茹るような炎夏。夏休み真っ盛りの音駒高校では、祝日にも関わらず生徒の姿が多く見られた。
三年生が夏の大会で引退し新体制となってまもない運動部は勿論、コンクールが近い吹奏楽部や秋の都展に向けて作品制作に熱を入れる美術部。夏休みの意味とは…?と少し考えるところはあるけれど、授業のない毎年夏の風物詩に少しだけ胸が躍る。

咽せ返るような熱気が蔓延している体育館では、今日も今日とてシューズが床を擦る音やボールが跳ねる音とみんなの声が響いていた。
三週間に渡り行われた夏のインターハイ東京予選は、一次予選を突破したものの二次予選にて昨年優勝校の井闥山と当たり敗退。ベスト8止まりとなった。
春高まで残ると宣言した三年生はこれが最後のチャンスだと凄い気迫で、毎年恒例の夏合宿を今週末に控えた今では時折背筋がゾッとするほどの鬼気迫る表情をしていることがある。

「休憩ー!」

主将であり幼馴染のクロちゃんがそう言うや否や、もう一人の幼馴染である研磨がパタリとその場に寝そべった。この湿度と気温にやられた彼は、今にも体育館の床と一体化してRPGに出てくるモンスターのように溶けてしまいそうだ。
先ほど確認したドリンクの残量は持ちそうで、タオルも足りているからとそのまま二人の元へ駆け寄った。
マネージャーが一人しかいないバレー部では休憩時には設置してあるジャグから各自でボトルに補充することになっているが、研磨はこうなるとテコでも動かないためズルズルとクロちゃんに介護される。

「研磨寝るなー」

甲斐甲斐しく研磨を起こそうとするクロちゃんに駆け寄ってボトルとタオルを手渡すと、サンキュと頭を軽く撫でられた。そんな仕草に「女慣れしてるなぁこの男は」と謎の視線を送りつつ、研磨にも渡す。

「起きて、研磨。次、サーブ練したらお昼だから」
「確実に吐く…………」
「昨日吐かなかったから、今日も吐かないよ」

むくりと上半身を起こした研磨にボトルを手渡すと、キャップを開けてゴキュゴキュといい勢いで飲み始めた。上下する喉仏を汗が滑り落ちていく様子が最高にえっちだ……なんて少し変態くさい思考になっていると解放していたドアの方から女性の声が聞こえた。

「失礼しまーす。三年の朝日奈でーす。黒尾鉄朗くんいますかー?」

遠慮のない、慣れきった声は美術部の朝日奈先輩のもので、名前を呼ばれたクロちゃんが彼女に駆け寄っていく。
朝日奈先輩────朝日奈和花那先輩はクロちゃんが研磨の隣の家に引っ越してくるよりも前の保育園時代の同級生らしく、高校で再開したのだとか。

「朝日奈先輩、かっこいいよね」

研磨に話しかけるように呟くと、タオルで汗を拭いていた研磨もジッと二人を遠目に見る。
黒い半袖シャツに所々カラフルな絵の具で汚れた紺色の長袖ツナギ。袖を腰の位置で巻き、ズボンの裾も脹脛あたりまで捲られている。真っ白な素足は裸足で、校内指定の学年カラーのスリッパを裸足のまま履いていた。決して綺麗とは言い難いけれど、美術部のいかにもといった服装はその男子顔負けの高身長と相まってカッコよく見える。
本人も本人でとっても気さくで私も会えばお話しするのだけど、同性の先輩がいないからかほんの少しの憧れを抱いていたりいなかったりもする。

「花蓮には似合わないよ」
「知ってるよ」

言いたいことが正しく伝わってい他のだろう。研磨はぶっきらぼうにそう吐き捨てたが、花蓮は身の程を弁えていますといった表情で答えた。ただ、憧れるくらいいいじゃないか。お花柄のワンピースや華々しいアクセサリーも可愛らしくて好きだけれど、ジーンズとシャツというシンプルな服装がこれでもかというほどに似合うかっこいい女性になってみたいなんて。
むすっとしていると話し終えたと言わんばかりにクロちゃんが戻ってきた。

