外部を受験せずボーダー提携大学に推薦で進む予定の三年生ボーダー隊員にとってこの長期休暇は課題もそれほど多くもなく毎年に比べたら比較的時間を持て余している方で。小論文や面接の練習と言ってもたかが知れている。
 だから、ほぼ毎日ボーダー本部に来て仕事祭りだった。それなりに忙しい日々を過ごしている。普段よりは休みの融通もききやすいから、長期休暇を取って地元に帰省している人たちもいるけれど。少なくともわたしたち諏訪隊は普段と同様のシフト量で、特に減らされた様子はなかった。

 とはいえ高校生活最後の夏休みをボーダーに全て費やしているわけではなくて。オフの日は家でごろごろしたり、柚宇ちゃんとお買い物に出かけたり、新作のフラペチーノを飲みに行ったりはした。でも正直夏っぽいことはあんまりできていないのが現状で。学校の友人は受験勉強に勤しんでるから遊びに誘えないし、結局暇を見つけてはボーダーに来て個人戦ばかりしている。だいたい誰かはいるから暇すぎてどうしようもないという状態にだけはならないのが救いだった。今年はほら、補習がないから。例年に比べて自分に自由時間が圧倒的に多いのだ。

「とう!」

 夕方の防衛任務にて。つつみんが傷つけたネイバーをわたしがスコーピオンで切る、この繰り返しの作業をし続けてもう何体目になるんだろう。今日の防衛任務はつつみんと共にペアを組んでいた。諏訪さんと日佐人も近くにいるけどね!

「みのりちゃんナイスフォロー」
「いえーい! つつみんもナイスアステロイド!」
「ナイスアステロイドって」

 わたしも銃を使ったら、うまく弾丸を扱えていたのかなってふと思った。だけど、それでは射手ではなく銃手になってしまう。それはなんか違うから。やっぱりなるのなら射手がいい。まあ、別にいま攻撃手でいることに不満があるわけじゃないし、今更なんだけど。


15 一目惚れに近い羨望


 加古さんとの出会いはわたしが中学生の頃だった。もしかしたらその頃はまだ加古さんはB級に上がりたてだったのかもしれない。でも、中学生のわたしからしたら風になびくその長い髪が、彼女の操る無数の星々が、何よりもキラキラと輝いて見えたんだ。

「おもしろくない」

 じりじりと真夏の太陽が肌を焼き付ける夏の日のこと。受験、受験、と周りが動き出す中でわたしは周りの声が聞こえないように必死に耳を塞いでいた。やりたいこともなにもなくて、勉強なんてしたくなくて、なんとなくそれらしき高校に進んでなんとなく就職さえできたらよかったのだ。それなのに三年生になった途端に急激に強いられた進路決めはもうすぐに締め切りが迫っている。もちろんわたしの進路アンケートは真っ白である。

 そんな中学三年生の帰り道、どうかわたしに進路を導いてください! と三門市にある三門神社の神様に進路のお願いをしに行った時のこと。

ドカン‼

「ひっ……! え、なになに」

 突然大きな爆発音が聞こえたかと思えばたちまち煙が上がった。それは神社からの帰路のすぐ真横、立ち入り禁止の立て看板の奥からだった。

 一年ほど前にあった近界民による大規模侵攻で、千二百人もの人が亡くなった。未だに発見されていない人もいるくらいの大きな大規模侵攻の日、わたしは一家総出で旅行に出かけていて、幸い家族に被害はなかったけれど。わたしの住む街は半壊、祖母の住む東三門の街に至っては、跡形もなく潰されていた。一緒に出かけていなかったら、ほぼ100%死んでいただろう。
 そんな状況のなか彗星のごとく現れたボーダーという組織は、突然現れた謎の化け物を倒し、街を救った。……らしい。わたしたち家族はその現場は見ていないから、ニュースで知っただけなのだけれど。この奥はそのボーダー本部の付近で、今は警戒区域となり立ち入り禁止エリアとなっている。

「すごい爆音……。なにかあったのかな、もしかしてネイバー……が出たとか」

 ニュースで聞いた化け物の呼び名を口にしながら、立ち止まって中を覗いてみる。外から見たら普通に住宅街だし危険な感じが全然しなくって。
 きょろきょろと周りを見渡しても監視カメラもなく、立ち入り禁止とは書かれているけれど厳重に閉ざされているわけではなかった。ただ有刺鉄線で仕切られているだけで、普通に跨げば簡単に立ち入りできてしまう。

