ついに夏休みが始まった。ボーダー内には学生が溢れてて、どこもかしこも賑やかだった。
 特に個人戦ブースには普段以上に人が多く、知り合いの姿もよく見かける。夏場のボーダー本部内はクーラーが効いていて涼しいし、家にいるよりも快適だからか、任務や訓練が無くても本部に来る子が多いんだと思う。食まあ、わたしもその一人なんだけど。


12 夏休み開幕


 荒船隊室に我が物顔で入り浸るわたしは持参したポテトチップスをつまみながら目の前のスクリーンに向かってリモコンを操作していた。ぽちぽちと過去のログをぼんやりと流し見てみるものの、ログには音声が入っていないし、一度見たことのある試合ばかりで面白さがなくて。ふわあとあくびをこぼした。

 荒船隊室には謎に大型のスクリーンプロジェクターが置いてある。これは映画好きの荒船が持ち込んだ私物で、他にもハンモックが吊るされてたり変なオブジェが飾ってあったり、私物だらけな作戦室で。正直に言って諏訪隊よりごちゃごちゃしてる。こっそりわたしの私物を隠しててもバレないかもなあと思った。諏訪隊も時期とタイミングによっては麻雀卓やわたしの参考書が転がっていたりするので散らかり具合は似たようなものなのかもしれない。

「ねー、穂刈映画見ようよ、映画!」
「なら見るか、あれを」
「あれって? 夏だしサマーウォーズとか?」
「ホラー映画だろう、夏と言ったら」
「えっ……」

 暇を持て余したわたしは、穂刈に声をかけてみるが、まさかホラー映画を提案されるとは思わなくてピシリと固まる。
 ホラー映画は苦手だ。怖くて夜眠れなくなってしまうし、夜中に目が覚めてトイレに行くのも怖いし、お風呂もいつもより早く出てしまう。わたしがホラー苦手だってこと穂刈は知ってるはずなのに面白がって言ったんだろう。なんてやつだ。
 すぐに「嫌!」と言っても「あるぞ、中津でも見れそうなホラー映画も」なんて返されてしまう。わたしでも見れるホラー映画って妖怪ウォッチのことを言っているのだろうか。それなら別に見てあげても良いけど……。

「知ってるか? 風呂場で後ろから視線感じるのって実は後ろじゃなくて上から見られてるらしいぞ」

 固まり続けるわたしを見て面白そうに穂刈がそんなことを言ってきた。ほんとやめて。

「なんでそんなこと言うの! もう一人でお風呂入れなくなるじゃん!」
「入ればいいだろう、ママと風呂に」
「入らないよ!」
「……穂刈さん違う、背後からの視線は問題ないけど、上からの視線は本当に幽霊らしいよ」
「そうなのか」
「ぎゃあ! 半崎くんまでやめてよ!」

 いつの間にかハンモックから降りてこっちに寄ってきていた半崎くんがぼそりと横でそんなことを言う。やだもう夏場の荒船隊! 怖がらせて楽しんでるよこの人たち!
 荒船が加入している月額定額制の動画サービスからホラー映画を探し始める穂刈。リモコンを握られてしまったら主導権はもう穂刈のものだ。このままでは逃げられないし、筋肉もりもり穂刈くんからリモコンを奪い取ることなんてできる気がしなくって。映し出される前になにか対策を考えねばならなかった。

 どうしよう、と考えてすぐにひとつ良い案が浮かんだ。穂刈より先になにかを映し出してしまえばいいんだ。そろりと穂刈の横を抜け出して、自身の鞄の中から純ピュア恋愛映画のDVDを取り出した。本部に来る前に借りてきていた新作映画で。家でゆっくり見ようと思っていたやつだけれど、腹に背は変えられない。違う逆だ、背に腹は変えられない。
 ディスクをPCに読み込ませれば、先程まで試合のログを入れていたからか特に何もせずともすぐに画面が切り替わり、映画が始まる前の予告が流れはじめた。良かった間に合った! 穂刈がつまらなさそうにこっちを見ているが無視して胸を撫で下ろす。借りてきていてよかったと心の底から思った。これも神様が味方してくれたおかげかもしれない。

「持ってきてたなら自分の作戦室で見ればいいのに」
「いま諏訪隊は麻雀会の会場になってるんだ」
「あの人たち昼間からやってるんだ……」

 半崎くんが呆れたように言ってから手元のゲーム機に視線を戻した。そうなんだよもっと言ってあげてほしい。

「おい。なに勝手に俺のスクリーン使ってんだ」

 ベストタイミングで入ってきた荒船が会話に参加する。どさっと横に座り込んでスクリーンに映る恋愛映画を眺めながら「なんだこれ」と聞いてくる。

「恋するシーズンだよ」
「前に国近と見に行ってたやつか」
「そう! よく覚えてるね!」
「もっと夏っぽいもの見ろよ、ホラーとか」
「勧めたんだけどな」
「ホラーはわたしがいないときにして」
「それじゃ面白くねえだろ」
「ホラーなのに面白さ求めないで!」

