デュースの決意
side Deuce





「はい、デュースさん。サイズ測り終わりました〜」
「ど、どうも…」
体のあちこちを測られた僕はその声にほっとし、腕を下ろした。
今日はエースの職場に来ている。エースはと言えば練習場で演目の練習をしているらしい。案内はエースの代わりにエースのお兄さんだ。
「悪いね、デュース君。仕事が忙しいのに…」
「いえ…むしろ、こちらこそすみません。警護の時に着る衣装を作ってもらって…」
「それはこっちの事情だから、デュース君は謝らなくていいよ」
そう言うとエースのお兄さんは僕から持ってきた服を受け取ると衣装係の人に渡し、「あとは頼むわ」と言って部屋から追い出した。
「てか、エースと喧嘩したんだって?今回の事で」
「まぁ…」
「こっちとしては、それでも警護を頼まれてくれたのは正直助かるんだけどね。しかも、学生時代に貰った衣装まで持ってきてくれたし」
「…はい」
なんとなくお兄さんの顔が見れなくて俯きながら質問に力なく答えると、お兄さんは心底困ったようにため息をついた。
今日、エースの職場に来たのは警護する時に着る衣装を作る為だ。最初はノーブルベルカレッジで貰った衣装でと言われたが、あれから成長したので入らなくなり、改めて衣装を作る事になった。ただ、この衣装のデザインも衣装係さんはありと判断したらしく、デザインはこの衣装を真似るとのこと。デザインの時間まではないらしいから、時間短縮の為もあるらしい。
エースと喧嘩した翌日の夜、僕はとりあえずイベントの警護をする事を伝えた。翌日にしたのは、僕も頭を冷やしたかったのと、翌日に仕事場に行ったら、スノーさんから「エース君が朝早く来て、俺に個人的にイベントでの警護を頼まれたんだが、喧嘩でもしたのか?」と尋ねられたからだ。どうしても今回の演目をやりたいらしいエースは反対する僕ではなく、スノーさんを頼ろうとしたらしい。あと、スノーさんに「お前さんの気持ちもわかるけど、エース君はお前が魔法執行官になると聞いた時、一度でも引き止めたか?」と言われてしまった。その時、僕は気付いたのだ。
命懸けの仕事なのは、むしろ魔法執行官の方だ。マジカルアーティストなんて、今回のようなことがなければ、命の危険なんてそうそうないだろう。でも、エースはダチの頃から僕の夢を応援してくれたし、恋人に関係が変わってからも一度も反対した事ない。むしろ、僕の夢を叶えるべく僕をサポートしてくれた。なのに、僕が今回の件に手を貸さない理由はない。
今でもエースには危険な目には合って欲しくないが、今回ばかりはエースも本気だ。かつて魔法執行官を目指していた僕のように、並々ならぬ努力で練習をこなし、演目の完成を目指している。それこそ、命懸けで。それに気付いた僕は、かつてエースが僕にしてくれたようにエースを徹底的にサポートする事に決めた。
ただ僕が危険だと判断したら、イベントを即中止にするのは条件にさせてもらった。エースの本気度が分かった僕だが、やっぱり出来れば危険な事はして欲しくない。
そう言った僕にエースは「分かった」と頷いてくれた。喧嘩してからはろくに口を聞かないが、それだけは聞いてくれた。でも、それ以外は必要最低限しか話さない。その事実に頭が痛くなった。
「今回の件で、エースと喧嘩したんだって?イベントを中止して、通報しろって」
「…はい」
「悪いね、デュース君。君のことだから、エースを心配しての行動だろう?」
お兄さんの言葉に僕は頷く。
「…エースが頑張っているのは、知っています。でも、僕は…エースには安全な所にいて欲しいんです」
「君は魔法執行官という危険な仕事をしているのに?」
「…はい」
痛い所を突かれてしまった。スノーさんの言葉と同じだ。でも、僕はエースには安全な所で幸せでいて欲しいんだ。
「喧嘩した時は、僕はエースが今回の演目にいかに力を入れているか分からなくて…傷つける事を言ってしまった。エースは今回の演目の練習前は僕が帰る前には帰って出迎えてくれたのに、今回の演目の練習をしてからは夕飯を別々に食べなければいけないくらい遅くに帰ってくるのに。それくらい、エースは頑張っているのに…僕は最初、それが分からなかった」
ぽつりぼつりと話す僕にお兄さんは何も言わない。ただ黙って話を聞いてくれている。それに甘え、僕は胸の内を話した。
「だから、言ってしまったんです。『たかがステージ如きに命を賭けるな!』って」
「それ、俺にも言っちゃうの?」
「す、すみません…お兄さんには正直に話した方がいいかと思って…」
困ったように笑いながら言うお兄さんに僕は頭を下げた。この言葉が禁句なのはエースと同じマジカルアーティストのお兄さんもだ。だが、ここは正直に話したかったのだ。
「禁句だって今は気づけているなら、いいよ」
そう言ってお兄さんは笑ってくれた。真摯にパフォーマンスに向き合っているだろうお兄さんにも、この一言はこの上なく失礼だろうに。エースとの交際を認めてくれた事といい、相談相手になってくれるのといい、僕はこの人には一生頭が上がらないだろう。
