季節は、秋。
夜雨に濡れた柿の葉は茂り、実を大きく付けている。山間部にあるその場所は早朝ともなれば霧が立ち込め、冷え込んでいた。
「中学生を50人も………!?
高校日本代表候補の合宿にですか……?」
寒々しい空気の中で響いたトレーニングコーチの大きな声は、電話口で何の冗談だと大きく笑っている。
揃いの白いジャージを身に纏いランニングをしている高校生は、その声聞いてニヤリと悪い笑みを浮かべていた。
「………おい、聞いたか?」
「ああ。せっかくだ、可愛がってやるか」
自分達より年下だと軽侮する声を聞き、彼女は白けた視線を一瞬だけ彼らに向けた。
「…………」
ダッシュから小走りへとスピードを落として、次第に歩く速さになった彼女に、どうしたのだと並走していた金髪の少年―――入江奏多は足を止めて振り返った。
「どうしたの?」
「奏多こそ、どう思う?」
「質問に質問で返さないでよ」
まあ、答えるけど。と入江は顎に手を当てて口を開いた。
「中学生の実力は知らないけど、ここに呼ばれるってことは相当なんだろうねぇ………
きっと今頃、どんな選手と出来るのか!どんな練習をするのか!ドキドキしながらあの門を潜ってる頃だと思うよ!」
「自分が招集された時みたいに?」
「フフッまあね」
二人はケラケラと笑いながらトレーニングに戻ろうとまた足を動かし始めた。
ここ、U-17日本代表候補合宿は高校生以下約300名のテニスプレイヤーを育成するための施設である。
山一帯を合宿所として使用している為、その広大な敷地内にはテニスコートは勿論国内有数の数を誇りトレーニング用の施設や最新鋭の機械や専門のコーチが在籍している。選手が快適に過ごすための寮やレストラン、図書館なども完備されている為防犯カメラや赤外線、ドーベルマンなど警備セキュリティも厳重だ。
通常であれば、そう簡単に侵入はできないししようとも思えないだろう。
そんなU-17日本代表候補合宿に、今年の夏の全国大会で活躍した中学校を中心に中学生50名が招集された。
「どちらにしろ、賑やかになりそうだね」
「そうだね」
海外遠征に行った仲間を思い浮かべて、彼女はそう微笑んだ。
・
「この後どうする?」
「僕は噂の中学生でも見に行こうかな」
「お、いいねぇ」
ランニングを終えた2人は16面コートに向かいながら歩いていると、正面によく知った背中を見つけた。
「鬼君!カズヤも、おはよ」
「おう」
「二人はこれから練習?」
「はい。朝の特訓の相手を……、」
そう四人で話していた時、空からテニスボールが降ってきた。
大量に振り注いだそのうちの一つを手にして、何の変哲もない普段使用しているボールだと握る。
『監督から伝言があります。
ボールを250個落とす。取れなかった46名は速やかに帰れ────と』
聞き慣れた黒部コーチの園内放送に成程な、と思いながらボールをラケットの上で跳ねさせた。
「今日から参加する中学生と、今は遠征でいない1軍を合わせると確かに多すぎるかもね」
「だね〜………ま、誰が残ろうと誰が去ろうと、あんまし関係ないかな」
「ああ。………行くか、徳川」
「そうですね」
1番コートに向かおうとする鬼と徳川に「ええ〜中学生見に行こうよ!」と入江が声をかける。
「きっと、やる気に満ち満ちたピッチピチの若人だよ?」
「興味ない」
「冷たいなぁ〜」
鬼に一蹴された入江を援護するように「でも」と声を上げた。
「ほら、あっち騒がしくない?」
「そうですね………少し行ってみますか?」
試合をしているのか、野次とも歓声とも呼べるような声が聞こえる。
徳川の声に従ったのか、喧騒が気になったのか。鬼は小さく舌打ちをして16面コートの方へ足を向けた。
・
コートでは、中学生が取ったボールを掛けて野良試合が行われていた。
どうやら一人で多くのボールを獲得した中学生がいるらしく、高校生でも9番コート以降のメンバーは全滅…強制退去となったらしい。合宿に何としてでも残ろうと躍起になっている高校生に呆れて、声を真っ先にかけたのは入江だった。
「相手の力量も測れず戦うとは、浅はかですね」
その声は決して大きくなかったが、中学生の実力に圧倒されて怯んでいる高校生にとっては何よりも大きく響いた。
「見苦しいぜ!!
