ふゆ、ひとつ
布団に包まったまま枕元に置いてある目覚ましのアラームが鳴り響く携帯を手に取った。今日はやけに寒かったから、布団から出たくないなあなんて思いながらも音を止めて、開くと通知が一件。
「んえ……なに、あらふねからだ」
眠たい目を擦りながら内容を確認すれば、荒船からメッセージが入っていた。『外を見ろ』の一言だけ書かれていて、一時間ほど前に送られてきていた。荒船は早起きだなあ。そう思いながらしぶしぶ布団から出る。さむい。
荒船が朝からわたしに連絡をしてくるのは持参し忘れたら先生にどっぷりと怒られてしまいそうな提出物がある日の朝だったり、寝坊したら大変な日だとかで。だいたいわたしがピンチになりそうなときに連絡が来ていたから。えー、なにかやらかしたっけと寝ぼけた頭をひねるものの特に何も思い出せなかった。もしかして小テストがある……? でもそれだと外は関係ないはず。うーん。なんなんだろう。
パジャマだけでは寒くて震えてしまうから上着を羽織って、窓の方へ歩み寄った。心当たりはないけれど荒船から連絡が来るんだ、外で何か起きているのは確かだろう。一時期問題になっていたイレギュラー門関係のことであれば諏訪さんからも連絡が入りそうだから、きっとそうではないのだとは思うけれど……ボーダー関係のことだったら大変だ。脳裏に浮かべた惨状は、あの雨の日のこと。わたしは運良く回避出来たけれど、耳をすませばどこかから泣き声が聞こえてきそうな日々のことを不意に思い出してしまった。今日ほどではないけれど、あの日も確か、寒かったなって。そう思いながらカーテンを開けると、ぱあっと眩しい朝日とともに真っ白に染まった世界が視界にうつりこんで。わあっと思わず声が漏れる。
「雪!」
わあ! 雪だ! すごい! 積もってる! 暗く沈みかけていた思考が一気に浮上し、眠気が吹き飛んだ。たまに雪が降ることはあるけれど、積もるほど降るのは珍しくて。窓を開けて乗り出して、遠くを眺めた。ふわり、ふわりと大きな牡丹雪が開いた窓からひらりと迷い込んで、室温で溶けた。雪が降っただけなのに、見知った町並みがまるで別の知らない街のように思えてしまう。不思議。
そうだ、返事しよう!
急いで携帯を手にして「雪降ってる!!!」といつもより多くびっくりマークを付けて返事をすれば、すぐに既読がついた。
「今起きたのかよ。溶けて無くなる前に見れてよかったな」
字面を見ただけで荒船の呆れたような表情と笑い顔があたまに浮かぶ。冬は寒くてなかなか起きれなくって、なんて返しながら雪の様子を部屋から眺めた。今もかなり積もっているように思えるけれど、もしかしたら荒船が起きたときは今よりももっと積もっていたのかもしれない。
「まだまだ積もるよ! 雪合戦できるかな」
「この雪の量じゃ流石に厳しいんじゃねえか。つか誰とするんだよ」
「荒船と犬飼と会長」
「やらねえよ」
「けちんぼ」
ざんねん、と書いて悲しそうな顔をした犬のスタンプを荒船に送って、わたしも同じ顔をしながら携帯を閉じた。そろそろ着替えて準備をしないと遅刻してしまうかもしれない。
それからしばらく間が空いてからぴろんともう一度通知が鳴った。朝ごはんを食べているときにちらっと内容を確認すれば「滑って転んで怪我するなよ」と送られてきていて。ああ、なんだ。荒船が朝から連絡をしてきた理由はこれだったのか。
星が綺麗な夜だったり、大きな月が夜空に浮かんでいた日も、なにか見てほしいものがあるときはわたしから連絡を送ることが多くて。雪が積もっていた朝に、外を見ろ雪降ってるぞって理由だけで荒船が連絡してくるのは珍しいなと思ったんだ。だってきっと、普段なにもない日に綺麗だねって連絡をするのはわたしのほうだから。
雪を見て、はしゃいだわたしが転んで怪我をするのではないかと心配に思ったんだろう。そう考えて、胸のあたりがじんわりとあたたかくなる。
