正直、中津に祭りに誘われた時、嬉しく思わなかったわけではない。もちろん嬉しかったに決まってる。だけど、同時に猛烈な苛立ちに襲われた。それは中津に向けているものだけでなく、俺自身に向いたものが大半で。ちっとも意識されていない自分自身に、腹が立って仕方なかった。

「……つうか、俺とでいいのかそれ」

 俺のことをなんだと思ってんだと、気を抜けば棘に満ちた八つ当たりのような言葉を投げてしまいそうだった。堪えようにも我慢ができなくて、思わず言い放ってしまったそれは、苛立ちを吐き出すかのようにぶっきらぼうに中津に刺さる。
 中津と行くのが嫌だと言わんばかりの言い方をしてしまい、直後に後悔に苛まれた。ここで口を閉じてしまえばよかったのに、一度言い出した口は止まらなくて。え、と俺の返答が予想外だったのか笑顔のまま固まった中津に続けて「二人でいるとこを見られたらさらに勘違いされてしまうだろうが」と付け足してしまう。眉間に寄せた皺が中津の不安をより煽り、固まった笑顔はたちまち悲しみへと変化して。こんな表情をさせたかったわけではないのに、ああ、くそ、何言ってんだ俺は。

 まあ、正直噂については今まで何度も言われたが俺自身特に気にしたことはなかった。たかが噂だ、言いたいなら好きに言えと。今でだってそう言えるがこのままでは良くないという現状も理解しているつもりだ。だから、こうして中津を遠ざけたわけなんだが。

(……流石に言いすぎたか)

 俺の言葉に数度パチリと瞬きを繰り返した中津は先程からずっと黙り込んだままだ。痺れを切らした俺が流れを変えようと口を開いたところで「だっていまさらじゃない?」と声が返ってくる。今更、って。

「…おい、」
「だってわたし、荒船と行きたいもん。噂なんかに左右されたくない」

 俺の言葉にかぶせるように、中津が言う。しっかりと目を合わせて、にこりと笑顔を浮かべた。今度は俺が目を丸める番で。ああ、ほんと。敵わねえな。
 中津の意志のこもった真っ直ぐな言葉。はぐらかしたりせず、思ったことをそのまま直接ぶつけてくる。俺は中津のそういうところに滅法に弱かった。あいつらに知られたら笑われてしまうかもしれないが、仕方ねえだろ。惚れた弱みというやつだ。
 俺は中津のことが好きだ、でも中津が俺のことをそういう目で見てはいないことも理解している。そのことに不満があるわけじゃねえし、問題もねえ。
 ただ、その能天気な笑顔にはまっていけばいくほどどうしたって心が影がかかる。良い女だろと中津を自慢したい気持ちももちろんあるが、他の奴らに見せたくなくて、どこか見えないところに隠しておきたい俺も確かに存在していて。最近では後者側の感情がじわじわと成長を遂げている。
 中津の隣に自分以外の男が立つ様子を想像しただけで気が狂いそうになるし、腕の中に閉じ込めて、中津の全部を自分のものにしてしまいたいだなんて歪な感情が心のなかで息を潜めていた。
 そんな嫉妬に溺れた格好悪い自身が俺は嫌いだった。絶対、何が何でも表に出したくなくて、必死に平常を装い続けてきたが、最近それが崩壊しかけていて。
 こんな格好悪い俺を中津にだけは知られたく無いのだ。柄にもないことだが、中津の期待を裏切るのが、嫌われてしまうのが、俺は何よりも怖いのだから。


19 繋ぎ止めるのに必死なんだ ♂


 ほんと、勘弁してくれ。
 中津の浴衣姿を見た時、一番に浮かべた感想がそれだ。
 俺の予想を反する中津の行動にはもう慣れていたはずなのに、視界に入った中津の浴衣姿にただただ目を奪われて。普段の中津とは一風変わった大人っぽい浴衣姿は俺の好みの真ん中を一直線に刺す。
 まさか浴衣で来るとは。もちろん心の準備などしてるはずもなく、不意打ちを食らった俺は柄にもなく顔が赤くなってしまう。悔しいがそれぐらいの破壊力があるのだ。これが狙ってやっていないのだから余計にたちが悪い。
 自分のその動揺を中津に知られたくないが故に目を合わすことができなくて、帽子を下げて顔を隠した。……何がかっこ悪いところを見せたくねえだ、これまで築きあげてきた平常心の仮面が崩れてきていて笑えない。