「エースを心配したのもそうですが、ついカッとなって言ってしまいました。でも、いつもと違い、静かに怒るエースを見て、失言だったのに気付いたんです」
「まぁ、普段ならそこまで怒らないかもしれないが、今回はなぁ…タイミングも悪かったね」
あー、と言いながら呟く、お兄さん。エースの近くでエースの頑張りを知っているお兄さんの一言だから、重い。なんとかその重さに耐えながら、僕は言葉を続ける。
「それで…馬鹿な自分なりに考えて、エースの為にサポートする事にしました。喧嘩は…辛いですし、もし別れる事になったら全力で抵抗しますが…今回のイベントに関しては、エースの為にエースを全力でサポートしたいです」
「…そうか。そこまで喧嘩の原因に向き合って分かっているなら、心配はいらないな」
「え?」
お兄さんの一言に僕は顔を上げた。てっきり何か言われるかと思っていたのに。驚く僕にお兄さんは笑う。
「そこまで分かっているなら、俺の出番はないよ。仲直りしたいなら、後はエースとタイミングが合えばできる」
「…反対とかしないんですか?」
「何で?俺はデュース君がエースのサポートに入るのは貰えるのは助かるけど?」
「でも、僕は…」
「悪かった事が分かっている奴に俺は何も言う事はないよ」
尚も言い下がる僕にお兄さんはそう言って困ったように笑いながら頭をかいた。その言葉はまだ中身が子供な僕には言えないものだ。
「あいつ、我が儘とか甘えとか頼るとか、とにかく本気な事はとことん避けるから、意外とマジでキレないから、今回キレた事についてはなかなか仲直りできないかもしれないけど…」
そう言って謝るお兄さんは「あいつは仕方ねぇ奴だなぁ」と…エースの事を思いながらも、兄としての責任とかそんなものを感じさせる顔だった。この人はエースの兄なんだな…って当たり前のことを思った。
「でも、あいつを見限らないで欲しい。そして、できたら他ならぬデュース君にあいつのことを頼みたい」
そう言って頭を下げてきた。
「改めて。エースを宜しく頼む。あいつを守ってやってくれ」
「あ、頭を上げてください!今回は僕が悪いですし…!!」
「まぁまぁ、デュース君。今は俺に頭を下げさせてよ。こんなんでも、俺は一応エースの兄なんだからさ」
「で、でも…!」
頭を上げるように言ってもお兄さんは頭を上げない。それに僕はオロオロすることしかできない。
「それに」
ようやく頭を上げたお兄さんはにっと笑って言った。
「エースと別れても、俺とは交流を続けて欲しいのよ。俺、デュース君の事、結構気に入っているからさ」
その一言に、僕はさっきとは別の意味でこの人はやっぱりエースの兄だな、と痛感した。なんだかんだ言って、やっぱりこの人もヴィランだ。
お兄さんと話をしてから何日も過ぎ、とうとうイベント当日になった。残念ながら、僕は今日までエースと仲直りできず、この日を迎えてしまった。
「スペード、これが今回のイベントの最終資料だ」
開場準備をするイベント会場に着くと、スノーさんが持っていた書類を渡してくれた。それに僕は目を通し、頭に叩き込む。前日までにも大まかな決定が書かれた書類はもらって頭に叩き込んだが、これが最終結果の情報だから、頭の中の情報を更新する。
スノーさんはエースに相談されたことから今回の事を知り、僕と一緒に警護に当たってくれる事になった。曰く、警護なら、一人より二人の方がいいだろ?俺はお前さんのバディだし、この事件は俺も担当だし、との事。スノーさんのその言葉に僕は感謝し、頭を下げた。正直、僕一人でもやるつもりだったが、やる気のあるスノーさんがいれば更に心強い。
「必要な情報は必ず頭に叩き込め。不審な場所や不審な事柄は見逃すな」
「はい!」
「時間まで、現場を見る。ちょっとでも違和感を感じたら、俺に教えろ」
「分かりました!」
スノーさんがキビキビと指示してくれる。普段はやる気なくて頼りないけど、やる気ある時は本当に頼りになる。僕はスノーさんと共に会場を見て回った。
今回の『WARLOCK』のイベント会場は大きなイベントホールだった。イベントが行われる建物の中にはホールが二つあり、上下に分かれている。『WARLOCK』が今回使うのは上のホールだ。何かあるといけないので、施設の管理者から許可を貰い、下のホールを含めて見回りをする。使用時間じゃないからか、下のホールでは何も見つからなかった。そこで、今回使う上のホールに的を絞り、スノーさんと会場を見回る。
会場は忙しなく動いていた。見渡す限り、皆が皆、ばたばたと慌ただしく動いている。叫ぶ声が鳴り響く。
「あ…」
ステージまで来ると、エースを含めた演者がリハーサルをしていた。エースはいつか僕の職場に着て来たウサ耳と赤いリボン、そして黒のベストに兎の尻尾がついた赤チェックのハーフパンツに黒のソックスガーター付きの黒いソックスを履いていた。靴も前と同じ革靴を履いている。何度も演者やスタッフと打ち合わせしながらリハーサルするエースを見て、僕は胸がドキっとした。
凄いな、エース…ステージではこんなに真剣なんだな…
「お困りのようですね、執行官殿♡」
