今日は嫌なことがあった。
いつもなら笑顔で玄関に立ってお見送りが出来るのに、何だか行って欲しくなくてあの手この手で荼毘を引き止めた。
彼が困り気味にどうしたと聞いてくるも、上手く説明できる自信が無い。
あなたは誰?何をしている人?荼毘って名前なの?苗字なの?誕生日は?血液型は?
次から次へと出てくる疑問は、私を不安にさせる。
「荼毘のことみんなわかってくれない」
やっとの思いで捻り出した言葉はソレだった。
「…急にどうした」
再び問われた言葉にはため息が混じる。
きっと呆れている。
荼毘の良さなんて私だけが知っていればいいし、荼毘自身も私しか知らないで欲しい。
そう思っていたのに、付き合いが長くなればなるほど彼は私のなのだと見せびらかしたくなった。
「友達にね、荼毘のこと話したの。…彼氏出来たよって」
「……。」
「最初は…みんな運命的な出会いだって、言ってくれた、の」
荼毘の沈黙が怖い。
今どんな顔でこちらを見てるのか、見上げることも出来ずに段々と声が小さくなる。
「……要は危ない奴なんじゃないかって言われたんだろ?」
「ッ!!わ、わたしはそんなこと思ってない!…けどさ…私荼毘のことなにも知らないよ…」
「お前の知りたいことってなんだよ。それ全部答えたらお前は満足か?」
「…っ」
「そもそもお前が好きだって言ってる奴の悪口、平気で言うそいつらの方がやべぇと思うけどな」
そう言う荼毘に何も言えず、彼が家から出ていったのは数日前の出来事。
しばらくして帰ってきた彼は、会わせたい奴らがいると話した。
「ねぇ、どんな人たち?」
「あー…癖が強いな。でもいいヤツらだよ」
「癖が強くていい人って、想像しにくいなぁ」
「女も1人いるけど頭がイカれてる」
「女の人もいるんだ、仲良くなれるかな?」
「…どうだろうな、血が好きとか言ってっからもしかしたら吸われちまうかもな?」
「…血って!ヴィランじゃあるまいし」
冗談でそう言えば荼毘はにこりと笑った。
初めて見る荼毘の表情に、頭の中では何故だか警報がなっている。
なんでこんなに心臓がバクバク言ってるんだろう。
こんな荼毘見たことない…あれ?この人、私の知ってる、荼毘…だよね…?
呼吸は浅く、上手く酸素が取り込めない。
視界はだんだんぼやけ、指先と足先が冷たくなっていく。
上手く歩けない私に気づいた彼が、背中に手を添える。
「ほら、着いたぜ」
連れてこられたのは古びた倉庫だった。
1本隣の道からは外壁越しにガヤガヤと音と光が洩れる。
なのに此処一帯だけやけに暗く、空気も冷たいような気がする。
大きな扉の前まで行けば、開けてみろと声をかけられた。
力の入らない両手で扉に手をかけるが、恐怖から開けることは出来ない。
後ろから伸びてきた手は、私の両手に重なった。
驚くほどに冷たい手に全身が震える。
重い扉が開くと背中をトンと押された。
膝が押された衝撃に耐えきれず崩れ落ちる。
ぺたりと座り込んでしまった私の元へと複数の足音が近づく。
「コイツがお前の言ってた女か?」
「荼毘さんのお気に入り!すんごくかぁいいですね」
「トガちゃんの言う通り!可愛いなアンタ!どこがだよすげーブス!」
「お気に入りじゃねぇよ、俺の大事な”彼女"だ。トゥワイス謝れ」
「ごめんよぉハニー!きっもちわりぃ〜!」
「ほぉ、いい女。荼毘結構面食いだね」
「Mr、そんなに羨ましがるなよ。恥ずかしがり屋なんだ、コイツ」
いつの間にか私の隣にしゃがみ込んだ荼毘は、顎を優しく掴むと自分の方に引き寄せた。