そうだね、いつもより道は滑りやすくなってるし、滑って転ぶだけならいいけれど、事故も多いかもしれないから巻き込まれないようにしなくっちゃ。いつもより気をつけていこう。
ご飯を食べながら機嫌よくにこにこと笑っていれば、お母さんから「そんなに雪がうれしいの?」と尋ねられた。雪も嬉しいけれど、荒船からのメッセージが嬉しいんだよ。
朝起きて、外の雪を見て、一番にわたしのことを考えてくれていたんだ。こんなに嬉しいことはないなって。友達時代から時々連絡は来ていたけれど、関係が変わってからは言葉に乗せられた優しさが伝わってくるから。わたしは荒船の優しくて面倒見が良くてちょっと心配性なところが好きなんだ。こういう一面を知れるのは恋人の特権だなあ、って思ったり。
朝のニュースは雪一色。全国各地、色んな場所で雪が積もっているらしい。
京都の清水寺、金閣寺、貴船神社。立派な日本の文化遺産たちが雪の化粧で幻想的に映し出されている様子が中継されていた。その雪景色がとっても綺麗で、おもわず目を奪われる。わあ、行ってみたいなあ。荒船はこういうの興味あるのかな。誘ったら夏祭りのときみたいにいっぱい調べて用意したりしそう。何年に建設されて、ここら一帯は焼け野原になって。応仁の乱、本能寺の変、織田信長、わびさび……と思い浮かべた単語は誰でもわかるようなものばかりだけれど、きっと荒船先生による歴史の授業はもっと難しくて細かくて、わかりやすくて、たのしそう。清水の舞台から飛び降りてやるぜって言う荒船を想像したら面白くってふふふっと笑ってしまった。
新雪に靴のあとを残すのがたのしくて、わざと蛇行しながら歩いてみたりしながら学校へと向かう途中、肩をとんと叩かれる。振り向けばそこには傘を差した犬飼がいた。ブレザーの上から黒のロングコートを羽織っている。
「犬飼だ、おはよ!」
「おはよ。中津ちゃん、肩に雪すごい積もってるよ」
「え、あ、ほんとうだ」
ダッフルコートの上に雪が形になって残っていた。傘の角度が悪かったからか、それともまっすぐ歩いていなかったからか。雪はふわふわと舞うから全てガードするのは難しい。
肩についた雪を片手でぱらぱらと振り落とした。
「あはは、頭にも乗ってるよ」
「わっ」
犬飼の手が頬あたりに伸びて、さらっと触れる。髪に引っかかっていたらしい。
「ありがとう! えへへ、こんなに付いてたらもはや傘さしてる意味ないかもね」
「まあまあ。顔は守られるからいいんじゃない?」
マフラーに埋めたまま「そうだね」と言って笑った。白い息がぼわぼわと冬の乾いた空気に溶け込んで、空に揺蕩う。そのまま犬飼はわたしの横に並んで、一緒に歩き出した。身長差があるからわたしよりずっと歩幅が大きいはずなのに、置いていかれる様子はないからわたしに合わせてくれているんだろう。そういうことをさらっとやってのけるのが犬飼らしいなって思う。
「犬飼は今日防衛任務の人?」
「いや? 休みだけど。なにかあるの?」
「ううん、なにかあるわけじゃないんだけど。今なら誰も足を踏み入れていないきれいな新しい雪、踏みたい放題だなって思って。ほら、警戒区域内はボーダーの独擅場だから」
「うわー。中津ちゃんらしい考え方だ」
わたしらしいってなにさ。くつくつと笑う犬飼に向かってジト目を送れば、馬鹿にしたわけじゃないよと返ってくる。
「そんな固まっていないコンクリートの上を歩く猫みたいなことやるの中津ちゃんくらいだと思って」
えっ、やっぱり馬鹿にしてるじゃん! 言わなきゃよかった! 頬をぷっくりと膨らましてわざとらしく不満を表現すれば、横から突かれて空気が抜ける。ぷしゅり。
「……でもわたし知ってるよ、犬飼だってランク戦で雪踏みつけて遊んでたの!」
「え、東隊がマップ選択のときのやつ?」
「うん。すごい楽しそうに雪踏んでたから羨ましかった」
「うわー待って、嘘でしょ、あれログ残ってるの」
