荒船の呼吸に合わせて体を捻り、スコーピオンを首に目掛けて突き立てる。それをすんでのところで避けた荒船が弧月を振りかざすから、グラスホッパーで上に飛んで避けて。避けながらナイフ型にしたスコーピオンを投げつければ、荒船は弧月でそれを叩き落とした。
 荒船との試合は一瞬の瞬きさえも許されないくらい怒涛の攻防合戦で。集中しないとすぐに狩られてしまう。その緊張感がたまらなくて、動くたびだんだん調子が上がり、軌道に乗っていく。実力はほぼ互角。荒船との試合はやっぱり楽しくて、大好きだなと改めて思う。
 やたらと飛び降りるのが好きな荒船が転送後すぐに見せつけるようにビルから飛び降りて登場したときは面白くって笑ってしまったけれど、二戦目でわたしも同じことをしてみたら爽快感があって意外とよかった。いままで馬鹿にしてごめんねって気持ちでわははと笑えば、遠くで荒船が笑っていた。

「わはは、たのしい!」
「真似してんじゃねえよ」
「いやあ、荒船の登場がかっこよくてつい……」

 こんなこと生身じゃできないもんね、と言いながら足元に転がしておいたメテオラを起動させる。立ち込めた土煙の中からシールドで爆風を防いだ荒船が、帽子をぐいっと持ち上げながら「不意打ちなんて誰に習ったんだよ」と言って現れる。
 画面の向こうでわたしたちの試合を見てる人たちも、あいつら久々戦ってると思ったらこれかよって笑ってそうだなあ。ちょっと恥ずかしいけれど、そんなの気にしてらんないくらい荒船と戦うのはたのしくて仕方ないから。このままずっと続けばいいのになあ、なんて思った。
 でも、勝敗はいまのところ4対4の引き分けだから、この試合が最後で。どちらかがベイルアウトすれば終わってしまう。そろそろ荒船のいない間に密かに訓練していたメテオラ捌きを見せる頃合いかもしれない。もう自爆常習犯だなんて呼ばせない。メテオラといえば中津みのり、と呼ばれる日は近いかもしれない、と思いながら地を蹴った。


23 ひとつの恋が動きだす、夏の終わりのこと。


「なんだよあの終わり方は」
「申し訳ないとは思ってる」

 試合終了すぐに荒船様の目の前に正座をして項垂れる。そんなわたしを腕を組んだ状態で見下ろす荒船の姿があった。ざわざわとざわめくランク戦ブース。そのざわめきからみのり先輩またやってんじゃんといった声も聞こえてきた。……聞こえていますよ緑川くん。

「言い訳があるなら聞くだけ聞いてやるが」
「いいえ滅相もありません。もう自爆の中津と呼んでください」

 結局調子に乗って出したメテオラが暴発しわたしの体が吹き飛んで試合終了という落ちになった。最後に見た荒船の呆気に取られた顔は一生忘れられない気がする。そんな終わり方はないだろ、て顔してた。一緒に巻き込まれてくれたのなら引き分けでもう一試合できたのに、残念ながら一切傷を負うことなく荒船の勝利が決まった。つらい。あんなに特訓したのに……。見せつけてやろうと思っていたのに……。わたしは本番に弱いタイプだったらしい。ええ、もちろん知っていましたとも。

「わたしの負けなので煮るなり焼くなりしてください」
「ほう、潔いじゃねえか。なら場所を変えるぞ」
「……ねえ、やっぱり7ポイント先取にしない?」
「しねぇよ」
「うわーん! こんな負け方悔しい!」

