試験で追試のたびにもう嫌だ!と逃げたくなるわたしをその都度引き止めて叱ってくれる存在。一回で出来なくてもいいからしっかり目の前の課題と向き合えって。だからわたしはいままで何度追試になったって、逃げずに乗り越えてこれたんだ。まあ弱音はめちゃくちゃ吐きまくってたけど。
もしも荒船がいなかったのなら、わたしは簡単に逃げ癖がついて自分の嫌なことからすぐ遠ざかってしまってただろうなって。
今回だってきっとそう。どうしたらいいかわからなくなって誰にも言えずひとり座り込んでしまってたかもしれない。そしたらカゲにだって相談しなかっただろうし、自分の気持ちに気付くこともできなかったなあって。
足が震えてても、今日がわたしたちの友達最後の日になるかもしれなくても。目の前の荒船と向き合うってもう決めたんだ。どうか神様仏様。わたしが間違えず最善の答えを選べるように空から見守っててください。……でもやっぱり気が向いたらでいいので見守るだけじゃなくてこっそりヒントを教えてほしいです。
22 私らしく、私達らしく
影浦隊を出て、荒船と廊下を歩く。わたしはトリオン体だけど、荒船は私服だった。さっき来たばかりなんだろうか。
顔を見たのは花火大会以来だ。話したいことたくさんあったはずなのに、どう話したらいいかわからなくて結局沈黙が広がるだけだった。静かな廊下にコツンコツンと靴の音がやけによく響く。
久しぶりに見た荒船は予想通り少しだけ日焼けしていた。海たのしかったのかな。羨ましい。わたしも行きたかった。って、いつものように声をかけたい。けど、わたしはいつもどんな風に話を切り出していただろう。いつも思ったことを唐突に変なことを言ってる気がする。
思ったこと……。
「荒船焼けたね、こげぱんみたい」
いま思ったことをそのまま口にしてみたけど、間違えてしまったかもしれない。こげぱんって。普通に焼けたねで止めたらよかった。返事が返ってこなかったらどうしようと一瞬不安になったが、荒船はははっといつも通りに笑って「なんだそれ」と口にする。いつもの荒船だった。
「みんなで海行ったんでしょ、泳いだの?」
「俺が海に入るわけねえだろ、穂刈らとビーチバレーしてた」
「へえ!」
たのしそうだねと言って笑う。思ったよりいつも通りの返事が返ってきたから安心した。もしかしたら気まずいと思っていたのはわたしだけだったのかもしれない。
「送っただろ、写真」
「え、あれ、ビーチバレー写ってた……? きれいな海の写真なんだけど」
「敗北した穂刈と当真が遠くで土盛られてる」
うそ。携帯を開いて確認してみると、たしかに奥の方に土の山があった。よく見ると当真が柚宇ちゃんたちに土を盛られている現場で。ただ海がきれいなだけの写真だと思っていたからぜんぜん気づかなかった。
「この二人、高身長コンビなのに負けたんだ……。」
ビーチバレーなのに……。と素直な感想をことばにすれば荒船はさらりと返す。
「単純に相手が悪かったな」
「ちなみに相手は?」
「カゲと鋼」
「それはご愁傷さますぎる」
サイドエフェクト持ち運動神経抜群コンビ相手はきつい。強すぎる組み合わせに胸の前で手を合わせて祈るような動作をした。荒船は誰と組んだんだろう。ゾエかな。意外と生徒会長とかどうだろう。一緒に行っていたのかはわからないけど、ビーチバレーする会長は見てみたいかも。
話せば話すほど楽しそうな様子が頭に浮かんでなんだか悔しい。わたしは犬飼と寂しく防衛任務してたのに。
「わたしも行きたかったなあ。防衛任務さえなければ!」
頬をぷくりと膨らまして拗ねた口ぶりで言う。
「残念だったな。タイミングが悪かった」
「その日はね、犬飼と寂しい思いしてたの」
「あー、らしいな」
「あれ、知ってたんだ。犬飼から聞いた?」
「犬飼のSNS載ってたじゃねーか」
「えっなにそれ見てないんだけど」
「ポテト食ってたろ」
「まさか無限ポテパ現場載せてた⁉」
あの日は犬飼と置いてけぼり組でもなにか楽しいことをやろうという話になり、世の中の女子高生憧れの無限ポテトフライパーティー、略して無限ポテパをしに行くことになって。
バーガークイーンの山盛りのポテトを前にはしゃいでいたわたしをなんとも言えない表情を浮かべた犬飼が写真を撮っていたのは覚えていた。もしかしてSNSに載せてたのってその写真なんだろうか。かなり恥ずかしい。好物のポテトを目の前にしたわたし、ぜったい変な顔してると思う。
「中津はいつも変なことばかりしてるなって言ってたぜ、鋼が」
「ふふん、いいでしょ。犬飼全然食べないからほとんどわたしが頑張ったの、あれはお腹苦しかったな」
「あれ一人で食ったのかよ。まあまあの量じゃねえか」
「さすがにきつかった」
「だろうな」
話していくうちに緊張がゆっくりと解けてゆく。もう何を話したらいいかって悩んでいた気持ちはどこかに行ってしまった。こんなことならばもっとはやく話していればよかったな。
最後の夏だから精一杯楽しむぞと意気込んでいたわりにはなんというか、今年はあんまり夏っぽいことできていない気がする。去年まではいろいろ遊びに行ったりしてたけど。やっぱり三年になるとみんな受験勉強やらで忙しくてなかなか遊びに誘い辛くって。
ボーダーの人たちは推薦で進学する人が多いし夏休みでもよく会うけれど、もちろん推薦以外のひとだっているから。もしかしたらそろそろ受験に集中するためにボーダー辞める人とかも出てくるかも。神田くんは外部らしいし、そのひとりなんだろうなっって思う。
「中津は何してたんだ、夏休み」
荒船に聞かれる。頭の中を見透かされたみたいでびっくりした。
「んーそうだなあ。海とかプールは全然だし、柚宇ちゃんたちと時々お茶するくらいしかしてないや。夏らしいことは全然」
それこそ花火大会くらいだよ、と言ってからハッと我に返った。緊張がゆるんでたからか普通に花火大会の話を出してしまった。話をそらそうとしていたわけではないけれど、なるべく避けていたのに。わーん! 夏休みの宿題の話とかしとけばよかった!
