瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の

夢主≠あんず



「絶対に同じとこに来ないでよねぇ」

中学3年の春。いつものようにモデルの仕事を終えた泉が私の部屋に訪れたと思えば、突然そんなことを言い出した。私は制服のままベッドに座って漫画を読んでいたので、ドアが開いた瞬間に始まった会話に目を瞬かせる。

「………高校の話?」
「そ。俺、夢ノ咲のアイドル科に行くことにしたから」

泉は持っていた鞄をドアの横に並べて置くと、勝手知ったると言ったふうに白くて丸いローテーブルに放り投げてあった雑誌を読み始める。表紙は誰とも知らない大物俳優さんだけど、それは泉が出てるらしいからと買ったものだからそこ以外はたいして読んでもいない。泉もサンプルとして受け取っているだろうし、手持ち無沙汰だから手に取っただけなんだろう。
これは、お疲れモードだなぁと寛ぎ始めた泉をチョイチョイと手招きしたら、彼は大人しく横になったので膝枕を提供して癖のある柔らかい髪を軽く撫でた。

「へぇ、アイドル科なんだ。しかも夢ノ咲………夢ノ咲って遠くない?」
「バイク通学するし……というか、何も言わないの?」
「言ってほしいの?」
「別に、そういうわけじゃないけどぉ。
でも、俺が生まれてからずっと一緒にいる幼馴染みなんだから、絶対に何か言うと思った」

泉が生まれる前の夏に私の家のお向かいさんになった彼の両親は、私の両親とも歳が近く、5月に生まれたばかりの私がいたことからすぐに仲良くなったらしい。3つ上の私の兄とまとめて面倒を見ることもあり、小さい頃の話になると必然的に泉と私の話になるしアルバムにもいつも私の隣には泉がいた。
泉が生まれて15年間、ずっと一緒に過ごしてきた。それが来年からなくなる。でも、

「泉の人生は泉のものだし、私が何か口を出すようなこともないよ。それとも、私が口出しして簡単に変えられる進路なわけ?」
「……違うけど、」
「だったら、いいの。
泉がいっぱい考えて決めた進路なら私はいつものように背中を押すし、モデルからアイドルに転向する理由も聞かない」

続く言葉が出てこない。泉は雑誌を放り投げ、視線を上げてムスッとした顔をした。これは、理由は言いたくないから察してほしかった顔だ。
15年間一緒に育ってきて、幼馴染みと呼ぶには一般的なそれより近く、でも決して家族ではない。私は泉から拒絶されることは無いと確信しているけれど、この曖昧な関係が好きで明確な言葉からいつだって逃げ回っている。
でも彼はこの関係に終止符を討ちたがっている。家族じゃ無いけど他人でも無い。でも私との関係が変わってしまうのが怖いのか、絶対墓穴を掘る真似をしないから話題を変えてくる。

「そういう名前は?高校どうするの」
「まだ迷い中なんだよねぇ。勉強したくないから高校卒業して就職できるとこにしようかなぁとか考えてるけど」
「工業行くって言ってなかったっけ」
「あそこは科によって勉強の分野大きく変わるし、専門的すぎるから却下かなぁ。機械いじりとか楽しそうだけど、それ仕事にしたいかって聞かれると微妙な気もするし。デザイン科だと就職先少ないらしいし」
「俺より難航してるじゃん」
「ふふ。でもまぁ、何とかなるよ。
今年の8月にはどう足掻いても志望校確定してるし、来年の春には新しい制服に身を包んで高校生してるさ」

特別なことは何もしなくたって、呼吸してご飯を食べて寝てるだけで毎日が過ぎていく。明日の自分がどうしてるのかもわからないのに、数十年後の自分のことなんて考えられるわけがない。だから、明確に自分のやりたい事を突き詰めて、努力を惜しまず進んでいける泉がとても眩しいし、いつだって誇らしく思う。

「泉がどんな道を選んだって、私はずっと後ろから応援してるよ」

何人もの女の子からきゃあきゃあ言われてたって、モデルとして働いている泉を全く知らなくたって、私にとってはいつまでも甘えたで可愛い泉くんなんだ。
そんな彼の味方でいると、ずっと前から決めている。だから、本当に大丈夫だと思ってたんだ。



結局、先生の勧めもあって総合学科の公立高校に進んだ私は商業系の授業で将来使えそうな資格を取りつつ、個人作業がメインだという美術部に入った。専門は切り絵で、1年生の頃に高校美術展で入賞したくらい。やっぱり好きな事を部活で出来るのは最高だなと、中学の頃の不安は何処へやら私の高校生活は順風満帆だった。

