無邪気なのか何なのか、無性に腹が立つ。そのまま、怒りを込めるように言った。

「お前のこと、好きやけん」
「はぇ、」

 終わりたくない。壁を、作りたくはない。
 元より考えるより体が先に動く人間だ。ここで逃してたまるかと、そのまま続けた。

「返事、聞きに行くからな。────また明日」



「明日って言ってたのに、次の日休校になったんだよね」
「つああああああああ!!!」

 ケラケラと笑う名前の隣で、雷市は言葉にならない叫び声をあげた。
 学校近くにある住宅街の一角、ブランコとシーソーしかない公園に二人はいた。
 紆余曲折ありながらも2年へ進級するとほぼ同時に交際を始め、約半年の11月中旬。月の初めに雷市は日本フットボール連合より強化指定選手に選出され、その合宿へと招集された。彼がその合宿へ参加しない理由はなかった。

「んじゃ、もう遅いし帰ろっか」
「名前」
「ん?」

 ほらよ、と雷市から渡されたのは厚紙でできた箱で、シルバーのリボンが貼り付けられている。

「俺はサッカー一筋で合宿行くけどよ………
 お前、俺がいない間に浮気したらコロスからな」
「、二次元はアリ?」
「…………ギリセーフにしてやる」

 話すようになって知ったけれど、割と彼女は軽口を叩く。癖なのだろうか。
 片手で持てるそれを両手で手に取ると、まじまじと見つめた後開くことはせずにカバンの中へなおした。

「家に帰ってから見てみるよ。楽しみにしてる」
「ハッ期待してろ」
「うん。………雷市くんに期待してる」

 真っ直ぐに自分を見る目は、初めてこの人を目にした時には見ることなど叶わないと思っていた。

「じゃあ────またね」
「ん。またな」




 おまけ
 Twitterに上げたような気がする雷市の短編です。同じ夢主で季節感は多分秋。



 暗くなった空を見上げながらバスを待っていると、練習を終えたらしいサッカー部の集団の中に目立つ金髪が見えた。彼らは校門からバス停へ繋がる横断歩道を見向きもせずに、碇ヶ丘高校の生徒がこぞって利用する精肉店へ入っていく。
 コロッケでも買うのかな、いいな。衣はサクサクしてて中はホックホクで、今食べたら一番美味しいんだろうな。私はじゃがいもよりかぼちゃの方が好きです。なんて思うも手持ちはジュースで消えたので想像だけにとどまるけれど。

「よぉ、部活か?」

 一人足早に店を出て横断歩道を渡った彼は、こちらへ駆け寄り話しかけてきた。

「うん。県展の締切り、今週だから」
「ふうん………オツカレ」

 そう言って彼はほらよ、と精肉店の包みを手渡してくれた。

「半分やるよ」
「え、やった。ありがとう」

 そのまま何となしに二人並んでコロッケを頬張る。かぼちゃの甘い風味に舌鼓をうちながら、雷市陣吾はエスパーなのだろうかなんて考えていた。


>> list <<