「?何不機嫌になってんだよ」
「なってないよ」
「別に……先輩、何て?」
「ん?あー……ちょっと野暮用?」
「何それ」

クロちゃんは「まあまあまあ」と話す気など無いといわんばかりにいつもの笑みを浮かべて会話を適当に流す。そろそろ練習再開すると言ったクロちゃんに対し、研磨は気だるげに立ち上がった。
花蓮は二人のタオルとボトルを受け取りつつ頑張ってねと言ってまた作業に戻る。
お昼になったらタオルを一度洗濯したいし、午後は三対三をはじめとしたゲーム中心の練習だからビブスの用意もしないといけない。脳内で練習を円滑に進める算段を立てつつジャグの中を覗き込んでみたら底が見えつつあったのでドリンクと氷の補充からだった。



「あれ、朝日奈先輩!」

お昼休憩の際、炭酸ジュースでも飲もうかと中庭に設置してある自動販売機へ向かうと、同級生で同じ美術部の平井先輩と笑いながら紙パックのジュースを飲んでいる先輩がいた。

「花蓮ちゃん!さっきは部活中にごめんね〜お疲れさま」
「いえいえ!ちょうど休憩中だったので。先輩達もですか?」
「いや、私らはもう帰るところだよ〜今日は夏まつりだし」

はたと動きを止めて先輩の顔を見ると、彼女は知ってて当然という表情をしていた。
夏まつりは都内でも数か所で開催されるけれど、確かに近場で行われる一番大きい催しのポスターを最近見かけた気がする。それが今日だったのか。

「花蓮ちゃんは研磨くんと夏祭り行くの?」
「………えと、すっかり忘れていて。話してませんね。
先輩は誰かと一緒に行くんですか?」
「ん?ふふ、まあね!自分から行こうとは思わないけど、誘われたら乗るタイプだよ私は」
「和花那ちゃん、朝からだいぶテンション高かったよね」
「わはははは」

朝日奈先輩は笑いながらもリュックサックから財布を取り出し、何の気無しに「花蓮ちゃん何飲む?」と聞いてくる。お言葉に甘えて奢ってもらったらそのまま午後も練習頑張ってねと言われた。
パキリとキャップを開けて無色透明なソーダを飲むと口の中でパチパチと甘く爽やかな風味が弾ける。ラッキーだったなと嬉しい気持ちでいたけれど、はたと動きを止めた。

私、一日練習だって話したっけ?



「ふうん。行きたいの?暑いし絶対人多いし明日も朝から練習なのに?」
「だよねぇ」

夏祭りと聞くとウキウキするし行ってみたいとは思う。けれど、行動に移そうとは軽い気持ちで思えなかった。今からだと友人は集まれないだろうし、と研磨を試しに誘ってみれば彼は予想通り「行かない」と言う。

「じゃあやっぱ諦めよっかな。お母さんも晩御飯用意してるだろうし」
「………家からでも花火は観れるんじゃない?2階なら、ギリ」
「え」
「どうする?」

そんなの。答えは一つと決まってるじゃないか。
幼い頃は3人で夏祭りに行くことは多かった。クロちゃんがイヤイヤながらも付き合う研磨の手を引いて、はぐれないようにともう一つの手を繋いでくれて。でも、ここ最近はクロちゃんに彼女が出来たり私も友達に誘われたりと研磨と花火を見る機会は少なくなっていた。
嬉しくないわけがない。家の前で研磨と別れて玄関のドアを開けると、すぐさま母に研磨と花火見ると話した。
母は「あらあら」とにこやかに浴衣でも着る?とノリノリで提案をする。浴衣なんて一年に一度着るか着ないかだし、機会がある時には着た方がいいかと是の返事をする。
早めの晩御飯を食べてシャワーを浴び、顔と髪はどうしようかと髪を乾かしながらあれこれ考える。いつもはおさげだからお団子にしようと淡い空色のシュシュで手早くまとめ、最後に夏らしいクリア素材のブルーとグリーンのピアスを両耳につけた。

