ホワイトデー防衛戦

 あの衝撃的なバレンタインデーから時間は過ぎ去り、ホワイトデーの一週間前。オレは未だにどうしたら良いのかと迷い、悩んでいた。寒々しい日、きらりと光った橙の瞳と、荒い息と、中途半端に開いたファスナーから覗いていたチョコ。そのチョコは一体誰に渡すのかと思いきや、鞄から無造作に取り出してオレの胸元に押し付けて、言うだけ言ってサッサと戻ったあの後輩。からのチョコ、と告白。
 "今返事しろなんて言いません。けど、あんたの為に作ったから捨てずにその腹ん中へ納めてください"
 捨て台詞。そう呼ぶに相応しい状況だった。だって勝手に呼びつけて、勝手に押し付けて、勝手に告白して、それで逃げたのだから。寧ろオレには怒る権利が与えられる筈で。けれど、わざわざ呼びつけて怒鳴るのも可笑しな話で。
「あ゛――――」
 ボフンとベッドに飛び込んだ。グダグダ考え込むのも馬鹿らしく思えて、やけっぱちの呻き声をあげる。そんな事で今の悩みが解消する訳でもなし、気分がすっきりするでもない。気晴らしにもならない無益な行動をやってしまう程度に、今のオレはあいつで頭がいっぱいになっていた。
 見慣れた天井が目に入る。もうすぐで、この天井ともおさらばなのだ。と思うと変に感傷的な気分になってしまう。お遊びにしては様子がおかしかったし、そもそも手作りなんて手の込んだものをお遊びで寄越すかと問われれば疑問が浮かぶ。
 高尾和成という男は、コミュ力があって、物怖じせず、バスケットボールという競技にどこまでも真摯な男。足りないフィジカルを頭と技術でカバーしている印象が強い。後練習狂い。そもそも、あの緑間(天才)に喰らいつける辺り、只者ではないし、気難しいという言葉では生温い偏屈の極みたいな男と相棒だと胸張って言えるのだから、高尾も高尾で変人枠に組み込まれる。
 可愛い後輩と呼べる部類ではあっただろう。一般で秀徳の受験スルーして、なんの期待も掛けられていなかったのに、スタメンにまで上り詰めた。実態は大変やかましいし、想像以上にゲラで、鋭い眼差しの割に愛嬌たっぷり。レギュラー以外から結構可愛がられていただろう。懐かれていたのは、オレを含めたスタメンだったが。
「……あいつ、何考えてやがんだ」
 小賢しさに定評のあるPGというポジションだったせいで、可愛げのある日常とは姿を変え、相手を追い詰めこちらへ有利な試合運びとなるゲームメイクを得意としていた。つまり、罰ゲームなどでオレにチョコを渡すなら、もっとさり気なく、オレが罰ゲームだと気付かないように仕組んだはず。あんな真っ向から渡す訳がない。
 "あんたの為に作ったから"
 というフレーズが脳を巡る。本命、本命なのだろうか。しかしオレもあいつも男。――けれどそういえばAVが部室に持ち込まれた時、高尾はなんだか曖昧な態度だった気がする。深入りされると困るみたいない雰囲気を滲ませていた。あの時から女の身体に然して興味がなかったとしたら合点が行く。
 けれど、高尾はオレに劣情を含めた眼差しは向けていなかった、と思う。オレが気付いていなかったといえばそれまでだが。
 オレは高尾和成ではない。つまり、あいつがバレンタインチョコをオレに渡した理由は分からないのだ。本命であろうとなかろうと、結構な手間暇をかけて作られたであろうモノにお返ししませんというのは不誠実にも程があって落ち着かない。
 ホワイトデーフェア真っ最中だとテレビでもやっていたし何かはあるだろう。何を渡すかはさておき、店を巡って置くのは悪い事ではない。
「オレちょっと出て来る」
「あ、おい兄キ」
「なんだよ裕也」
「外出るならついでに消しゴム頼む」
「はぁ? ……仕方ねーな」
 リビングで勉強していた裕也に一声かければ、買い出しを頼まれた。消しゴムくらいオレの部屋から持っていけば良いだろうと思いながらも、仕方ないのでそれを引き受けた。後で金はぶん取る。
 扉を開ければ、すっかり春めいた陽気が頬を撫でて、風に乗って運ばれたであろう花の匂いが鼻孔を擽った。
 