隣に泉が居ない事を除けば。

別々の道を選んだことに後悔はない。誰よりも一番近くにいて、幼馴染なんかじゃもう括りきれない絆がある。それでも、私たちはどうしようもなく他人で、それぞれの選択に口出しなんてできない。
だけど、一緒に登校したり時々教室の窓越しに視線を合わせたり、どちらかが休んでいる時プリントを届けたり。そういうものが全くない、泉のいない学校生活というものには全然馴れる気がしなかった。高校で別々の道に進んで、じゃあ大学は?結婚願望だってあるし、もちろん恋人だって作る予定。
この先泉が隣にいない生活が何年も続いて、いつかはそんな生活に慣れる日が来るんだろう。それでも、そんな生活に慣れてしまった私はきっともう私ではないんだ。生まれてから自我を持つ前から私の生活には泉がいた。彼は既に私の一部で、泉の一部は私でできているんだから。



「何でこんなとこいるわけぇ?」
「……わかんない」

でも、思い立ったが吉日って言うでしょ。
何より、泉に呼ばれた気がして。特別な日でも何でもないけれど。ただ何となく、顔が見たくなって来てしまった。とはいえ連絡もしてなかったし、アイドルの為の学校と言われるだけはあって、少し肌寒い秋空の下校門で出待ちしてようかと思ったら厳しそうなメガネの先生に声をかけられた。
しどろもどろになりながらも泉のことを話そうとしていると、本人が登場したというわけだ。

「すいません椚先生。俺から言っておくんで」
「まったく……」
「まぁまぁ椚先生、彼女は本当に泉ちゃんの幼馴染みらしいですよ?話は泉ちゃんから聞いていたので」

はじめましてと微笑みかけてくるイケメン君、一つ下の鳴上嵐くん。モデルをしていた頃から泉に少しだけ話を聞いたことがあるからなんとなく知ってはいるけれど、泉から話は聞いてるって彼は何を聞いたんだろう。
夢ノ咲のアイドル科は各自仕事をしながら通っているものだから、他校の女が校門にいると不審な目を向けられるのも当然だ。椚先生と呼ばれた人も、きっと騒動にならないためにと強気の姿勢で声をかけてきたんだと思う。

「で?何か用事でもあった?俺も暇じゃないんだけど」
「用事とかはないの。でもね、……わかんないけど、行かなきゃいけない気がして。
泉に呼ばれたから、来たの」

私の声に、2人は不思議そうな表情で私を見る。だけど泉は目を見開いて私を見つめて、それから少し照くさそうに、嬉しそうな顔をした。
明確な用事がないと会いにきちゃいけないなんて、私たちの間には無いよね?だって、泉が私を呼んだんだよ。私、ちゃんと気付いてるんだから。椚先生に話しかけられていた女子生徒が私で、ホッとしてたでしょ。連絡を取る暇も家に遊びに来る暇もないくらい忙しいんだから、何かあったんでしょ。
私に会いたいって泉が呼んだんでしょ。

「………まったく、何でわかっちゃうかなぁ」
「泉のことなら何だってわかるよ」

そのままあれよあれよという間に泉に送ってもらうことになった。どうやら面倒事もひと段落ついたらしい。それにしては、泉の調子が悪いような気もするけれど。
バイクに跨って泉の背中に捕まっている時だって、彼の背中はこんなに大きかったかな、なんてしみじみと離れていた時間を感じる。私の家に着いても、バイクを向かいにある自分の家のガレージに停めに行ってそのままいつものように泉もついてきた。それがたまらなく嬉しくて、まだいつも通りだと思える自分でよかった。
約1年と半年。思えばそんなに長く距離を置いたのはこれが初めてで、お互いが別の場所で過ごしてきた時間を探るかのように見つめあった。

「前に会った時より美人になったね」
「そういう泉は少しやつれた?元気ないね」
「……まあ、色々あって。でも名前はそういうの「うん、言わなくていいよ」

私が知っているのは、アイドルの瀬名泉じゃなくて向かいに住んでいる幼馴染の泉だから。
1人だった時が一瞬だったかのように呼吸も空気もあの頃のまま、私たちのいつも通りの空間になっていた。
だけど、ずっと離さないでいるこの掌の感触だけが、どうしようもない程熱を煽る。

「泉がこんなになるくらい大変で思い詰めるって知ってたら、やっぱり普通科でいいから夢ノ咲に行けばよかったって思った」
「ふうん?俺は、あの時距離を置いてよかったって思ったけど」

2人揃ってベッドに腰掛けて向かい合わせになった幼馴染みは、私を見下ろして目を細めた。心底悔しそうで、不愉快そうで、寂しそうな表情だった。

「俺だけだったのになぁ」
「?」
「……いつだって、俺が一番わかっていたいよ。今までも、これからも。
でも、高校生の名前を俺は何にも知らないから、見たこともないアンタの友達に嫉妬してる。
毎日だって顔を見たいのに、今の俺にはそれができない。自分で選んだ道だから後悔なんてないけど、それでもふとした瞬間に名前が居ればなんて思ってるんだから」

突拍子もない告白に、目が点になる。
でも、そうしてしまう程彼は思いつめているんだ。基本世話焼きで、困ってる人を放っておけない。口では厳しい事を言いながらも根は素直で優しい子だから、全部背負い込んで誰も見ていないところでぐったりしている。本当は普通の男の子なのに、努力を惜しまず進み続けて、それを常に悟られまいとするから。
だから放っておけなくて、泉には私がいなきゃダメなんだと誰よりも思い込んでいたい。

