「ぐえっ、くるしい」
「もっと締めるよ! 踏ん張って!」

 現在、母上に浴衣の着付けをしていただいているのですが、締め付けられる度にぐええと女の子らしからぬ呻き声をあげています。どうも諏訪隊攻撃手、中津みのりです。
 浴衣なんて着たの、いつぶりなんだろうか。母の手によって限界まで締め付けられた帯。お腹周りが苦しくってたまらない。着崩れを防ぐために必要なことだとわかってはいるけれど、もうすこし緩めてくれてもよかったのではと思う。このままじゃおにぎり一個も入らないかもしれない。りんごあめ、チョコバナナ、イカ焼き、焼きそば、それから棒に巻きつけられたポテト。食べたいものはいっぱいあるのに、どうしようか。お洒落には我慢がつきものだってこういうことをいうのかもしれない。食べれなかったらちょっとかなしい。
 この白ベースの浴衣はたんぽぽのような大きな黄色の花がデザインされたもので、それはそれはもうとっても気に入っている。大きくなっても着れるようにとわたしにしてはすこしだけ大人っぽいデザインのものだけれど、ようやくそのレトロな感じが馴染む年齢になったような気がするなって。

 荒船とお好み焼きを食べながら約束した時間は十八時。互いに家がそれなりに離れてるから集合は現地にした。現在時刻は十六時半なので、随分と早く準備が終わってしまった。いや浴衣だし歩くの遅くなるからあえて早めに準備をしたんだけど。
 夏だからか外はまだまだ明るくて。でも時間的に神社に着く頃には陽が沈みかけてるのかもしれない。外に出ると日中の焼き付けるような暑さはやわらいではいたが、じめじめとした夏らしい蒸し暑さが襲う。浴衣の締め付けも相まって余計に暑かった。
 花火は二十時からだから屋台をまわる時間も十分にある。まず何を食べようかな。暑いから、かき氷かな。味はどれも好きだけどレモンが一番好きかもしれない。


17 ぼくらの夏祭り


 からん、ころん。わざと下駄の軽い音を鳴らして歩く道のりで、わたしと同じように浴衣を見に纏う人たちと何度もすれ違った。家を出た頃は気合が入りすぎていないかって少し照れ臭かったし、だれも着てなかったらどうしようといった不安な気持ちもあったけど、そうではなくて安心した。やっぱり着てよかったなあって思う。
 去年は一度も着れなかったこの浴衣は、どうやら母が知らないうちにクリーニングに出していてくれていた様子で。ピシリと糊で綺麗なラインを作り出してくれている。頭も三つ編みを混ぜて綺麗にまとめ、浴衣に合った髪飾りを1つ添えてある。似合っている気がする。いまのわたしは浴衣美人だ。こういうのを馬子にも衣装っていうんだっけ。

「あ」

 ころんころん、と引き続き下駄の音を鳴らしながら待ち合わせ場所である三門神社の正門に近づいた時、見知った帽子を被った彼を遠目に発見した。黒のインナーに薄手の羽織を着て、腕を組んで壁にもたれ掛かっていた。下を向いているからまだわたしの姿には気づいていないみたい。腕まくりした彼の腕は少し見ないうちに筋肉がついていた。穂刈との筋肉トレーニングの成果だろうか。
 まだ待ち合わせ時間よりも随分と早いのに、彼はいつから待っていたんだろう。わたしの方が先かと思っていたから驚いた。まあ荒船はいつも五分前行動だし、予想してなかったわけではない。鞄を持たず、ポッケに財布と携帯だけを入れたそのスタイルが荒船らしいなって思った。

「荒船!」

 おーい、と遠くから手を振って駆け寄って。こちらに気づいた荒船が振り向きわたしの姿を見た途端ギョッとした表情を浮かべる。そのあと急に目をそらされた。なにゆえ。どこか変なのだろうか。うーん、着付けはお母さんにやってもらったから間違ってないはずなんだけれど……。

「走るな、転けるぞ」
「だいじょーぶ! 荒船はやいね、まだ30分も早いのに」
「それは中津もだろうが。……聞いてねえぞ、その格好」
「あ、うん! お母さんが着せてくれたの!」

 どうかなと素直に聞いてみたけれど相変わらず荒船はわたしから目をそらしたままで。やっぱり変なのだろうか。正直結構似合ってるものだと思ってたからショックである。
 うーん、帯とか? 無駄に音を立てて歩いて来たものだからどこか着崩れたりしてるのかも。と考えて後ろの結び目を確認してみたり、帯の前を直してみたりしたけれど、家を出た時と特に大きな変化はなくて。じゃあなんだろう、髪型だろうか。それはわたしには見えないからわからないや。鏡持ってきたらよかったなあ、女子力が足りていなかった。