「どう?びっくりしたでしょ」
「うん」

普段は部活だからと滅多にしないメイクをして意気揚々と孤爪家に向かうと、猫のようなアーモンドの瞳を丸くした研磨が出迎えてくれた。
てっきりそのまま研磨の部屋でゲームでもしながら時間を潰すのかと思えば案内されたのは中庭。研磨の母からの提案で、打ち上げの時間までは庭で線香花火をすることとなった。

「ね、せっかくだしどっちが長く持てるか勝負しようよ」
「いいけど」
「やった!じゃあ火、付けるね〜………」

二人で縮こまってパチパチと次第に大きくなる火花を見る。日本の夏の風物詩といえど、研磨にとっては興味を惹かれるものでもないのかなと思ってればそうでもないらしく、珍しく真剣にジッと見つめている。コントローラーを握り素早い指遣いで画面の中の敵をバッサバッサと薙ぎ倒すその手指は微動だにしていない。
強敵だなと思いつつ無言でいると、その心地良い沈黙を破ったのは研磨だった。

「クロ、朝日奈先輩と夏祭り行ってるって」
「アレ、そうだったんだ」

朝日奈先輩のことだから美術部の中でも仲のいい平井先輩と行く思っていたのだけど、まさか誘ったのがクロちゃんだったとは。なかなかスミに置けないヤツだなんて思っていると、研磨が何でもなさそうに呟いた。

「好きなんだってよ」
「……え?」
「朝日奈先輩のこと。クロが」
「えっ……え!?あ!!?」

衝撃的な幼馴染の恋愛模様の告白に動揺し、終わりかけだった線香花火は勿論落ちてしまった。だが、それどころではない。

「動揺しすぎじゃない?」
「え、だって、クロちゃんが!?先輩を!!?」

『鉄朗くんの幼馴染にこんな可愛い女の子がいたなんて知らなかったよ〜
ね、今度私と遊ばない?』
『堂々と俺を差し置いてナンパしてるんじゃないデスよ』
『冗談だってば〜!遊びたいのは本当だけどね。
初めまして、2年の朝日奈和花那です。よろしくね』
『鉄朗くん………』
『わはは。研磨くんと同じ反応してる』

クロちゃんの恋愛歴を私は全て把握しているなんてことはないけれど、研磨には話すのか…同性だし、研磨だからこそ話しやすいのだろうか。

「はわわわわ………!確かに仲良いけど……うまく行くといいねぇ」

研磨は頷いて、花蓮が握りしめていたただの紙管となった線香花火を目にして言った。

「俺の勝ち」
「いっ今のはしょうがなくない!?」
「はいはい。じゃあ次ね」

先ほどはしてやられてしまった。だからこそ今度は自分から話題を振る。

「朝日奈先輩、かっこいいよね」
「………そうだね」
「私には似合わないとは知ってますけど」
「またその話?」

呆れたようにして研磨は言った。

「花蓮はあの人とは違うよ。あんなサバサバとした性格じゃないし、マイペースじゃん」
「それ、研磨が言うの?」

マイペースなのは研磨も同じでしょうよと思ったけれど、研磨は意にも介さずジッと線香花火を見ていた。

「………カッコよくなりたいの?」
「そりゃあ、なれるものなら」
「ふうん………」

毎日部活で汗だくになりながらみんなのサポートをするのが苦なんて思ったことはない。疲れるけど、やりがいはあるし楽しい。一つの競技に熱中して共に勝利を手にする。これぞチームスポーツの醍醐味。最高。
でも、それだけが青春ではないと知っている。友達と放課後に遊んだり、おしゃれして出かけたり。そういうこともしたいと思わないことはないのだ。
自分とは違うタイプの同性ならば尚更、目を引いてしまう。

「花蓮は、今のままでいいと思うけど」
「、え」
「似合うよ」
「えっ」
「俺のためにおしゃれしたんでしょ」
「え!?!?」
「図星か」
「そそそっそ、そんなわけ!」
「ふうん?」

浴衣を褒められたのはあきらかで、じんわりと熱が込み上げて顔が赤くなるのがわかった。
研磨の瞳が弓形に細まる。その笑顔に動揺し、またも線香花火が落ちてしまったのは言うまでもない。
あーあ。何回やっても勝てそうにないな。




Special thanks まほろちゃん!




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