中学3年の春は、この曖昧な関係を続けたいと思っていた。たとえどちらかに大切な人ができたとしても、お互いがお互いの一部である以上、自分の事のように喜べるんだろうと。でも、離れてそれじゃダメだと分かった。どれだけ相手の想いが分かっても、すぐに駆け寄ることができないと意味がない。だから、もう私も泉から逃げないって決めた。決めたから、夢ノ咲に行った。
離れていても気持ちだけはどうしようもなく繋がっていて、嬉しいのにもどかしい。

「私だって、今日鳴上くんと泉が一緒に駆け寄ってきたの見て“そこはいつだって私がいたのにな”って思ったよ」

そう茶化すと、「なるくんに嫉妬でもした?」なんて生真面目な顔で聞いてきた。
うん、嫉妬したのよ。鳴上くんがずるいって思ってしまった。泉の隣は絶対に私だったのにって。1年経ったんだから、泉と親しい友人だってできている頃だと思うから余計に。

「綺麗になったって言ってくれて、嬉しかったよ。ありがとう
言い忘れてたけど、泉もかっこよくなったね。」

泉は丸い目を瞬かせて、それでも驚いた表情を一瞬で隠して真剣な顔で両手を取った。

「珍しい。ちゃんと逃げないで聞いてね。
………名前が綺麗になったから、他の奴らと話してるの見て嫉妬してる暇もないんだよね。ただでさえアイドル科で、俺よりすごいやつも沢山いるし。
だから、俺の目の届かないところにいてほしかったのに、それはそれで俺が知らない間に成長していくわけだし。だから、俺が迎えに行くまで誰のものにもならずに俺のことだけ応援してて。絶対に迎えに行くから」
「それって、他意は……」
「あるにきまってるでしょぉ?これくらい察してよね、お馬鹿。
……俺が夢ノ咲に行くって言った時だって、わかってたんでしょ。”本当は一緒にいたい“って思ってた事
本当にね、迷ってたんだよ。ずっと一緒に居たんだから当然だよね。名前が居ない生活なんて想像できなかったから、口出しして欲しかった」

なんとも彼らしい、ひねくれた遠回しな愛の告白に、頭が真っ白になる。告白どころか、プロポーズみたいじゃないか。

「今言うの?」
「言うよ。時効でしょ?
本当はあの時『一緒にいたい』って聞きたかったの」

私だって、言いたかったよ。でも、私がそう口にすると泉は困るって思ったから言えなかった。いつだって自分の夢に向かって努力も惜しまず真っすぐに進んでいくあなたが眩しくて、誇らしく感じると同時に心のどこかで妬んでた。だから、明確な答えから逃げ続けてきたのに、少し離れただけでこの有様。全く、私はいつからこんなにも贅沢ものになってしまったんだ。

「で?逃げるのやめて本心を聞いた感想は?」
「嬉しい。けど………聞かなきゃよかった」
「はぁ?ここまで言わせておいて何言ってるのアンタは。というか、幼馴染みだからって理由だけでこんなことすると思う?
名前だから気にかけるし、ずっと一緒にいたいなって思えるし、逃げられても追いかけたくなるんだよ」
「退路断たれてる……」
「当然!……ねぇ、曖昧にしないでちゃんと答えてよ。
俺のこと、愛してる?何があっても最後には必ず隣に帰ってくるから、約束してよ。
この先どんなことがあっても、俺の隣に来てくれるって」

「言わないよ」

馬鹿だなあ、そんな悲しそうな顔しないでよ。
私にとって泉は普通の男の子だけど、それでも彼は立派なアイドルでそんな彼を好きでいてくれる女の子は沢山いる。私なんかより頭も良くて、可愛くて、綺麗な子が。だから、その子たちに視線を取られる暇もないくらい必死に私を追いかけてきて欲しい。私は、泉のファンの一部になりたくない。泉の特別で居続けたい。
泉が最高に輝いていれるステージを永遠に見ることができなくたって、構わない。

「……だって、それ言っちゃうと泉は私を迎えに来てくれないでしょ」

探して欲しい、いつまでも。お互いがお互いを縛り付けているのだと自覚して、ずっと探していて欲しい。ずっと待ってるから、早く迎えにきてほしい。

「ほんっとうに我儘な子だねぇ」
「15年一緒にいたのに、今更?というか、泉がそれ言うの?」
「言っとくけど、学校が違っててどれだけ離れてても名前のことはちゃあんと把握してるから。泣いても逃げても隠れても、全部バレてるし絶対に逃してあげない」
「ふふ、わかってるよ。でも私だって泉と同じくらいあなたのことわかってるんだから。あんまり辛い思いしないでね。すぐに駆け付けられないんだから」

世界中のどこにいたって、お互いのことならなんだてわかる。辛い想いなら尚更、一緒に背負いたいし、その背中を抱きしめてあげたい。だけど離れていたらそれすらできやしないから心の底でずっと思い続けているの。


世界で一番大切な人です。世界で一番幸せになって欲しい、と。



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