若干複雑な表情を浮かべながらも、それでも笑顔は崩さない。なんだ、知らなかったんだ。雪のステージなんて珍しいから面白いと思ってたんだ。トリオン体だと滑りにくくなるのかな。基本みんなブーツだし素材も似たようなものだから、つるつる滑ったら大変だ。穂刈も気になっていたみたいで一緒に荒船隊室で視聴会を開いたんだ。
「貴重な玉狛の試合だから見てる人多いんじゃないかな! わたしは穂刈と一緒に見てたよ」
「そう……前から思ってたけど、中津ちゃんって映画見るようにログ見てるよね。普通あんまり他隊の人とログ見たりしないと思うけど」
「え、そうかな」
言われてみればたしかにそうかもしれない。隊のみんなと作戦立てながら見るのが基本だし……。面白い動きをしている人がいたら穂刈と「よかったな、今の動き」「わたし次の試合で取り入れる」と感想を言い合いながら眺めているから、わたしの作戦は荒船隊に筒抜けだ。
「確かにアクション映画見てるような気持ちにはなってるかも。爆発するし、剣で戦うし」
「それ、荒船の影響?」
「うん、そうかも」
「そんなあっさり認めるんだ」
いつからだったっけ。荒船隊でログを見るようになったのはなにも最近の話ではない。付き合う前からだし、C級時代から一緒に見ていたからその名残で荒船と一緒に見る癖が付いてしまっていた。誰からも変なことだって指摘しなかったから、おかしなことだと気づかなかったんだ。
ログだけじゃなくて、実際の映画だってそうだ。かなり荒船から影響を受けてしまっているなってふと気づく。
ジブリとか、ディズニーとかアニメーション映画は前から好んでよく見ていたけれど、洋モノのアクション映画はこれまであまり選んでこなかったのに、荒船と出会ってからは一緒によく見に行っているから。英語だからってこっそり避けていた字幕にも挑戦するようになっているし、気づいたらハリウッド俳優や女優に詳しくなってたりもする。ずいぶんと荒船の趣味が浸透しているなあと自覚して、なんだか照れくさくなった。字幕で見ていると、ほら英語力が上がったりも。……などということはなく、悲しきことに現状維持のままである。すこしくらい上達してくれてもいいんだけどなあ。
「映画見に行くたびにいつもポップコーンの味で争うの! わたしはキャラメルがよくって、でも荒船は塩で、ふたつ買ったって食べきれないからいつもじゃんけんでどっちかひとつに決めるんだけど、いつもわたしが勝手ばかりだから、キャラメルばかり」
「中津ちゃんの得意分野だ。
「そうなんだよ。じゃんけんするとわたしが高確率で勝つからいつもいつもキャラメルばっかり。荒船はまたかよって笑って選ばせてくれるんだけど、
「荒船わたしのこと甘やかし過ぎだとおもう」
マフラーで口元を隠しながら最近ずっと思っていたことを口にした。厳しくて、でも優しくて、わたしは荒船のそういうところが好きなんだけれど。
「中津ちゃんから惚気話聞くようになるとは」
「のろけばなし」
「あれ。もしかして、自覚なかった?」
きょとん。丸めた目で犬飼を見れば
「地面が白いとトリオン兵の視認が大変になりそうだ」
「ちなみに聞きたいんだけど、雪踏みながらなんて言ってたの?」
「ランク戦の話に戻るの。うまくそらせたと思ったんだけどな、これは厳しい。えーと、なんだったっけ……踏んだ感覚が片栗粉みたいだなて考えていたと思う」
「うどんじゃなくて片栗粉か。穂刈の勝ちだ」
「君たちほんとなにしてるの」
ログには音声が入っていないことを利用して、ログを見ながらセリフを当てはめるゲームをすることがある。その時はちょうどわたしと同じくらい暇を持て余した穂刈(狙撃手は合同訓練外は個人練習がメインらしいので、自分の都合で時間を作れるらしい。)と一緒にセリフ当てゲームしてたんだ。わたしの回答は「あはは、北海道みたいだ!」です。穂刈は「踏んでるんじゃないか。うどん職人の気持ちで雪を」でした。食べ物関係だから今回の勝負は穂刈の勝ちかもしれない。