テニラビ5周年番外編
嫌いでもないし、好きでもない。マイナスから始まった人間関係が明確に変わったのは、きっとなんでもない普通の日からだ。
「あれ、平等院君じゃん」
帰ってたのか、なんて思いながらリョーコは制服姿で学校に現れた彼に言った。
夏にひょんなことから少しばかりの会話をするようになった二人だったが、それは鳳凰が海外に旅立ってからは必然的に途絶えていた。
顔を合わせるのは久々だが、懐かしくもなんとも思わない。海外の話を聞きながら教室に向かうと、そこはもぬけの殻だった。冬休み前のテスト期間で部活もなく、クラスメイトはみんな勉強のためにそそくさと帰ったのだろう。
「帰ってきたのは学期末だから?」
「まあな」
「勉強しに?平等院君が??」
「何がおかしい」
「いんや、おかしくはないよ。ただ、らしいなって思っただけ」
らしい、とは勉強するために学校へ通うのではなくテストがあるから学校に戻ることがなんだろう。
本来であれば学生としてあるまじき姿。だが、リョーコはテニスのためだけに生きているようなこの男が義務教育を例え極限まで削っていたとしても、おろそかにしない姿勢がなんとなく「彼らしい」と思った。
「お前は早く帰らなくても良いのか」
「知ってるでしょ?私、一人暮らしだから。学校は暖房が効いててあったかいしね」
「………お前の家、コンクリ打ちっぱなしだったろ」
「はっはっは!言われちゃった」
防音と耐久力に優れてはいるものの温度の管理が厳しいから冬場はすぐに結露してしまう。冷暖房の管理が大変だと夏にも同じような会話をした覚えがあった。
「他にも帰りたくない理由でもあんのか」
笑っていたリョーコは鳳凰の鋭い視線にその声を収めた。
人のことには興味なんてないだろうこの男はたまに人の核心を突くような発言をする。それを誤魔化せるリョーコだけど、そうしたくはなくて言った。
「12月だからかな」
「は?」
「寒いと人肌恋しくなるでしょ」
「ならねぇな」
「私はなるんだよ。
………それに、もうすぐクリスマスだから」
「………」
何の関係があると疑問符を浮かべた鳳凰に「私の誕生日、12月23日だから」と話す。
「弟が二人いて、一人は同じ日だしもう片方は私たちの次の日で………思い出しちゃうんだよね。誕生日を一人で迎えることなんて、慣れてるはずなのに」
むしろ、最後までついてきてくれようとした手を振り払って一人になる道を選んだのに。
家族の話になるとどこかしんみりとした空気になるリョーコに眉を顰めたが、彼女はそれを振り払うようにパッと表情を変えた。
「平等院君は誕生日いつ?」
「7月だ」
「過ぎてるじゃん!」
「言うほどのことでもないだろ………」
「そんなことないよ。私は、平等院君と話すの楽しいし」
テニスの話と海外遠征の話しかないけれど、二人の共通点はそれで、それだけで二人の世界は回っているから。だからこそ、口にはしないが鳳凰にとってもリョーコは気が置ける友人だった。
だから、放課後の校舎に人がいなくともローファーが残っているからという理由で彼女の影を探していた。
「じゃ、何かして欲しいこととかないの」
「は?」
「何が欲しいと言われても用意はできそうにないからね」
して欲しいことなんて何もない。いや、あるにはあるがリョーコと鳳凰はただの友人で、時折顔を合わせて会話をするだけの関係だ。
「………手、出せ」
「?はい」
左手をパーのように広げると、それを両手で掴まれる。
鳳凰の太くゴツゴツとした手がゆっくりとリョーコの掌を撫でた。無言のまま、ただ無心に手の甲を撫でたり、指を握られたりするのをされるがままになりながら、リョーコはただ「手、でかいな……」と思っていた。
幾らかそうしていると、鳳凰はふと動きを止めてリョーコの手の甲、手首付近を親指の腹でなぞる。
「ここ、どうした」
「え?ああ………昔、引っ掛けちゃって。そのまま放置してたら跡になった」
縦に一本筋が入ったそこは地肌なのだが白く変色しており、怪我の後だとわかる、彼女の手をじっくり見たこともなかったから今気づいた。初めて知った。