じっとエースを見ていると、打ち合わせしていたエースが近づき、いつも僕の職場にくる時と同じ言葉をかけてきた。その言葉に僕は喧嘩中なのも忘れ、吹き出す。
「何か不審なものとか見つかりませんでしたか、魔法執行官殿?」
「打ち合わせ中に僕に声をかけてきていいのか、エース?」
「あ〜、まぁ、大丈夫っしょ。俺って天才だからさ〜」
「その割には、リハーサルや打ち合わせに熱が入っていたようだが?」
「はぁ〜?事前のリハーサルや打ち合わせを念密にするのは当たり前でしょ〜?魔法執行官殿はそんな事も分からないんですか〜?」
「そうだな。分からなかった。今日、ここに来るまでは」
僕の一言にいつものように煽ってきていたエースが黙る。そんなエースに僕は話し続けた。
「長い間、お前とは付き合いがあるが、お前の仕事の事を僕は全く分かっていなかった。いや、知ろうとすらしなかった。お前が何も言わないから、僕はそれに甘え、自分のことに専念していた」
「……」
「でも、今回の事でお前の仕事の事をちょっと知れた。まだまだ知らなかったお前のことを少し知れた。不謹慎かもしれないが、僕は今回の事件に少しだけ感謝している。エースの仕事の事を少しだけ知れたから」
本当に魔法執行官としては失格だし、危険にさらされているエースには不謹慎以外の何でもないだろう。実際、エースの顔は苦いものだ。でも、僕は言葉を止めるつもりはない。
「お前の仕事場に来て、お前の仕事を知ったお陰で普段は見れない、真面目に真剣に仕事するお前を見れた。お前が自分の仕事に真摯に向かい、一生懸命な姿を知り、もっとお前が好きになった。そんなお前の仕事の姿を知ろうとしなかった僕は心底馬鹿だったよ」
何も言わないエースにそこまで話すと頭を下げる。それにエースが息を呑む音が聞こえた。
「お前の仕事への気持ちを知らずに酷い事を言って、ごめん。僕が悪かった」
しん、と周りが静まり返った気がした。実際はステージ以外では準備で慌ただしく動いていただろうし、ステージの別な場所ではリハーサルや打ち合わせはあっただろうから、静かになんてならないだろうけど、少なくとも僕とエースの間は静かになった。
「…あーもう、やめやめ!無し!!そういうの無し!しんみりすんな!!」
沈黙を破ったのはエースだった。その声に僕は頭を上げる。エースはウサ耳を取り、荒々しく頭をかきながらため息を吐いた。
「お前、何なの?!俺、本番前で緊張しているんだけど?!」
「エースが話しかけてくれたから、チャンスだと思ったんだ。ずっとずっとエースに謝りたくて、タイミングを測っていたから」
「だからって、今、謝る?!俺、びっくりしてんだけど?!」
「ごめん。僕が悪い」
「だから!謝んな!!」
謝る僕に叫ぶと、一言。
「…俺も…ごめん」
消え入りそうな声で呟かれた言葉は僕の耳にばっちり届いた。仲直りできたのが嬉しくて嬉しくてエースに抱きつく。すると、エースは顔を真っ赤にし、僕の腕の中で暴れる。
「ちょっ…!馬鹿デュース!!衣装着てんのに、抱きつくな!」
「ごめん、エース!好きだ!!」
「だから!今は、イベント前の設営中だろーが!!抱きつくな!周りを見ろ!!人がいるだろうが!」
エースが暴れながら叫んだ言葉にハッとし、周りを見るとステージやステージ周りのスタッフが僕らを見ていた。しまった、仲直りが嬉し過ぎて頭からすっぽり抜けていた。
「…すみません…お騒がせしました」
流石の僕も恥ずかしくなり、小さくなりながら謝罪する。すると、僕らを見ていた周りの人達はそれぞれの準備に戻った。ステージで縮みこむ僕にエースがそっと近づく。
「…仲直りしたから、今日の俺のパフォーマンス、見守ってよ…俺、頑張ったからさ」
「え、エース?!」
耳元で言うだけ言うと、エースは去っていった。その先にはユウがいて、「やっと仲直りできて良かったな、エース」って、声をかけたのが聞こえた。それに顔を真っ赤にしながら、「…ん」と微かに頷く可愛いエースも見えた。
「…スペード、いいか?」
「あ!す、すみません、スノーさん!!警護中なのに、私用で勝手に時間とって!」
「いや…エース君とまだ喧嘩していたのか?」
困惑しながらたずねてくるスノーさんに僕は駆け寄りながら答える。そう言えば、スノーさんにはまだ喧嘩が続いていたのを話していなかったな。
「はい。でも、たった今、仲直りしました!」
「そいつは良かった。警護に集中できるからな」
「そうですね。心配かけて、すみません」
笑いながら言うスノーさんに僕は頭を下げる。そんな僕を見て、スノーさんは歩き出した。
「お前さん達が仲良くなかったら、俺の行動は無駄になるよ」
「え?」
スノーさんがぼそっと呟いた言葉は僕の耳には届かなかった。首を傾げる僕を見て、スノーさんは怪訝そうな顔をする。
「どうした?不審物があったか?」
「いえ、そうではなく…」
「なら、さっさと見回りの続きするぞ」
「はい…」
やる気のある時は鋭くなる瞳で僕を見ると、スノーさんは見回りを続行した。それに僕は走ってスノーさんの後を追う。
