先生から渡されたのは家族の手だった。
不安定な情緒を抑えるために付けていたその手は、なぜだか落ち着いた。
だからって別に他人の手が好きなわけじゃない。
それなのにコイツの手は特別だった。
「弔、どうしたの?今日は甘えんぼさん?」
ソファで本を読んでいた彼女の膝の間に、強引に入り込んだ。
くすりと笑いながら組んだ足を下ろして、寝やすいようにと足を寄せる。
「別に」
ぶっきらぼうにそう言うと、彼女は再び手元の本に視線をおとした。
見上げれば目の前には彼女の手。
本を支える左手に、ページを捲る右手。
人を殺めたことのある手なのに傷ひとつない。
マネキュアは爪先が重たく感じて、息ができてないように感じると話していたのを思い出す。
何も施されていない爪先はそれでも綺麗だ。
爪は健康状態を表すなんて聞いた事があるが、それがホントなら彼女は至って健康体だろう。
ページを捲っていた右手が、じっと見つめる俺のおでこに置かれる。
突然の事にビクリと肩が揺れてしまった。
そんなことも彼女は気にすることなくおでこから頬にかけて滑らせると、頬を包み込むように添えた。
「…びっくりするだろ」
「え…違かった?触って欲しいのかと思って」
「俺は猫じゃない」
本を視界から退かして俺を覗き込んだ。
違うと言いながらもそのまま撫でられ続ける俺に、微笑む彼女。
頬に添えながら、親指で頬を撫でるから自然と瞼は重くなる。
「…おやすみ」
「…寝ないよ、しょうがないから触らせてるだけだ」
「ふふふ、ありがと」
「…ん」
いつの間にか本を読むことを辞めた彼女は、しばらくの間俺を撫でた。
「ねぇ、弔」
「…ん」
「初めて会った時に私に言った台詞覚えてる?」
覚えている…それはあまり思い出したくない台詞だ。
『俺の盾になれるぐらいは役に立ってくれよ』
あの時の俺は周りの人間を駒のようにしか思っていなかったし、自分のためだったら他人なんかどうでもよかったんだ。
答えたくなくて黙り込めば、彼女はそのまま喋り出す。
「私、盾ぐらいにはなれるから…」
頬を撫でる手を取って勢いよく起き上がった。
俺が突然の起き上がるのだから、彼女は目を見開いて驚いた。
すぐにまた微笑んで、びっくりしたぁ、と呑気に言った。
「お前に守って貰うほど俺は弱くないよ」
「うん、わかってるよ」
「俺の見えないところで死ぬのは許さないからな」
「…うん…わかってる」
だからね、貴方の側で死にたいの。
やけに静かな部屋に、彼女の言葉だけが響いた。
何かを悟ったように笑う彼女に何も言えなくなってしまう。
言葉が喉まで出かかっているのに、口をパクパクと馬鹿みたいにするだけでどうすることも出来なかった。
彼女の手が俺の手からスルリと抜ける。
再び添えられた頬に、泣いてもいないのに涙を拭うように撫でる親指。
「もし私が死んだら…手…身につけてくれない?」
「…いやだよ、断る」
「お願い…? そうしたらね、私は幸せだから」
目を細めて笑った彼女の瞳から涙が溢れた。
そのまま抱き寄せれば、いつも大人しい彼女が子供のように声を荒らげて泣いた。
「し、死柄木っ…!」
慌てたスピナーが俺の元へと駆け寄った。
両手には小汚い布に包まれた”何か“。
「悪ぃ…っ、これしか、残ってなくて」
「…1人にしてくれないか」
ゆっくりと包みを外していく。
見間違える訳がないソレが、彼女のものであるとすぐに分かった。
泣き叫んで、震えて、怒りでどうにかなってしまうのかと思ったのに。
それでも脈がやけにうるさくて、無意識に胸元を抑えた。
青白い彼女の手には、無数の傷。
あぁ、勿体ない…あんなに綺麗だったのに。
冷たくなった彼女の手首を、顔に添える。
「なんだよ…全然落ち着かないじゃないか…」
彼女を顔から外すと、そのまま握りしめた。
粉々になった彼女が指の隙間からこぼれ落ちていく。
「…暖かいお前の手じゃないと意味ないんだよ」
小さく零した言葉は誰にも届くことはなかった。