 この中には入ってはいけないと学校でも両親からも言われていたけれど。その日はなぜか気になって仕方なくって、どうしても中を覗いてみたくなった。近界民という存在を見てみたかったのだ。
 だめなことだってわかっている。怪我をするかもしれないし、もしかしたらこの行為が内申に響いて今後の進路にも影響してしまうかもしれないけれど。でも、どうしてもいきたかった。行かなきゃいけないって、なぜか思ってしまったんだ。
 なんとなく、三門神社の神様が、わたしをこの中へ導いてくれているような気がしてしまって。
 ひょいと乗り越えて、ゆっくりと住宅街を忍びあるいてゆく。
 近界民を一度も見たことがなかったから、わたしは危機感が薄かったのだろう。実際に戦争を経験した者であればこんな危険な行動ぜったいにしないはずだから。

「ばけもの、だ」

 この辺りから爆音がしたというところまで近寄って、そろっと壁越しに覗いた先にいたそれは想像以上に大きかった。大型乗用車くらいの大きさの化け物が住宅街のど真ん中で動いていた。4本の足の上に生えたブレードが余計に恐怖を煽る。あんなのに攻撃されたら、わたしの体は真っ二つだろう。
 こんなのが大量に三門市に現れたのか。そんなのこわい。ぜったい勝てない。こわい。
 想像してがくがくと足が震え始めてしまった。なんで入ってきたんだろう。わかっていたはずなのに。ここはわたしが入っていい場所なんかじゃなかった。
 見つかる前に逃げたほうがいい。というか逃げなければならない。震える足に力を入れて来た方向に引き返そうと化け物から背を向けようとしたタイミングで、足元にあった瓦礫を踏んで転んでしまった。その時音を立ててしまって、気づかれてしまう。まずい。そう思ったときにはすでにそいつはわたしのほうに歩いてきていた。それもすごい勢いでわたしとの距離を詰めてくる。

「やだ、や、こないで、やだ!」

 必死に叫ぶ。ごめんなさい、もうこんなことしないから、もう立ち入らないから、助けて神様。必死に祈るものの、ドスン、ドスン、と足音を立ててこちらに歩み寄るそれはしっかりとわたしの方を向いていた。

 すぐに立ち上がって走って逃げるものの、震えているからかうまく動かなくって。少し走ってから足がもつれてまた転んでしまう。足の速さには自信があったのに、そんなの意味がなかった。
 カタカタと震えはじめたのは足だけじゃなくて、手も、舌も、全身が恐怖で震えだす。もうだめだ。わたしの人生はこんなあっけない最後だった。お母さん、お父さんごめんなさい。みのりが馬鹿でした。
 来るであろう痛みと衝撃に備えてぎゅっと目を閉じ覚悟を決めた、そんな時に。

 わたしの背後からキラリと流れてきた星が化け物に向かって飛んだ。
 無数のまばゆい光が、わたしを守るようにきらきらと輝く。

 そのまま敵に当たれば驚く間も無く大きな爆発を生んで、化け物の体に大きな穴が開く。その爆風でわたしの髪もぶわりと揺れた。

「危ないわよ、迷い込んじゃったのかしら?」

 一瞬何が起こったのかわからなくってぽかん固まったまま呆けていたわたしに声が落とされる。女の人の声だった。慌てて後ろを振り返れば、ロングヘアーの女性が優雅な動きでわたしの前に現れて、にこりと笑みを浮かべる。

「立てる? 怪我はなさそうでよかったわ」
「……お姉さん、魔法使いかなにかですか」
「あら。随分とメルヘンなことを言うのね」
「だ、だっていま、星がぶわって! 化け物に当たって! 爆発が起きて!」

 両手を広げて、今起きたことを説明しようとした。先程まで恐怖で声も出なかったのが嘘みたいに声が出る。興奮がおさまらない。

「魔法使いって存在したんだ、しかもこんなところに」
「魔法使いなんかじゃないわ。ボーダーよ、知らない?」
「え、ボーダー……」

 そうだ。ここは警戒区域だった。ボーダーしか立ち入ってはいけないエリアにいるひとはボーダーでしかないだろう。ここにいるはずのないイレギュラーな存在はわたしのほうだった。