 悔しい悔しい! と口にしながら荒船の後ろをついていく。試合前の気まずさなんて吹き飛んでしまったし、いつも通りのわたしたちに戻ったようだった。
 もしかしたらわたしの緊張をほぐすために荒船が試合に誘ってくれたのかもしれない。というか絶対そうだと思う。そんな気遣いができるところもさすが荒船だなあ、なんて思いながら前を歩く荒船の背を眺めた。
 これから何を言われるのかとか、関係がどう変わってしまうのかとか、心配なことはたくさんあるけれど。不思議と怖くはなくなっていた。つい数時間前まであんなに荒船のこと避けようとしていたのが嘘みたいだった。

 着いた先は荒船隊室だった。
 荒船に続いて中に入れば、冷房の効いた冷たい風が肌にふれて心地よかった。
 隊室には穂刈も倫ちゃんも半崎くんもいなくて、きれいに整った室内のデスクの上にノートが一つ置いてある。マグカップも置いてあるから、荒船はさっきまでここにいたのかもしれない。夏休みの課題かな、それとも勉強でもしていたのだろうか。偉すぎる。
 なんだか、随分と久しぶりに来たような気がしてしまう。わたしが来ないうちに荒船隊室はなんだかやけにすっきりとしていた。半崎くんお気に入りのハンモックも吊るされてないし、倫ちゃんの謎の石像やオブジェもなくなってるし、筋トレ用具はあるけど数が減っていた。いつの間にか荒船隊大掃除が行われていたらしい。

「なんかすごいきれいになってる!」
「前が私物置きすぎだったんだよ。持ち帰ってもらった」
「前の物がいっぱいの荒船隊室も居心地よかったけど、きれいなほうがスタイリッシュな作戦室でかっこよくていいね。荒船のスクリーンや映画がなくなったのは寂しいけど……って、普通にあるじゃん!」

 もう持って帰ったんだろうな、と以前陳列されていた棚の中を見ると、荒船の自前のDVDがいくつか置いたままになっていた。前より数は減っているけど、それでも荒船のお気に入りのアクション映画のシリーズは並んであるし、スクリーンも見えないようにしてあるけどまだ置いてある。他の荷物は片付けたのに自分のは置きっぱなしなんて!

「これは職権乱用ってやつじゃないですかね、荒船隊長」
「……うるせえ、いいだろ。スクリーンはログ見たりするときにも使えるだろうが」
「使うの?」

 使ってるとこ見たことないけど、と返せば黙り込んだ荒船。

「職権乱用の容疑で現行犯逮捕します!」
「なんでだよ」
「こんなに大掃除したのなら、見つかっちゃったかもしれないなあ」
「なにか隠してたのか」
「荒船を脅かそうとこっそりセミの抜け殻をここらへんに……あ、残ってた」
「そんなもん他所の作戦室に隠してんじゃねえ」

 ベンチの裏側に引っ掛けていたセミの抜け殻を手で摘んで回収して「ほらこの子、この間本部の近くにいたんだ」と見せてやれば露骨に嫌な顔をされてしまう。虫苦手ではないはずなんだけどな……と思いながら倫ちゃん作のオブジェがなくなった棚の上に飾った。置いてすぐに飾ってんじゃねえと声が飛んでくるものの無視してベンチにそのまま座る。

「穂刈たちは?」

 問えば荒船は机の上のノート類を片付けながら「あいつらは今日は居ねえよ」と言った。

「うちは非番だからな。狙撃手訓練の日でもねえし、個人戦するわけでもねえあいつらは来ないだろ」

 確かに。休みの日にもブースで狙撃練習している子も中にはいるけど、穂刈たちの場合はするなら荒船に一報いれるだろうし、その荒船が言うのなら、来ないんだろうなと納得した。

「じゃあ荒船はなにしにきてたの」
「防衛任務シフト見に来てたんだよ。スケジュール組んでまとめてた。諏訪隊のも出てただろ、見たか?」
「見た! そういやうちとシフト被ってたね」
「被ってた、というか。合わせたんだよ」
「え」

