気まぐれ猫に御機嫌よう



手を伸ばしてね、指と指の隙間から覗き込んだ世界があった。
瞬きをして風を感じて、ぎゅっと目を瞑ってね。そしたら、そしたらね。

なんだかまた、君が笑って私のところに来てくれるような気がしてしまって

懐かしい夢のような、心の奥に眠る思い出の引き出しを。久しぶりに少し開けてみようか。

強気な彼女との一年と数ヶ月の、物語。







「なにしてんの、面白いものでもあるわけ?」

『あら、すず』


雪も落ち着いた春先に、少し遅めの梅の花が咲いていた。覗き込んだ手のひらからは透き通るような金色の髪。人形のような顔をした彼女が眉間に皺を寄せてこちらを覗き込んでいた。


『特に、何も。覗いたら、見えない何かが見える気がして』

「はあ?何言ってるのよ!見えない何かっておばけかなにか?あんたそーゆーの信じてるタイプだったっけ」

『ふふ。信じているのは私じゃなくて貴方のほうでしょう、すず。この間も夜道で猫が鳴いただけで震えてたじゃない』

「な、な、なんで綾菜がそれを知ってるのよ!もしかして見てたの〜!?私が可愛いからってストーカーはやめなさいよ!」

『偶然見えただけよ、私も少し後ろを歩いていたから』

「いたのなら声をかけなさいよっ」


ぷりぷりと怒る彼女は咲耶こすず、私の数少ない女友達…いいや、友達と言ってしまうのもなんだか癪だわ。ちょっと仲のいいお仕事仲間、くらいにしておこうかしら。この関係性に言葉をつけるのはなんだかもったいない気がするから。同じユニットではないもののプロデューサーとして気は合うようで、彼女とはよく行動を共にしている。

くるんと指先で毛先を遊ばせながら隣に腰をかける彼女、座ったってわかるこの身長差にくすりと内心笑顔を浮かべた。


「ていうか、待たせて悪かったわね。これ、お詫び」

『あら、珍しい。すずがそんな気を使うなんて。成長したわね』

「馬鹿にしてんの!?そんなこと言うならあげないからっ」

『冗談よ、ありがとう。』


確か綾菜、それ好きだったわよね。そう言って渡された温かいそれは、寒い時期にはちょうどいいカフェオレの缶だった。

冷えた指先を温めるように包みこんで、ぷしゅりとプルタブを上げれば珈琲の香りが鼻腔を擽る。

春休みだというのに制服に身を包む私たちはプロデュース科として春に向けて仕事をしていた。なんて学生らしくない、と思うけれど私たちなんかよりアイドル科の友人たちの方がよほど忙しいので文句も言わず黙々と仕事をしている。いいや、横の彼女は文句ばかりだけれど。寒い、休みなのになんで学校に、ていうか本当に寒いんだけどっ、Knightsの近くを通るたびにいつだって聞こえてくる甲高い鈴の音。まあそれでも仕事を完璧にこなしてから言うものだから、すずらしいっちゃらしいわね。

たまたま登校日が同じだったから、一緒にご飯でもどう?と誘ったのは私の方で。夜なら時間があるということで待っていたのだけれど。どうやら仕事が長引いたみたいで時間は20時を過ぎた頃。どうせ行くのはいつものカフェかファミレスなんだから時間は気にしなくていいんだけれど、ね?ほら、身に包む制服が少し面倒だわ。

あまり遅くまで制服でうろうろするのは夢ノ咲のプロデューサーとしてあまり良いことではないんだけれど。どうせだったら仕事着でこれば良かったわね、ダサくて嫌だってすずはいうけれどそちらの方が貴方の童顔を隠せていいのに。

彼女の容姿はすごく整っていて。咲耶こすずというアイドルだと言われても不思議じゃないくらい。ぱっちりとした大きな目に、絹のような肌、さらさらの髪質に女である私と並んでも肩より下に頭があるほどに小柄な体格。正直羨ましいわ、けれど身長の低さだけみればまるで小学生ね。なんて言えばまたすずは怒るんでしょうけれど。彼女と出会ったばかりの高1春、あまりにも低い身長とそれに似つかわない強気で自信過剰な性格に少し笑ってしまったことから始まった私たちの関係は、もうすぐ1年目になる。