一瞬、胸の中のどこかに違和感みたいのを感じた。だが、分からなかったのですぐにそれを振り払い、見回りに専念する。
会場を隅から隅まで探し、廊下なども見て回ったが、不審物や不審人物はいなかった。安全を確認した僕らは『WARLOCK』の責任者に「危険物や不審物はなかった」と見回りの報告をする。「これならイベントを開催しても問題ないだろう」とも。その報告に責任者は安堵のため息を吐いた。ここまできて中止になったら、とんでもないからな。
僕は一旦スノーさんと別れ、楽屋に向かう。警護用の衣装に着替えるからだ。
「あ、デュース!お疲れ〜!!」
「ユウもお疲れ様。マネージャーも大変だな」
「まぁね。てか、それよりも丁度いい所に!」
ユウと会って挨拶すると、ユウは持っていた衣装を広げた。僕がノーブルベルカレッジに行った時に貰った服と同じデザインの衣装。僕の今日の衣装だ。
「ちょうど衣装係さんから貰ったんだよ。今なら時間あるから、俺も手伝うよ」
「悪いな、ユウ。頼む」
「いえいえ。でも、今日はこれを着る必要がなかったって事になって欲しいね」
「そうだな」
ユウに手伝って貰いながら衣装を着て、顔にもメイクをしていく。右目の目尻にスペードのスートを描くのは久し振りだ。仮面で大体隠れてしまうが、この衣装ならスートを描がない方が違和感を覚えるので描く。
「デュースのスート、久し振りだね」
「そうだな。久し振り過ぎて、変になってないか?」
「大丈夫だよ。てか、今日はエースもハートのスート描くから、久し振りに二人のスート姿が見れるわ」
「そうなのか?」
「ほとんど、フェアリーガラの時の衣装だからね。ハートのスートがない方が違和感ありまくりだから、今日はエースも左目の目尻にスートを描くんだよ」
僕にスート以外のメイクをしながら、ユウがそう言った。それに僕は何だか嬉しくなる。
僕もエースもナイトレイヴンカレッジを卒業してからはスートを描いていない。素顔のエースも好きだが、僕らの付き合いは学生から始まったから、スートを描いた顔を見ると、今では懐かしさと特別感を感じる。
「はい、出来た。警護、頑張ってね、デュース」
僕のメイクを終えたユウに促され、僕は帽子と仮面をつける。花の街の祭り特有の衣装だが、今日のイベントの演目には合っていて、ステージ衣装としては相応しいらしい。
「エースを守ってね」
「言われなくても!」
ユウの一言に気合いを入れるべく、僕は両手で頬を叩いた。
「っしゃあ!いくぞ!!」
「行ってらっしゃい!」
気合いを入れた僕はユウに見送られ、警護の指定位置に向かった。舞台袖に行くと、会場の設営は終わり、ステージの準備も最終調整している。
「お、衣装を着てきたな、スペード。似合ってるぞ」
「ありがとうございます。でも、スノーさんは…?」
モニターを見ていたスノーさんがやって来た僕に声をかける。僕は着替えるために一旦別れたつもりだったんだが、スノーさんは衣装を着ていない。
「この年でそんな恥ずかしいもん、着れねぇよ」
スノーさんは背広は脱いでいたが、シャツにベストとズボンだった。マジカルペンの入ったホルダーを着用している。ちなみに僕も衣装と違和感がないように着用している。スノーさんも衣装を着ると思っていたが、恥ずかしかったのか断ったらしい。
「こっちは調整が終わってる。お前はこっちでカメラ見ながら警戒しろ。俺はあっちで待機している」
「分かりました。ありがとうございます」
どうやら、僕が来るまでに上手側の舞台袖の人間に警護の打ち合わせや準備を終えていたらしいスノーさんは、そう言うと下手側の舞台袖に向かった。僕はそんなスノーさんから引き継ぎ、上手側の舞台袖で待機しているスタッフと念密に打ち合わせする。
最終調整を終えるとステージに幕が降り、会場時間になると観客が入ってきた。チケットは完売した、と資料に書いてあった通り、すぐに席は観客で一杯になる。開演時間まで何事もなく過ぎ、開演時間になると『WARLOCK』のステージが始まった。
舞台袖から見るステージは前に観客席から見た印象と違った。観客席では見れないステージ裏もちょこちょこ目に入る。モニターなどを見て警戒しながら、僕は舞台袖からのステージを楽しんだ。
演目は何の問題もなく進み、ついにエースがメインを務める、トリにして今回の目玉演目、『宙ニ堕チル人魚』になった。舞台袖ではハートのスートのメイクもして準備万端なエースが緊張の面持ちで出番を待っている。
「大丈夫か、エース?」
「…大丈夫だって!お前はここで俺の華麗なステージに見惚れてろ!!」
僕の言葉にエースは一瞬だけビクッと体を震わせるが、すぐにいつも通り僕を揶揄う表情になり、ステージに進んだ。その時、一瞬だけ僕の手にエースの手が触れた。それに僕はエースを見る。
「え…!」
「スペードさん、静かにして下さい」
「…すみません」
思わずエースを呼びかけた僕だったけど、舞台袖のスタッフに注意され、その呼びかけは飲み込んだ。謝ると舞台袖からエースを見守る。
演目は白兎が走りながら時計を確認する所から始まる。出だしは薔薇の女王の時代の薔薇の王国の伝承を元に作られた話を思わせるが、実際は全く違う。