もうボールを取れなかった奴等は帰んな!これ以上醜態晒すなよ!!」
合宿内で兄貴分的立ち位置にいる鬼の一括により、試合の途中だった者もそうでなかった者も、ボールを所持していない者は荷物をまとめて走り出した。
「相変わらず優しいねぇ、二人は」
「………貴女は相変わらずですね」
「これがここのルールだからね」
彼女の挑発するかのような言葉に、徳川は目を細めた。
中学生はまだ試合をしていたかった様子。高校生を倒して自分たちの力を示したかったのだろう。
だからこそ、割って入り試合終了のピリオドを打った四人へ視線を向ける。
「ゴメンね。勝手な試合は本来ここでは厳禁なんだ。
U–17代表合宿では実力の順に1番から16番までコートが分けられてるんだ。ちなみに、番号が若い方が強い選手ね。
この合宿では毎日練習前、コーチにより何組か『シャッフルマッチ』が発表される!上に行くにはそれに勝つしかないよ。対戦相手を引きずり落とすのがここのルールなんだ」
合宿内のルールを一通り説明した入江は、中学生の顔を見てにっこりと笑って自己紹介をした。
「僕は3番コートの入江!よろしく」
「………5番、鬼!」
入江が作った少し空気が緩む。それに押されたのか、先程高校生に善戦して調子に乗ったのか。山吹色に黒のラインが入ったジャージを着た男の子が徳川に気軽に話しかけた。
「アンタは強いんスか?いや〜〜ボク試合……」
徳川はその少年を恐ろしく冷たい視線で射抜いて淡々と告げた。
「帰りたいのか?」
徳川の威圧感に押されたのか、少年は距離を取る。
「彼は徳川カズヤ。1番コートだよ」
そんな彼に優しく教えてあげたのは入江で、それを一瞥したカズヤは「練習に戻りましょう」と言ってその場を後にしようとした。
けれど、コートから出ようとする鬼に中学生がぶつかったのか、再度緊張が走る。
「おい、デクの棒……痛えよ」
その声に、鬼君は一言だけ「あまり生き急ぐなよ」と返答した。が、中学生も中学生で喧嘩腰。一束触発の空気の中で、他の中学生二人に声をかけられてそれも脱したようだった。
その時だった。ボールが唯一何も話さなかった彼女めがけて飛んできたのは。
「おっと!
随分な挨拶だなぁ………血気盛んだねぇ」
何もなかったかのようにラケットのフレームでボールを弾ませながら笑う。ボールを投げてきた白い帽子をを見てニヤリと笑った。
「アンタは何でここにいるんだよ」
「そう睨むなよ……可愛い顔が台無しだぞ?」
「かわいくなんかっ」
「可愛いって。小さい頃から……って、リョーマ、お前こんなに小さかったっけ?縮んだ?」
帽子の上からグリグリと頭を撫でつけていると、パシリと手を払い落とされた。だが、それを気にする彼女でもないので少しむくれているリョーマに対してヘラヘラとした態度を崩さない。
「知り合いなの?」
「まぁね〜」
そう言って彼女は、被っていたフードを脱いだ。
光に当たると深緑にも見える肩まで伸びる黒髪は後ろで一つに括られている。アーモンドの瞳に挑発的な笑みを浮かべる口元。
「どーも。
越前リョーマが世話になってます姉のリョーコです」
・
「私の弟、リョーマっていうの。可愛いでしょ」
「………リョーコって、ひょっとしてブラコン?」
「遠慮が無さすぎるぞ入江……」
親しげに高校生と話すリョーコに、中学生は驚きの視線を隠すことなく注いでいた。
地方大会から全国大会にかけて繰り広げられた数々の試合の中でも、とりわけ注目度の高かったルーキー。優勝校である青春学園の期待の一年である越前リョーマの、姉。
顔立ちは大人びているもののどこかリョーマに似ている。だが、その身長は似ても似つかぬ長身で、リョーマの頭を肘置きにしていた。
「見たところ、ジャージの色が違うようですが………トレーナーの方ですか?」
「いや、トレーナーでもないし選手でもないよ。
でも、白ジャージはニ軍だけど、赤は一軍の色だからね」
「!!」
その言葉に全員が顔色を変えた。
U–17合宿における一軍とはこの合宿で最も強い上位20名を指す。その者だけが着ることのできるジャージをリョーコは着ているともなれば、それは緊張が走るのも当然だった。
「ほんと、何でいるの?」
「父さんから何も聞いてないの?