 ぽかんと呆けた顔をするわたしを置いて、荒船は続ける。

「中津に全然会わねえし、避けやがるから。無理やり合わせてやろうとうまく組み込んだ」
「……避けてること、気づいてたんだ」
「俺が気づかないとでも思ったか」

 これも職権乱用だ……と言う前に、本音が口からこぼれ出る。
 荒船なら気づいているかもしれないなって、思っていた。わたしの小さな動きも見逃さないひとだから、気づかないわけがなくって。だからこそ早く対策を練らなきゃと焦っていたわけだけれど。
 ……なんだ。気づいた上でシフトを被せてきていたのか。ならどうあがいても逃げることなんてできないじゃんか。防衛任務で捕まって、諏訪さんや穂刈の前で醜態をさらさなくてよかったのかもしれない。
 隣に座った荒船が、静かに口を開く。
 ああ、ついにこの時がきてしまったかとわたしも覚悟を決めた。

「花火大会の日、聞こえてたんだろ。あの日以降どんなに探しても会わねえし、変だと思ったんだよ。時期からして、そう考えたほうが辻褄が合う」
「……うん、すごいね」

 そこまで気づかれていたとは流石に思っていなかった。驚いたけれど、荒船は頭がいいから気づいてもおかしくはなくて。
 もしかして、避けていたことで荒船を悲しませていたのだろうか。少なくとも避けられていい気はしないと思うから、悪いことしたなと思って「避けてごめんね」と素直に謝れば「別に気にしてねえ」と返ってくる。

「俺のこと一生避けてるつもりだったのかよ」
「ううん。荒船のこと避け続けることなんてできないよ。荒船がいないとボーダーもつまんないし、学校卒業も危うくなっちゃう。だから困り果ててカゲのところに相談に行ってたんだ」
「……困ってたのか」
「超困ってた! これから荒船とどんな顔して会えばいいんだろうってわかんなくなっちゃって。でも避けようと思えば思うほど、荒船に話したいことばっかり浮かんじゃうんだ」

 だから、余計に困っちゃった。言えば荒船は驚いたように目を丸めた。
 考えないようにすればするほど荒船のことばかり考えてしまってしまうから。わたしのなかで荒船は、想像していたよりもずっと大きな存在だってことをこの一週間で嫌というほど実感したんだ。わたしには荒船が必要で、なくてはならない存在だから。
 自分では気付いてなかったけれどカゲに相談に行った時点でもうすでにわたしの中での答えは決まっていたんだと思う。ただ、最後の一押しが欲しかっただけで。
 わたしの本心をカゲは見抜いていたのかもしれない。じゃないとこんな荒療治、カゲらしくないから。お前らうだうだしてねえで早く決めてこいやって。カゲの気持ちが今ならものすごくよくわかる。ごめんね怒ったりして。まあでも呼んでくれてありがとうとはぜったい言ってやらないけど!
 もやもやとしていた感情の名前に、荒船が好きなんだって気づけたのはまぎれもなくカゲのおかげだから。そのことに関しては今度改めてお礼をしなきゃいけないなとは思った。

 あのね、あのね荒船聞いて。わたし荒船が好きなんだ。

 眉をぐっとひそめて笑う笑い方も。真面目なくせに口が悪いところも。変にストイックなところも。自分のこと後回しにしちゃうくらいに世話焼きなところも、意外と子供っぽいところも、照れた時にすぐに顔を隠そうとするところも、ぜんぶ。ぜんぶ好きだなあって思うんだ。

「荒船の隣は、わたしの場所がいい」
「!」
「これがわたしの本心で、あの日の……花火大会の返事。わたし、友達でも恋人でも関係の名前はなんだっていいけれど、どうしたって荒船の隣にいたいんだ」

 綺麗な言葉の紡ぎ方も、上手な気持ちの伝え方も知らないし、わたしはわたしらしく、何も飾らない本心をそのままぶつけることしかできなくて。荒船ならきっと素直に受け止めてくれるって信じてるから。

