からんころんと鳴らす下駄の音は賑わう祭りの音にかき消されて、勿論響いたりなんかしないけれど。でもなんだか楽しくなっちゃって必要以上に鳴らしてしまう。からん、ころん。今日のわたしはすごく機嫌が良い。
 正直に言うと昨日まで浴衣を着る気は無かったのだ。だってほら、絶対私服の方が動きやすいし、浴衣って意外と暑いしお腹も苦しいし。それから大きなカバンは持てないから不便だし、財布だっていつも長財布なのに持てないから小さな小銭入れになってしまう。
 いいことなんて少ないのに、それでも浴衣を着てきた理由は単純で。ただ、荒船に褒めてもらいたかったからだった。ほんとうに、それだけだった。まあ、うん。もちろんせっかくのお祭りだし自分が着たかったからってのもあるにはあるけれど。荒船に、可愛いと思ってもらいたかったからなんだ。


18 無自覚がもたらす


 三門で一番大きなお祭りだとはいえ花火の数は所詮数千かそれくらいで。何万発ものの花火を打ち上げるほど大きなお祭りではないけれど、それでも正門から少し中に入っただけで屋台や沢山の人で賑わっていた。親子連れの人も多いからか、迷子の放送もたまに入ったりする。こんな地元の人がたくさんいる場で名前を呼ばれたら公開処刑だから絶対迷子にならないようにしないと。荒船の手をすこし強めに握ったら「なんだよ」と声が降ってくる。
 まだ花火の打ち上げ時間まではずいぶんと時間があるから、これでも人が少ない方なのだろう。日中の暑さに比べたら随分と涼しくはなっているはずだけれど、それでもあつくてたまらなくて、いつもより体温がぐっと高い気がする。こころなしか頬も火照っている気がした。ぜんぶ、ぜんぶ、夏の暑さのせいである。

「なにもないよ。どこに花火上がるのかなあ」
「あの山の方だろ」
「へえ! じゃあ向こうに行ったらもっと人多くなりそうだね」
「だろうな。はぐれて迷子になるんじゃねえぞ」
「手繋いでくれてるから大丈夫! だから、離さないでね」

 ぶんぶんと繋いだ手を振りながらそう言えば少し間を置いてから彼は「……絶対離さねえ」と言った。荒船がいるだけで安心しきってしまうのは、もちろん信頼からくるものだけれど。失敗ばかりのわたしを見せたって荒船は突き放したりしないってわかってるから、だから安心して荒船の隣に身を置けているんだ。

 奥に進めば進むほど、次第に人が増えていって。たぶんここではぐれたらもう合流は難しいんだろうなって思った。ただでさえ浴衣で動きにくいのに人混みに飲まれてしまったらもう動けやしない。
 荒船と繋いでいない方の手にはチョコバナナがひとつ。ポテトの次に見つけた屋台で買ったものだ。夏の暑さでチョコレートが少しだけ溶けてしまっている。このまま手に持って歩いてると横を通った他の人にぶつけてしまいそうだから、早く食べてしまおう。
 もぐりと一口かじったとき、すこし離れたところに射的の屋台が目の前に現れる。他の屋台に比べて少しだけ大きめなそこで、小学生三年生くらいの少年がイーグレットに似た銃を構えて、必死にコルクを撃ち込んでいた。

「勝負のときがきたよ」

 そう言えば荒船は歩みを止めて屋台に視線を送った。目線はコルクを銃を構える少年で。最後のコルクを撃ったが、お目当てのものに当たることなくすり抜ける。ありゃ、惜しい。
 屋台のおじさんは悔しがる少年に残念賞の駄菓子を渡しながら、立ち止まるわたしたちふたりに声をかけた。

「お。おふたりさんやってくかい。彼女さんにいいとこみせてやりな」
「俺がやったら全部撃ち落としちまうぜ、いいのかおっさん」
「それは困るな帽子の兄ちゃん。何年か前にもあったんだよな、ボーダー隊員の若いもんに景品全部撃ち落とされたことが。あれはまいった」