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「しっかし人多いな」
 住宅街から抜けて、繁華街に辿り着けば一気に視界下を埋めた人混みに思わず不機嫌さが増してしまう。よく考えなくとも休日であるのだから、当たり前といえばそれまでなのだが。こっちが悩みを抱えているのに、のんきなものだとつい毒づきそうになるのを堪える。他人がこっちの事情を知る訳ないし、ただの八つ当たりになってしまう。
 気を紛らわせるため、高尾から貰ったチョコを思い返してみる。
 まあただのチョコクランチといえばそれまでなのだが。市販品はチョコが多くてあまり好きでないと、いつかの雑談で言ったのを覚えていたのか、随分薄付きだった。甘さ控えめで、どっちかといえば苦味が強くて、オレに気を遣ってビターチョコを使ったのが伺える。
 シンプルな包装だった。手が汚れないようにと、チョコ一つずつにラップが巻かれていて、それに多少の飾り付けがされたラッピング用のビニールに突っ込まれていた。女子から貰うような可愛らしさなど一ミリもなくて、高尾らしいと思った。あいつは案外大雑把だから、変に凝ったものじゃなくて、シンプルでいいやと考えたに違いない。
 けれど、同じものを緑間に寄越していたのも思い出して、まるで折れ線グラフの下がり角みたいな気分の落ち方をした。副産物と言っていたが、妹と作ったやつの余りなのだろう。けれど、だったらあんな事言わないだろう。オレに渡す時そこまで緊張しなくて良いはずなのに、あんな覚悟を決めた顔で、何かを堪えるような歯の食い縛りをする必要ない。
 思わずその場に蹲りそうになった時、声をかけられた。
「宮地さん? どうしたんですか、こんな所で」
「あ゛ぁ!? ……なんだ緑間だったのか。驚かすなよ、焼くぞ」
「勝手に驚いたのは貴方なのだよ。それよりも、ここは女性向けショップが並ぶところですけど、何か用があるのですか」
「え、あー……そんなとこだ」
 物思いに耽っていると、いつの間にか普段は近寄らない範囲まで足を伸ばしていたらしい。丁度用事があったらしき緑間に声をかけられる。冷静になって周囲を見渡せば、確かに女だらけで途端に気まずい思いが込み上げた。
 咄嗟にここで待ち合わせしてました、みたいな表情で緑間の隣に並び立つも、周囲の視線は散るどころか何故か集中して来た。流石にこの中を一人で闊歩するのは憚れたので、都合が良いと言わんばかりに緑間の肩へ腕回し顔を寄せる。「お前の買い物に付き合ってやっから、オレと行動一緒にしろ」と小声で告げれば、あの緑間にしては珍しく素直に頷いた。こっちの悩みが分かっているような顔をしていたのはムカつくが。
「それで緑間は何買いに来たんだよ」
「今後のラッキーアイテム候補です。まだまだこの世には変なものが多いので」
「いや、その変なものを持ち歩くお前もお前だっての」
「そうでしょうか」
「そーだよ」
 女子たちがひそひそとこちらに向ける鬱陶しい目線を振り切るように、緑間が目的の方へ歩き出し、オレもそれに追従する。本当にこの通りへ用事があるらしい。意外にも程がある。
 