白兎は実は魔法薬で変身した姿で、その正体は赤い人魚。天の川という空の川に普段は住んでいる赤い人魚は食べると不老不死になるという事で狙われていた。様々な追っ手から逃げ、人魚はなんとか故郷の空に続く世界の果てに行く船に乗る。空と海が繋がる世界の果てについた人魚は自身の重力を反転させ、天の川に帰る、というストーリーだ。
演目は問題なく進み、エースはアナウンスと音楽に乗りながら、ステージを右に左に走りながら追っ手から逃げ、故郷に向かう船を目指す。至る所で魔法とエースの運動神経を如何なく発揮された華麗な演技が披露され、観客達は魅了された。かくいう僕も魅了された一人だ。
エースのステージ、凄いな…確かに、これは中止を言われたら、キレる…
白兎が人魚に戻るシーンになる。エース演じる白兎は世界の果てに辿り着いたのだ。エースの上には水魔法で作られたエースの何倍もの大きさの巨大な水球が浮かんでいる。舞台袖から見ると観客から見えないように裏側から複数のマジカルアーティストが力を合わせて水球を作っていた。エースのお兄さんもステージ裏から観客に見えないようにマジカルペンを向けて魔法に加わっている。
すると、エースは着ていた衣装を魔法で一瞬で変えた。変身前は僕の仕事場やリハーサルで着ていた白兎の衣装だったが、変身後はフェアリーガラの衣装だ。いや、「風」か。下はズボンではなく、スカートだったからな。
エースはポケットから小さな薬品の瓶を取り出すと一気に飲んだ。すぐにスカートを剥ぎ取り(巻きスカートだったようだ)、マジカルペンを自分に向ける。
「あ…」
エースが水球に落ちた。いや、そう見えるくらい、自然に水球まで飛んでいった。水球の中をエースは優雅に泳ぐ。その下半身は赤い人魚の尾だ。どうやら先程飲んだのは、人魚に変身する薬だったようだ。
水球の中をエースは楽しむように右から左、下から上へと縦横無尽に泳ぐ。その姿は目を離せなくなるほど美しい。上半身の衣装と下半身の美しい赤い尾が絶妙に合っていて、凄く綺麗だった。僕は警護も忘れ、ステージで美しく泳ぐ人魚に釘付けになった。
「綺麗…」
観客から感嘆の声が上がる。エースはそんな観客の声が聞こえたように観客に美しく微笑みかけた。普段の煽ったり生意気だったり我が儘だったりする顔が嘘なくらい、綺麗だ。そんなエースを見ていた僕は気がついたら目から涙が溢れていた。
ただただ綺麗だった。普段のエースを微塵も感じれないほど、美しかった。何度も何度も同じ事を繰り返すが、語彙がない僕ではそれしか言えない。それくらい、ステージのエースは綺麗で美しかった。
ふと、泳ぐエースとエースの視線がぶつかった…ように感じた。チェリーレッドの瞳が僕を捕える。それに僕はドキッとした。胸の鼓動が赤い人魚の瞳に魅了されたのか早い鼓動を打つ。すると、エースは僕に向かって笑った。生意気で意地悪で、でも「どうよ?」とばかりに誇らしげに。その表情はいつものエースのものだった。それに僕は涙を拭い、笑う。
やっぱりステージのエースは僕のエースだ。
水球がステージ上をゆっくり動く。上に向かって。先程まで縦横無尽に動いていたエースも明確な意思を持って上を目指す。空の天の川に帰るのだ。
演目が終わりに近づく。だが、エースが上に辿り着こうとした瞬間、
「え?」
「エース!」
水球が壊れた。それにエースに魅入っていた僕は咄嗟にステージに向かって走る。水球が壊れた事で、エースは上から下に真っ逆様に落ちた。
「がはっ、ごほっ!」
間一髪、僕の走りが間に合い、エースは僕の腕の中に落ちてきた。落ちた衝撃からか、エースは僕の腕の中で咳き込む。咄嗟だったから、魔法を使えず、また受け身も失敗したようだ。そんなエースを抱えながら、僕は考えた。
おかしい。書類には『宙ニ堕チル人魚』は最後に人魚が空である上に行き、背景が変わって天の川で悠々に泳ぐシーンで終わりになるはずだ。水球が壊れるなんて書いていなかった。舞台袖を見ると、演者もスタッフも首を横に振りながら困惑している。もちろん、その中にはユウとエースのお兄さんも。それを見た僕は、これは予定外の事態だと判断した。
「早く…!」
幕を、という声は言葉にならなかった。いつの間にか現れた黒いローブの纏った人達が僕達を囲んだからだ。その姿は会場に入ってから一度も見た事はない。こんな怪しいスタッフがいたら、流石に覚えている。
「赤い人魚を渡せ」
黒いローブの中の一人が僕に向かって言った。その言葉に僕はこいつらの狙いはエースだと判断する。ようやく咳が落ち着き、ギョッとしながら周りを見る腕の中のエースに囁いた。
「おい、エース…これは演目の一環か?こんなの事前情報に無かったんだが?」
「んな訳あるか!こんなん、俺も知らねーよ!!」
水球破裂は失敗の可能性あるけど、と呟くエース。それに僕はこいつらが脅迫状の犯人からの妨害だと判断した。舞台袖等の舞台裏に視線を向けると演者もスタッフもまた首を横に振り、動揺している。それを見た僕は思った。
こいつら脅迫状の犯人、もしくは犯人関係者か!
