「と言うことがあったんですよ、諏訪さん」
「ひとまずお前はここで喋ってねえで勉強しろ」

 作戦室でオサノ氏の棒付きキャンディをひとつ拝借し、コロコロと転がしながら諏訪さんに今日学校であった出来事を話した。結局今回のテストでいただいた追試の数は合計4つだった。英語と数学以外に国語と日本史。日本人なんだから英語はいらないよと言いたいが、国語まで壊滅的なわたしは日本人でいることすら否定された気分だ。

「うっ、諏訪さんまでそんなこと言う!」
「みのりが追試受け続けるおかげでこっちの任務予定までズレんだよ! 今回は早く終わらせてこい!」
「うわーん! つらい! ボーダーの力で追試を揉み消せないかなあ!」
「そんな都合のいいモンじゃねえよボーダーは」

 と言いながら諏訪さんは棚から持ってきたであろう参考書の山をわたしの目の前にドサリと落とした。この参考書たちは隊室に予め用意されているもので、主にわたし専用だ。ご丁寧に学年が上がるたびに新しいものが追加され、現在諏訪隊室にはわたしが一年生の頃からお世話になってきた数々の参考書が鎮座し続けております。

 たまに後輩が試験勉強のために借りに来るけれど、付箋まみれ、マーカーまみれのそれを見てちょっと引いたような顔をする。その顔を見るたびにマーカー引いただけで満足してんじゃねえと荒船に怒られた過去の記憶が蘇る。だってどこを重点的にやったらいいかわからないし、わたしにとっては全部重要箇所に見えてしまうから。あれもこれもと引いてたらいつの間にか真っピンクな参考書に仕上がってしまっていたわけだ。

 その参考書を見て「分かる」と言ってくれたのは太刀川さんだけだった。その時「太刀川さんもマーカー引いたりするんだ」と思ってしまったのはここだけの秘密だ。当真は教科書すら開かないって言ってたので当真よりえらいのかもしれないなあと今になっては思う。
 いざ試験前になって勉強しようと思ったときにこのピンクの参考書ではどこが本当に重要な箇所なのかわからなかったので、荒船に泣きついたら必要な部分に付箋を貼ってくれました。持つべきものは荒船です。

 まあ要するにこの参考書は追試になるたびにわたしの前に現れる忌々しき敵のひとつであり、思い出でもあり、これまでの軌跡でもある。試験、追試のたびにわたしはいつもこれを持って荒船隊の作戦室まで足を運ぶのだ。鬼教官による地獄の日々がもうすぐそこまで来ている。

「つうか、よく留年しなかったよな今まで」
「留年危機になったら神がわたしの味方をするんですよ」

 そう、神様はわたしの味方なのだ。学年最後のテストや落としたらまずい試験だけめちゃくちゃ点が良くって、毎年留年危機を緊急回避している。
 神様はきっとわたしに試練を与えてくれてるんだろうな。普通校に行っていたらわたしはちょっとおばかな普通の女の子になっていたけれど、それが進学校に通っているだけでちょっとおばかだけど進学校にいる女の子になれるわけです。……と、自分で言っていてすこし虚しくなった。
 まあ、でも。卒業できなければ意味がない。最後の最後で神様に見捨てられる可能性もあるのだから、神頼みは最終手段にしておくのが吉である。


02 奈落の落とし穴一直線ルート


 本当はいますぐにこの敵に取り組んでいくのがいいのだろうけれど、流石のわたしだって試験返却初日に勉強スイッチなんて入らないから。今日くらいはやけ酒ならぬやけ個人戦させてほしい。
 というわけで諏訪さんの目を盗んでそっと抜け出して個人戦ブースにでも行こうかと思います。今日はこのあと特に防衛任務も無いしこのまま抜けたって平気だよね。
 問題を解きながら脱走のチャンスを図っていたわたし。諏訪さんがソファで大きなあくびをひとつこぼしたタイミングで席を立った。

「わからないところがあるので荒船探してきます!」

 大量の参考書を持って元気よく挨拶をすれば、わたしの監視に飽きはじめていた諏訪さんは「おう。しっかりしばいてもらってこい」とこちらを見ることもなくひらひらと手を振った。ふふふ、作戦成功。もちろん荒船を探すなんてことはしないしこの監視付き個人勉強会から抜け出すための口実だ。