「中津の気持ちはわかった。だが──関係の名前がなんだっていいってのは気に食わねえな」

 くっと喉の奥で笑いながら言う。でも、だって、……ほんとうになんだっていいんだ。荒船のそばにいれるのなら、なんだって。

「俺だってお前といたい。だが、一生友達としてっていうのなら話は変わってくる」
「ともだちは嫌なの」
「嫌に決まってんだろ」

 わたしの言葉にかぶせるように言う。ストレートに言われてズキンと胸が痛んだ。
 そ、そっか、嫌なのかあ。じわじわと目頭に熱が集まるのを感じながら、こんなことで泣くもんかと顔に力を入れて耐える。わたしの方を見た荒船が、うわと言って眉間にしわを寄せた。

「……なんて顔してんだよ」
「だ、だって〜〜! 嫌がられたくない!」
「ほら戻せ、泣いたっていいから」

 わたしの顔が軽い事故を起こしている事実に気づいた荒船が、優しく頬に触れて。そのまま頬をもみほぐす。ゆっくりと力が抜けていったが、その拍子に堪えていた涙がじんわりと滲んだ。ぐすぐすと泣き出すわたしを見て荒船がふ、と笑う。

「俺が何年我慢したと思ってやがる」
「がまんさせてたの」
「そりゃあな。こうやって触れることも友達だと簡単にはできねえし。何度手が伸びて、止めたことか」
「でも、わたしは触れてほしいよ。荒船に頭撫でられるのとかすきだもん」
「おまえはすぐそういうことを言う。だから困るんだよ。どのラインでお前が嫌がるのかわからねえから止めるのに苦労する。……お前が俺に嫌がられたくないと思うように、俺もお前に嫌われんのが怖いんだ」

 嫌がったりなんてしないのに。でも、そっか。荒船もわたしと同じように不安になったり、怖くなったりするんだ。そんなの当たり前のことに今になって気づいた。もしかしたらわたし、荒船には怖いものなんてないんだって心のどこかで思っていたのかもしれない。
 仲良くなって何年も経つけれど、こうやって荒船の本音をきちんと聞いたのははじめてだった。

「荒船も怖いって思うんだ」
「当たり前だろ。……でもまあ、中津の感情が俺に向くのなら、これ以上は我慢してやる理由はねえけどな」

 ニッと笑った荒船がとてもうれしそうだったから。こんな顔見たの久しぶりで、ぎゅっと胸が締め付けられる。はやまる心音はいつの日か感じたものと同じだった。ああ、そっか。わたし、荒船の笑顔が好きなんだなあって。あの日、花火大会で感じたのも荒船が笑ったときだったから。
 よく聞けよ、荒船が言う。こくんと頷いてから黙って続く言葉を待った。

「──好きだ、みのり。俺の恋人になってくれ」

 今度は真正面から。覚悟はしていたけれど、やっぱり正面から言われると照れちゃって反射的に顔が赤くなってしまう。今は夜でもないし、花火がごまかしてくれたりなんてしない。作戦室の蛍光灯は、否応にもわたしの真っ赤な顔を荒船の瞳にうつしてしまうから。
 すうと息を吸って、口を開いた。返事はもう決まっている。

「わたしもね、荒船が好きなんだ」

 素直な言葉ほど、心にはよく残るから。何も飾らないわたしの言葉で伝えるよ。

「だから、これからもずっと荒船の隣にいたい。隣にいてもいい、権利がほしい。」
「……おう」
「もう我慢しなくていいから、わたしに触れていいから、だからわたしを離さないで」
「そんなの嫌がったって離してやらねえよ」
「わっ…!」

 わたしの手を握ってから、抱き寄せる。ぼすりとわたしは荒船の胸の中に吸い込まれて、そのままぎゅうと抱きしめられた。鍛えられた筋肉が頬に当たってすこし痛かったけれど、でもほら、幸せを感じてるわたしがいるから。そのまま応えるようにわたしも荒船の背に腕をまわした。

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