「ボーダー、初めて見た。かっこいい。いつもこのなかではお姉さんのような人が戦い続けてるんだ、すごい」

 すごい、すごい。こんな感情久しぶりだった。まるで星を操る魔法使いみたいで、かっこよくって。そんなわたしを見てお姉さんはクスクス笑う。

「さては自らここに踏み入ったわね? 立ち入り禁止の立て札は見えなかったのかしら」
「うっ……見えてましたけど、つい出来心で……」

 ごめんなさいと頭を下げて謝った。

「危険なことをするのね。だめよ、もうこれっきりにしなさいね。外まで送ってあげるから──あら。」
「ひっ……また、ばけもの」
「あなたがいるから、近界民も物珍しくて集まっちゃうのかしら」

 お姉さんの背後でまたゲートが開く。ドスン、と落ちてきた敵はさっきのよりもさらに大きな近界民だった。小さな悲鳴が口から漏れた。
 どうしよう、さっきより距離近いしぜったい逃げられない。お姉さんに助けを求めようと必死に目を向ければ「今度は大きいのが来たわね」だなんて余裕な表情で。
 離れていなさいと言わんばかりにわたしの前に彼女が立ったから、わたしは数歩後ろに後ずさる。そして丸い綺麗な星がまたしても彼女の周りに現れて、敵の方に飛んでいった。
 キラキラと光を放って、お姉さんの動きに合わせて曲線を描く。
 先程よりもしっかりとその様を見れる事もあって、本当に、本当に魔法使いに見えてしまった。

「かっこいい……」

 そんな姿を間近で見て、ボーダーってなんてかっこいいんだと思った。同時に、わたしもこの人みたいになりたいと思ったんだ。
 初めてやりたいことが見つかった。夢が見つかった。瞳の先のブロンドヘアーが微笑んで、そうかしらと言う。

「あ……あの!」

 貴女の名前を、教えてください。

 お姉さんに出口まで送ってもらって。最後の別れ道、勇気を振り絞って聞いたのは彼女の名前だった。彼女はきょとんと一瞬目を丸めたもののそのあとまたしても緩く綺麗な笑みを浮かべてくちびるを開く。

「──ボーダーの加古望よ。また会ったら、そのときはよろしくね」

 かこのぞみさん。忘れないように何度も口にして帰って、彼女のことを必死に調べた。友人にも親戚にも、商店街のおじさんにだって聞き込んで。六頴館高等学校に、似たような人がいるって知ったから。その瞬間わたしの進路が決定する。
 進路希望、第一希望の欄に『六頴館高等学校』とだけ書いて提出した。担任は驚いてすぐにわたしを呼び出して無謀だと言う。そんなのわからないじゃんか。行くったら行くの、とわがままを貫いて、勉強を行った。人生で一番勉強をがんばった。受験日前日にもう一度三門神社の神様にお参りをして、お気に入りの鉛筆でコロコロ鉛筆を作って試験場に持っていった。

 わたしは無事に一発で合格。友人や教師陣の驚いた顔が忘れられない。どこかで噂を聞きつけた校務員のおじさんにすら驚かれた。そうしてわたしは夢の六頴館高等学校に入学するのであった。


 辺りはもうすっかり暗くなって、次の隊への交代の時間が迫ってきた。

「みのりちゃん、そろそろ交代だって。諏訪さんが呼びに来たよ」
「あいあいさー! いやあ、今日もよく働いた」
「お疲れ様だね」
「つつみんも。あ、わたし上登ってからいくから先に行ってて!」
「え、上?」

 そう言ってトントンとグラスホッパーで民家の屋根の上へと飛んで。そのまま辺りを見渡せば、三門神社に向かって赤い提灯が並ぶ様が見えた。光ってはいないもののその存在はトリオン体で回復された視力ではよく見える。
 荒船と約束したお祭りの日が、もうすぐそこに迫っている証拠だった。正直わくわくが止まらない。えへへ、浴衣とか着ちゃおうかなあ、なんて。それは流石に調子に乗り過ぎかな。うーん悩むなあ。
 お祭りに行ったらりんご飴食べたいな。金魚すくいもしたい。空いっぱいに広がる大きな花火は圧巻なんだろうなあ。
 去年行けなかったから、その分も今年に詰め込むつもりだ。日が近づくにつれ楽しみはどんどん湧き上がり、わくわくだけで胸が破裂してしまいそうだ。

 みのりん早くもどってきてー、とオサノ氏から通信が入る。
 はあいと返事をしてから屋根から降りた。

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