「……浴衣、似合ってる。」

 数秒時間を置いて、ようやく口に出せた俺の顔は、ちゃんと平然を装えていたのだろうか。そのあと嬉しそうに笑う中津の姿につい手が伸びてしまいそうになった。抱きしめてしまいたい気持ちをどうにか抑え込んで、中津の頭に手を置くだけに留める。
 どんな姿でも可愛いと思ってしまう俺はもう末期なんだろう。へらへら笑って、俺の気なんて知らん顔の中津に振り回されてばかりなそれがたまらなく悔しい。

 だから、まあ。この花火大会がチャンスだと思わなかったと言えばそれは嘘になる。
 迷子にならねえようにと伸ばした手も、少しでも俺を意識して、中津の気持ちが自分の方に向いてくれたらいいと思った。まあ案の定中津は何も意識してない様子だった。犬みたいってなんだ。一度も犬だと思ったことねえよ。

「夜になったら涼しくなるかなって思ったけど暑いままだね、昼よりはだいぶマシだけど!」
「夏だからってのもあるけど大方この人混みのせいだろ。上に登りゃマシになるんじゃねえか?」
「そうだね。なら早く高台とやらに行かなきゃだ! この階段登り終わる頃には違う意味で暑くなりそうだけど」
「そりゃ元も子もねえな」
「帰りはグリコゲームしながら降りよ!」
「はあ? 何段あると思ってんだ、帰るの遅くなるから却下だ」
「えー。それは残念」

 いくつか屋台で食べ物を購入して、目的地である高台への道をそんなたわいもない会話をしながら歩く。あえて隠れた穴場を探した理由は、まあ、あれだ。単純に中津と二人になれる場所が良かったからで。知り合いに会って、中津との時間を数分足りとも邪魔されたくなかったのだ。なんて大概女々しいな俺も、と小さく囁く。
 そこで選んだ神社の高台は花火打ち上げ場所から近距離で、それなりに迫力もあるし好スポットのはずなのにあまり人気がないらしい。きっとその原因はこの長ったらしい階段だろう。いくら綺麗に見えるからといってもこの階段の量は普通の女子だと見るだけで嫌気がさすし、高台に着く頃には疲れ果ててしまうだろうから。けどそれは中津は例外だろう。
 ずいぶんと歩いたはずなのに疲れた様子も見せず、鼻歌交じりに機嫌よく登り続ける中津。勉強をし始めたら疲れただとかやめたいだとかすぐに弱音を吐くくせに体力だけは一丁前で。「この階段、ぜんぶで何段あるのかな」と最初のうちは一段一段数えてたものの、中盤で忘れてしまった中津が最後の三段のみ「ぐ、り、こ!」と声を出して楽しげに登る様子を数段遅れて後ろから眺めた。その際に離された手が、少しだけもの寂しい。

 現地に着いて場所をぐるっと見渡してみたがどうやら俺たち以外に人はいない様子だ。流石に数組はいるだろうとは予想していたものだから、これは単純に予想外だった。
 雲の少ない夜空には無数の星が瞬き、空一面に広がっていた。あたりが薄暗いから余計に輝きが主張する。こんなに綺麗に見えるのなら星の勉強でもしてこればよかったと今になって思った。

「ほら」
「わーい! ありがと!」

 ひとつだけあったベンチに腰掛けて、買ったりんご飴を中津に渡せば彼女は待ってましたと言わんばかりの笑顔でそれを受け取った。カサカサと袋を開ける音を隣で聞きながら俺も買った牛串を一つ頬張る。買った当初よりは冷めちまったがそれなりに美味しいなと思った。

