千春×灰崎



冬の冷たい風が頬を撫で、はいた息によって空気がもわもわと白く染まる。二つに結い上げた髪を揺らしながら、学校へと向かう坂道を登っていれば、後ろから何者かにつむじをぐっと押された。
絶妙に痛いその攻撃に「なにやつ!」と振り返れば、そこには銀髪の彼がいて。緩めたネクタイに腰パン(というかもはや尻パン)スタイルのくだけにくだけまくった制服の着方をした彼は、私の反応を満足げに眺めて、ししっと楽しそうな笑みを浮かべた。彼の周りの空気もまたぼわわと白く染まっている。
「ありゃ、灰崎だ」
「よ」
「おはよう! 今日は遅刻してないんだねえ」
「あー? いつも遅刻してるやつみてーな言い方すんなよ」
「いつも遅刻してるやつだと思ってたよ! 今日はどうして早いの?」
「……卒業がかかってんだよ」
「あはは、そいつは大変だ」
義務教育の中学生とはいえ帝光中学は私立だから、もちろん留年もあり得る。以前、卒業がやばいと愚痴を言っていた灰崎をよく覚えている。学校生活も私生活も真面目とは言い難く、成績も「良くはねェ」とのことなので、せめて出席日数だけは稼いでおこうという魂胆らしい。もう冬だしちょっと遅い気もするけど、まあ、灰崎を学校で見ると嬉しくなるのでよしとしよう。
「この時間に千春を見るのは珍しいなァ」
ポケットに手を入れて、気だるげに私の隣を歩きながら灰崎が言う。この時間と言っても特に早いわけでも遅いわけでもない、普通の人が登校する時間と同じくらいだ。
「部活引退したからねえ、朝練ないといつもこんな時間だよ」
「ゲ、朝練とか嫌な響き。早起きとかゼッテー無理」
そう言って首を上げて彼の表情を見れば、眉間に皺を寄せて嫌そうな顔を浮かべていた。
148センチの隣に並ぶ188センチ、身長差はなんと驚異の40センチ。灰崎の肩よりも私の頭は下にあり、しっかり見上げないと彼の顔は見えない。並んで歩くと影の大きさの差が顕著に出ていて面白かった。
「そんなの慣れだよ。灰崎が朝練してる様子、まったく想像できないや」
「……あー、何回かは行ったけどな、サボってたら鬼が迎えにくんだよ」
「え、カセキさんたちが?」
「キセキな。つか違ェ、アイツらがオレのところ来るわけねーだろ」
「じゃあ誰だろう」
「虹村サン」
あの人コエーんだと言う灰崎にわははと笑ってやれば灰崎はまた一段と嫌そうな顔を浮かべた。虹村さんのことは正直顔くらいしか知らないんだけど、灰崎の話を聞くと物凄い怖い鬼部長だったみたい。黒子からはそんな話聞いたことなかったから、きっと灰崎限定なんだろう。この万年反抗期不良くんに苦労したんだな、虹村さんや……。
冬の朝練はたしかにしんどい。あたたかい布団の中から抜け出すのも、まだ日の登らない暗いうちに家を出るのも、寒さに耐えながらロードワークするのも、確かに寒くてちょっとしんどいけれど、でも冬の澄んだ空気のなか走るのは好きだった。そんなことをだらだらと話していれば、灰崎はくあ、と大きなあくびをこぼす。
「わーあ、大きなあくび」
「ネミィ、バスケ以外の話しろよなァ」
「そんなこと言われても、私からバスケ取ったら何も残りませんがな」
「はは、引退してもバスケ馬鹿は健在か」
「そうだよ、引退したって怪我したって、私は一生バスケ馬鹿だもん」
サポーターを巻いた手をひらひらと目の前で揺らして見せてやる。痛みはまだ引かないけれど、それはバスケを諦める理由にはならなかった。諦める理由に、したくないから。選手にならなくてもやれることは他にもある。
彼の言うバスケ馬鹿て言葉、普通の人は怒るのかもしれないけど、私はその言葉がすごく誇らしく思えて。灰崎のような才能のある人に私の努力が認められたみたいで嬉しくなる。灰崎はバスケが嫌みたいだからあまり話さない方がいいのかもしれないけれど、私の話を聞くときは楽しそうだから、ついつい話してしまうんだ。
上機嫌でふふっと笑えば、何笑ってんだともう一度私のつむじを押した。痛い。
「あー、もう一限は寝とくかァ」
また大きなあくびをひとつ。そんな灰崎に「卒業するんでしょ、起きとかなきゃだよう」と返すと、整った顔の口元を歪ませて、ダリーと気だるげに声をこぼす。
そういやこんなに身長差があるはずなのに歩くペースは同じだ。灰崎の長い長い足だともっと早く歩けるはずなのに私に合わせてくれてるのだろう。女慣れをしてるとも言えるんだけど、彼のこういう小さな優しさが大好きだし、素敵だなと思う。
「千春、起こしにこいよ」
「無理だよクラス違うもん。そういうのは黒子に頼もう」
「ああ? アイツもお前と同じクラスだろが」
「黒子ならきっと存在消して灰崎のクラスに忍び込めると思うから、寝てる灰崎のつむじをこっそり押して起こしてもらおう」
「オイオイ、人を使って仕返しすんな」
灰崎が子供っぽく楽しそうに笑う。この灰崎を黒子が見たらびっくりしそうだ。
彼の笑顔の素敵さを隠しておいて私だけのものにしておきたい気持ちもそりゃもちろんあるけれど、……でも、灰崎のことを知って、彼を愛するひとが増えてほしいなとも思うから。
「一限寝てたら黒子が来ると思ってて!」
「コエーな。つむじ押さえて寝とくかァ」
「つむじ押さえ寝なんて奇妙すぎる、むしろそれは見てみたいや。やっぱり私が忍び込もうかな」
「は、するかバァカ」
灰崎はこんな笑い方するんだよ、ってカセキの世代の皆様に見せつけてやりたいと思った。そうしたらきっと、灰崎に対する見え方が変わって、灰崎の生きる世界がいまよりもずっと広くなるかもしれない。彼がいまよりちょっとバスケを好きになってくれるかもしれないし、彼のバスケを好きになってくれるひとが増える未来だって来るかもしれないの。願わくばそんな未来の彼の隣に、私がいますように。