「ちょちょ、デュース!何、身構えてんだよ?!」
エースを抱えながら、犯人であろう相手を前に咄嗟に身構える僕。そんな僕に黒ローブ達も身構えるが、エースは何故かそんな緊張感のないことを耳元で囁いた。そんなエースに僕は警戒しながら囁き返す。
「エース、こいつら脅迫状の犯人か関係者の可能性が高い」
「いや、待て!ちょっと待て!!俺、下半身が人魚なんだけど!」
耳元で小声で叫ぶなんて器用な真似をしながらエースは訴えて来た。それに僕がエースの下半身を見ると確かに下半身は人魚の尾だった。それに僕はこっそりと舌打ちする。
まずいな。いざという時、エースを離せない。
「俺、ユウが持っている解除薬飲まないと、下半身が人魚のままなんだけど?!あと、お前のマジカルペンはどうした?!」
「あ…」
エースの一言に僕は声を漏らした。咄嗟にエースを助けたから、マジカルペンは専用ホルダーの中だ。
どうする?エースは人魚から戻れないし…!かと言って、エースを下ろした時に襲いかかられたらマズイ。焦る僕を見たエースは僕の耳元でため息を吐く。
「…ったく、仕方ねぇなぁ。おい、デュース。会場の位置は頭に入っているな?」
「入っているが…?」
そう言うと、エースはにっと笑いながら僕の顔を覗き込んだ。エースの言葉に首を傾げながらも頷く。今回は警護だから、前日までに会場の大体の位置は覚えている。
「デュース、俺の足ね」
「は?」
「んで、俺がデュースの腕ね」
「え、エース…何言ってるんだ?」
突然の言葉に僕は困惑することしかできない。そんな僕にエースは笑いながら説明する。
「だから、デュースは下半身人魚の俺の足になってくれよ。身体強化の魔法をかけるから、俺を抱えたまま移動してくれ」
「ん?」
「で、マジカルペンを持っている俺が攻撃と防御魔法。指示は出すから、俺の言う通りに動け」
「…それ、僕の負担が大きくないか?」
「ご不満ですか、魔法執行官殿?」
エースのトンデモ発言に抗議するとエースは演目とは違い、有無を言わさない笑顔で一言。それに僕はため息を吐く。
エースの頭の回転の良さは学生時代から知っている。最初は悪知恵や悪戯にだけかと思っていたが、実は違った。数々の事件が解決した後、ようやくその頭の回転の良さを出したのだ。学生の間はローズハート先輩ほどの魔力は得られなかったエースだが、その分を器用さと頭の回転で補い、ついにはハーツラビュルの寮長も務め上げた。その実績は僕がエースを信じるのに十分過ぎる。
「…任せるぞ、女王様」
「働けよ、トランプ兵」
そう言葉を交わすとエースは作戦を伝えてきた。伝え終わると僕の足に更に力が入る。どうやら、エースが僕に身体強化の魔法をかけたらしい。足に力を入れて屈むと、黒いローブ達も警戒して身を屈めた。そんな中、僕は叫ぶ。
「エース、いっちょヤキ入れてやろうぜ!」
「出た!デュースのワル語録!!」
叫ぶと僕はエースを抱えたまま、黒いローブ達に突っ込んだ。
エースを会場高くまで放り投げ、近くの黒ローブに殴りかかる。一撃で仕留めた後はエースを無事にキャッチし、蹴りで倒す。昔の元ヤンだった時の喧嘩の経験と魔法執行官になってから習った格闘術が活きる。行動範囲を広げるべく、僕は黒ローブの一角を崩した。
「ほいっと!」
死角から魔法を撃たれる。魔法が使えるやつも混じっているようだ。だが、魔法はエースの障壁魔法で防御してもらえる。
最初の目標地点への道を作った僕は足に力を入れ、観客席に向かって飛んだ。
「え?え?!」
「きゅあっ?!」
「エース君と仮面のイケメン騎士が目前に…?!」
「失礼します!」
「ちょっと、ごめーんね?」
近くにいた観客が悲鳴やら歓声を上げる。それに僕は謝り、エースは手をひらひら振りながら安心させるように笑いかけた。笑いかけながら僕に伝えた作戦を完了させる為の魔法の仕込みは忘れない。誰もいない目標の位置に特定の魔法を打ち込む。
「終わったよ、トランプ兵」
「次に行くぞ、女王様」
エースの一言に僕はエースを落とさないようにしっかり抱え直し、また飛ぶ。ステージから黒ローブ達が追いかけてくるので、そちらにも魔法を打つのを忘れない。
「きゃーっ!エースくーん!!」
「誰?!こんなイケメン、演者にいた?!まさか、スタッフ?!」
「はは、驚いた?『WARLOCK』のシークレットパフォーマーだよ」
降りた先でも悲鳴と歓声が。それにエースが笑いながら手を振り、答える。勝手な事を言うエースに僕は苛立ち混じりに叫んだ。
「無駄口叩くな、女王様!」
「黙って働け、トランプ兵!」
そう言うとエースは合図を送る。どうやら、観客に対応しながら魔法は打っておいたらしい。
「あぶなっ!」
「きゃっ!」
攻撃魔法が飛んできたので、エースが障壁魔法で観客ごと守る。お礼を言う観客に頭を下げながら、僕らは次の場所に向かった。
エースを抱えて僕は会場内を飛び回る。作戦を聞いた時に聞いた場所に着く度にエースは特定の場所に魔法を打ち込んでいった。その間、追いかけてくる黒ローブ達にも攻撃魔法を打つのは忘れない。ただ、下手に大怪我を負ったら後が大変なので、こちらの攻撃魔法は少し威力を下げている。あっちは問答無用で全力だろうに。ま、エースの障壁魔法なら、余裕で防げるけど。
僕の足でエースから聞いた場所を巡りながら、エースの魔法で特定の場所に魔法を打ち、黒ローブの数を減らすという地道な作業を繰り返していった。
「よっしゃ!打ち込み、終わり!」
最後の特定場所に魔法を打ち込むとエースは嬉しそうに叫んだ。ようやく作戦の要になる作業が終わって、僕も嬉しい。
「お疲れ、女王様」
「ご苦労だったね、トランプ兵」
お互いに労いながら、僕はエースを見つめ、エースは僕の頬を撫でる。ようやく作業が終わったので、仕上げの場所に向かった。トリはステージ中央だ。ステージに戻ると、通路のあちこちに黒ローブ達がいて、それぞれ僕達に向かって近づいてくる。エースの狙い通りだ。
「ハハ。相手、へばってんじゃん。体力馬鹿のデュースを見習え」
「エース、それは酷な話だ。僕は学生の頃から、ジャック並みに鍛えていたからな」
「うわ、やべー。普通に考えて、狼の獣人のジャックに追いつける学生デュース、やべー。体力だけなら、チートじゃん」
仕込みが終わって余裕ができたからかエースは走ったからか疲労困憊な黒ローブ達を鼻で笑った。そんなエースに僕は腹が立ってくる。
へらへら無駄口叩きやがって。ずっとエースを抱えて移動していたから、僕は疲れているのに!