『さて、行きましょう。いつものところでいいわよね、私は今日サンドイッチの気分よ』

「確かにあそこのたまごサンドは美味しいわよね」

『たまごももちろん美味しいけれど、最近はフルーツサンドにはまっているの』


少しずつ、少しずつだけれど。彼女との思い出を積み重ねていけたらと思うわ。高校生活の三分の一が終わるとはいえまだ長いもの。まあ、そんなこと絶対言ってやらないけれど。だって私たち、そんな関係じゃないでしょう?なんてすずに見えないところでにんまりと笑顔を浮かべる。ふわりと吹いた風の中には春の陽気を少し感じた。







友情って、なんなのかしら。ぽつりと彼女がこぼした言葉に珈琲のカップを持ち上げながら固まった。

いきなり無理難題を突き付けてくるわね、貴方には遠い存在よ。と息を吐くように返せばむっと頬を膨らます彼女に笑顔を返す。

「わからないのよね、特に女の友情は。だって必要ないじゃない?無くても生きれるんだから」

『まあ、そうね。私も友達と言える人物は彼らだけだから…そもそもこの夢ノ咲で女の友情だなんて触れる機会があるのかしら?』

「…まあ、後輩でも出来ない限り無理かもね」

『ふふ、貴方とうまくやっていける後輩ちゃんが入ってこればいいわね』


くすくす、笑いながらフルーツサンドを口に入れた。甘いクリームとフルーツの酸味が広がって美味しい。歩きながら散々おすすめしたのにすずは結局オムライスにして。まあ、確かにここのお店のオムライスも美味しいからいいんだけれど。フルーツサンドと引き分けね?なんて内心笑ってみせた。

春がきたら私たちは先輩になる。なんだか不思議な気分だわ。私は一年ながらにたくさん仕事をしてきた自信はあって、ほぼ四人の専属のようなものだけれど。4つのユニットを行き来しているみたいで楽しいのよね。もちろん仕事は手を抜かないわ、私がするのは彼らが作り上げた芸術の最後の仕上げのようなもの。完璧なものに仕上げてあげる。

すずのように、一つのユニットに属するのも楽しいのかもしれないけれど。私はきっと、ううん、絶対この形のほうがいいと思うの。少し自由にしている方が動きやすくていいわ。窮屈なのは嫌いだもの。


『Knightsの加入条件って凄く厳しかったわよね』

「当然よ、生半可な気持ちで入ってこられてもついてこれるわけないじゃない。」

『…ふふ、怖い。なるべく関わりたくないわ』

「綾菜の性格だったら十分やっていけると思うけど?」

『だとしてもお断りね。誠実さと真面目さがほんのすこし足りないわ』

「ほんの少し、ねえ」

『なぁに?』

「なーんでも!」

Knightsは無理よ、だって私すずのように真面目に練習に参加なんてしたくないもの。それに誰かを守る騎士だなんて向いてないわ。どうやら私、影で"奇人の姫"と呼ばれているそうなのよね。ふふ、姫だなんて柄じゃないけれど。騎士として私を守ってくれてもいいのよ、すず。だなんて言ってみれば露骨に嫌な顔をされてしまった。

まあ、でも。すずに守られる立場は嫌ね。私達は対等の存在でいたいもの。こうしてたまにお茶するくらいで十分よ。

ずっと一緒になんていられないけれど、せめて彼女の理解者くらいにはなってやりたいとは思う。素直じゃない彼女は、とてもとても強かな子だけれど、意外と溜め込みがちなところがあるから。少しでも吐き出してあげないといつか壊れてしまうかもなんて思ったり。

すずはどうか知らないけれど、私は結構気に入ってるのよ、貴方のことを。だって見ていて飽きないし何より話が楽しいから。


『ねえ、すず』

「なによ?」

『友情の良さ、いつか貴方にもわかる日が来るわよ』


できることならその役が私だったらいいのだけれど。私たちの関係が、いつか友達になれたのならば。いつか、貴方から手を伸ばしてもらえる日が来ないかしら、なんて考えてみるけれどそれはそれで気恥ずかしくてたまらなくて。名前のない関係だからこそ、気兼ねなく関われていいのかもしれないなあとも思うから。

だから、今は。この距離で。

近くて、遠い、あなたの心地の良い居場所になれておるのから、それでいいの。気が向いたら私のところにも遊びに来てね、ねえ?おてんば娘の女神さま?