よめない彼女

枕元でスマホが震えるのを感じ取ると、瞼を閉じたまま器用にサイドのボタンを押した。
数回深呼吸をして、もう起きる時間かと瞳を開いて驚いた。
覗き込むように隣に座るのは、ナマエチャンだった。

「ビッ…クリしたー・・・」

「圧紘さんおはよう」

満面の笑みで当たり前の挨拶に、つられて俺も繰り返してしまった。

「お、はよう……え、いつから居たの」

まずは状況の整理から。
俺が帰ってきたのは日付を変わる頃だったはず。
アジトを出る時にトガチャンの隣で手を振っていたのは、確かに彼女だった。
どうやって入った、なんて聞かなくてもわかる。
彼女は“悪い子”だ。

「弔がね、忘れそびれたって言ってたから。はいこれ」

そう言って彼女の人差し指に引っかかるのは、何かの鍵。
差し出されてなんの迷いもなく右手を広げれば、彼女がその上に鍵を置いた。
そのまま指先が俺の手首をつーッとなぞった。
ゾクりとして腕に力が入る。
肘の内側を撫でたところでスっと離れると、力んだせいか手のひらはやけに汗ばんでいる。

「警戒した顔、」

ボソリと彼女が呟いて、俺をじっと見つめる。
肝心のマスクはテーブルの上だし、寝起きのこの状況はあまりにも俺が不利すぎる。
イカれた彼女と接するには、あまりにも近すぎる
ゆっくりと後ずさって触れた手が、びしょりと湿った枕に当たった。
これは俺の寝汗……か?
悪夢を見た覚えもないし、寝苦しかった記憶もない。

「一時ぐらいかなぁ…凄いうなされてたよ、大丈夫だった?」

「あ、あぁ…。なんだろうな、疲れてたのかもね」

「女の人の名前、呼んでたよ」

彼女にそう言われ、考えてみる。
眉間に眉を寄せて、下唇を人差し指で撫でるのは昔からの癖だ。
久しく彼女なんて者は居なかったし、女遊びにも心当たりがない。
それでも唯一思い当たる女と言えば、むかしむかしに泣かせた彼女ぐらいで。
今じゃ顔も声も覚えてないなんて、酷い話だ。

それにしても懐かしい…と、俯きがちだった視線を彼女に移して、ドキリと心臓が一瞬詰まった気がした。
視線だけで詰め寄るようなソレに、ピクリとも体を動かしては行けない気がする。

「なんちゃって。うなされてたのはホントだけど、寝言は嘘だよ」

パッと切り替わった表情に、ゆっくりと唾を飲み込んだ。
これっぽっちも気にしていないようにニッコリと笑えば、今度は彼女がベッドに横たわった。

「その鍵ね、第3倉庫のだって。ミスターにいえば分かるって言ってたよ」

「あぁ、話は聞いてる。届けてくれてありがとね。」

ふわぁ、と可愛らしい欠伸をすると、彼女は口元までブランケットを手繰り寄せた。

「あれ?今から寝るの?」

「うんー…眠いもん、ずっと起きてたから」

「……え、俺のいびきそんなうるさかった?それとも、」

「んーん、静かだったよ」

「……は、じゃぁなんで」

「寝てる圧紘さんなんて滅多に見れないから。ずーーーーーっとね、見てたら朝になっちゃったの」

少し照れたような彼女に、こめかみを冷や汗が流れた。
普段見えない執着をこうも見せびらかされると、どう応えてやったらいいか分からない。
俺としてはもう少し、恐怖に近い何かを感じない方法は無いかと考える。

「なぁ。そんな事しなくても、俺はどこにも行、ッ」

胸ぐらを掴まれると、グッと引き寄せられる。
その後に続くはずの言葉を、彼女自身が遮った。
女の子独特の粘着質な唇がゆっくりと離れると、俺の胸元を握る力を弱くなった。

「怖くても嫌われてもいいの。この人もういいかな、って思うまではしっかり生きてね」

言い終わるとスっと瞳を閉じた。
きっとこれからも彼女のことは何一つ分からないだろうし、読めないだろう。
一つ分かるのは、そんな彼女に惹かれ始めてる俺がいるってこと