 たしかリーゼントの……とまで言ってからわたしと荒船の頭の中には同じ男の姿が浮かぶ。それぜったい当真じゃん。ナンバーワン狙撃手に目をつけられた射的のおっちゃん、運が悪かったなあ。でも、またしても運が悪い。今目の前にいる男もまたボーダー隊員の狙撃手だ。それも、おじさんを参らせた若いもんが認めた、期待のホープである。
 先程必死に撃ち込んでいた少年は、もう一度再チャレンジするらしく小銭入れから百円玉を二枚取り出して、おじさんに渡していた。銃口にコルクをせっせと詰め込んで、狙いの小さなお菓子に向かって腕を伸ばして銃口を近づけている。しばらく少年の動きを眺めていた荒船は、引き金を引く直前に「構え方が違え」と声をかけた。えっ、と少年は標的から目線を外し荒船に向き合う。

「肩を使え。その構え方じゃ軸がぶれんだろ」
「えっ、近付けたほうが当たるんじゃない?」
「逆だ、当たらねえ。脇が緩んでると撃った瞬間に銃口がずれんだよ」
「へえ、なるほどね! さすが本職」
「……まあ中津なら運良く当たるかもしれねえが、こういうのは運に頼るもんじゃねえよ」

 わたしも少年と同じく身を乗り出して的に銃を近づけてしまうタイプだから、なるほどなあ、と感心した。確かにわたしの場合はほとんど運頼りだった。狙っていたものとは違う的に当たって運良く景品をゲットしたことだってある。

「狙いはどれだ」
「あのお菓子! あれなら落とせるかなって思ったんだ」

 少年が指差したのは、舌を出した女の子のイラストが書かれた赤い箱で。射的の景品によくあるミルクキャンディだった。箱自体は小さいけれど、軽そうなのであれなら当たるだけで簡単に落とせそうだなあと素直に思った。

「あれは中津でも落とせるレベルの景品だろ、俺が教えるんだからもっとでかくいこうぜ」
「じゃああのフィギュアとかどう?」
「いいじゃねえか。あれを目標にするか」
「よっしゃ!」
「ねえちょっと待って、中津でもってなに!?」

 わたしだってあのフィギュアくらい落とせるし! と暴れたくなったが、真剣な少年の眼差しに言いたい言葉をぐっと飲み込む。それはたしかに中津でも落とせる景品で間違いないけど、でもそのフィギュアだって中津も落とせるかもしれないよ、ねえ。そんなわたしの様子を見て射的のおじさんが笑いを堪えていた。かなしい。
 荒船は少年の肩と頬で銃を安定させ、銃の構え方を教えていた。そんな様子をチョコバナナを頬張りながら黙って眺める。荒船の指導によって先ほどより様になっている少年は、銃を構えて狙いを定める。先生曰く狙う場所は箱の中央ではなく角らしい。へえ、勉強になるなあ。
 脇を締めて、撃ち放ったコルクは狙い通り右上の角に当たった。箱が大きく回転して棚からコトリと落っこちる。その瞬間わたしと少年は「やったー!」と声を合わせて喜んだ。やったね少年おめでとう!
 そんなわたしたちの反応を見て荒船は満足気な表情を浮かべて「やるじゃねえか」と笑った。

「お兄ちゃんありがとう!」
「おう。今度友達にも教えてやれ」

 少年の頭を撫でる荒船。子供は好きじゃないって言いそうなのに、意外と子供の扱いが上手なんだなあ。新たな発見だ。大事そうに取ったフィギュアを抱えて、満足気に立ち去った少年をふたりで見送った。
 今度はわたしたちの番だ。だけど正直まったく荒船に勝てる気がしない。トリオン体の力に頼らなかったらわたしといい勝負になるんじゃないかと思っていたわたしが浅はかだった。勝負のしの字にもならないかもしれない。 

「さて。まだ俺と勝負をやる気はあるか」

 腕を組んだ荒船がわたしを横目に見ながら問いかける。ぶんぶんと首を横に振って答えた。

「やる気はあるけど勝てる気はしない!」
「随分弱気じゃねえか」
「だって荒船がここまで射的上手だって思わなかったんだもん。やっぱさ、勝負するのはやめてお互い欲しいの取ろうよ」

