綾菜×零×奏汰




彼女が笑わなくなったのは、いつからだろう。

渉が負けてから、最後に一つだけ笑顔を見せた。

「今までありがとう、それから…ごめんなさい」

わたしの力が、足りなかったせい。そう言って立ち去ってからだっただろうか。心を閉ざして、ビー玉のようにまるい瞳の奥はいつだって悲しみに揺れている。

綾菜のせいなんかじゃない。けど、そんなことを言ったって彼女の元には届かない。オレたちが、我輩たちが伝えたところで、綾菜は前のようにニコリとも笑わないだろう。



  すう、すう。

中庭のベンチで寝ている綾菜を見かけた。夏だとはいえ風は冷たいというのに。

せめてこれだけでも、と着ていたベストを被せて自分もベンチの空いたスペースへ腰をかけた。手に持つ日傘を彼女の方に傾けて、せめて顔だけでもと日差しを遮ってやる。

「…もう、その名ではよばないで」

わたしは姫なんかじゃないわ。そう言って自分の元から去った彼女の姿はまだ記憶に新しい。表情だって、声のトーンだって、鮮明に思い出すことができるくらいに。

なんじゃ…寂しいの。こうも綺麗にみんながバラバラになってしまうのも。そういえば我輩たちを近づけてくれたのも、綾菜だったのではないかと。甘い蜜を見つけた蝶のように近づいて、妖艶に魅力を伝えてゆく。我輩たちは新しい居場所を見つけてまた輝き始めたが、綾菜はずっと眠ったままだ。大きな才能を持っているのに、もう二度とその花が開かないような気がしてしまって。どうか、もう一度笑ってくれないかや、ぼそりと呟いた言葉は夏の風に溶かされて消えた。

「『れい』ですか…?『ここ』にくるなんて『めずらしい』ですね〜」
「おお、深海くんや」

淡い水色とはまた別の、ゆるりふわりとした少年がブランケット片手に現れた。綾菜のために取りに行っていたのだろうそれを我輩のベストの上からふわりとかけて、彼女の前に座り込む。綾菜とは対称的ににこにこと笑顔を見せる彼の元に綾菜は吸い寄せられた。というよりも彼が呼び寄せたと言った方が正しいのかもしれない。


「あやな、ぼくのところへきませんか?」

「『おみず』は、『なみだ』をかくしてくれます」


周りに無頓着で興味を示さない彼がまさかとは思ったけれど、それで綾菜の涙が止まるのならばそれでいいのかもしれないと。我輩や斎宮くんでは彼女に世話になりすぎて一緒にいるだけで良いことも悪いことも全て思い出させてしまうだろうから、深海くんに任せてよかったと最近になって思うようになった。



「『きょう』はぼくたちにとって『とくべつなひ』ですからね」
「…はて、何の日じゃったっけ?最近我輩忘れっぽくて」
「うふふ、『わすれたふり』は『とくいぶんや』ですもんね…♪」
「おおう嫌な言い方じゃの…」

否定もできないので寂しげに口を尖らせてみたもののそんなことが通じるような相手ではなかった。にこにこと周りに興味はないくせに、変に鋭い彼のこと。きっと我輩が此処に来ていた時点で察してはいただろう。

今日は綾菜の誕生日だ。そして、五奇人全員にとって今日は忘れられない日である。