「無駄口叩くなら降ろすぞ、女王様」
「仕上げを見てから言いな、トランプ兵」
僕の一言にエースはマジカルペンを構え、集中する。
「魔法陣、発動!魔法威力、増幅!!」
エースの発動の呪文に床が光る。今まで仕込んだ魔法が規則正しく魔法陣として発動したのだ。それを見て成功を確信したエースは最後の一撃を放つ。
「我が敵を捕らえよ!フォレストストライク!!」
木属性の魔法を魔法陣に打ち込むと魔法陣は発動し、通路は木で満たされた。黒ローブ達は一気に現れた木々に捕まり、抵抗どころか身じろぎする事すら出来ない。これでもう妨害されないだろう。
滅多に見られない大掛かりで見事な拘束魔法に観客は拍手と歓声を上げた。
「水球、出して!」
黒ローブ達の戦闘不能を確認したエースは観客に聞こえないように舞台裏の演者達に指示を出す。それに待機していたマジカルアーティスト達はまた巨大な水球を作り上げた。エースはこの戦闘も含め、『宙ニ堕チル人魚』のステージとして完成させるつもりだ。
「アナウンス、流して!今度は重力魔法で俺の重力だけ反転させ、水球に落ちる!!デュースは俺を抱えたまま、水球の下に立って!」
「分かった」
十分な大きさの水球ができると、僕はエースの指示通りに水球の下に立った。準備ができるとアナウンスが流れる。
『もう少しで天の川に帰れる筈だった赤い人魚は追っ手に邪魔され、再び地上に落とされてしまいました。それを通りすがりの仮面の騎士が助けてくれます。仮面の騎士は人魚の姿に戻ってしまった赤い人魚を抱えながら、赤い人魚と共に追っ手を追い払い、再び赤い人魚が天の川に戻れるようにしました』
「ありがとうございました、通りすがりの騎士様。この御恩は忘れません」
アナウンスが流れた事で観客の視線が僕達に集まる。その視線に僕は今更ながら恥ずかしさで固まった。そんな中、エースは抱えたまま固まる僕の頬を撫で、アドリブで台詞を言う。
「さようなら、心優しい騎士様。私は空へ帰ります」
「は…?」
最後にちゅ、と唇に触れるだけの口付けをすると、エースは重力魔法を自身にかけ、水球へと落ちていった。今度は水球内を泳ぎ回る事なく、真っ直ぐ上を目指す。今度は邪魔される事なく上まで辿り着き、演目はエンディングを迎えた。
『心優しい騎士に助けられた赤い人魚は、無事に天の川へと帰りました。赤い人魚はもう二度と地上に降りる事はありませんでしたが、助けた騎士に恋をしたらしく、時々愛しそうに地上を見下ろし、騎士を思ったそうです』
アナウンスが終わると、音楽が流れ、幕が降りる。途中、妨害が入り終盤は強引な所も多々あったが、なんとか無事に『宙ニ堕チル人魚』は終わったようだ。しかし、僕はそれどころではない。
キス…エースとキス…珍しく、エースからのキス…人前…というか、ステージでキス…え?僕、大丈夫…?生きてる…?
「魔法が使える奴は黒ローブを拘束しろ!一人たりとて逃すな!!」
幕が降りた途端、エースのお兄さんの声がステージに響き渡り、観客席で捕まっている黒ローブ達に向かってスタッフと演者が走る。その様子に僕は我に帰る。
そうだ!黒ローブ達を確保しないと!!
「待って下さい!僕が…!!」
「デュースは、こっち来て!エースを助けて!!」
「! 分かった!!すぐ行く!」
指示がエースのお兄さんだったので僕が主導しようとしたら、ユウに呼ばれた。慌てて駆け寄ると、エースはぐったりしていた。
「エース!しっかりしろ!!」
「デュース、これをエースに飲ませて!」
「分かった!」
エースを抱えながらユウから小瓶を受け取る。瓶を傾けるが、エースは飲めないくらい疲労しているのか、中身が口の端から流れ落ちる。
「エース、ごめん!」
叫びながら謝ると僕は瓶の中身を口に入れた。そのまま口移しでエースに飲ませる。うまく飲めているのか、エースの喉仏がごくごく動く。
「…っぷは!うぇっ、げほっ!!かはっ、ごほっ!」
渡されたのは回復薬だったのか、口移しで薬を飲んだエースは飛び起き、僕から離れると咳混む。そんなエースを僕とユウが見下ろす。
「エース、大丈夫か?!」
「エース、大丈夫?!」
「…っは!ごほっ!!…あぁ…なんとか?」
僕らの問いかけにエースは咳が治るとぐったりしながらも答えた。とりあえず、大丈夫らしい。
「エース、次はこれ飲んで」
「うん…分かった…」
一人でも大丈夫と判断したのか、ユウは今度はエースに薬を飲ませた。受け取ったエースはその薬も飲んでいく。その間にユウは手元の布…エースがステージ上で取った巻きスカートをエースの腰に巻いて履かせる。エースが薬を飲むと人魚の親だった足は徐々に人間の足に変わっていった。それを見たユウは素早くエースに下着と靴も履かせた。どうやら、二本目は人魚化する薬の解除薬だったようだ。
「…はぁ…疲れた」
「お疲れ様、エース」
「本当だよ…俺、めっちゃ頑張ったよ…褒めてよ、監督生…」
「はいはい」
足が元に戻るとエースは深く深呼吸し、ユウに抱きついた。疲れからか、エースの呼び方が監督生に戻ってる。疲労から、ちょっと退行しているのか?