「だ…び…?」
「薄々気づいてただろ?お前はそこまで馬鹿じゃないもんなぁ?」
不敵に笑う荼毘から目が逸れせない。
恐怖から全身は震え、涙が零れる。
「あ〜ぁ、泣いちゃった」
「泣いてる顔もかぁいいですね、刺したらもっと泣いてくれますか?」
「こら、トガちゃん。荼毘のハニーを怖がらせちゃダメでしょ」
「そうだぜトガちゃん!いーや!もっと泣かせてやろうか!」
「ごめんなさい〜」
まるでペットを見るかのような目で私を見るこの人たちが、なんの話をしているかまったく理解出来なかった。
目の前で笑い続ける荼毘の顔でさえ分からなくなった。
「おい、そんな女どうするんだよ」
「仲間にいれようかと思って。どうだよ、ボス。いいだろ?」
「何かの役に立つのか?」
「いや?俺が喜ぶだけ」
「……いらないなぁ」
「あっそ。悪いなナマエちゃん、いらないってよ」
そう冷たく言い放つ荼毘と、ボスと呼ばれる男。
もうダメだ、殺される。
全身は震え、ガチガチと歯が鳴り続ける。
「ほら、立てよ。外まで送ってやる」
腕を掴まれ立たせれば、扉の外まで連れていかれた。
突然の事に何が起きているのか分からないが、助かるかもしれない。
そう思うと辛うじて足が動いた。
「じゃぁな」
荼毘の言葉と共に扉は閉まった。
息をするのを忘れていた肺は必死で空気を吸い込んだ。
無我夢中でその場から走った。
何度も転んだ膝からは血が滲み、泥だらけになりながら角を曲がれば賑やかな夜の街に出た。
すれ違う人達が私を不思議そうに振り返り見たが、気にも止めず足を引きずって歩いた。
あの日からどれだけ経ったのだろう。
目を瞑れば荼毘の、彼らの顔や声を思い出した。
その度に胃の中が空になるほどの吐き気に襲われ、薬が無ければ眠ることも出来なかった。
一日中付けっぱなしのテレビから流れるのは、楽しそうな映像ばかり。
ボーッと見つめていると画面が切り替わる。
突如映し出された彼の姿に喉はひゅっとなった。
画面越しに喋り続ける彼から目が離せなくなった。
「と、うや…とどろ、きと、うや…エンデ、ヴァーの息子…」
知らされる事実に釘付けになり、食らいつくように画面を見つめた。
愛しかったはずの彼をみて涙が溢れ、心臓が痛いほど締め付けられた。
彼に教えこまれた身体は思い出すだけでじわりと熱くなった。
気づけばあの日の倉庫の前に立っていた。
もう来るはずのないこの場所に、何故だか立っている。
自分の力でドアを開ければ中からはホコリが舞った。
あの時と同じ、カビの臭いがすれば嗚咽が出そうになった。
中は空っぽで彼らの姿は無かった。
当たり前か…私がもしかしたら通報でもするかもしれない。
ずっと同じところに留まるわけが無いのだ。
もう彼には会えない事実を受け止められず、座り込む。
「よぉ。何か捜し物か?」
後ろからした聞き覚えのある声は聞きなれた彼の声。
聞き間違えるはずがない。
何度も私の名前を呼んだその声に、涙が溢れた。
「…っ」
「また泣いてんのか?泣かしたやつ殺してやろうか?」
ふざけたように笑う姿は子供のよう。
「だ、び…」
「…違うだろ、俺は荼毘じゃない」
「と、うや…」
「あぁ……本当はそうやって呼んで欲しかったんだよ」
そう言って抱きしめた彼はあの時と何も変わらない。
私の両頬を包み込むと、おでこをコツンと合わせた。
彼の綺麗な瞳が私を映し出す。
「こんな俺を見くれるのか?」
「…とうやしか見えないよ」
目を細め嬉しそうに笑った。