走って走って、どれだけ走ったか分からない。
スマホが入ったカバンは何処かに置いてきてしまったし、お気に入りのサンダルがいつの間にか片っぽ無い。
今走っている道だって、どんどん大通りから外れている。
まるで誘導されてしまったこの先は、私の知っている道では無いのだ。
街でたまたま声を掛けられた。
背が高くて細身で、優しそうな笑顔。
どことなくパパに似ている気がして遊ぼうと誘われた時、少しだけならいいかなと思ってしまった。
いいお店があるからと連れてこられたのは薄暗い路地裏で、そこから彼が豹変するのはあっという間だった。
持っていた鞄を投げつけて、ひたすら走って逃げたのだ。
こんな時に限って思い出すのは、今朝の会話だった。
「なぁ〜、そのスカートどうにかなんないか?」
私の制服を見て、新聞からちらりと見せたパパの嫌そうな顔。
「下履いてるもん。短い方が可愛いんだからしょうがないでしょ」
わざと大袈裟にため息を付いた私に、さらにパパが食いついてきた。
「もう少し長い方がパパは好きだけど。てかさ、最近帰りも遅くねぇ?どこで何してるぐらいはママに連絡したらどうよ」
「分かってる〜。うるさいなぁ!」
まともにご飯も食べないで、リビングの扉をバタンと閉めた。
ローファーに片足を入れたところで、ひょっこりとママが顔を出した。
「お洒落したい気持ちも、みんなとまだ遊んでたい気持ちもわかるよ。でもパパとママが心配な気持ちも少しだけわかって欲しいな」
心配そうに苦笑いするママの顔だとか、あの時はイラつく材料でしかなくて。
今朝はまともに行ってきますも言えずに家を飛び出した。
こんな時に2人のこと思い出すなんて…視界が滲む。
ハァハァと肩で息をしながら、気づけば知らない倉庫の前まで来ていた。
他にも同じような建物が並ぶ中、再び背後から足音が聞こえてすぐさま逃げ込んだ。
少しだけ空いた大きな扉をこじ開けて逃げ込めば、中は埃だらけだった。
咄嗟に抑えた口元は、乱れた呼吸のせいで息苦しい。
物音がしないよう走ると、近くの物陰に隠れた。
しばらくして倉庫の扉が閉まる音がして、不安が押し寄せた。
「隠れても無駄だよ。ずっと探してたんだ…」
「!!」
「君と、あの嫁がいなかったら、Mr.は今でも俺たちヴィランの憧れだったのに…」
「…?」
「引退だなんて、カタギなんて…許されるわけないだろ…」
当たり散らすように、近くのダンボールや椅子が倒れていく。
その度に震え上がった身体が、ビクリと跳ねる。
「15年前の目撃者のフリして情報を流してやっても出てこない……いつからそんなに臆病になっちまったんだ!……
なぁ? 」
いつの間にか隠れていた物の上にたち、私を見下ろす男。
漏れた月夜の光に照らされて、逆光でどんな顔してるのか分からない。
怖くて、怖くて、ただ尻もちを付いて後ずさるしかなかった。
「だから俺は決めたんだ。Mr.の大事なものを消そうって。そうしたら孤独のヒーローが再び俺たちのリーダーになってくれるから」
「っひ!こ、こないで…!」
ゆっくりと男が近付く中で、何かがカツンと手に当たった。
手繰り寄せたそれは一本のナイフだった。
「だから死のうな」
私に覆いかぶさった瞬間に、私もナイフを振り上げた。
「ッッ!!」
咄嗟に庇った腕に当たって、血飛沫が私に掛かった。
ぱっくりと割れたその腕を抑え込む男の顔は、この世の者ではなかった。
「この糞ガキッ!」
「!」
もうダメだ。そう感じギュッと目を瞑ると、誰かに肩を抱かれた。
嗅ぎなれたその匂いは紛れもなくあの人で、一気に涙腺が緩くなる。
「ったく。帰りが遅いと思ったらこれだよ」
「っ、パパ!」
「Mr.!Mr.コンプレス!!会いたかったよ!!」
血だらけの両手を広げて、狂った男が叫ぶ。
「誰お前、知らねぇなぁ」
パパのスラッと伸びた手が男の肩をトンっと叩けば、一瞬で丸く抉れてしまった。
床に転がる球体と男の叫び声に耳を塞げば、背中をトントンと撫でられた。
大丈夫だ。と言われているような気がして、不思議と恐怖心が薄れていく。
「よくもまぁそんな汚ぇ手で俺の娘に触れたな」
いつもより数倍低い声に、怒っているのがわかった。
本気で私を怒る時でさえこんな声聞いたことがないのに。
両腕は血だらけで、片方の肩も抉られているのに、男は嬉しそうに笑い未だに立っている。
「さぁ、お前はどうしたい?」
「?」
私の前に差し出されたのは先程のナイフ。
「あいつはお前とパパ、ママを切り裂こうとした悪い悪い人間だ。このまま殺すか、警察に突き出すか…どうする?」
「……ッ、」
トン、とパパが私の背中を押してくれたから、私は両手で掴んだナイフを掲げた。
「こんなの触りたくないけど一応ね」
そういったパパが死体であろうソレを球体で片付けた。
「…パパ……は、ははは」
ぺたりと座り込み、壊れたように笑いだした私を見てパパは優しく微笑んだ。
目の前に屈むとポッケから取り出したハンカチで、顔の血を拭ってくれた。
「大丈夫だよ、お前は正常だ」
どうしてそんなこと言ったのか、何が正常なのかなんて何も分からなかった。
人の血を浴びて、人にナイフを突き刺して殺した私のどこが正常なんだろうと笑いながら涙が流れた。
「大丈夫、パパも一緒だから」
そう言うとひとつの球体を私に差し出した。
「?」
中から出てきたのはひとつのマスクだった。
「人に悟られたくない時、不安な時、どんな時でもいいから、嫌になったらこれを被ればいい。そうしたら落ち着くから」
言われたままマスクを手に取った。
パパの匂いがして、パパに守られてる気がして、気づけば震えが止まっていた。
気を抜けば頭がグワンとして、気づけばパパの腕の中だった。
最後にパパが何か言った気がしたけど、そのまま意識を失ってしまったらしい……。
「ようこそ、ヴィランへ」