 ****
 
 緑間と連れ立ってきたはいいが、明らかにファンシーな見た目をしたショップの入り口を通った緑間に身体が凍る。いやだって、偏見なんざ無いが、あまりにも似合わない。顔立ちはともかく、この男恐ろしいほどにガタイが良く、ついでに言うなら超長距離三Pなんていう非常識にも程があるシュートを持ち技にしている影響で腕の筋肉が半端ないのだ。今でこそ長袖の下に覆い隠されているが、初対面の時それが晒されて、うわっえげつねーと思ったのが懐かしい。
「それで、こんな所で何を買うんだよ」
「色々です。場合によってはフレグランスの香りまで指定されている事があったりするので」
「はー……よくやるよ、お前」
「慣れていますから」
「高尾はどうしたんだよ」
「あいつはゲーセン籠りなのだよ。部活で回数が減っているから、その分一日にやる時間を限界まで増やして技術を伸ばすのだと言ってました」
 緑間も緑間だが、高尾も高尾だ。当たり前の顔でゲーセンに何時間も籠るとか正気の沙汰とは思えねーし、そもそもオレに告った事を忘れたみたいな態度してるのが気に食わない。
 ――待て、なんで気に食わないって単語が出てきた。
 隣であれこれとレジカゴに入れていく緑間を横目に考え込む。甘ったるい匂いが充満した空間では碌に考えが纏まる気もしないが。というか、実際とち狂った答えが出かけては、違うだろと自分で自分にツッコミを入れる始末。
 だって、オレは高尾の事を生意気で小憎たらしい多少可愛い後輩ってだけだ。決して、あいつみたいに男を好きになるだなんて、しかもバレンタインなんていう季節イベントに乗っかって告白してくるみたいな奴をだなんて、するはずがない。
 "その腹ん中へ納めてください"
 木枯らしが吹き荒ぶ中、冷たい風が頬を掠めていく季節の中。オレを真っ直ぐ狩らんとばかりに見つめるあの橙が頭から離れない。
 あちこち動き回る緑頭をどこか覚束ない足取りで追う。もう何を買っているのかだなんて、そんな事を気にする余裕などなくなっていた。
 "宮地サンが好きです"
 冬特有の澄んだ空気が鼻の奥を突いた。まだまだ白い息がマフラーの中で籠ってそこだけ暑かった。黒い学ランが、弾んでいて、冗談みたいに顔を赤く染めてて。
「――ゃじさん、宮地さん」
「ぁ?」
「会計終わりました。次は貴方の買い物に行く番なのだよ」
「おー」
 ハッと意識が戻る。甘い匂いが充満した店内で、ここ一年ですっかり見慣れてしまった緑色が傍に立っていた。どうやらぼんやりとしている間に会計まで終えたらしい。どれくらいの間意識飛ばしてたんだ。それはともかく、気まずい思いはもう終わりを迎えるようで安堵が込み上げて来る。
 オレが買うものは、もう決まったも同然だった。昔クラスメイトに見せられたホワイトデーのお返し特集に乗っていた文言。普段なら信じるのも馬鹿らしいが、今だけそのおこぼれに乗せてもらおう。そう心に決めて、この辺で買えそうなところを緑間と共に見つけに行くのだった。
 
 ****
 
 迎えたホワイトデー当日。無事に第一志望の大学へ受かったオレは心置きなくモラトリアムを楽しめる立場になった。とはいえ、もう既に卒業式を終えた身。新体制受け入れの準備がすっかり整っているところに顔出しても碌な事にならないのは分かりきっている。
 邪魔にならないよう、適当な時間を選んで高尾にメールを送った。練習の休憩中にでも返信を寄越すだろう。まさかあの高尾に限って当日別の用事を入れているとは考えにくい。オレがそう信じたいだけなのかもしれないが。
 高尾を待つ間手持ち無沙汰にも程があるので、大学側から寄越された課題を終わらせてしまおうと椅子に腰掛ける。念のため、アラームをかけておく。バイブレーション付きで。時間を忘れて没頭するという経験が薄い以上何も言えないのだが、それでもと自分に釘を刺しておいた。
 