「気にしろよ、女なんだから」
初めて、彼女に刻まれた傷の一つを知り、触れた。
「………その傷は、昔弟が井戸にハマって抜け出せなくなたとき。そこに群がってた烏につけられたの。多分、ね」
「多分?」
「痛い感覚がなかったから。……それだけ、必死だったのかもしれない。
二人は自力で登ってきたし、結局父さんが助け出してたんだけどね。安心した時痛みに気づいたけど……二人の方がよっぽど怖い思いをしていたのかもしれないって、言わなかった。そういう傷」
傷跡でも、少しだけ誇らしげにしながらリョーコは言った。そんな彼女の視線にも声にも、弟への愛情が透けて見える。鳳凰は、何も言わずにその傷を親指の腹でなぞった。
「そうか。………そうか」
「うん」
・
「リョーコの下、あったかぁ」
「ちょ、私のフードで暖取らないで」
合宿所は山にあり、そこは冬となればより一層冷え込む。12月に入ったこの頃、彼らは寒さに身を震わせながらも相変わらずテニスに打ち込んでいた。ベンチに座って君島と話していたリョーコのフードの下に種ヶ島が手を突っ込み、それをやめさせようとして二人でギャアギャアと騒ぎ始める。
「冬となれば手先凍るやん」
「君島君にハンドクリームとか借りれば?」
「消耗品に『借りる』という言葉は合わないでしょう全く……」
そう悪態を吐きつつも、彼は律儀にポケットから常備していたチューブ式のハンドクリームを取り出した。誰でも知っているブランドもののハンドクリームのパッケージだ。
「とか言って渡してくれるの本当にキミ様って感じだわ。ありがと」
「ファンサービスは惜しみませんので」
とか言いながらも量はそこまで期待していなかったら、そんな思いとは裏腹にリョーコの掌に大量のクリームを押し出した。
「多くね?」
「二人で使いなさい」
「戴き⭐︎」
「ちょ、修!ベタベタするから必要な分だけ自分の手に移してって、何でお前私の手に塗りたくってんだよお前!!」
「おいおい、あんま騒ぐなや。迷惑になるやろ?」
「今私迷惑してる!」
結局手をベタベタにしながらもハンドクリームを塗って満足した種ヶ島はそそくさとその場を後にした。……台風のような男だ。
未だベタベタする手にクリームを刷り込むように握りながら呟いた。
「私もそろそろハンドクリーム買おうかな」
「貴女はもう少し前から気にしておいた方がいいのでは?」
「日用品買う時思ってたはずなんだけどさ、忘れちゃってて」
「全く………」
「リョーコ、手出せ」
「?はい」
食堂で夕食を終えて自室へ戻ろうとしていた時だった。ラウンジのソファーに座っていた鳳凰に呼び止められると、彼の正面に座っていたデュークに「姐さんここどうぞ」とソファを進められる。突然どうしたんだと思い、戸惑いながらも席に着くと、デュークはそのまま軽くお辞儀をして歩いて行ってしまった。
何なんだと思っていると、鳳凰は無言でテーブルについていたリョーコの左手を取った。
「………」
「………………?」
両手で包み込むようにする彼の手は相変わらず大きくて、硬い。
「……冷たいな」
「そう?」
以前、中学二年の冬にそうしたことを思い出しながら彼は行ったが、リョーコは不思議そうに首をかしげるだけ。
「いつもこんな感じだと思うけど。
むしろ鳳凰体温高いね。新陳代謝いいのかな」
左手を好きにさせながらも時折思ったことをそのまま口にするように言葉を交わす。
そんな二人へ不思議そうに視線を向けては何人もの選手が素通りしていく。それすらも、気にならないほど当たり前の空気だった。
「…………数年前もこうしてたな」
「、覚えてたのか」
「うん。そりゃあね」
あ、少し跡になってる。昔は見なかった彼の新しい傷を空いていた右手の指でつうっとなぞった。すると、すかさずその手を捕らえて左手と同じように両手揃って握られる。
「手、荒れてるね」
「気になるか?」
「いや、逆に気にならない?クリームあるよ」