 提案してみる。勝負となるとミルクキャンディ狙いになるけど、そんなに欲しいわけではないし。取るならほしいものを取ったほうがうれしいから。

「ちなみに中津はどれが欲しいんだ」
「んー。あのキーホルダーとかかわいい」

 指を刺したのは、ご当地キャラクターにいそうなたこ焼きのキーホルダーだった。人形にチェーンがついたようなそれは大阪のお土産にありそうで、重さが無いからさっきのフィギュアに比べたら難易度低そうだけど、サイズが小さいから当てにくい。角という角がないから落とし方がわからないなあ、と考えていたわたしとは対照的に荒船は悩む様子も見せず「じゃあ取るか」とすんなり言いのける。

「そんな簡単に取れるの?」
「どうだろうな」

 いつの間にかお金を払っていたらしい荒船が適当にコルクを選んで詰め込む。銃を構える横顔をこっそり眺めた。
 片目を閉じて撃ってるイメージだったけど、両目を開けてしっかりと的を捉えていた。
 いつもこんな顔をしながら狙撃位置にいるのかな。荒船の狙撃をこんなに近くで見ることはないから、景品よりもそっちに気を取られてしまう。

 パンッと軽い狙撃音にはっと意識を戻された。荒船が撃ったコルクはたこ焼きに当たったものの、少し動いただけで落ちはしなかった。

「ありゃ、ざんねん」
「まあ見てろ」

 動じない荒船はもう一度狙いを定めて、撃ち込む。一度目で角度の変わったそれは、二度目のコルクで押し出されるように動く。あと一回当たれば落ちそうだ。荒船の高度な技術に屋台のおじさんもひゅうと口笛を鳴らすほどで。

「すごい! もう落ちるよ!」
「あとは中津の腕の見せどころだな」
「えっ」

 渡された銃は、思ったよりも重たくて。ずしんと腕が沈む。え、まって、ここで選手交代なんて聞いてない。あまりにも責任重大すぎる。

「えっと、えっと、なんだっけ。脇を締めて……」
「考えすぎなくていい、気楽にいけ」
「ん」

 さっき荒船が少年に教えていた方法を思い出しながら銃を構えてみる。なかなか様になっている気がするけどどうだろう。どうせなら狙撃手の気持ちになって撃ってみよう。狙撃手の気持ち……。

「俺の弾は必ずあたるぜ、外れる弾は撃たねえ主義なんでな=v
「おい待て、まさかそれは当真の真似か」
「似てた?」
「30点てところか」
「低い! やっぱりリーゼントがないとだめかあ」

 脇を締めて、狙いを定める。えいっと掛け声とともに撃ち放ったコルクはたこ焼きの方向に……は飛ばず、その隣にあったミルクキャンディの箱に直撃する。当たった箱は横に飛んで、キーホルダーを道連れにして一緒に下へと落ちた。まさかの二個ゲット。
 予想外の展開に荒船も店主のおじさんもぽかんと落ちた景品を眺めており、わたしだけがひとり「やったー!」と喜んで飛び跳ねる。

「ねえ見た今の! 二個取れたよ‼」
「期待を裏切らねえなお前は」
「持つべきものはやっぱり運だよ」
「はは、流石だ」

 そう言って笑った荒船を見た瞬間ぎゅっと胸が締め付けられた。慌てて胸に手を当ててみるけれど、違和感は一瞬だけで、すぐに消えてなくなった。いまのなんだったんだろう、びっくりした。
 景品を受け取ったわたしに向かって「ほら行くぞ」と差し出された手。大人しく繋いだけれど、余韻のようにどくどくと残る心臓の音が、まだすこしうるさくて。ごまかすように、からんころんと必要以上に下駄の音を鳴らした。


 子供の頃はよく見かけていた金魚すくいや射的はもう今では稀に見るくらいになってしまってて。偶然射的の屋台を見つられただけラッキーだったのかもしれない。最近のお祭りはどこもかしこも食べ物ばかりだ。ふわふわのかき氷やら電球ソーダなるものも見かけて、屋台も子供の頃とは大きく変わったなあって。
 射的をしているうちにあたりはすっかり暗くなっていて、気づいたら花火の時間が近づいていた。思ったより一瞬だったなあ。