 大学から渡された課題は難易度こそ高く思えるが、実態は高校の復習だ。自分で選んだ学部だし、得意分野が多いので特に引っ掛かりもなく黙々とこなしていく。朝方に始めたそれは、ふと気付くと一つ分中身が埋まっていた。
 高尾からの返信はと携帯を開いて確認すると、そこにあったのは「了解でっす、高尾ちゃん良い子にしてますから、早く来てください」という相変わらずの言葉。こいつ本当にオレの事好きなのかと疑いそうになるが、好きじゃなければあんな事しないし。そもそも罰ゲームだったとしても関係ない。
「悪い、オレちょっと出て来る」
「あらあら、……いってらっしゃい」
「?」
「気にしないで」
 家から出る前にキッチンで何かしていた母親へ声をかけた。振り返った母親は、どこか楽しそうに笑いながらオレを見送る。何かを期待するみたいな目だったが、女子から貰ったチョコの返事でもしに行くのかと思われているのだろう。微笑ましいものを見る眼差しだった。かれこれ二〇年近くは家族としてやっているのだから、それくらいは分かる。
 玄関を潜ると、気が早い桜の花びらが風に煽られて目元を撫でるように飛んでいった。もうすっかり春だ。
 少しぶりの秀徳までの道。電車もバスも、どちらの定期も生きていたのでありがたく使わせて貰う。別に学校へ行くわけではないが、学校近くまで行くのは確かなので怪しまれないだろう。ついでに返し忘れた図書室の本も返せる。
 その辺にあったカバンには財布と定期入れ、図書室の本、高尾へ渡す"お返し"。量としては、スポーツバッグに詰め込んでいた時の方が重いのに、何故か今持っている鞄の方が重たく感じる。材質の違いか、それとも心持ちの違いか。
 通い慣れた道で進む、抱いた事の無い気持ち。
 夕焼けが目を眩ませる。あぁ、あいつの瞳みたいだなとぼんやり思った。
 校門にいた守衛さんに事情を話し、本を手渡す。学校の用事終了。別に校舎へ立ち入り制限されていないが、制服ではなく私服だったのでなんとなく憚れたというだけだ。部活中の高尾に会うのが気まずいとかではない。決して。
 そのまま、ロードワークで走った道を辿って公園に入る。いつも素通りするばかりの小さな公園が夕焼けに照らされて輝いていた。遊具もなく、寂れたベンチが数脚置かれただけの場所。なんとなしに座って、そのまま暇つぶしに携帯を開いた。
 のと同時に、誰かがこちらに向かう足音が聞こえて、ため息を吐いて待ちくたびれというポーズを取る。
「すんません、待たせて」
「いーや、にしても終わるの早いな」
「あ、もしかしてサボりって疑われてます? ちゃんと終わってますよ」
「相棒サマはよ」
「真ちゃんは馬に蹴られたくないって」
「……一丁前に気遣ってんじゃねえよ、轢くぞ」
「あ、宮地サン照れてます?」
「そんなんじゃねーよ」
 顔をあげれば、揺れる濡羽色が目についた。よく考えれば、こいつ黒づくめなんだよなと思う。だからこそ、試合中に一瞬向けられる橙が酷く印象深いのだけれども。
 公園の中央を陣取るように植えられた桜が高尾の表情を陰らせる。何かに期待しているような、何かを諦めているような。瞳だけで雄弁に感情を語る癖して、その口から出る言葉は軽妙なものばかり。
 腹の探り合いなんていうまどろっこしい事性に合わなくて、鞄からさっさと飴が詰まった瓶を取り出し、高尾の胸元へ押し付ける。顔が酷く熱い気がした。こいつが意味を知る訳ないから、意味を尋ねられたら、教えてやるつもりだったのに。
「……言葉でくださいよ」
 なんて、嬉しさを全面に押し出しつつ、橙から流れる滴が目に飛び込んできたから。つい動揺して、高尾を腕の中に閉じ込めた。一五cm差は抱きしめるのに丁度良いらしい。確かにすっぽり収まった。柔らかい女の子ではないし、細身ながら筋肉が付いているから華奢でもないが、それでも確かにオレより小さいこの後輩の泣く姿を誰にも見られたくないと思った。
「……好きだよ、高尾が」
「っふは、知ってます」
「ばーか、お前が思うよりずっとオレはお前が好きだっての」
 証拠にほら、こうやって唇を交えるくらい訳ない。オレと高尾の影が綺麗に重なった時、桜吹雪とこいつの橙が混じり合って、酷く綺麗だったのをずっと覚えているだろう。

少しお久しぶりです。バレンタイン、ホワイトデーにかこつけて両片思い宮高を書いてみましたが、いかがでしたでしょうか。こうして時間を置いて前後編を公開するという試みは初めてなので、ドキドキしっぱなしです。今後この世界線の彼らは遠回りしつつも幸せな日々を過ごせると信じてたいですね。お読み頂きありがとうございました