「だれかと手を繋ぐのなんていつぶりなんだろー、ずっと繋いでいたからなんだか手が寂しく感じちゃう」

 唐突にそんなことを言われて牛串を食べる手を止めた。独り言のつもりだったのかこっちを見ずに言った中津は手のひらを開いたり閉じたりしていて。……俺と同じことを考えていたのか、とか。聞きたいことは多いが、まずは前半の言葉が気になった。いつぶりって、おまえ手繋いだ時に俺と穂刈を比べてただろが。

「穂刈はどうした」

 そう聞けばきょとんと目を丸くした中津が俺の方を見る。わずかに首を傾げて不思議そうに口を開く。

「えっ、穂刈? なんで突然」
「……手の大きさがなんだとか言ってたろ、あれは繋いだわけじゃねーのか」
「ああ! それは手じゃなくて身長のこと! 俺がでかいんじゃない、中津が小さいんだぜって言われたから」
「紛らわしいし全く似てねえよ!」

 穂刈のモノマネかなんだか知らねえが、少し声を低めてそう言いのけた中津に突っ込んでやればうわははっと楽しそうに笑った。そんな中津につられて自分まで笑ってしまう。なんだ、そうか、俺の勘違いか。

「なんだ、気にしてたんだ」
「うるせえ。悪いか」
「悪くはないけど、意外だなって思って」

 にやっと頬を緩ませた中津に問われて、自分で墓穴を掘ってしまったと恥ずかしくなった。くそ。
 携帯の画面で時間を確認すれば花火が上がるまであと少しだということに気づいて。どうやらここに着くまでに結構時間が経っていたらしい。

「荒船見て、ここだとぎりぎりボーダー本部が見えるよ! ここから見たらずいぶん小さく見えるね」

 いつの間にかりんご飴を食べ終えていた中津は、展望台から遠くを眺めながらたのしそうにはしゃいでいて。自身もベンチから腰を上げて中津に歩み寄る。

 中津の浴衣姿はきれいだと思う。これまで何度もすれ違った他の女より、軍を抜いて。それが好きな女だからだと言われてしまえばそれまでだが、それでも普段の明るく色鮮やかに輝く中津の雰囲気は浴衣でわずかに抑えられ、いつもより大人っぽく見える。髪も結われているからすっきりとしたうなじがよく見えて、華奢な肩幅がより鮮明に視界に入った。
 普段化粧っ気もないくせに俺のために浴衣を着て、俺のために髪を結ったのだと。そう思ったらにやけてしまいそうになる。考えれば考えるほど無性に愛しさが溢れ出てしまって、抑えるのに必死だった。これも全ては夜の祭りの日に静かな場所でふたりっきりというこの状況が生み出したものなんだろう。
 肩幅だけでなく浴衣の裾から見えた手首はいとも簡単に折れてしまいそうなほど細く華奢で、その細さが余計に加護欲を煽るが、中津が守らないといけないほど弱い女ではないことを俺自身が一番良く理解していて。戦闘になった途端、別人のように強く闘志が瞳に宿った中津が俺は好きだった。たまにドジをやらかすが、中津はこう見えて戦闘センスはボーダー内でも上位の部類にいる。

「荒船ってさ、いいお父さんになりそうだね」
「なんだ急に」
「今日射的教えてるところ見て思ったの。子供嫌いそうなのに意外だなって」
「まあ、嫌いじゃねえな。悪ガキは置いておいて、ああいう素直なやつは好きな方だ」
「素直な子が好きなんだ」
「……鋼もそういうタイプだろ。燃えるんだよ、真面目に成長しようとしてるやつ見ると」
「うん。それはね、すごくよくわかる」

 あえて言わなかったが、もちろん鋼だけじゃなく、中津だって当てはまった。教えれば教えるほど吸収していく鋼ほどではないが、中津の成長スピードだってとても早い。入隊時期も同じで、職種も同じ、B級中位で、個人ポイントだって同程度で。中津と出会って2年と少し、その大半を隣に並んで過ごしてきたが、いつ俺が追い抜かされるか楽しみでもあった。いまは違う場所にいるが、その気持ちは今でも変わりはない。