ユウに抱きついて甘えるエースの頭をユウは笑いながら撫でた。僕ではなく、ユウに甘えるエースに僕はむっとする。
「エース!僕もいるぞ!!」
「…やだ」
「なんで?!」
「…恥ずぃ」
そう言って顔を隠すようにユウに抱きつくエースは耳まで真っ赤だった。そんなエースが可愛くて、でもユウに抱きつくのが羨ましくて、僕は唇を噛んだ。
落ち着け…!落ち着け、デュース・スペード…!!エースは何故か疲労困憊なんだ…!だから、ユウに甘えているからであって…!!ゆ、ユウが羨ましいなんて…!ちょっと…いや、大分!!ある!
「…エース、デュースに抱きつきなよ…デュースの顔、凄いよ?俺への嫉妬とか嫉妬とか嫉妬とかで」
「…やだよ、恥ずぃ」
「羨ましくなんか…なんかな…いや、ある…!」
ユウの言葉にやっぱり拒否を示すエース。あくまで恥ずかしいからと拒否する様は可愛いけど、僕に抱きついてくれないのは悔しい…!
そんな僕を見て、ユウはため息を吐いた。
「はい!嫉妬で血涙流しそうなデュース君には疲労困憊なエース君をプレゼントします!!」
「は?監督生?!」
そう叫んだユウは力尽くでエースを引き剥がし、僕に押し付けた。ぐったりしているせいか、そのまま僕の体にもたれかかるエースを僕は力一杯抱き締める。おかえり、エース!
「ちょ…!監督生…?!」
「俺、黒ローブの奴等を確保してこなきゃ。という訳で、エースを宜しくね、デュース」
「任せろ!」
「え?!やだ!行かないで、監督生!!俺を助けて!」
ユウの言葉に思いっきり頷くと僕はエースをぎゅうぎゅうに抱き締めた。久し振りのエースに疲れが吹っ飛ぶ。だが、エースは腕の中でまだ抵抗した。しかし、
「悪いけど、俺、二人の仲を邪魔して馬に蹴られたくないんだ」
「監督生ーっ!戻ってきてー!!」
言うだけ言うとユウはステージを降り、すたすたと去っていった。そんなユウを往生際が悪いエースは引き止めようと叫んだが、ユウが戻ってくる事はなかった。そんなエースを僕は力一杯ぎゅうぎゅうと抱き締める。
「…っだーっ!もうっ!!ふざけんなよ、ユウ!全部終わったら、俺がお前に右ストレートを食らわせるわ!!」
「残念だけど、エース。お前じゃ、ユウ程の威力は出ないぞ。ユウの右だけは僕のそれ並みだからな」
「うっぜー!分かってんよ!!もう黙れ、馬鹿デュース!」
顔を見られるのが余程嫌なのか、顔だけは僕から背けながら、エースが叫ぶ。そんなエースに酷かとは思ったが、事実を言うと再び叫んで今度は僕のお腹に頭をぐりぐり擦り付けてきた。久し振りのエースとの触れ合い、しかもエースの珍しい甘えつきに僕の顔はゆるゆるに緩む。
「エース」
「何だよ?」
「『宙ニ堕チル人魚』…舞台袖からだけど、じっくり見せてもらった。本当に凄いステージで…僕は感動した」
僕が呼びかけると、エースは顔を上げる事なく返事する。そんなエースに僕は言葉を続ける。
「魅せる魔法も凄かったし、アナウンスと音楽に合わせて演技するのも凄かった。全部のタイミングが絶妙で、本当に凄かった」
「…ろ」
「水球への移動も凄かった。本当に落ちるように見えた。あれ、飛行魔法だろう?凄く綺麗に飛んで、下から上に落ちたように見えた」
「…めろ」
「赤い人魚のエースは本当に綺麗だった。本当の人魚みたいに綺麗だった。普段のエースは格好良くて可愛いけど、人魚のエースはなんて言ったらいいか分からなくて、とにかく綺麗としか言えないくらい綺麗だった。あんまりにも綺麗だから、何でか知らないけど涙が出た。きっとあんまりにもエースが綺麗だったから、感動して泣いたんだな」
「やめろよ、デュース!それ以上、言うな!!小っ恥ずかしい!」
僕がつらつらと感想を伝えると、恥ずかしがり屋のエースは徐々に体を起こし、終いには叫びながら僕の口をその両手で閉じた。その顔は恥ずかしさからか赤く染まっている。人魚のエースとは違い、綺麗ではなく可愛いエースを僕は抱き締めた。
「頑張ったな、エース。頑張ったから、エースのステージは感動する素晴らしい物になった。観客全員がきっとエースのパフォーマンスの虜になったよ」
「…デュースは?」
僕がそう言うとエースは赤い顔のまま、僕を見た。久し振りに正面からエースを見て、なんだか気恥ずかしい気持ちが湧いてくる。が、その気持ちをこらえ、その赤い顔を両手で包む。
「一番、エースの虜になったのは僕だ。僕がエースの一番のファンだ」
「…へへ…頑張った甲斐があった」
僕の言葉にそう言ったエースは恥じらいや我が儘さはなく、ただただ誇らしげで嬉しそうだった。こんなエースの表情は初めてだ。
…きっと、エースがまさに「命がけ」で今日まで頑張ったから、見れたのだろう。ここまで頑張ったから、こんなにも誇らしい顔をしているのだ。また新しいエースの一面を知れて、僕も幸せな気持ちになった。





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