平然を装いつつ、えへへと笑った。またしても流れる気まずい沈黙。
それから数メートル歩いたところで荒船の歩みが止まった。ついについてしまったかと心臓がどくどくと速く煩くなる。うう、覚悟はしてたけどやっぱり緊張するなあ、って、思ったのだけれど。
「……えっ」
いざ決戦場へ、と前を見ればそこには見慣れた景色が広がっていた。戸惑うわたしをよそに荒船が一歩踏み入れたそこは、個人戦ブースで。扉がシュンと軽い音を立てて開いたら、夏休みだからか大勢のひとが溢れかえっていた。
「えっ、えっ、まって荒船」
「待たねえよ。いいからついてこい」
ついて来いって言ったって、ここは流石に話し合いをするのには適していないと思うんですがと大慌てで声をかける。どこもかしこもギャラリーまみれだよ。歩きながら個人戦ブース近いなあとは思ってたけど、まさか本当にここだとは思わなかった。覚悟を決めているとはいえここで気持ちを伝える勇気はさすがのわたしにもない。
「ねえ荒船ってば」
「5ポイント先取」
「へ……え? 5ポイント?」
「トリガーは何を使ってもいい。お前のご自慢のメテオラだって使用可能だ」
「メテオラ」
「ただし俺は弧月のみ。イーグレットは使わない」
「……ねえそれって、ひさしぶりにわたしと試合しようってこと?」
急に試合の条件を口にする荒船。わたしの問いかけに答えるように荒船がフッと笑う。そしてトリガーを起動して、トリオン体に換装した。見慣れた黒い荒船の隊服姿で言いのける。
「特訓の成果、見せてみろよ」
ぐいっと帽子を持ち上げてわたしを見下ろす荒船。どくんと心臓がはねた。
最近はずっと狙撃手訓練に集中してて、全くここで見かけなくなってたから。荒船と試合をするのは随分とひさしぶりだった。
荒船と戦えることが素直に嬉しくてたまらなくって。思わず口元がゆるんだ。
「いいの、そんなこと言っちゃって。わたし結構成長してるよ」
「らしいな。お前の実力を見るなら弧月一本でいったほうがわかりやすいだろ」
「ううん、荒船もイーグレット使っていいよ。わたしが成長してるのと同じように、荒船も成長してるもん。なんでもありにしよ!」
「言ったな。……後悔すんなよ」
「ふふん。それでも勝つのはわたしだよ」
「は、その余裕ごとぶった切ってやるよ」
なんで荒船がここに連れてきたか、理由はわからないけれど。二人で話し合うより戦って勝敗を決める。変に頭を使うよりそっちの方がわたし達らしいと思った。
「勝ったら言いたいことがある」
「……うん。じゃあ勝った方が先に話をする権利がもらえるってことで」
荒船さんと中津さんが試合するみたいだぞ、とその場に居合わせたC級隊員がざわついてモニターの前にわらわらと集まってくる。わたしたちの試合はなぜかいつも観客が多かったことをその時ふと思い出した。同時に、そんなことまで忘れてしまうほど荒船と戦うの久しぶりなんだなあって感じた。
空いていたブースにそれぞれ移動して、入ってすぐに荒船から部屋番号の連絡が入ったから、選びつつ頭の中で軽く戦略を練る。転送開始まで時間も短いので緻密な作戦なんて立てられないけれど。最近新たに生み出した新技をどのタイミングで披露しようかなあと考えると胸が高鳴った。
『対戦ステージ市街地A ランク外対戦5本勝負開始』
転送位置について、電子音があたまのなかに鳴り響く。
息を吸って、吐いて、全身の感覚を研ぎ澄ました。荒船の位置は、前方屋根の上。
戦闘開始直後から腰に弧月が刺さっているのが嬉しくて、にっと笑った。それを合図に二人同時に動き出す。わたしの手にはスコーピオン、荒船の手には弧月を構えて。
そう簡単に負けてやるもんか。
戻る