 しかしまあ、こんなにたくさんの参考書を持って来る必要はなかったのかもしれないなってことをランク戦ブースに近づいた頃に気づいた。だって勉強する気無いのだったら一冊でよかったじゃんか。逆に目立ってしまってすれ違う人から「いまから荒船さんのところ?」と聞かれてしまう。いいえ違います、サボるためのカモフラージュです。……などと言えるわけもなく適当に笑ってごまかして乗り切ってきた。トリオン体に換装してるから重たくはないんだけど、それでも邪魔には変わりなくて。やってしまったなあと思いながらブースへと続く廊下を歩く。
 個人戦ブースはいつも人で賑わっていて。知り合いの姿だってちらほら、手を上げて挨拶をしたいけれど今わたしの両手は参考書様のものだ。

「中津」
「あ、穂刈やっほ」
「……やるつもりなのか? ここで勉強を」

 ぬっと横から現れた筋肉巨人こと穂刈はわたしの持つ参考書を横から軽々と持ってくれた。おお、穂刈が持つとなんだかわたしの参考書が小さく見える。

「まさか。こんなところで勉強なんてしたら公開処刑だよ」
「みんな知ってるけどな、お前の頭が悪いことなんて」
「そんなことないよ、知らない人だっているよ、ほら後輩とか……!」
「ついこの間言っていたぞ、笹森が。中津先輩無事に卒業できるんでしょうか、と」
「うわーん! 後輩にまで心配させちゃってる!」

 先輩の威厳なんて1ミリもなかった。どうしよういつか日佐人にまで教えを乞うようになってしまったら。プライドもへったくれもないわたしのメンタルがぽっきり折れてしまう。諏訪隊から家出しちゃうかもしれない。
 穂刈とは荒船と一緒にいるうちに仲良くなって、気づいたら一緒にいることが多かった。入隊時期も同じだし、荒船に引き続いてマブダチ二号と言っても過言ではないはず。この調子でいくとマブダチ三十五号くらい生まれそう。

「4つらしいな、今回の追試は」
「もう知ってるの⁉ 荒船め、穂刈に言うなんて!」
「3点」
「うわー!」

 その点を言わないで! と耳を塞いでみたけれど塞ぐべきなのはわたしの耳ではなく穂刈の口である。現実逃避なんてしても点は変わらないし、それならばわたしの醜態を少しでも広めない努力をしたほうが……くつくつと横で笑う穂刈にパンチをしてみたけど筋肉マンの穂刈にはわたしの拳は一切ダメージになってないみたい。くやしい。

「難しくないか? そんな点を取るほうが」
「一応全部埋めたんだけども……わたしもびっくりしてる」

 30点ならまだしも3点て。丸なんて一つもない、お情けで三角が三個あっただけ。要するに完全に正解は一問もなかったのだ。なんてひどい結果なんだ。三年生になってからさらに難しくなったような気がする。まあそれもそうだよね、みんな受験とかあるし……ハイレベルの大学を受験する人たちに合わせて先生も問題を難しくしてるのかもしれない。これからさらに難易度があがっていくのならば現段階で躓いているわたしはかなりピンチだ。

「このままじゃわたし死んじゃうなあ……」
「あったんだ、何が。この数秒の間に」
「やばいよ穂刈、このままじゃわたし奈落の落とし穴に一直線だよ!」
「奈落の落とし穴」

 さっきまで勉強なんて知るもんかという思考を貫いていたわたしだったが、考えると結構崖っぷち立っているのではと急に不安になってきた。未来のわたしはどうしてるんだろう。大学入試はボーダー推薦があるのでなんとかなりそうだなあとは思っているけれど、その前に卒業だ。いつまでもコロコロ鉛筆の神がわたしに付き添ってくれているとは限らないし、推薦だとはいえ小論文と面接がある! テストだってあるかも! 太刀川さんでも入れた学校だからって舐めてちゃダメだ、慎重にいかなきゃ。一人だけ落ちてしまったらボーダーの伝説になってしまう。

「穂刈、英語教えて……」
「聞くのか、普通校の俺に」

 だってわたしより頭いいもん。
 でも穂刈に教えてもらうのはなんか違う。今ちゃんにはたまに教えてもらうけれど、頭の良い人は教え方も上手ですごいなあと思ったり。穂刈も地味に成績は良いし、赤点なんてものとは無縁だから英語でも数学でも国語でも、それなりに教えることはできるはずなんだけど。

 でも穂刈の教え方は、その、結構感覚によるものが多いのでたまにわからなくなる。一年ほど前に古典を教わったとき「なればいいだろう、偉人の気持ちに。そうしたら浮かぶはずだ、言葉が自然にな」と言われたことがある。流石のわたしも「一度もお会いしたこともないのになれるわけないじゃん!」と思ってしまった。まあ単純に穂刈にもわからない古典の問題だっただけなのかもしれないけど。きっと今回の英語だってなればいいだろう、アメリカ人の気持ちに。と言われるに違いない。そんな簡単になれたら3点なんて取らないよ!

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