 恋愛映画だって夏っぽいじゃん。ほらこの人たち無人島で遭難して、二人の間に恋が生まれてるし……無人島って響きも夏っぽい。わたしも一回行ってみたいな、無人島。だれか持ってないかな。可能性があるのは来馬さんくらいだ。

 荒船は周りから『映画馬鹿』と呼ばれるくらい映画が好きで。わたしもそれなりに好きなほうだから一緒に映画を観に行くこともある。
 荒船とはどんな映画でも解釈や見る視点が違っていて面白くて、お互いが気づいた伏線について話したり、視聴後に感想を言い合うのが好きだったりする。アクション映画を見たあとはいつも戦いたくなって一緒に個人戦をしにいくまでが一連の流れで。
 映画も、本も、恋愛ものが好きだ。恋する女の子はみんな可愛くて、悩んで、勇気を出して一歩を踏み出す。そんな姿に勇気をもらったり、結ばれた幸せそうなふたりから幸せを分けてもらえるから。わたしもいつか、こんな大恋愛をしてみたいなって思うんだ。

 映画のヒロインが言う「一緒に遭難したのが、あなたで良かった」て台詞を聞いて、わたしも同じように無人島で遭難するのなら、誰と一緒がいいかと考えてみる。やっぱり一番はじめに浮かんだのは荒船だった。映画の二人のように恋が芽生えたりはしないけれど、でも、荒船がいるだけで安心するし、助けが来るかわからない状況でも心が折れずにいられる気がするから。

 でもそれを言ってしまうのはなんだか恥ずかしくって、思わず「無人島行くなら穂刈連れて行きたいな」と口にしてしまう。聞いた荒船が少し反応して、わたしの方を見た。なんでだよ、とでも言いたげな表情を向けられて。

「俺か。荒船じゃなくて」
「映画みたいに恋愛に発展しそうて意味じゃないよ! 穂刈重い荷物も持てるし、海で魚獲ってきてくれそうだし。荒船はその……ほら水が」
「悪かったな、泳げなくて」
「ぎゃ!」

 隣の荒船に頭を捕まれて、ぐらぐらと揺らされる。視界が揺れて目が回った。

「荒船、丸太持ったら折れちゃいそう」
「折れねえよ。そこまで柔じゃねえ」
「当真サイズでも?」
「……細けりゃいける」
「ほう。それなら荒船を連れて行ってやらんこともない」

 にやりと笑って言いのければ、そんなわたしに荒船は「何様だ」と返す。

「でもさー、実際にこの映画のような状況になったのなら、荒船の代わりにわたしが魚を取りにいくよ! 丸太もね、ひとりじゃなくてふたりで持てばいいしさ」
「中津のそういうところ、……いや、なんもねえ」

 なにかを言いかけて、すぐに取りやめた荒船。変なの、と思いつつ特に聞き返すことはしなかった。おおかたひとりで海になんて潜ったら迷子になるぜとかそういうことを言うつもりだったんだろう。でも、たしかに迷子になったら帰ってこれないかもしれない、こまった。お魚問題、想像以上に難しいかもしれないなあ。
 わたしたちのやり取りを黙って見ていた穂刈が、不意に手に持っていた小さめのダンベルを荒船に手渡した。黙って受け取りつつ眉をひそめる荒船とは対照的に穂刈は挑戦的な表情を浮かべていた。

「おい、なんだこれ」
「筋トレするか、荒船も俺と一緒に。裏切らないぞ、筋肉は」
「わ、それはいいね! ヒョロ船くんから卒業だ」
「誰がヒョロ船だ」
「でも穂刈と並んだら体格差がすごいよ」
「鍛えているからな、俺は。育ててやるぞ、お前が片手で丸太を持てるようにな」
「目指せ木崎さん」
「クソてめえら舐めやがって。上等だ、お前一人くらい小指で持ち上げれるくらいになってやるよ」
「わたしじゃなくてゾエ持ち上げれるくらいになろうよ」
「いきなり難易度高ランク過ぎんだろ!」

 隊室転がってる穂刈のものと思われる筋トレ用具を指差しながらそんなことを言った。木崎さんなら絶対ゾエ持ち上げれる、ゾエも木崎さん持ち上げれそうだけど。わたしもちょうどいいしダイエットがてら参加しようかなあ、穂刈の筋肉トレーニング論。

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