アルコール漂う真夜中の

土方さんの声が、匂いが、熱が、全てがいつもより近くに感じていた。吐息に少しアルコールの匂いも混ざっているせいか頭がくらくらする。  いや、それはこの人のする強引で優しい接吻のせいか――


――入社して二年目の私は、今回初めて大きな企画会議に出席する事になり、そこで必要となる資料制作に追われていた。
この会社は定時退社を推奨していて、二十時になると非常口や廊下を除いた全ての照明が落とされるようになっている。二十時半を回るとパソコンが自動的にシャッドダウンされ、二十一時にもなると会社は完全に閉鎖されてしまうのだ。もう既に二十時を過ぎていてオフィスの照明は消え、私が向かうパソコンの液晶の光だけが虚しく照らされていた。
なんとか明日のプレゼンテーションに必要なパワーポイントだけは仕上げファイルに保存した所でパソコンがシャッドダウンを始めだした。
大きく伸びをし、帰る支度をしているとオフィスの扉が開かれた。誰かが私のデスクに向かって来る気配を感じるが照明が落とされているせいで近付いて来る人物がよく分からない。こんな時間に誰が何の用だろうか。

「お疲れさん。  その顔は無事に資料終わったみたいだな」
「土方さん!お疲れ様です。  もう、誰かと思いましたよ〜」
「驚かせるつもりはなかったんだがな。うっかりこいつを置いてきちまって取りに来たんだ」

薄暗い中薄っすら見えた人物は土方さんだった。土方さんは私の三年上の上司で、今年度から私の所属する部署へと異動して来て何かと最近一緒に仕事をする事が増えた。今回の企画会議にも携わっており日々勉強をさせてもらっている。
どうやら明日プレゼンテーションで使うはずのファイルを自分のデスクに置いてきてしまった様で戻って来たらしい。それにしても、会社近くで飲んでいたのか土方さんからは少しアルコールの匂いがした。飲んでいたとしたら一人で?それとも誰かと…。

「おい早くしろ」
「へっ?」
「後五分もしないうちにエントランス閉鎖すんぞ」
「え!どうしよ急がなきゃ!!」

慌てて荷物をまとめ、オフィスを出てエレベーターを待つ。人が残っていないためかいつもよりスムーズに乗れ無事に退社することが出来た。
夜風が気持ち良い。明日のプレゼンテーションに備えて早く帰宅し、ゆっくり湯船に浸かってから寝よう。

「では、明日はよろしくお願いします。お疲れ様で」
「あ?何言ってんだ。飲み行くぞ」
「えっ?ちょ、土方さん!?」

腕を引かれ半ば強引に連れて来られた居酒屋。私の計画は無惨にも打ち砕かれたのだった。嗚呼…明日は大事な日だっていうのにこれから飲みに行くなんて寝不足確実である。だが土方さんに誘われちゃ断れるはずもない。
個室に案内され向かい合う形で腰を下ろした。それにしてもメニューを伏し目がちで見る土方さんは本当に色男である。女性社員やクライアントが騒ぐのもよく分かる。
部署が同じでなかった時も土方さんの噂はよく耳にしていた。まさか自分の配属されている部署に異動して来ると夢にまで思っていなかったし、まして同じ企画に携わり毎日のように共に業務をこなす事になるなんて今だって信じられない。イケメンであって仕事も出来て、それに誰にだって優しい。  そう、誰にだって。
私以外の社員のフォローに回る土方さんをよく見かけるが、何故異なる企画班の社員の相談に乗っているのか、何故自分だってやらなくてはならない仕事が山積みなのにも関わらず気を回すのかと、勿論当初は憧れゆえ嫉妬しているものだと思い込んでいたのだが、どうやらそれは勘違いだったらしい。

「あのっ!ひじか」
「飲み物はどうする」
「え…っと、生で…」

生二つと…と、メニューを見ながら適当に肴を注文していく土方さん。何故私を誘ったのかを聞こうとしたのだがタイミング悪かったらしく流されていってしまい完全に聞く機会を逃した。
今日が平日のど真ん中であり比較的混雑していないため注文した物が次々と出てきた。

「じゃ、資料制作お疲れさん」
「ありがとうございます」

カチン、とジョッキを鳴らして乾杯をし心地良いビールの喉ごしが今日の疲れを一気に吹き飛ばしてくれた気がした。仕事後のビールは本当に格別だと思った。
土方さんと仕事以外でたわいもない話をするのは初めてだった。愉しくて、ついついお酒のスピードが上がっていく。気が付けば終電の時間なんてとっくに過ぎていた。しかし終電が無くなった事に気付いた今、どう土方さんに伝えようか悩んでいた。わざわざ伝えたところでホテルに行きたいと言っているようなものだし、迷惑を掛けてしまうことは目に見えていたので取り敢えず土方さんとは解散して最悪漫画喫茶でシャワーを浴びようか、カラオケで時間を潰して始発で家に帰っても良いか…などと考えていた。

「大丈夫か」
「…え?」
「ぼーっとしてっから」
「あ、…ちょっと酔っ払っちゃったみたいで」
「    」

えへへ、と笑って誤魔化すと土方さんは目線を逸らし後頭部に手をやった。するとおもむろに立ち上がりお手洗いに行ってくると席を外してしまった。
暫くして土方さんが戻ってくるとそのまま腕を引かれ、慌てて荷物をまとめて居酒屋を後にした。そこで土方さんはお手洗いではなくお会計を済ませてくれていた事に気づいた。

「あ、土方さん、お金…っ」
「いらねェ」
「でもっ!」
「上司が部下に金払わすなんて格好悪ィだろうが」
「すみません…」

そんなやり取りをしている間も腕を引かれ何処かに向かう土方さんの背中を追いかけていた。
繁華街を抜け、ネオンが光る建物があちらこちらに見え、此処がホテル街だと気付いた。そして御伽噺に出てきそうなお城をモチーフにした建物に入り、空いている部屋番号の鍵を受付にいる女性から受け取った土方さんとエレベーターに乗り込んだ。その間二人共口を開く事はせず、目的の部屋に吸い込まれるように入って行った。
バタン、と扉が閉められ、簡易スリッパを履いて進むと部屋には大きなベッド一つと二人掛けのソファにテーブルが置かれていた。
この様な場所へ来たのは初めてではなかったが、土方さんと居るという事がなんとも不思議で異様な感覚だった。そして暫く沈黙だったのを破ったのは私だった。

「あの…お気遣いして頂いて有難うございます」
「何のことだ」

明日は…既に日付が変わっているので正確には今日だが、プレゼンテーションがある。しかし終電を逃してしまった為帰宅する事は出来なくなってしまった。だからと言って睡眠を取らないで仕事に臨むのは酷なので、悪魔で私への配慮で此処へ連れて来たのだと、そういう意味で尋ねたのだ。
しかし土方さんから発せられたのはまるで予想していなかったものだった。


20170702 続