 ──お前の姫様、拗ねてんぞ。いいのかよ。
 狙撃手に転向してしばらく経った頃、あれは中津が訓練を見に来たときだったか。当真に言われたことがある。……中津が不満に思っていることは俺も気づいてはいた。毎日のように一緒に過ごしていたから、欠けた穴が想像以上に大きかったのだろう。一緒に本部まで来ても、向かう先は別々で。中津は個人戦ブース、俺は狙撃手訓練場。もの淋しげにとぼとぼと歩いていく中津の背中をよく見かけた。
 だが、あるときだったか。それがいい方向に変わったような気がした。俺が近くにいないことを逆手に取って特訓を始めたらしい。強くなって俺を驚かせたいそうだ。穂刈にその話をすれば「ああ。言っていたぞ、中津が。罪な男だと、お前のことをな」という言葉が返ってきた。お前がそれを言うか、どっちが罪作りなやつだよと笑ってしまったが、同時に中津らしいなとも思った。

 守ってやらなくても一人で立ち上がってどんどん先へと進んでいく。俺の知っている中津は弱い女ではなくて。むしろ、俺の手から離れたことで自分の力だけでどんどんと強くなっていく。そんな女だった。強くなる中津を見ることが楽しみで仕方なくて、負けていられないなと気合が入る。
 だから、中津が俺から離れられないんじゃない。中津の世話を俺がしているんじゃない。
 離れられないのは、手を離せないのは、いつだって俺の方だ。中津のいない日常なんて考えられるわけがなかった。
 
 ドカンと夜空いっぱいに鮮やかな光が咲いた。
 時間が経過するのはあっという間で。ちょうど俺たちの真上に咲いた花にふたり同時に意識を奪われる。予想外に距離が近くて、色鮮やかな花火が中津の白い浴衣を染めた。赤、青、緑。黄色にオレンジ。カラフルなその光はまるで中津そのものを表しているようで。鮮やかに夏を彩るその光は夜空に映えて眩しく輝く。こうして多くの人を魅了するところも中津らしいなと思う。

「わあ、目の前だ‼」
「すげえな。特等席じゃねえか」
「写真撮っちゃお!」

 携帯を持って、より花火に近いところまで駆け寄っていく中津の背中を少し離れたところから眺める。手を伸ばせば届く距離、このまま引き寄せて、抱きしめて。自分の胸の中に埋めてしまいたくなった。そうしたら中津は嫌だと言って押しのけるのだろうか。──それとも、おとなしく俺に身を預けてくれるのだろうか。後者であればと一瞬考えて、腕を持ち上げるが、怖気づいてすぐに下ろす。中津との関係が壊れることを臆する俺がそれを許さなかったのだ。そもそもそんな勇気を持ち合わせているのなら、今頃こんなに拗らせてねえだろうが馬鹿。

 大きな花火がひとつ夜空に咲いて、遅れてどかんと音が続く。はしゃぐ中津はすごーいと無邪気な笑顔を空へと向けていた。
 せめて、一言だけでいい。拗らせた想いが爆発する前にすこしでも表に出してしまいたかった。

「……好きだ、みのり」

 下ろした腕の代わりに開いた口から溢れたその言葉は、花火の音にかき消されて溶けた。きっと耳のいい中津にだって届いていないだろう。それをいいことに名前を呼んでしまって。言った直後に猛烈に恥ずかしくなった。
 ああ、俺はいつからこんなに臆病になったんだか。でも、なんだ。俺の勝手な気持ちで中津を困らせたくないと思うほどに、俺は中津を大切に思っているらしい。
 自分の携帯で、花火を撮る。中津の後ろ姿までばっちりと写り込んだその画面をそっとひと撫でしてからポケットにしまい込んだ。

「ねえ見て荒船! この花火綺麗に撮れた!」

 振り向いた中津は、俺の気持ちに微塵も気づいた様子を見せず、撮った携帯の画面を俺の方に掲げながら満足そうに能天気に笑う。俺がこんなにも悩んでるってのに、呑気に笑いやがってと思ったが、まあ、そんな中津が俺は好きなわけだから、仕方ない。
 どうか、あと少しだけ。花火が終わるその瞬間までは、この想いに、何かに、緩んだ気持ちを浸らせてくれ。らしくねえが、それぐらい願ったっていいだろ。なあ、神様。

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