合宿招聘の手紙、私が父さんに預けたのに」
「聞いてないけど………まあいーや。
ね、勝負しようよ」
「話聞いてた?私闘はダメだって言われたでしょ。
それにねぇ…勝負を挑むくらいならちゃんとそれ相応の力を身に着けてからにしてくれよ。結果が見えてる試合ほどつまらんものは無いんだから」
「それを確かめるためにもやろうって言ってんの」
「確かめるまでもないからやらなくていいって言ってんのよ……でもまぁ、そうだねぇ………」
リョーコはチラリとコートに設置されている監視カメラに視線を向けて言った。
「とりあえず3日。この合宿所で生き残れたら、どれだけできるのか相手してあげるよ。全員」
「!」
「私は選手じゃないけど、一応一軍の括りなんだ」
「…つまり?」
「私は選手じゃないから野良試合はいつでも出来る。でもシャッフルマッチは出来ないんだよ。
シャッフルマッチは勝敗によりコートを交換してのし上がるシステムなんだけど、まあ私と良い試合ができれば次の日のシャッフルマッチでそれ相応の相手と戦うことをコーチが判断してくれるって感じかな」
「ふーん………」
「励めよ。
他の高校生は兎も角、私は君らに期待したいんだ」
それは後に開催される世界大会があるからこそ言えることだ。
徳川、鬼、入江に続いて背を向けて歩いて行くリョーコの背中に、リョーマは言った。
「絶対アンタを負かす」
「はっはっは!やってみなよ…出来るものなら」
手を振りながら余裕綽々に答えた姉の背中は、遠く感じた。
「………まさか、越前に姉がいたとはね」
「それに、1番コートの徳川………」
「奴の目を見た瞬間、身体が……幸村部長に似た何かが………くそう、何なんだアイツら………」
「このU–17合宿……思ったより化け物がいるようですねぇ」
決して油断をしているわけではない。それでも、明確に先程戦った高校生とは違うことを感じ取り、今一度気を引き締めた。
「越前さん、弟さんいたんですね」
1年前にこの合宿所に召集されて以来共に過ごしてきた一つ年上の越前リョーコの私生活を、徳川カズヤはほとんど知らなかった。
高校3年生で、誰にでも気さくに話す彼女は一部の人間から「姐さん」と呼ばれるほど慕われており、その実力も言わずとしれている。そんな彼女の弟と聞けば、きっとこの場所では彼を見る目は変わるだろう。
「うん。海外でフラフラしたりしてる可愛い可愛い弟」
「強い?」
「いんや??まだまだだよ」
「!」
リョーコがどのような経緯でこの合宿所にいるのかは知らない。しかし、この短い付き合いの中で「まだまだだよ」と言う口癖は『伸び代がある』ということを指し示していた。
「フッ………おもしれーじゃねぇか!!」
U–17合宿に中学生が召集されるのは初めての試みであり、高校生にとってもいい刺激になるだろうと予感していた。
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