「ねえ荒船、どっか花火見るとこ探そうよ!」

 何個か食べ物買ってさ。人混みのなかで立って見るのも良いけれど、どうせだったらゆっくり座って花火を見たいから。そう提案すれば「悪くねえな」と返ってくる。

「ここの神社の奥に花火がよく見える高台があるらしい」
「ほう。穴場ってやつ?」
「ああ、場所は調べてある」
「さすが荒船! わたしなんにも調べてこなかった!」
「だろうな。といってもまあ行ったことねえ場所だから期待外れでも拗ねんなよ」
「荒船の選ぶところに間違いなんてないよ」

 荒船調べてくれてたんだ。わたしが誘った側なんだから本来ならばわたしが調べないといけなかったんだろうけど、でもまあ調べたところで荒船よりいいところを探せる自信もないので荒船に任せて正解だ。うん、そうだと思いたい。
 道中の屋台で焼きそばと牛串と、それからりんごあめを買った。牛串は荒船ので、りんご飴はわたしのだ。大きなりんごは食べきれないかもしれないから姫りんごを選んだけれど、せっかくなら大きいのにすればよかったなってちょっと後悔。

 荒船の選んだ場所は神社の奥にあるそうで、ふたりで向かう。奥へと進めば進むほど人気が少なくなっていった。人影が少なくなったからか蒸し暑さもましになった気がして、祭りの賑やかさの代わりにリンリンと虫の声が目立つようになった。

 そういえば。もう迷子になんてならないはずなのに、荒船と手を繋いだままだなってふと気づく。今ならはぐれたってすぐに合流できそうだし、離したっていいはずなのに。固く握り締められたその手のひらを伝って、とくとくと心音が届く。わたしのものなのか、荒船のものなのかわからないけれど、それが心地いいなと感じるわたしもいて。
 もしかしたら「離さないで」ってわたしが言ったからずっと繋いだままにしておいてくれているのかな。それならもういいよって伝えたほうがいいのかもしれない。……でも、なんだかそれを言ってしまうのはもったいない気がしてしまう。もうしばらくこのまま繋いでいたかった。

「あ」

 階段を登って、上へ向かえば、目的地である高台があった。開けたそこにはご丁寧にベンチもあって花火も見やすそうだった。

「ここか」
「すごい! 高い! これもしかしてほんとに目の前で花火上がるんじゃない!?」
「かもしれねえな」

 たどり着いた場所は灯りも少なくて、足元が見えにくいほど暗かったが、そのおかげで夜空いっぱいの星が綺麗に見えた。この景色を見れただけでここまで登ってきてよかったなと思える。
 さっきまでの賑やかな雰囲気が嘘みたいに静かなここは、わたしたちの他に誰もいなかったから目の前で花火が上がったら独り占めだ。荒船もいるからふたり占めだった。
 登ってきた階段を見下ろせば赤く光る提灯がとても小さく見えて。思ったよりも高くまで登ってきていたらしい。

「ここまでまあまあ遠かったが足は痛くねえか?」
「なんだか今日の荒船はやさしいね、おかげさまでまったく痛くないよ!」
「そりゃよかった。つうか今日はってなんだよ、俺はいつも優しいだろうが」
「えっ、そんなことないよ。荒船全く夏休みの課題見せてくれないし」
「はあ? 自分でやれ」
「あとさっきわたしのポテトの一つたべたし、ほらひどい男だよ全く」
「ポテトの一本くらいでぐちぐち言ってんじゃねーよ」
「最後の一個だったの! たべものの怨みはこわいぞ! でも荒船の牛串一口くれたら許してあげないこともない」
「てめえそれが狙いか」
「ばれたか」

 ここに来るまですこし遠かったけど体力には自信があるため特に問題はなかった。荒船も同様だろう。そもそもこんなに階段登ってたなんて気づかなかったレベルである。荒船がわたしの歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれたから足だって痛くないし、浴衣も崩れてなんかなくて。
 素敵なところに連れてきてくれてありがとうと言えば彼は満足そうに笑った。

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