リョーコがそう言うから鳳凰が右手を離すと、羽織っていたジャージのポケットではなくその下に着ている黒のパーカーのポケットから小さなワセリンの入ったプラスチックの容器を取り出した。青い蓋のそれはどこにでもあるドラッグストアで購入できるもので、君島にハンドクリームをもらったその翌日にリョーガを連れて買いに行ったものだ。
無臭で、ブランドものほどお金をかけずとも手に入るチープな保湿クリーム。それをはい、と差し出した。
「蓋」
左手を離さないのであればお前が自分で開けるのが当然だろと言わんばかりの態度に、鳳凰は自分の右手で器用に蓋をあけ、クリームを掬う。
彼はそれを、自分の手ではなくリョーコの手に乗せた。
「ちょっと、」
何でだと視線を向けると、何とも言えない表情で鳳凰は自分の手を見ていた。
愉悦とも歓喜とも呼べそうなその表情に言葉を失い、そのままされるがままになる。
二人の体温でじわじわと溶かされたクリームがベッタリとリョーコの掌に付着しており、背筋にゾクゾクと妙な感覚を覚えていると、鳳凰は何を思ったのかその両手に顔を近づけた。
「、」
「………」
何をしているんだこの男は動きを止めたし、何をしているんだこの二人はと周囲で様子を窺っていた選手陣も動きを止めた。
ただ、それでも何となく「今はそういう気分なんだろうな」と我らが主将を大型のネコ科の動物のように好きにさせるのがその場にいる誰よりも長い時間を過ごしてきた越前リョーコという女だった。
「…………髭、チクチクする。剃れば?」
「めんどくせぇ」
満足したのか、そのままスルリと手を離した鳳凰にもう気が済んだのかとリョーコは思い逆に彼の手を取った。
「は?おい、」
「お前が塗ったんだろうが。ベタベタするから、持ってって」
「………」
「不満そうな顔しないでよ馬鹿なの?」
・
「ねぇ、お頭っていつもあんな感じなの」
幾らかマシになったかなというところで、リョーコは自室に戻ると席を立った。結局何がしたかったんだと思ったけれど、考えても例え彼自身に聞いたとしてもわかるわけがないので忘れることにした。
けれど、彼女の後をついてきていた弟、リョーマに話しかけられる。
合宿所に長くいるから慣れ親しんだ仲の選手が何人いようと、リョーマにとっては自分の姉。そんな彼女が人目につく場所であんなことをしていると嫌でも自分に話が回ってくるのだ。
「ん〜………まぁ、滅多にないけどね。たまに」
「ふうん………慣れたから流してるんだ」
「は?慣れるわけないでしょ。ああでもしないと、全部一人で抱え込む奴だからね」
リョーコの意外な返答にリョーマは目を丸くする。平等院の行動も理解できないけれど、それ以上にリョーコの思慮深さを感じて驚いた。
「私はそこまで鈍くないし、何も思わないわけないよ。リョーマだって、女の子の扱いは気を使うでしょ」
「なんでオレの話になんの」
「私にとってはそういうことだからだよ」
「はあ………?」
「わかんない?お子ちゃまだねぇ」
「ムカつくんだけど」
人と関わるのが下手で、不器用で。一見そう見えなくて、『この人なら大丈夫』って思われる立場にいるからこそ。だからこそ、気にかけないといけない。
「リョーマだって、手塚君のそういう姿見たらちょっと不安になるでしょ」
「………どうだろ」
「思い当たる節はあったってわけだ」
「………ちぇ。リョーコって、時々本当に姉貴ぶるよね」
「リョーマはいつまで経っても可愛い可愛い弟だからね。もちろんリョーガも」
はっはっは、といつものように笑いながら白い帽子の上からその頭を撫でた。照れているのか「やめてよ」とすぐに払い除けられたけれど、そんな様子も可愛らしくて愛おしいだけだ。
嫌いでもないし、好きでもない。なんでもない普通の日から明確に『好きだ』と代わる。きっとそれは、何年経とうが変わらないことで、時間を重ねる度に募らせ、膨れ上がって育ものなのだろう。
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