「くそ、不意打ちは心臓に悪すぎんだろ。まさか浴衣で来るとは思ってなかった」
「えっ! ごめん、私服のが良かったかな。お祭りだしせっかくだからってつい」

 そんな嫌がるとは思わなかったからしゅんと項垂れる。そんなわたしを見て荒船は慌てて訂正する。

「や、悪い。そういうつもりで言ったわけじゃねえ。あー……ただ、驚いただけだ」

 言ってくれたら俺も浴衣着たんだがな、と顔を隠すように帽子を少し下げてそう言った荒船。いつもならそのあとわたしの頭をくしゃりとかき混ぜるけれど、今日は髪をセットしているからかポンと頭に手のひらを置かれただけだった。温かい手のひらのぬくもりが、頭の上からつたわって安心する。
 荒船の浴衣か、それはかなりレアなんじゃないか。というか見たことがない。それなら事前に言っておけばよかったな、なんて思いながら「荒船、浴衣似合いそうだね。見てみたいな」と口にすれば「うるせえ」と返された。理不尽!

「はー……てめえはいつも予想外なことばっかしやがって」
「えっ、ごめん」
「……浴衣」
「うん」

 似合ってる、と少し溜めてから言った荒船はようやくわたしの方を見てくれて。少し照れくさそうな色をにじませるその瞳に黄色が映った。きれいに言葉が胸に届いて、うれしさで顔が緩んだ。

「えへ、やった、褒められた! これぞ馬子にも衣装ってやつだね」
「おまえそれ意味わかってねえだろ」
「あれ、ばれた」

 この言い方はどうやらこれは褒め言葉ではないらしい。難しいな、日本語って。
 神社の入り口で待ち合わせをしていたから大きな鳥居の中を覗けばもうそこにはお祭りの雰囲気が漂っていて、遠くに聞こえる賑やかな音と屋台の明かりにテンションが一気に上がった。もうすでにたのしい。
 わーい! 荒船早く行こう! と神社の中へ踏み入れれば、提灯の赤と黄色の光が輝いていた。少し薄暗くなってきたから、綺麗に映える。大きく吸い込んだ空気のなかから僅かにフライドポテトの香りがした。もしかしたら屋台が近くにあるのかもしれない。
 ボーダーの食堂のおばちゃんからポテトの子って呼ばれるくらいにポテトを愛している自称ポテトハンターの名をもつわたしならば、このいろんな匂いが混ざりあった空間からポテトの匂いをかぎ当てられる自信がある。どんな小さな匂いだって逃さない。それだけわたしはポテトを愛しているのだ。「フライドポテトの方角はたぶん右!」と指をさして示したら、後ろで荒船が笑ったような気がした。

「犬か」
「わんわん! ポテトはこっちだワン」
「あ、おい足場悪いんだから走るな。転けても知らねえぞ」
「はいはーい! てかさっきから心配してくれるけど、わたしそんなに転けるキャラじゃないよ」
「はあ? どの口が言ってんだ」
「この口だよ! って、おわっ」

 荒船と合流できて気を抜いていたからか、履きなれない下駄のせいかはわからないけれど。言った途端にふらりとバランスを崩し転けそうになったわたしは横に並んだ荒船の腕を思わず掴む。意外とがっしりとしているそれはわたしの全体重がかかっても倒れることがなくて。わあ男の人の腕だ、と思った。

「言ったそばから……」
「わー! ごめん! もうこれからは転けるキャラを名乗って生きます」
「まったく……ほら、手貸せ。」
「手?」

 はい、と荒船の手の上に自身のそれを重ねればそのままぎゅうと握られて、思わずどきんと心臓が跳ねた。誰かと手を繋ぐのなんていつぶりなんだろう。手の温かさも、大きさも、ゴツゴツとした骨ばったところも、ぜんぶわたしとは違う。

「大きいね、荒船の手」
「そうでもねえだろ、中津が小さいだけだ」
「わあ。穂刈と同じこと言ってる」
「………」
「えっ! いたい! なんで!」
「穂刈と比べんな」
「ご、ごめん?」

 思ったことをそのまま言ったら更に強くぎゅうと手を握り締められた。痛い。なにゆえ。このままじゃ握り潰されてしまうだろう。荒船め、わたしの手は弧月じゃないぞ!
 ともあれこうして荒船が手を繋いでくれているおかげで転ける心配はなくなったし、人混みに流されて迷子になることもないだろう。一石二鳥だ。さすが荒船、そういう判断が素早くできるところが隊長様らしくて好きだ。
 しかしなんと言いますか、散歩されてる犬のようは気持ちになってしまう。それをそっくりそのまま荒船に伝えれば「こんな犬なら悪くねえかもな」と笑った彼も楽しそうでなんだかすこし安心した。

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